ETUDE

〜美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私の三種の神器です。〜

エディット・マティス 2

2010-02-09 | その他
日曜日にエディット・マティスの来日コンサートの映像を見てからというもの、まだ熱病に浮かされたようになっている。
まる2日が経つというのに、症状は重くなる一方だ。
そんな中、ブログにコメントを寄せて下さったlunlunさまの情報では、今年もマティス女史は来日されるらしい。
しかも公開レッスンもされるそうな。
ほんと?これは、何をさておいても調べなきゃ・・・
というわけで探しました。それこそ必死で探しましたよ。
そして見つけました。
lunlunさまのお話の通り、2月の終わりに公開レッスンがあったのです。

喜んだのもつかの間、公開レッスンの場所をみて愕然とした。
何と会場は神戸だったのだ。
オー・マイ・ゴット!
しかし、気を落としている場合ではないぞ。
学生時代を過ごした思い出の神戸へ行くのも悪くないと気を取り直し、手帳をくってみる。
そして再び愕然。
何と公開レッスンの日である28日は、樫本大進さんのバッハの無伴奏全曲演奏会の日だったのだ。
あー、ダメだー。

今年は、やっぱり縁がないのかなぁ・・・
でも、神戸以外に東京では本当に公開レッスンやらないのかしら。
マティスさんに会いたい。
珍しく往生際が悪い私でございました。
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エディット・マティス ソプラノ・リサイタル (教育テレビ:思い出の名演奏)

2010-02-07 | BS、CS、DVDの視聴記
日曜日に不定期に放映されている教育テレビの「思い出の名演奏」。
今朝、新聞のテレビ欄をみて、私は小躍りした。
何、エディット・マティスの来日公演?
「嘘じゃないよね」と半信半疑でテレビをつけた。
電子番組表で確認すると、確かに「エディット・マティス ソプラノリサイタル」と記されている。
ブログでも何度か書いたことがあるが、私にとってマティスこそ最高にして最愛のソプラノ。
そのマティスのリサイタルが映像つきで見れるなんて・・・。
何と言う幸せ。
早速ブルーレイレコーダーで録画予約。

いよいよ放送の時間が来た。
どきどきしながら見た、聴いた。
そして目茶苦茶感動した。
1986年といえば、私はまだ大阪にいるときだ。
ステージに登場したエディット・マティスは当時48歳のはずだが、若い頃の美貌はいささかも衰えていない。
暖かく上品な人柄がそのまま滲み出てくるような歌唱に、私はすっかり魅了された。
そして、彼女の最大の美質だと信じて疑わない、しなやかさを決して失わない清潔な表現と発音の美しさも、今回あらためて実感させてくれた。

とくにR・シュトラウスの「あすの朝」の高貴なまでの美しさに至っては、もはや言葉が見つからない。
何回繰り返し見たことだろう。
もう、ため息しかでない。
こんな素晴らしい映像を放送してくれたNHKには、ただただ感謝するばかりだ。
エディット・マティス様、これからもずっとお元気でいてくださいね。

<日時>1986年6月12日
<会場>東京文化会館小ホール
<曲目>
ベートーヴェン作曲
■「追憶」
■「悲しみの喜び 作品83−1」
■「うずらの声」
ドイツ民謡集(ブラームス編)
■「一本のぼだい樹が」
■「静かな夜」
■「どうしたら戸が開けられるか」
■「深い谷間に」
■「騎士」
■「お母さん 欲しいものがあるの」
ブラームス作曲
■「舟の上で 作品97ー2」
■「嘆き 作品105−3」
■「月夜」
■「おとめの歌 作品107−5」
■「春の歌 作品85−5」
R・シュトラウス作曲
■「あすの朝 作品27−4」
■「冷たい空の星よ 作品19−3」
■「もの言わぬ花 作品10−6」
■「帰郷 作品15−5」
■「ときめく胸 作品29−2」
(アンコール)
■R・シュトラウス:「お父さんの言うことには 作品36−3」
■ブラームス:「おとめの歌 作品95−6」
■モーツァルト:「すみれ K.476」
■ブラームス:「こもり歌 作品49−4」
<演奏>
■エディット・マティス(ソプラノ)
■小林道夫(ピアノ)


