ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 by シャイー&ウィーン・フィル 

2009-10-31 | CDの試聴記
シャイーの演奏を初めて聴いたのは、随分昔になるがウィーンフィルと組んだチャイコフスキーの5番のディスクだった。
多分LPだったと思う。(今は手元にCDしかないが・・・)

<曲目>チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 作品64
<演奏>
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
■リッカルド・シャイー(指揮)
<録音>1980年12月

一聴して、私はすっかり彼らのチャイコフスキーに魅了された。
そこには、「今しかないんだ」といわんばかりの若さ、輝くような若さがあった。
この曲はあらゆるシンフォニーの中でも屈指の名曲だし、ほんとに様々なアプローチがあると思う。
純交響曲として格調高く演奏するのもよし、力と色彩感覚で押し切るのもよし、人生を振り返るような深い味わいで勝負するのもこれまたいい。
しかし、私が社会人になった年に録音されたこのシャイーたちのチャイコフスキーには、同時代を生きる人間として共感するところが多かった。
第2楽章のホルンとクラリネットが織りなす絶妙の表情、フィナーレの一点の曇りもない輝かしさを聴くと、今でもベストを争うだけの演奏だと改めて痛感させられる。

シャイーの手にかかると、とにかくオーケストラがよく響く。
それも決して無理せずに輝かしいサウンドで鳴り響く。
これも指揮者として大きな才能の一つだろう。
ただ、彼の音楽作りが、がっちりとした所謂ピラミッド型のサウンドを志向せず、常に音楽が澱みなく横に流れ、その流れに従って圧倒的なクライマックスに繋げていくというスタイルであるところに、評価が分かれるのかもしれない。
相方との相性によっては、確かに「ノーテンキ」となってしまう可能性もあるだろう。
その点でも、このウィーンフィルは彼にとって最高のパートナーだと思う。
そして、私がシャイーの実演に初めて接したロイヤル・コンセルトヘボウの来日公演(1993年)も素晴らしかった。
「新世界」「シェラザード」という選曲もフィットしていたのかもしれないが、とにかく美しく官能的な世界へ誘ってくれた。

一方、先日聴いたゲヴァントハウスとの共演では、縦と横が絶妙にミックスされた瑞々しいサウンドで大いに魅了してくれた。
ただ、昔大阪で聴いたゲヴァントハウス管弦楽団の音とは少し違っていたような気がする。
大阪で聴いたのはクルト・マズア率いる1979年11月の来日公演で、会場はフェスティバルホールだった。
その日私は2階席一番後方のあまり良くない席で前半のプロを聴いていたのだが、休憩時にある初老の方から「急用ができて帰らないといけなくなってしまった。いい席なので聴かれませんか」とチケットをいただいた。
お礼を言いつつチケットをみると、なんと2階最前列センターの席。
この幸運の席で聴いた後半のブラームスの1番は、今でもよく覚えている。
それはまさに底光りのするようなサウンドで、稀にみる素晴らしいブラームスだった。
「これぞドイツの音」と心から感心したものだ。
それに比べると、27日にサントリーホールで聴いたモーツァルトとマーラーのサウンドそのものは、かなり異なっていたかもしれない。
でも前回のエントリーでも書いたように、芯のところで、確かに聴き覚えのある音があったのだ。
そういえば、今年聴いたオーケストラの中でも、ウィーンフィル、ドレスデンシュターツカペレ、ゲヴァントハウスは独特の響きがしていた。
これが「伝統の音」というのなのだろうか。
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シャイー&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス来日公演(10/27) @サントリーホール

2009-10-28 | コンサートの感想
世界最古のオーケストラであるライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演の初日を聴いてきた。
指揮はカペルマイスターであるリッカルド・シャイー。
このコンサートはもともと行く予定ではなかったのだが、先週末に急に聴きたくなってネットで探していたところ、幸いにも一番安い席をゲットすることができた。
値段は安いけど、私の大好きなP席でかつ3列目。
これは、まさに願ったり叶ったりだ。
こんなふうに偶然聴くことができたコンサートは、想い出深いものになることが多い。
今回も果たしてそうだった。

<日時>2009年10月27日(火)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216
(アンコール)
■クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース
■マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
<演奏>
■アラベラ・美歩・シュタインバッハー (ヴァイオリン独奏)
■リッカルド・シャイー(指揮)
■ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

