ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

青柳いづみこ 「モノ書きピアニストはお尻が痛い」

2009-06-02 | 書籍の感想
最近自分の書いた記事を見るとコンサートの感想ばかりで、まるでコンサートレビューブログのようになってしまいました。(汗)
実は、まだワルキューレもマクベス夫人も「熱狂の日」の最終回も書けてないのですが、今日は少し趣向をかえて印象に残った本の感想を。

ご紹介したかったのは、青柳いづみこさんの「モノ書きピアニストはお尻が痛い」というエッセイ。
タイトルからして興味をそそられますが、いったん読み始めるともう止まりません。
面白い、いや面白すぎる!
全編をとおして貫かれているのは、青柳さんの類をみないくらい旺盛な知的好奇心。
どんな些細なことに対しても、「これは当たり前だよね」という常識からスタートしない。だからこそ見えてくるものがあるのですね。
お読みになっていない方は、是非読んでみてください。
律儀に最初から順番に読んでいく必要はまったくありません。
目次を見ながら気に入った頁を開けて、どんどん読んで行きましょう。
寝転がってでも、珈琲を飲みながらでも、はたまた電車の中でもかまいません。
一度ひととおり読み終わったら、今度はもう一度最初から順番に読みたくなるはずです。

抱腹絶倒なテーマはネタばれになるといけないので読んでからのお楽しみとさせていただくことにして、私がとくに印象に残った部分をご紹介しましょう。
「本当の意味で初めてモーツァルトに出会ったといえるのは、フランス留学中、彼の白鳥の歌ともいうべきK595の変ロ長調のコンチェルトを、当時のお師匠さんのピエール・バルビゼ先生にレッスンしていただいたときのことだ。
3楽章のロンド、華やかなカデンツが終わった後、最後にもう一度テーマが再現される。先生は、このテーマを、出だしののように元気よくはずんで弾くかわりに、ピアニシモでしっとりと、あまり音を切らずに、回想のように弾いてごらん、とおっしゃった。
楽しかった子供時代の思い出、もう決して戻ってはこない過去への悔悟の念。
そして、彼の命は、もうあとほんのわずかしか残されていない・・・。(以下略)」
なんと、素敵なレッスンでしょう。
バルビエの声が、レッスン室の風景が、そして最弱音でひそやかに弾かれたラストのロンド主題の音が、いまにも聴こえてきそうです。
一度も訪れたことのない南フランスの街の匂いまで感じることができます。
こんなレッスンに私も立ち会いたかった・・・。

もうひとつ。
青柳さんがマルセイユへ留学されていたときの回想で、
「私はまたある日、ヴァイオリンのちっぽけな坊やと「クロイツェル・ソナタ」を弾いた。坊やは上がりまくって、ポンポン小節をすっとばして下さるので、私はその度に忍者よろしくさっと下の段に跳び移らなければならないのである。それでも、私は楽しく、無上の音楽的瞬間を味わっていた。
なぜなら、そこには、音楽が、いつも、ちゃんと、生きて、呼吸していたからである。
音楽が呼吸さえしていれば、どんなにすっとばそうとぞろぞろになろうと、ダメな子、と思いながら私はついていくことができる。
(以下略)」
まさに私が常に感じていることを書いてくださっています。
本当に心からそう思います。
だって、音楽で何か一つ大切なものといわれたら、私は「呼吸感」と答えるはずですから。
コメント

「笑えるクラシック」 樋口裕一著

2007-10-31 | 書籍の感想
「クラシック音楽は堅苦しく敷居が高い、そう思われているようだ。(中略) 私はそろそろ日本人も、クラシック音楽に本来音楽が持っていたはずの笑いの精神を取り戻すべき時期に来ていると思う。・・・」という前書きで始まります。
おっ、これは面白そうだと直感しました。
果たして面白かった。
知的好奇心をくすぐられる本です。

第1部は、「実は笑える曲なのに、真面目に演奏されている名曲」
第2部は、「正真正銘笑える名作オペラ」
第3部は、「思わず笑ってしまう名曲」
この章立てだけでも、面白そうでしょう?

「そうそう。確かにそうだっよな」と大きく頷いたり、「えっ、そうだっけ。CDをもう一度聴いてみよう」と新しい発見に小さな喜びを感じたりしながら、あっという間に最後まで読みきってしまいました。
採りあげた曲ごとの「笑えるツボ」のような箇所も、もちろん面白いのですが、私は樋口氏がさらっと書いている作曲家観に氏の本音が滲み出ていて、とても興味深く読ませてもらいました。

たとえば、
ニーチェによって、『神の死が宣告された時代』に生きたマーラーとR・シュトラウスを比較して、
「日本では、圧倒的にマーラーの方がレベルの高い音楽を残したとみなされている。しかし、私のようなシュトラウス好きからすると、マーラーは時代遅れの観念にこだわっている人間に見える。くよくよと自分にこだわって悩んでいる。すでにあるはずのない形而学上の音楽世界に憧れ、それを再現しようとしている。だが、ベートーヴェン的なものがあるはずがないので卑小なものにしかならない。卑小さを隠すために、規模を大きくするしかない。それよりは、深刻に悩むのではなく、シュトラウスのように、すでに神のいない音楽を楽しく奏でるほうがよいのではないか。」