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セゲルスタム&読響 オール・シベリウス・プログラム(2/6) @東京芸術劇場

2010-02-06 | コンサートの感想
今日は読響マチネの日。
マチネー会員として読響のコンサートを聴くのは、実は来月が最後になる。
「ライヴこそ私のサプリメント。何としても継続して生の音楽に触れたい」と渇望し、6〜7年前から年間会員として聴き続けてきたマチネーコンサートだったが、4月からは新たに芸劇名曲コンサートの会員として読響のコンサートを聴くことにした。
理由は単純で、来シーズンのプログラムを見比べて、名曲シリーズの方により強く惹かれたから。
この経緯については、後日もう少し詳しく書かせていただこうと思う。

さて、2月のマエストロはセゲルスタム。
お国もののオール・シベリウス・プログラムというのが嬉しい。
いままでセゲルスタムの演奏で裏切られたことは一度もなかったので、大いに期待して一路芸劇へ。

<日時>2010年2月 6日(土) 14:00開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
《オール・シベリウス・プログラム》
■交響詩〈フィンランディア〉
■ヴァイオリン協奏曲
■交響曲第1番
<演奏>
■松山 冴花(ヴァイオリン)
■レイフ・セゲルスタム(指揮)
■読売日本交響楽団

ところが行く途中でアクシデント勃発。
埼京線が強風で遅れてしまい、池袋駅に着いたら開演4分前だった。
これはいかんと、慣れないダッシュでホールへ向かい、何とか滑り込みセーフ!
ホールへ繋がるエスカレータが、今日ほど長く感じられたことはなかった。
ほんと、あぶないあぶない。
客席で汗を拭きながら待っていると、セゲルスタムが巨体を揺らしながらステージに登場してきた。
相変わらず大きい。赤い服を着せたら、まさにサンタさんそのものだ。
しかしひとたびタクトを握れば、この人並み外れた巨体が包容力の源に変わるのだから不思議。
フィンランディアの冒頭から、早くもセゲルスタム節が炸裂する。
スケールが大きく、ドラマティックだ。
それでいて荒っぽい感触は皆無。
進む方向性が明快で、太いタッチで描かれた彼の音楽は、やはり際立って大きな安心感を与えてくれる。

2曲目は、松山冴花さんをソリストに迎えてのヴァイオリン協奏曲。
松山さんの演奏を聴くのは初めてだったが、第1楽章冒頭の弱音部の表情が独特だった。
儚さとか強いメッセージ性は感じられない。
その代わり、まったく重量がないようなふわっとした感触でフレーズが紡ぎだされる。
まるで空間にメロディが浮かんでいるようだった。
その後、徐々に輪郭がはっきりしてきて、実在感を増した表現に変わっていく。
そのさまは、まさに圧巻。
ライトのせいかチューニングに苦労していたようだが、私は大変充実した演奏だと感じた。
また、演奏とはまったく関係ないが、以前彼女の書いたブログが実に面白いので、興味のある方は是非読んでみてください。
とくにピアスのことを書いたエントリーは抱腹絶倒です。

休憩をはさんで、この日のメインは交響曲第1番。
これがまた良かった。
雄大なスケールと抒情美あふれる歌に圧倒される。
見たこともないフィンランドの情景が、まざまざとステージ上に描き出されているような気がした。
少し話がそれるが、昨年末に開催された「M1グランプリ」で「笑い飯」が「鳥人(とりじん)」というネタを披露した。
もう最高に面白い出来で、島田紳介さんが100点を出して話題になったのだけど、私はオール阪神巨人の巨人師匠の評が忘れられない。
「何度見ても本当に素晴らしい。普通は回数を重ねると球も遅く感じるものだけど、このネタは逆だ。いつでも鮮明に情景が浮かんでくるんですよね」と。
そう、情景(=イメージ)をはっきりと表現するすることは、かくも重要なのです。