オケは対抗配置。シャイーはこのオケではこの形で演奏することが多い。
マズアがムターとメンデルスゾーンのヴァイオリンのコンチェルトを演奏した映像をみると普通の配置だったので、やはりシャイーの強い意向なのだろう。
この日の前半のプログラムは、アラベラ・美歩・シュタインバッハーをソリストに迎えて、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。
いやー、明るい!
実に明るく爽やかなモーツァルト。それも赤とかピンクの明るさではなく、輝くオレンジの明るさだ。
ロッシーニ風のモーツァルトといってもいいかもしれない。
シュタインバッハーは、もっとドラマティックな表現もできる人だが、この日は伸びやかな表情がとにかく印象的。
第2楽章あたりは、さながらオペラのアリアを聴いているようだった。
一方でシャイーとゲヴァントハウスの緻密で陰影に富んだ伴奏があったからこそ、彼女の「歌」が映えたことも見逃せない。
アンコールのクライスラーでは、卓越した技術とパワフルな表現力を活かし、モーツァルトとはまた違った面で聴衆を魅了してくれた。

後半は、マーラーの「巨人」。
素晴らしいマーラーだった。
ゲヴァントハウスのオーケストラが、こんなに色彩豊かで逞しい音楽を聴かせてくれるとは正直思わなかった。
一方で18世紀から脈々と流れる「伝統の味」も、しっかりオケの響きの芯の中に存在した。ただ、それが古色蒼然とした色に染まっていないだけ。
これは、やはりシャイーの存在、影響が大きいということなのだろうか。
この日シャイーはフレーズのひとつひとつを克明に描き、それらを大きな流れの中で見事に息づかせていた。
パーツパーツが次々と登場して演技をし、結局脈略のない音楽になってしまう恐れもある「巨人」だが、一本筋のとおった大きなドラマに仕上げたのは、やはりシャイーの力。
軽いだとか浅いだとかいう批評を耳にすることも多いが、どうしてどうしてシャイーは既に紛れもない巨匠だ。
マエストロ・シャイーのほんのちょっとした指示で音・サウンドがみるみる変化する様を目の当たりにした私は、そう考えるしかなかった。

エンディングのあとホール全体が大きな拍手とブラボーの声に包まれる中、一度舞台袖に引っ込んだシャイーが再びステージに登場して、オケの全員を満面の笑みで称える。
私はそのときのシャイーの表情が忘れられない。
言葉はなかったが、はっきり彼の心の声を聴いたようなきがする。
「みんな、やったな。最高の演奏だった。さあ、立ち上がって聴衆に挨拶しよう!」

日本公演はまだ始まったばかり。
これから聴かれる方は、大いに期待していいです。
シャイーとゲヴァントハウス管弦楽団のことについては、もう少し書きたいこともあるのだが、それはまた別の機会に。
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小菅優&下野竜也 メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲第1番ほか(10/24) @東京芸術劇場

2009-10-25 | コンサートの感想
昨日は読響マチネの日。
10月は、シンフォニーが2つとピアノコンチェルトが1曲というオール・メンデルスゾーンプロだった。
中でも、私が今回楽しみにしていたのは、ピアノ協奏曲第1番。
だって、何といってもソリストが小菅優さんなのだから・・・。
ということで、まずはピアノ協奏曲の感想から。

ステージに登場した小菅さんは、赤のドレス姿。
明るいメンデルスゾーンの曲のイメージにぴったりだ。
演奏が始まった。うーん、やっぱり上手いなぁ。どんな箇所でもまったく不安を感じさせない。
しかもテンポの速さや超絶技巧で翻弄するのではなく、正確なリズムと自然な呼吸感をベースにした躍動感が全体を貫いているので、聴いていて本当に気持ちがいい。
第1楽章では、途中にでてくるバックビートをいかにも楽しそうに弾いていたのが印象的。
そして何といっても素晴らしかったのが第2楽章。
ホール全体が静謐な美しさに包まれて、そこはまさに別世界。
読響の伴奏、とくに弦の濡れたような音色も心にしみた。
フィナーレは、一転して明るいロンド。
十分速いのだけど決して滑るようなテンポではなかった分、かえって前述のバックビートを含めたリズムの面白さが前面に出てきて、それが愉悦感をもたらしてくれた。
アンコールは、この日も無言歌集から「デュエット」を聴かせてくれたが、これもしっとりとした佳演。
メロディラインの歌わせ方がほんとに上手い。
1週間の間に2回も大好きな小菅さんの演奏が聴けて、私にとってこれ以上の幸せはない。
終演後サイン会があったので、小澤さんと協演したこのCDにサインをしてもらった。(画像)

