ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

モーツァルト:ピアノ三重奏曲変ロ長調K.502 by ピリス&デュメイ&ワン            

2009-06-30 | CDの試聴記
土曜に起こった心配事は、なんとか無事に解消。
ご心配をおかけして申し訳ありません。
あまりに恥ずかしいので詳しくは書かないけど、自分の軽率さを猛省するとともに、「親切心」の大切さを改めて思い知らされることになりました。
そして、心配事が解消したとたんに急に聴きたくなったのが、この変ロ長調のモーツァルトのピアノトリオ。
ケーゲルシュタット・トリオでももちろん良かったのだけれど、このK.502の第2楽章が聴きたかったので・・・。

<曲目>モーツァルト
■ピアノ三重奏曲変ロ長調 K.502
■ピアノ三重奏曲ト長調  K.496 ほか
<演奏>
■ピリス(ピアノ)
■デュメイ(ヴァイオリン)
■ワン(チェロ)
<録音>1994年1月、1995年4月

生後間もない三男が亡くなった直後の作品であるにもかかわらず、そういった悲しみの影は全く感じられない。
しかし、第2楽章ラルゲットにじっくり耳を傾けると、どこか祈りのような表情にきこえてくる。
モーツァルトにしか絶対に書けない、ひたすらピュアで美しい音楽・・・。
いつ聴いても心洗われる思いがするのは私だけだろうか。

このディスクに聴くピリスたちの演奏は、透明感としなやかさを持ちながら、しかも温かさを感じさせてくれる。
ピリスがやや目立つような気もするが、決して出しゃばっているわけではない。
これは、この曲が、少しばかりピアノ協奏曲風に書かれているせいかもしれない。
素敵な音楽の、素敵な名盤だと思う。
そして、今日は、普段にもましてこの音楽が私の心に沁みるようだ。
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ベートーヴェン&シューベルト:最後のソナタ  by シュ・シャオ=メイ(p)

2009-06-28 | CDの試聴記
昨日は大好きな小菅優さんが大植英次&ハノーファー北ドイツ放送フィルと共演するということで、喜々としてサントリーホールへ向かったものの、ちょっとした心配事を抱えてしまい、開演目前に断腸の思いでサントリーホールを後にすることになった。
そんなわけで、いささかブルーな週末を過ごすことに・・・。
とか何とか言いながら、今日は新国立の「修善寺物語」を観て、日本語の美しさとこのオペラ独特の響きの新鮮さに深く感銘を受けてきたのだが、まずは、昨夜「限りなく群青に近いブルー」の状態で何度も聴いたこのディスクの感想を。
<曲目>
■ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番 op.111
■シューベルト:ピアノソナタ第21番 D960
<演奏>シュ・シャオ=メイ(ピアノ)
<録音>2004年 パリ

シャオ=メイは、今年のラ・フォル・ジュルネで来日していたので、お聴きになった方も多いかもしれない。
今日採りあげたディスクは、彼女が弾いたベートーヴェンとシューベルトの最後のソナタをカップリングしたものだが、大阪の某CDショップで、280円という目を疑うような値段で平積みにされていたので、即ゲットした。
こんなブルーな状況で聴くことになるとは思ってみなかったが、これが予想外に良かった。

全体を貫く豊かな情感に、まず魅了される。
豊かだけど決して大袈裟にならないところがいい。
たとえば、ベートーヴェンの第2楽章。
優しく大切に大切に奏でられる主題。ふと気がつくと、もう第一変奏へ入っている。
そして、変奏を重ねるうちに次第に明るく活気を帯びてくるが、付点のリズムを決して強調したりはしないので、軽さや弾力性は感じない。
一方、最もシャオ=メイの特徴が表れてくるのが第4変奏以降。
とにかく美しい。物理的に「弱い音」で表現されるのではなく、「心の弱音」とでも形容したくなるような静寂の世界。
私は大きな感銘を受けた。