それからセゲルスタムは、この交響曲第1番について、次のように語っている。
『交響曲第1番では、「シーベリウス」と聞こえるクラリネットソロで始まっています。シベリウスの母国語であるスウェーデン語では、リウスには光という意味があり、シーベは半音を意味します。ですから、ちょっと冗談めかして言えば、「さて、今から半音を使っていかに陰影をつけられるか、ひとつやってみせましょう」と言っているように思えるのです。』

なかなか含蓄のある説明でしょ。
私は大いに納得してこの日の演奏を聴いたのです。
すると、確かに「シーベ・リウス」と聴こえてくるじゃありませんか。
しかし、その後登場するフレーズも「シー、ベリベリベリ・・・」と聴こえてくるし、第2楽章も「もういくつ寝ると、シベリウス」と聴こえてくる。
終楽章もまったく同じ。
もう40分間、ステージ・ホールを問わず、「シーベリウス」だらけじゃないか。
サンタ・セゲルスタムさん、ほんとに貴方は殺生なことを教えてくれました。
これから私はこの曲を聴くときに、絶対「シーベリウス」の呪縛から逃れられなくなってしまったじゃないですか。
夢の中にまで「シーべリウス」が出てきたら、いったいどうしてくれるの?
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バッハ:カンタータ第23番 「汝まことの神にしてダビデの子よ」 by リリング

2010-01-31 | CDの試聴記
昨夜BS1で放送していた「我が思い出の冬季オリンピック」という番組をご覧になった方はいらっしゃるだろうか。
2部構成の後半は「銀盤の戦い」というテーマだったが、嬉しかったのは、その中で札幌五輪当時のジャネット・リン選手の可憐な姿に出会えたことだ。
まさかの尻もちで結果は銅メダルだったけど、失敗にもめげず最後まで笑顔で滑り切った彼女は、一夜にして日本中いや世界中の人たちをファンにした。
当時高校入試の真っ最中だった私も、もちろんその中のひとりだった。
「高校に入ったら、苦手な英語をしっかり勉強して、絶対リンちゃんに手紙を書くんだ」と秘かに心ときめかせていたっけ。
残念ながら、この決意の方は、高校入学とともに春の夢となってしまいましたが・・・(笑)
あと、番組の中で印象に残ったのは、ゲスト出演していた さだまさしさんのコメント。
「あのとき芸術点で満点をつけた審判がいたんです。失敗した後も、最後まで笑顔をめげずに滑り切ったからこその満点だけど、『ころんでも満点』というのは、その後の自分にとって大きな勇気になりました」
まさに同感。
見終わって、何かほのぼのとした気持ちにさせてもらった。

こんなときはモーツァルトを聴きたくなるのだが、今日はバッハを聴いた。
選んだのは、カンタータの第23番。
4曲で構成される比較的小ぶりなカンタータだけど、このカンタータは名作だと思う。
第1曲は、2本のオーボエと通奏低音で始まるが、このイントロからして既に心が浄化されるようだ。
無伴奏チェロ組曲第5番(私にはリュート組曲第3番というほうがフィットするのだけど・・・)のガボット兇離侫譟璽困砲匹海似ているが、テンポが遅いので雰囲気はまるで違う。
気高さを感じさせる第2曲、希望に満ちた第3曲を経て、終曲の感動的なコラールを聴くと、このカンタータの素晴らしさに胸がいっぱいになる。
終曲のコラールはあとで追加されたものだそうだが、よくぞ付け加えてくれたものだ。

それにしても最近バッハを聴くことが多くなった。
齢のせいだろうか。
それとも、心の癒しを本能的に求めているのだろうか。
きっと、その両方なんだろうなぁ。

<曲目>
■バッハ:カンタータ第23番 「汝まことの神にしてダビデの子よ」
<演奏>
■リリング(指揮)
■バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト
■ゲヒンゲン聖歌隊
■アーリン・オージェ(ソプラノ)
■シュレッケンバッハ(アルト) ほか
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ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 by ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル(1976)