おっと、何やらこれでエントリーを終わってしまいそうな雰囲気になってしまったが、この日は2曲のシンフォニーも素晴らしかった。
第1番と第5番というと最初と最後のシンフォニーかと思いがちだが、5番は2番の前に作られているので、この2曲が実は1番目と2番めの交響曲ということになる。
第1番は弱冠15歳のときの作品。
深みという点ではさすがに物足りなく感じる面もあるが、それだけメンデルスゾーンの天分がストレートに現れている。
そしてこの日の演奏では、テンポが実によかった。
颯爽としていて、歌心も十分。
途中、モーツァルトの40番や41番の面影もちらちら感じられて、なかなか楽しませてくれた。

第5番「宗教改革」は、さらに充実した演奏。
最近読響のアンサンブルが少し粗っぽくなってきたような気がしていたが、昨日はまったくノープロブレム。
大変素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれた。
とくに木管の冴えた響きが印象的。
また第3楽章のアダージョでは、その敬虔な美しさに涙が出そうだった。

それから、この日一番強く感じたのが下野さんのこと。
以前にも書いたが、下野さんの指揮と私の相性は正直決して良くなかった。
具体的に言うと、呼吸感が合わないのだ。
しかし、この日はどういうわけかまったく違和感がない。
それどころか、最後まで誠に気持ち良く音楽を聴かせてもらった。
その理由を聴きながらずっと考えていたのだが、下野さんが「振り過ぎなくなった」ことが一番大きいかもしれない。
たとえば、「宗教改革」の終楽章。かなり長いフーガが続くが、以前の下野さんならきっと厳格にフレージングを決めて、それをオーケストラに徹底させたはずだ。
ところがこの日は大きなイメージをオーケストラに示しつつ、細部はオケに任せていた。そのために逆にフレーズが非常に生き生きとしていたし、音楽の高揚感も増していた。
読響との信頼の絆が強まったことが原因かもしれないし、考えすぎかもしれないが常任指揮者のスクロヴァチェフスキに影響を受けたのかもしれない。
こんな下野さんの指揮なら、そして音楽なら、今後もずっと聴き続けていきたい。
そんな思いを新たにした一日だった。

《メンデルスゾーン生誕200年記念プログラムIV》
<日時>2009年10月24日(土)14:00開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
メンデルスゾーン:
■交響曲第1番ハ短調 作品11
■ピアノ協奏曲第1番ト短調 作品25
(アンコール)
■メンデルスゾーン:無言歌集から「デュエット」
■交響曲第5番ニ短調 作品107 「宗教改革」
<演奏>
■小菅優(ピアノ)
■下野竜也(指揮)
■読売日本交響楽団
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ブラームス:ホルン三重奏曲 変ホ長調 by バリリ&コッホ&ホレチェク

2009-10-23 | CDの試聴記
クライマックスシリーズの制度ができて、秋になってもプロ野球が楽しめるようになった。
セ・リーグもパ・リーグも一球で流れががらりと変わるような熱戦が続いており、勝ち負けは別にして、プロ野球ファンには堪えられない夜が続いている。
ただ、クライマックスシリーズに登場できなかったチーム(我が愛するタイガースのように・・・)にとっては、秋風がきっと身にしみていることだろう。
これはファンとて全く同じこと。
来年は、ほんまに頑張ったってや。たのんまっせ!

さてこんな秋風が身にしみる季節には、何度も書いているようにやっぱりブラームスだ。そして室内楽だ。
そんなわけで、今夜はホルントリオを聴いた。

<曲目>
ブラームス:
■クラリネット・ソナタ第1番 ヘ短調 作品120の1※
■クラリネット・ソナタ第2番 変ホ長調 作品120の2※
■ホルン三重奏曲 変ホ長調 作品40
<演奏>
■レオポルト・ウラッハ(クラリネット)※
■イェルク・デムス(ピアノ)※
■ワルター・バリリ(ヴァイオリン)
■フランツ・コッホ(ホルン)
■フランツ・ホレチェック(ピアノ)
<録音>
クラリネットソナタ:1953年,ホルントリオ:1952年