ベートーヴェンの32番というと、どうしても10日前に聴いたツィメルマンと比較したくなるが、聴き手を金縛りにしてしまうようなツィメルマンの演奏とはまるで違う。
あのときは緊張と弛緩が交錯し、気がつくとふわりと空中に放り投げ出されて、その後はツィメルマンのなすがままといった状態で、それは凄い音楽だった。
そして、ツィメルマンのピアノを聴くと、ベートーヴェンはこの最後のピアノソナタで古典音楽の集大成を表現するとともに、既にロマン派を飛び越えて20世紀の音楽を見ていたのではないかしらと感じたものだが、シャオ=メイの演奏を聴くと、古典音楽の総括するところまでは同じだとして、次に見据えるのはやっぱりロマン派の音楽だと言われているような気がしてくる。
だからこそ、このディスクで、ベートーヴェンの次にシューベルトのソナタがきても全く違和感を感じなかったのだろう。
しかし、良く考えてみると、ベートーヴェンが最後のソナタを書いてからわずか6年後にシューベルトの絶筆となった最後の3つのソナタが完成したわけだから、驚くことはないのかもしれない。
シャオ=メイの豊かな表現力は、このシューベルトでもいかんなく発揮されている。部分的に「もっと軽く」「もっとリズミックに」と感じる部分がないわけではない。しかし、シャオ=メイのもつこのふくよかな感覚は得難いものだと思う。
この2曲の決定盤だというつもりはないが、豊かな響きを聴きたくなったときには、きっとこのシャオ=メイのディスクを取り出すことだろう。
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クリスチャン・ツィメルマン@横浜みなとみらいホール

2009-06-19 | コンサートの感想
昨日、生のツィメルマンを初めて聴いた。
「ツィメルマンのライブは凄い」と噂にはきいていたが、なるほど凄い演奏だった。

<日時>2009年6月18日(木)19:00開演
<会場>横浜みなとみらい大ホール
<曲目>
■J.S.バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
■ブラームス:4つの小品 作品119
■シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 作品10

最初のバッハのパルティータハ短調は、とにかく流れの良さと透明感が抜群。
加えて、弾力性をもったバスの見事さといったら、本当に小憎らしいほど。
5月にラ・フォル・ジュルネでケフェレックの神々しいまでの演奏に接したばかりだというのに、こんなに早くまた一味違ったスタイルで堪能できるとは・・・。
東京・横浜って、何と幸せな街だろう。

この日ラストのシマノフスキと並んで最も感銘を受けたのが、ベートーヴェンの第32番。
とくに第2楽章は名演。
美しいアリエッタの面影を常に残しながら、大きく飛翔する自由な感性。
ベートーヴェンが最後のソナタに託した「未来への夢」を、くまなく音として照らし出していた。
第3変奏のジャジーな感覚は、もし私がピアノを弾けたらこんなスピードで、こんなリズムで弾きたいと夢想していた表現そのものだったし、第4変奏の高貴な美しさ、第5変奏の鮮烈なトリル、そして何よりもその深い呼吸感に、私はため息の連続だった。
ベートーヴェンが聴いていたら、きっとステージに駆け上がって彼を抱きしめただろう。

後半は、ブラームスの4つの小品で始まった。
一聴して、明らかに第1部とスタイルが変わっている。
しかし、ツィメルマンが意図的に変えたのではなく、ブラームスの音楽が要求したとおりに、彼は自らを率直にさらけ出したに過ぎない。
その意味で、やはり基本は効果を狙うよりも知的なアプローチをする人。
しかし生まれてくる音楽は、インスピレーションに富み生命力に溢れていて、ほかの誰からも聴けないもの。
まぎれもない巨匠の音楽だった。

そんなツィメルマンの特徴が最高の形で表現されたのが、プログラムの最後を飾ったシマノフスキ。
この変奏曲は初めて聴く曲だったが、大きな感銘を受けた。
ポーランド民謡をもとにしたテーマは素朴で心に沁みるが、早くもシマノフスキ特有の和声が彩りを添えている。
印象的だったのは、作曲者自身の葬儀にオケへの編曲版が演奏されたという第8変奏の葬送行進曲。 
葬送行進曲というよりも、レクイエムの「怒りの日」に近い。ホール中を圧するような強烈な力をもった高音に、私は鳥肌がたった。
それは、まるで鐘が鳴り響いているようだったから。
フィナーレは真ん中にフガートを含む大変な力作。
これでもか、これでもかと押し寄せるクライマックスに、もう息するのも忘れるほど。
こんな濃密な音楽を聴かされたら、聴衆はたまらない。
最後の音が消えた後、私は手に汗をびっしょりかいていた。
この曲を、最初にツィメルマンで聴けたことは幸運としかいいようがない。
ツィメルマンもやはり祖国の音楽ということもあるのか、熱く最高の共感を持って演奏していたように思う。

昨日は、幸いにも半額チケットをゲットできたので聴きに行ったが、この幸運にただただ感謝するのみ。
(今日は、気分転換に、少々文体を変えて書いてみました)
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黒田恭一さんを偲ぶ