2010-01-30 | CDの試聴記
”クラシック音楽は「ミステリー」である”という吉松隆さんの新書、あまりに面白いので結局2回続けて読んでしまった。
「五線譜の中の暗号」という記事で、その第1章のさわりをご紹介させていただいたが、他の章に書かれたテーマを振り返りながら、それぞれにまつわる音楽について聴いていこうと思う。

第2章のテーマは「ショスタコーヴィチ、二重人格のファウスト」。
モデルになった音楽は、ショスタコーヴィチの第10交響曲だ。
この曲は、独裁者スターリンが死んだ1953年に書かれている。
一歩間違えば粛清が待っていた恐怖政治が終わり、今までとはまったく違った心境で書かれたショスタコーヴィチの傑作だが、吉松さんはこのシンフォニーそのものの中に作曲者の強いメッセージを感じ、また第3楽章には「暗号」をみる。
第3楽章は、自己署名ともいえる「D・S・C・H」(レ・ミ♭・ド・シ)のモチーフが散りばめられていることで有名だけど、それだけではなくホルンが何度も奏でる不思議な音型「ミ・ラ・ミ・レ・ラ」にも重要な意味があると吉松さんは考えた。
そして、マーラーの「大地の歌」の冒頭との関連も指摘しながら、ある結論に・・・。
ネタばれになるのでこれ以上は書かないが、もう推理小説の域だ。

この曲には名演奏が多いが、私のイチオシは初演者でもあるムラヴィンスキーのライヴ盤。
凄い。凄いとしかいいようのない演奏だ。
第1楽章はリストのファウスト交響曲との関連を指摘されているが、とにかく暗い。
地面そのものが徐々に沈んでいき、地中に引き込まれていくような印象を受ける。
強奏部でも明るく華やかな方向には絶対行かない。
まるで地上にいる悪魔が、沈んでいく私たちを大声で嘲笑しているようにすら感じる。
そんな音楽に対して、ムラヴィンスキーは決してどろどろとした暗さには仕上げない。
「暗いさ。ほんと暗いさ。でも暗さがどうした。暗闇のど真ん中めがけて全力で切り込むだけさ」といわんばかりに求心的に音楽を作り上げていく。
鋼のような強さを持った演奏。
それでいて粗野な表現は、どこにも見当たらない。
だからこそ、垣間見える柔らかい表現に、これまた堪らない魅力を感じるのだろう。
男ムラヴィンスキーの凄さに畏怖の念すら覚える1枚である。

<曲目>
■ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調 Op.93
<演奏>
■ムラヴィンスキー(指揮)
■レニングラード・フィル
<録音>1976年3月3日 レニングラード(ライヴ)




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テレマン:カンタータ「汝ダニエルよ、行け」 by リチェルカーレ・コンソート

2010-01-24 | CDの試聴記
先週末は山口へ出張だった。
羽田で離陸の順番を待ちながら、ぼんやり外を眺めていると、次々に飛行機が離陸していく。
私の乗った飛行機はANAだったが、JAL機もほぼ同数飛び立っていった。
かつて人気企業の上位にランクされていたJALが、会社更生法の適用というまったく予想もしなかった事態に陥ってしまった。
乗務員の人たち、飛行機を守る整備等の業務に従事している人たち、その他大勢の社員の人たちは、どんな気持ちで今仕事をしているんだろう。
会社更生法という最終の選択肢が決まるまでには、企業年金の問題も大きく取り上げられた。
JALの企業年金の問題はあまりに大きな課題を孕んでいて、ひとことで語ることなんてとてもできない。
給付水準が世間相場と大きくかい離していたことももちろん大きな問題ではあるが、「受給権の保護」という企業年金の憲法のような理念がまさに一刀両断にされそうな雰囲気で世論形成がなされそうになったことについては、非常に危険な兆候だと感じた。
いずれ機会をみて、私の思いを書かせてもらおうと思う。