このホルントリオは、ブラームスの室内楽の中で唯一ホルンを用いた作品。
牧歌的で、どこか郷愁を感じさせてくれる佳曲だ。
私が最初にこの曲を聴いたのは、たしかタックウェル,パールマン,アシュケナージが演奏したLPだった。
のどかな明るさという点で申し分なかったが、正直それ以上の魅力は感じなかった。
その後何種類かのディスクを聴いた後に出会ったのが、この演奏。
驚いた。
聴き終えて、パールマンたちの演奏と同じ曲だとはとても思えなかった。
先ほど書いた「それ以上の何か」をもった演奏だったから。

まず冒頭のバリリのヴァイオリンを聴いて心動かされない人はいないだろう。
それほど深い味わいを持った表現だ。
この雰囲気を、コッホのホルンが見事に引き継いでいる。
音程は少々危なっかしい。
しかし、このひなびたような音色の魅力はどうだ。
もともとヴァルブのないナチュラホルンを想定して、ブラームスはこの曲を書いている。
ここでコッホが演奏しているのは、まさにそのナチュラルホルンだったかもしれない。
ウィーンフィルのホルンの顔として長年活躍してきたヘーグナーが、モーツァルトのホルン五重奏曲をナチュラルホルンで演奏していたときの映像の印象と実によく似ていたから・・・。
ただ、ライナーノート等にもこの点について記載がないし、私自身ホルンについてあまり詳しくないので自信はない。

さて、私がこの曲で最も心惹かれるのは、第3楽章のアダージョ・メスト。
まるで湖の底に静かに吸い込まれていくかのように、徐々に沈んでいく独特の寂弱感。
ブラームスが直前に亡くした母への思いを託したといわれる音楽だが、まさにその気持ちが伝わってくる。
ブラームスのヴァイオリンソナタ第2番の第1楽章によく似たメロディが途中で登場するが、曲調はまるで違う。
色で表すと、暗さをもった深緑といったところか。
そんな悲しみの音楽を、バリリは、そしてコッホは十全に表現している。
そして決して出しゃばることなく、そっと陰で支えるホレチェックのピアノ。
何度聴いても感動的だ。

また終楽章は一転して明るい8分の6拍子に変わるが、バリリたちは冒頭からいきなり場面転換したりはしない。
前の楽章の雰囲気を受けて、一瞬躊躇するような感じで開始するところが心憎い。そして、第2主題のあと登場するピアノの下降音型(1分20秒あたり)は、まるで天からきらきらした光の破片が落ちてくるようだ。
まさにブラームス。
これぞ大人の音楽。
やはり歴史的な名盤だと思う。
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小菅優 ピアノリサイタル(10/18) @サントリーホール

2009-10-20 | コンサートの感想
一昨日、サントリーホールで小菅さんのピアノリサイタルを聴いた。
開場時間にはまだ少し早いと思いながら、夕方の5時15分頃にホールの前に着くと、人影がほとんどない。
休日のコンサートだからこんなものなんだろうか、いやひょっとして体調が戻らなくて公演がキャンセルになったのだろうかなどと不安に駆られてチケットをみてみると、何と開演は7時。
私はてっきり6時開演だと思い込んでいたのだ。
危ない危ない・・・
でも逆でなくて本当に良かった。
小菅優、サントリーホール、土日のコンサートと重ねて考えると、私にはどうしても6月の悪夢が甦る。
とんだハプニングに見舞われ、ホールの前まで行きながら、泣く泣く小菅さんのピアノコンチェルトを聴き逃してしまったのだ。
そうか、そのときの開演時間が6時だったんだ。
トラウマとは、げに怖いもの・・・

<日時>2009年10月18日(日)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ワーグナー(リスト編曲):オペラ『タンホイザー』序曲
■シューマン:交響的練習曲 op.13
■ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番
(アンコール)
■メンデルスゾーン :無言歌集より「デュエット」
■メンデルスゾーン :無言歌集より「紡ぎ歌」
■モーツァルト :ピアノソナタK330 第1楽章

さてこの日のプログラムは、まさにロマン派のど真ん中の音楽。
こんなに重い曲を並べて、小菅さんの病み上がりの体は最後まで持つのだろうか。
何よりそれが心配だった。
それだけに、最初にステージに登場した彼女の笑顔を見て、そして3曲めのアンコールを終えて最後に客席に向かって丁寧に挨拶する姿を見て、「元気になってほんとに良かったね。ありがとう。」と私は心の中で思わず呟いていた。