また、オッフェンバックのことをモーツァルトと対比させながら、
「演劇評論家の梁木靖弘氏が、この2人の関係を、『歴史は繰り返される。ただし、二度目には道化として』という言葉とともに紹介している。まさにそのとおりだと思う。モーツァルトの道化として存在するのがオッフェンバックだ。だが、そうであるからこそ、(彼は)才能の足りないモーツァルトではなく、たったひとりのオッフェンバックになっている」と。

はっとさせられる視点に、私は大いに刺激を受けました。
個々のテーマについてコメントしてしまうとネタバレになりますので、あえて書きません。
でも、この本、実に面白いです。

コメント (4)

「カラヤンとフルトヴェングラー」 中川 右介著

2007-02-22 | 書籍の感想
面白い本を読みました。

本のタイトルは、「カラヤンとフルトヴェングラー」。
作者は、季刊『クラシックジャーナル』の編集長である中川右介さん。 

この本の主役は、タイトルになっているフルトヴェングラー、カラヤン、そしてチェリビダッケという3人の偉大なマエストロたちです。
すぐにお気づきのことと思いますが、この3人に共通する最大のキーワードは、世界最高のオーケストラである「ベルリン・フィル」。
そうです。この本のテーマは、ベルリンフィルの音楽監督の座をめぐる3人の男たちの熱い戦いなのです。

フルトヴェングラーは決して神のような高潔な人格者ではなく、結構猜疑心の強いキャラクターとして描かれています。
とくに、ニキシュの死後、10歳年長のブルーノ・ワルターとベルリンフィルの常任の座を争う場面では、ワルターの言葉を借りると「フルトヴェングラーは、天国から地獄までのあらゆる手段を総動員して、この地位を得ようと躍起になっていた」そうです。
とくに切り札になったのが、コンサートエージェントのルイーゼ・ヴォルフの支持を取り付け、ニキシュの追悼演奏会の指揮の座を射止めたこと。
このとき、フルトヴェングラーはまだ36歳という若さでした。

そして、その後の、カラヤンに対する執拗なまでの排斥活動。
カラヤンという存在を意識した裏返しなのか、本能的に嫌いなのか分かりませんが、とにかくこれでもかこれでもかとカラヤン排斥に動きます。
神としてのフルトヴェングラーというよりも、人間フルトヴェングラーを強く感じました。

一方、カラヤンの身の処し方の上手さ、我慢強さ、そして何よりも「機をみるにきわめて敏」といいたくなる天才的な嗅覚も、鮮烈に描かれています。
こちらは、凡そ私のイメージどおりのカラヤン像でした。

フルトヴェングラーの死後、常任の座を争ったのは、カラヤンとチェリビダッケ。
10年間に400回以上のベルリンフィルのコンサートを成功させながら、その苛烈な言動から団員の多くに嫌われていたチェリビダッケ、一方、たった10回しかベルリンフィルをしなかったが、ベルリン外で評価が非常に高かったカラヤン。
この対決に引導を渡したのは、直後に予定されていたベルリンフィルのアメリカ公演でした。
「カラヤンは、音楽監督に就任できないならアメリカに行かないと言い、アメリカツアーの主催者は、ツアーの指揮者はカラヤン以外には認めないと言う。そして西ドイツ首相は、絶対アメリカツアーを成功させろと言う。」
こんな状況を、ここ一番で作りだしたカラヤンの政治力の高さ。
やはり、フルトヴェングラーもカラヤンも、ここ一番の嗅覚の鋭さは、やはりすごいとしか言いようがありません。

チェリビダッケについては、その演奏の魅力について疑いない評価を得ていたにもかかわらず、あまりに激しく攻撃的な性格が結局ベルリンフィルのシェフの座を遠ざけてしまったのか・・・。

「フルトヴェングラーとカラヤン」に関する本といえば、不世出のティンパニストであるテーリヒェンが書いた「フルトヴェングラーかカラヤンか」が印象深かった。
一方、この本は、著者もコメントしている通り、歴史ドラマ・人間ドラマとして楽しめるように書かれていると思いました。

きっと映画になったら面白いだろうなあ・・・。

コメント (10)

のだめカンタービレ№13

2005-09-14 | 書籍の感想
最近また仕事が忙しくなってきました。
なかなかその日中に帰宅できないことも多いのですが、ipodのおかげで気分転換できるのが救いです。
明日も300人くらいのオープンセミナーがあってゲストで呼ばれているのですが、準備がまだ十分出来ていません。さすがにちょいとばかりあせってきました。
にもかかわらず、帰りに「のだめカンタービレ№13」を買ってしまいました。
なんという自制心のなさ・・・。