さて、セミナーをおえた後、少しばかり時間があったので、思い立って山口ザビエル記念聖堂へ行ってきた。
急な坂道を登り、息を切らしながらふと見上げると、目指す聖堂がみえた。
はっとするくらい美しい。
(右上がその聖堂の写真。左はザビエル像。)
聖堂の中へ入ると、その厳粛な雰囲気に心洗われるような思いがする。
クリスチャンではない私だが、だれに強制されたわけでもないのに、いつしか眼を閉じて自然に胸に手をあてていた。
そして、なぜかマタイ受難曲のコラールが心の中で響いていた。
この敬虔な雰囲気が、きっとバッハの音楽を生んだのだろう。
しばらくの間、時間が止まったような気がした。

ホテルに戻って、ipodで聴いたのが、この哀悼カンタータ集。
このディスクには、バッハの106番の名カンタータを始めとして、本当に感動的な音楽が収められている。
演奏も最高だ。
なかでも、このテレマンのカンタータは素晴らしい。
もしこのカンタータをお聴きになったことがない方がいらっしゃるなら、是非第6曲のソプラノのアリアを聴いてください。
きっとこのカンタータを大切に思われることだろう。
一度でいいから、この感動的な音楽を生で聴いてみたい。

哀悼カンタータ集
<曲目>
■テレマン:「汝ダニエルよ、行け」
■ボクスベルク:「汝の家を構えよ」
■リーデル:「調和の喜び、敬虔な魂」
■バッハ:「神の時こそ いと良き時なり」BWV.106
<演奏>
■グレタ・デ・レイヘレ(S)
■ジェイムズ・ボウマン(CT)、
■ギー・ドゥ・メイ(T)
■マックス・ファン・エグモント(Bs)、
■リチェルカーレ・コンソート
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カラヤン・メモリアル・コンサート(2008/1/28 in ウィーン)

2010-01-17 | BS、CS、DVDの視聴記
今日クラシカで録り溜めたDVDの整理をしていて、久しぶりにこのコンサートの映像をみた。
カラヤン生誕100年ということで2008年1月に行われたベルリンフィルのメモリアル・コンサートだ。
カラヤンの愛弟子だった小澤さんが指揮台に立ち、メインはチャイコフスキーの『悲愴』。
そして前半は、ソリストにムターを迎えてのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲という選曲。

<曲目>
■ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
■J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調よりサラバンド
■チャイコフスキー:交響曲第6番変ロ短調作品74『悲愴』
<演奏>
■アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
■ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■小澤征爾(指揮)
<録音>2008年1月28日、ウィーン、ムジークフェライン(ライヴ)

なかでも、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が感動的な名演だ。
ムターのライヴにおける集中力の高さはよく知られているが、この日の演奏は別格。
彼女にとっても、きっと特別な思いでのぞんだコンサートだったのだろう。
第一楽章から、とにかく一音一音心をこめて弾いているのが、聴き手にもビンビン伝わってくる。
ムジークフェラインの音響の素晴らしさも手伝って、とりわけ弱音の美しさが尋常ではない。
軽々に「魂」ということばは使いたくないが、この日の彼女のヴァイオリンを表現するには、まさしく「入魂」ということばが最もふさわしい。
続く第2楽章の高貴さ、フィナーレのすさまじいまでの高揚感を聴くにつけ、特別な日がもたらした特別な贈り物だったような気がしてくる。
アンコールのバッハも、まことに深遠な音楽で、映像を通してでもこんなに感動するのだから、ライヴではいったいどんな状態だったのだろう。
最後の音を弾き終わった後、ムターの眼にうっすら涙が滲んでいるのをみて、私までもらい泣きしてしまった。
また、小澤さんの指揮も本当に素晴らしい。
ゆったりしたテンポで自然に湧き出てくるような豊かな音楽は、まぎれもない巨匠のそれだ。
『悲愴』は、5日前の1月23日にベルリンで素晴らしい名演を聴かせてくれていた(NHKのハイビジョンで放映済)が、このウィーンのコンサートはさらに上をいっているように思う。
切迫感、極限状態の緊張感という点ではベルリンの演奏が勝っているかもしれないが、豊かさ・格調の高さという点でこのウィーンのコンサートはかけがえのない魅力をそなえている。
この日のコンサートを、もし天国のカラヤンが聴いていたら、きっと眼を細めて頷いていたにちがいない。
終演後、客席のカラヤン夫人をカメラが映し出していたが、大変満足げな表情をされていたのが印象的だった。