冒頭のタンホイザーは、とても指ならしといえるようなものではない。
所謂つまみ食い的なパラフレーズではなく、タンホイザーの序曲をまるまるピアノで再現しようとするのだから、その大変さは想像を絶する。
彼女は最後まで正面からこの曲に向き合って弾いてくれた。
しかし、ピアノという存在すら忘れさせてくれるような美しい部分と、それでもやっぱり無理しているなあと感じる部分が交錯していたというのが実感。
次のシューマンは、より自然な表現でずっと楽しめた。
「遺作」を織り交ぜた独自の配列で演奏されたが、とくに思い切りテンポを落として演奏された「遺作変奏曲第5番」の息をのむような美しさ、逆に速めのテンポで一気呵成にエンディングまで疾走したフィナーレの見事さが印象に残る。

しかし、この日もっとも感銘を受けたのはブラームス。
前半の2曲では、どこかピアノと格闘しているところが感じられたが、後半のブラームスでは、ピアノはまさに彼女の理想のパートナーになっていた。
第2楽章のポコ・ピュウ・レントに聴く静謐な世界、躍動感に満ちたスケルツォがその証左だ。
それにも増して素晴らしかったのはフィナーレ。
とくに2番目の主題は、このソナタの中でも第2楽章と並んで極め付きの美しい音楽で、ほんの一瞬しか登場しない。
そんな儚い美しさが私の心を捉えて離さないのかもしれないが、この最高の聴かせどころを、小菅さんは何とも軽やかに、そして微笑みを持って弾ききってくれた。
これでこそ、この音楽は活きる。「皇帝」のテーマの描写も同様に素晴らしい。
私は、あらためてこのブラームスのソナタの魅力を教えてもらった。

小菅さんの最大の魅力は直球だ。
けれんみなく投げ込んでくる直球は、無限の可能性を感じさせてくれる。
そして、その直球に乗せて、「自分のメッセージを聴衆にピンポイントで伝える本能的な力」を持っている。

小菅さん、あなたはもう「高度なテクニックと豊かな表現力」というような、ありきたりのキャッチフレーズで語られていてはいけない。
「コスゲ ワールド」そのもので勝負してほしい。
それだけの才能を持った人なのだから。
次回のコンサートで聴かせてもらえる日を、心から楽しみにしている。
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ブラームス:クラリネット三重奏曲イ短調 作品114

2009-10-17 | CDの試聴記
一年中で一番ブラームスが恋しい季節になってきた。
それも室内楽が無性に聴きたくなる。
最近よく聴くのが、クラリネットトリオ。
ブラームスは晩年にクラリネットを含む名作を立て続けに作曲した。
このクラリネットトリオもその一連の作品の一つで、クラリネット五重奏曲と対で作曲されたが、五重奏曲のほうがあまりに有名になってしまったものだから、陰に隠れてしまった感がある。
しかし、じっくり聴いてみると、実に味わい深い曲だ。

<曲目>
ブラームス
■ホルン三重奏曲 変ホ長調 作品40
■クラリネット三重奏曲イ短調 作品114
<演奏>
■ラルス・ミヒャエル・ストランスキー(ホルン)
■ペーター・シュミードル(クラリネット)
■ペーター・ヴェヒター(ヴァイオリン)
■タマーシュ・ヴァルガ(チェロ)
■岡田博美(ピアノ)