漫画を読むのは本当に久しぶりです。ところが、8月の終わりに休みをとったときに気まぐれで読み始めたのが運のつき!
単行本になっている全12巻を、あっという間に読みきってしまいました。
これは面白いです。ほんと面白いです。
しばらく続編は出ないと安心していた(?)ところ、最新号が出てしまいました。
買うしかないですよね。たとえお尻に火がついていても・・・。

少しネタバレになりますが、今回の号ではプーランクの「ピアノ、オーボエ、ファゴットのためのトリオ」なんていう、ちょっとばかりマニアックな曲も紹介されています。この曲、「マニアックな・・・」と言ってしまいましたが、パリのエスプリに溢れたとても魅力的な曲です。私のお気に入りは、ルルやパユといった若き名手達が瑞々しい演奏を聴かせてくれる「プーランクの室内楽全集」ですが、広く聴いていただきたい素敵な演奏ですよ。

さあ、これから明日の準備をしなくっちゃ・・・。
コメント (10)   トラックバック (2)

「楽の匠 クラシックの仕事人たち」大山真人著 (音楽之友社)

2005-04-17 | 書籍の感想
ON BOOKS21 という音楽之友社から出ている新書の中の1冊です。
この本では、楽器製作家や衣装コーディネーター、写譜屋、FM放送局プロデューサー等クラシック音楽を支えるもうひとつのプロフェッショナル達を13人紹介しています。
紹介されている13人がいずれも魅力的に語られていて、非常に興味深く読みました。

なかでも、クラシックギター制作家である今井勇一さんの話は、クラシックギターが私にとって唯一演奏できる楽器ということもあり、氏のギター作りにかける情熱とポリシーに感動しました。
(実は、私のHNは愛器の名前からとっています。この話はまた後日ゆっくりと・・・)

もうひとつ挙げると、コレペティ(正式にはコレペティテュア)の田島亘祥さんの話。
私は、「コレペティ=オペラ等の練習ピアニスト」と思い込んでいましたが、田島さんの話を読んで驚くほど奥が深い仕事だと知りました。
練習ピアニストとしての役割以外に、歌手のレッスンや、立ち稽古の相手や指揮者代行、それからプロンプターも守備範囲なんだそうです。
こうなると、もう陰の指揮者であり陰の演出家ですよね。オペラの成否を決するキーマンといって差し支えありません。
田島さんからレッスンを受けた歌手にとってみれば、本番の舞台でプロンプターとしての田島さんの顔をみるだけで、どれだけ安心なことか・・・。
オペラの現場って、本当にいろいろな積み重ねで出来上がっているんですね。

そのほか、フィガロの結婚等におけるダ・ポンテの台本(台詞)とモーツァルトの音楽(音と音形)との間に不思議な関連性があるという話、また田島さんが感銘を受けたというリヒテルの名言が印象に残りました。
前者については、あまり詳しく内容を書いてしまうと楽しみが半減してしまうので、読んでのお楽しみということに・・・。
後者のリヒテルの名言とは、次のとおりです。
(NHKのプロジェクトXで紹介されたものだそうです。私も見たはずですが、全く覚えていません。)
------------------------------------
どのようなピアノを作ればいいかというヤマハの調律師から聞かれて、リヒテルは次のように答えたそうです。
「ピアノは空(天)に向かい、ピアニシモは神に向かい、フォルテは宇宙に向かって」
------------------------------------
こんなピアノを作って欲しいという意味なんでしょうね。
素晴らしい言葉だと思います。

ご紹介できなくて残念ですが、あとの11人の話も本当に含蓄があって面白いので、機会があれば是非読んでいただきたいと思います。
コメント (2)

「我が魂の安息、おおバッハよ」鈴木雅明著 (音楽之友社) 

2005-02-22 | 書籍の感想
「我が魂の安息、おおバッハよ」は、
バッハ・コレギウム・ジャパンの創始者にして日本のバッハ演奏の第一人者である鈴木雅明氏が、マタイ受難曲やカンタータ等のバッハ音楽について書きしるしたものです。
昨年、リリングのバッハ大全集を購入して以来、バッハの新たな魅力にとりつかれてしまった私ですが、そんな中この素晴らしい名著と出会いました。
鈴木雅明氏率いるバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏は、CDやBS放送等で聴いてその誠実さ・純度の高さにずっと心惹かれておりましたが、この本を読んでその原点が分かったような気がします。
バッハの音楽について、学術的な観点から分析を行った本は相当数存在しますが、演奏家の立場で論じたものは、過去からあまりなかったと思います。
例えば、マタイ受難曲で、曲全体を貫く3重構造(エバンゲリスト、アリアの歌い手、コラール)について触れた後、それをどうやって実現していくか、何処が難しいのかを分かりやすく書かれています。大バッハの音楽に対し、選ばれた専門家がどうやって対峙していこうとしているのか、その秘密の一部が垣間見えるような気がしました。
実は、もったいなくてまだ最後まで読めていないのですが、完読した後も、きっと座右の書として何度でも読み返すことと思います。
コメント (1)