さて、ムターは今春来日するが、果たしてどんなブラームス(ヴァイオリンソナタ全曲)を聴かせてくれるのだろう。
また夏には小澤さんも復帰する予定ときいているので、サイトウキネンでそして秋のウィーンフィルで元気な姿を見ることができると信じている。
そして、願わくば是非二人のコンチェルトを聴いてみたいものだ。
かつて、ボストン響が来日したときのコンサートのように・・・。
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五線譜の中の「暗号」

2010-01-15 | その他
1月8日に亡くなったスウィトナーさんのことがまだ頭を離れない。
あれから何枚かディスクを取り出して聴いてみたが、いずれも本当に素晴らしい演奏だった。
もう残念としか言いようがない。
NHKのBSクラシックナビによると、スウィトナーさんの追悼番組が2月に3本オンエアされるようだ。
とくに2/26に放映予定のモーツァルトの39番〜41番(1984年1月N響定期)が楽しみ。
聴きながら、きっとまた寂しい思いをするんだろうなぁ。
しかし、彼の至芸をしっかりと目と耳に焼きつけなければ・・・

ところで、少し話題を変えて、今読んでいる本のことを。
作曲家の吉松隆さんが書かれた”クラシック音楽は「ミステリーである」”という新書なのだけれど、これが実に面白い。
第一章は、バッハと五線譜の中の「暗号」と題した内容で、有名な「BACH」が「シ♭−ラ−ド−シ(ナチュラル)」と読みかえられてフーガの技法で使われている話から始まる。
続いてモーリス・ラヴェルが「ハイドンの名によるメヌエット」や「フォーレの名による子守唄」で用いた、拡大バージョンの内容が紹介されている。
それによると次のように読みかえるらしい。

 ラ−シ−ド−レ−ミ−ファ−ソ
 A−B−C−D−E−F −G
 H−I−J−K−L−M −N
 O−P−Q−R−S−T −U
 V−W−X−Y−Z
 ※Hは、「ラ」ではなくドイツ音名の「シ」と扱う

たとえばハイドンなら、「HAYDN」だから「シラレレソ」となるといった具合。
私のハンドルネーム「romani」は、こうなる。
「レラファラソシ」
これって、単に侠有垢箸いμ滅鬚も可笑しくもない和声進行じゃないか。
後に待つ音は「ド」しかなさそうだし・・・
あー、つまんない。
お気に入りのハンドルネームだけど、やはり音楽の神様には見放されているようだ(泣)
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R.シュトラウス:「メタモルフォーゼン」〜オトマール・スウィトナーを偲んで

2010-01-12 | CDの試聴記
今日は本当に寒い一日だった。
お客さまのところでも、「寒いですねぇ。景気もそうだけど(笑)」という会話で始まることが多かったなぁ。
そんな中、外勤からオフィスに戻って、私はオトマール・スウィトナーの訃報を知った。
享年87歳。
病気のために彼が公の場に登場しなくなってから、随分長い年月が経過していた。
昨年だったか、息子さんと一緒に出演したドキュメンタリー番組をテレビでみて懐かしく思ったばかりなのに、本当に残念だ。

スウィトナーといえば、学生時代に小遣いをためて買ったフォノグラムの廉価盤(もちろんLP!)が忘れられない。
曲はモーツァルトの29番。オーケストラはシュターツカペレ・ドレスデンだった。
こんなに柔らかなモーツァルトは、今以て聴いたことがない。
聴いていると、まるで春の陽だまりのなかにいるような幸福感に浸ることができる。
「モーツァルトの29番」という音楽の魅力を、私に優しく教えてくれたディスクだった。
そんなこともあって、よほどこの演奏(今手元にあるのは10枚組のボックスCDだけど・・・)でマエストロを偲ぼうかと思ったが、迷った末に取り出したのがこのディスク。
上記の10枚組ボックスセットの中に含まれている、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」だ。