第1楽章はチェロのモノローグ風の主題で始まる。
たった4小節のこのフレーズを、チェロの名手たちは実にさまざまな表情で弾く。
私が聴いた中で最も官能的に弾いているのがヨーヨーマ(+シュトルツマン&アックス)、とてもバランスのとれた表情だと感じたのがベッチャー(+ライスター&ボーグナー)とスコチッチ(+プリンツ&デムス)、速めのテンポで淡々と弾いているのがペレーニ(ベルケス&コチシュ)といった具合。
今回ご紹介するタマーシュ・ヴァルガは、現在のウィーンフィルのソロチェリストだが、ここでは決して大きな身振りでは弾いていない。
どちらかといえば控え目だ。しかし、清らかな湧き水のような美しさを湛えている。
そういえば9月の公開レッスンで、彼がベートーヴェンのチェロソナタ3番の冒頭の表現について、生徒にアドヴァイスしていた姿を思い出す。
「あなたの弾き方は気合いが入りすぎている。音楽はまだ始まったばかり。どちらの方向へ行くのか手探りな状態のはずだよ。」
まさにその言葉を、ヴァルガはここで実践している。
そして次第に音楽が熱を帯び出すとヴァルガの表情も徐々に変わっていく。シュミードルとの掛け合いの妙は、まさにウィーンフィルそのもの。
おそらく初見で演奏したときから、こんなイメージなんだと思う。
ところで、この楽章で私が好きなのは、再現部で第2主題のあとに出てくるコデッタの部分。
チェロからクラリネットに引き継がれる美しい旋律を優しく分散和音で支えていたピアノが、その直後にほんの少しの間だけメロディを奏でる。
この箇所を聴くたびに、私は何故か不思議な温かみを感じるのだ。
岡田さんの透明な音色と端正な響きをもったピアノにも、大いに魅かれた。

第2楽章は、まさに私が「ブラームスの室内楽」に対して持っている憧れそのものだ。
シュミードルもヴァルガも実によく歌う。しかし、あくまでもブラームスの色で歌っているところが素晴らしい。やはりウィーンの伝統なのだろうか。
続く第3楽章は、このディスクの白眉だろう。
シュミードルの愉悦感に富んだ表情も抜群だし、ギターのアルペッジョを思わせる柔らかなピチカートや、幸福感に満ちた語り口に聴く表現力の豊かさこそヴァルガの真骨頂。とにかく弾力性をもったリズム感と自然な流れがいい。
終楽章のクラリネットとチェロのユニゾンは、どこかダブルコンチェルトを思い出させる。
聴き終えて、ため息が出るほど魅力的なブラームスだった。

今年のウィーンフィルを聴いて、そして公開レッスンを見せてもらって、「ヴァルガの室内楽を是非聴いてみたい」と思い立ってゲットしたのがこのディスク。
ブラームスのクラリネットトリオは比較的名演に恵まれた曲だが、聴き終わって最も幸せになれる演奏として、私はこのディスクをずっと聴き続けることだろう。
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コブクロ:STAY (=ドラマ「官僚たちの夏」主題歌)

2009-10-11 | CDの試聴記
『愛すべき人と出会い、全てを失って、砂漠のような心に咲く花を愛と呼ぶ。
信じあう、それだけで道が生まれてゆく。寄り添い合い、傷つけ合い、そんな日々ほど愛しい・・・』
コブクロの「STAY」は、こんな歌詞で始まる。
いつ聴いても、ほんとに素敵な曲だ。
私がblogを始めてからまる4年になるが、ポップスをとりあげたのは多分初めてだと思う。

このSTAYという曲を、私はテレビドラマ「官僚たちの夏」の主題歌として初めて知った。
このドラマの原作は、城山三郎の同名の傑作小説「官僚たちの夏」。
「ミスター通産省」と呼ばれた男・風越信吾を中心とした物語で、私は毎週心待ちにして観ていた。
風越は規格外のスケールの大きさをもった男だが、そんなタイプにありがちな話として、「尊大だ」「傲慢だ」というレッテルを貼られ、敵も多い。
しかし彼にとって、自らの保身や目先のことなどはなから眼中になかった。
「日本を産業の面において世界一流の国にする」ことしか彼の頭にはないのだ。
産業を育てるためには、技術開発に力を入れ、人を育て、価格競争力をつけなければいけない。
最初から自由競争という名のもとに外圧に蹂躙されてしまっては、育つものも育たなくなってしまう。
だから国内産業を育成するための時間を何としても稼ごうとした。
これが、自由貿易推進派のライバル玉木や池内首相(故池田勇人首相?)と、ときに激しく対立することになる。
小説でもそうだったが、このドラマでも上司・部下・ライバル・家族といったそれぞれの人間の生きざまが、ときの社会情勢・政治・外交という大きな流れの中で、きわめて生き生きと描かれていた。

私が印象深かったのは、必死で考えに考え抜いて最善と信じた道を、政治的解決の道具にされたり自己保身的な有象無象の輩の陥穽によって葬り去られそうになったときに、風越が自室に戻ってから、「どいつもこいつも、くだらねぇ!」と思い切り椅子を蹴飛ばすシーン。
決して、この蹴飛ばすしぐさを褒めるつもりはない。
しかし、「国民のため」という大義に基づいて、本気で血の滲むような努力を続けた結果の「どいつもこいつも、くだらねぇ」なら、私はこの風越の行動が理解できる。いや喝采すら贈りたくなる。
風越は、まず日本という国を、そして日本人のことを考えた。
そして大義の実現のためには、産業界の重鎮を始め政治家や外国人に対しても、まったく屈することはなかった。

いま民主党の提唱する「政治家主導」という考え方と一見正反対のようにみえるが、私に言わせれば、政治家主導であろうと官僚主導であろうとまったくかまわない。
どれだけ視野を広く持って、志高く行動できるか、これがすべてだ。
「どいつもこいつも、ほんとくだらねぇ!」と、心の底から言える政治家、官僚が一人でも多く登場してほしい。

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ニューヨーク・フィルの仲間たち2009  @日本大学カザルスホール

2009-10-08 | コンサートの感想
台風18号の足音に怯えながら、昨夜はブラームスの室内楽を聴いてきた。
ニューヨークフィルの首席クラスが集まって奏でるブラームスは、さすがに聴き応えがあった。
やはり秋に聴くブラームスは心にしみる。

<日時>2009年10月7日(水)19:00開演
<会場>日本大学カザルスホール
<曲目>
ブラームス
■クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 op.120-2
■ピアノ五重奏曲 ヘ短調 op.34
■クラリネット五重奏曲 ロ短調 op.115
(アンコール)
■ガーシュイン:「プロムナード」
<演奏>
■シェリル・ステイプルス(Vn)
■ミシェル・M・キム(Vn)
■シンシア・フェルプス(Va)
■カーター・ブレイ(Vc)
■マーク・ヌーチォ(Cl)
■小林有沙(Pf)

オープニングのクラリネットソナタが始まる直前、客席から携帯の呼び出し音が・・・。
フライングの拍手も同様だが、たった一人で全てをぶち壊すのだから、聴衆のこの類の不注意はまさに言語道断!
「自分も聴衆という名のプレーヤーとして参加しているんだ」と考えれば、こんなことが起こるはずもない。
とは言ってみたものの、既に多くのホールが対応しつつあるが、客席内に電波が届かないようにする等の措置もやはり必要だと痛感した。
さて、気を取り直して演奏が始まった。
クラリネットの音色が柔らかい。そして表情が明るい。
途中からテンションを上げてどんどん切り込んでいくピアノと、まさに好対照だ。
デュオとしては、とてもいい雰囲気だと思った。

2曲目は、ピアノ五重奏曲。
弦楽アンサンブルとしては、ヴィオラとチェロが存分に自己主張し、セカンドも太い音で内声部をくっきり浮かび上がらせる。
そんな3人と比べるとファーストがややリリックすぎるきらいもあったが、アンサンブルとしてはなかなか上質だ。
ピアノの小林さんも好演。
ブラームスのピアノクインテットといえば、3年前にサントリーホールで聴いたポリーニたちの演奏を思い出す。
弦もブラッヒャー、ブルネロ、クリストというまさに超ど級のメンバー。
ミニ・ベルリンフィルといった風情の凄い演奏で、その時のサウンドは、ずばりダークブルー!
それに比べると、ニューヨークフィルのメンバーたちのサウンドは、同じ青でもずっと明るい。
スカイブルーを基調にした感じとでもいえばいいだろうか。
第3楽章スケルツォのトリオが、抜群に美しかった。

休憩を挟んで後半は、クラリネット五重奏曲。
これは本当に素晴らしかった。誰が演奏しているというよりも、聴きながらブラームスしか感じなかった。
第2楽章の侘しさとどこか人恋しさを感じさせる表情が何とも切ない。
そして、終楽章の変奏曲の描き方も丁寧で秀逸だ。
台風のこともすっかり忘れて、ブラームスの魅力をたっぷりと堪能させてもらった。

今回のコンサートは、イープラスのディスカウントチケットが手に入ったことと、カザルスホールで音楽を聴くのもこれが最後になるかもしれないと言う予感から、急きょ思い立って聴きに来た次第。
やはり、カザルスホールは偉大だった。
今でも一流の、いや超一流の音響だと思う。
この日本が誇るホールが、あと半年で閉館になるかと思うと胸が痛む。
あの宝物のようなパイプオルガンはどうするんだろう。
何とかならないものか・・・
コメント (2)
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