<曲目>
■R.シュトラウス:「メタモルフォーゼン」
<演奏>
■オトマール・スウィトナー(指揮)
■シュターツカペレ・ドレスデン
<録音>1966年

ほとんど話題にならないディスクだけど、あらためて聴いてみると実に自然に音楽が流れている。
また、小細工なしの直球勝負にもかかわらず、ごつごつ感が皆無で、しなやかさと温かさに満ちている。
もちろん、これも、かつて手兵だったシュターツカペレ・ドレスデンの上質のサウンド抜きには語れない。
とくに中低音の木の香りがするような生々しい響きは鳥肌もの。
そして、最後の最後、エロイカの葬送行進曲のテーマがほんの一瞬登場するあたりにくると、もう私は胸がいっぱいになっていた。

結局スウィトナーの実演には一度も接することができなかったが、私の中で彼の存在は決して小さくない。
地味ではあるが、スウィトナーは、よき時代の職人気質を持った偉大なマエストロだった。
彼が遺してくれたディスクを、これからもずっと大切に聴き続けていくことだろう。
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ハイドン:ピアノソナタ集 by ケフェレック

2010-01-11 | CDの試聴記
大好きなピアニストであるケフェレックのニューアルバムを聴いた。
今回はオールハイドンプログラム。

<曲目>
ハイドン作曲
■ピアノ・ソナタ第62番変ホ長調 Hob. XVI:52
■変奏曲ヘ短調 Hob.XVII:6
■ピアノ・ソナタ第53番ホ短調 Hob. XVI:34
■ピアノ・ソナタ第54番ト長調 Hob. XVI:40
<演奏>アンヌ・ケフェレック(ピアノ)
<録音>2001年9月30日、10月1日

昨年12月のリリースなので、ハイドンイヤーに何とかぎりぎり間に合わせたのだろう。
一応新譜ということにはなっているが、録音は2001年。
リリースまで少しばかり時間がかかりすぎていることが、ファンとしては気になるところだ。
でも最初の変ホ長調のソナタを聴き始めた途端、そんなことはどうだっていい話だと思い知らされる。
よくぞ録音してくれた、よくぞこのディスクをリリースしてくれたと、ただただ感謝あるのみだ。
大空めがけて逞しく羽ばたいていくような冒頭の主題、そして高みから分散和音をともなってひそやかに舞い降りる美しいフレーズが、見事な対比をみせる。
もう忽ちにして、そこはケフェレックの世界だ。
あの魔法のようなタッチがもたらす多彩な音色と、絶妙としか言いようのないアーティキュレーションが織りなすハイドンの音楽に、私はひたすらうっとりするばかり。
そんな彼女の美質が最高に発揮されるのは、第二楽章アダージョ。
この深い情感を湛えた表現(とくに弱音部)は、とても言葉では言い表せない。

つづく変奏曲も、心に沁みいるような美しさだ。
この曲はブレンデルもフェアウェルコンサートでとりあげていたが、どちらも甲乙つけがたい名演だと思う。
ラスト近くの情熱的に盛り上がる箇所では、それまでの凛とした佇まいがあったからこそ、それこそ胸がかきむしられるような強い印象を聴き手に与える。
こんなハイドンを聴かされたら、聴き手はたまらない。
余談になるが、この曲の主題は、ギターを弾く人間にとっては懐かしいメロディだ。
ソルの二重奏曲の名品「アンクラージュマン」の第2変奏を思い出すので・・・。

また、最後に収められた2つのソナタも、文句なく素晴らしい。
とくに53番のホ短調ソナタのロンド・フィナーレは、このアルバムの中でも白眉の美しさ。
ここにはハイドンの魅力のエッセンスが詰まっている!
聴き終わってあらためて思ったのだけど、ほんとにさりげないフレーズから、聴き手の心を動かす何かをケフェレックは持っている。
だからこそ、モーツァルトやハイドンをこれだけ魅力的に演奏できるのだろう。
ケフェレックの演奏に接するたびに褒めてばかりで、いささか気が引けるが、それほど素晴らしいのだからご勘弁ください。
ひとりでも多くの方に、このハイドンを聴いていただきたいと思う。
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