2009-06-14 | その他
音楽評論家の黒田恭一さんが5月29日に逝去されたことを、たったいま知りました。
先週、新聞各紙でも訃報として流れていたはずなのに・・・
いったい私は何をしてたんだろう。
自分の間抜けさ加減に、言葉もありません。

黒田さんは、吉田秀和さんと並んで私が最も敬愛していた音楽評論家でした。
氏の音楽への愛情に満ちた優しい語り口によって、どれだけ多くのクラシックファンが誕生したことでしょう。
私は器楽を中心に音楽に接してきましたので、声楽とくにオペラはどちらかというと苦手な分野でした。
そんな私にオペラの魅力を教えてくれたのが、黒田さんでした。
もちろん直接お目にかかって教えていただいたわけではありません。
でも黒田さんのお書きになった文章には、オペラの魅力が、それこそいたるところに溢れていました。
それぞれの場面で歌詞・歌・オーケストラがどのような絡み方をするのか、まるで手品の種明かしをするように解りやすく、しかもどんな場合でも温かい眼差しをもって解説されていたのです。
黒田さんの文章に出会わなかったら、私にとって音楽の聴き方そのものが変わったことでしょう。
どれほど感謝しても、感謝しすぎることはありません。

黒田さんの姿を最後にみたのは、今年3月にNHKのBSハイビジョンで放映された「ロイヤルコンセルトヘボウ」の特集&ライブ番組でした。
確かに話すのが少し辛そうな場面もありましたが、いつもの通り示唆に富んだお話をされていたので、まさかその2ヶ月後に亡くなるなんて想像もできませんでした。
本当に残念です。

いま、コルボが指揮したフォーレの小ミサを聴きながら書いていますが、心よりご冥福をお祈りします。

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モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 K.452 リリー・クラウスほか

2009-06-13 | CDの試聴記
私の休日の最大の楽しみのひとつは、美味しい珈琲を飲みながら、ゆったりした気分で好きな音楽を聴くこと。
珈琲は、常時2~3種類用意している豆の中からその日の気分に合わせて銘柄を選び、「美味しい珈琲になって!」とひたすら念じながら、85°くらいの比較的ぬるめのお湯を使って4~5回に分けて慎重に抽出します。
そして、淹れた珈琲は濃さが均一になるようにゆっくりかき混ぜ、飲むときは90°前後まで超弱火で加熱してから愛用のコーヒーカップでいただきます。
お湯の温度の大切さ、抽出時の心構え、豆の量の加減等は、以前ご紹介した珈琲の名店「カフェ・バッハ」で親切に教えていただきました。
こうやって手間を惜しまずに愛情をこめて淹れた珈琲は、さすがに美味しい。
そして、ソファーに身を沈め、読みかけの本を片手に、珈琲の豊かな香りに身をゆだねながら大好きな音楽を聴く。
まさに、至福の時間です。

今日聴いたのは、モーツァルトの変ホ長調のピアノクインテット。
<曲目>
モーツァルト:
①ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調 K.452
②アダージョとロンド ハ短調 K.617
③ピアノとクラリネットとヴィオラのための三重奏曲 K.498
<演奏>
■リリー・クラウス(ピアノ)①②③
■ピエール・ピエルロ(オーボエ)①②
■ジャック・ランスロ(クラリネット)①
■フランソワ・エティエンヌ(クラリネット)②③
■ポール・オンニュ(バソン)①
■ジルバール・クルシェ(ホルン)①
■ジャン=ピエール・ランパル(フルート)①②
■ピエール・パスキエ(ヴィオラ)②③
■エディット・パスキエ(チェロ)②
<録音>1957年(モノラル)

モーツァルトの刻印ともいえる変ホ長調で書かれたこの美しいクインテットは、モーツァルト自ら「傑作」と呼んだほどの名品ですが、いつ聴いても幸せをもたらしてくれる本当に素敵な音楽です。
我が家でも、最も頻繁にかかっている曲かもしれません。
私はとくに第1楽章が好きで、序奏が始まると、なぜか読んでいた本をテーブルに戻し、背筋を伸ばしてピアノと管楽器の対話を注意深く聴く習慣ができてしまいました。
1分くらいしてからでしょうか、ホルンの上昇音型を含むフレーズに導かれるようにピアノがアルペッジョを奏で始めたら、ようやく安心して私は緊張を解くのです。(笑)
そのあとは、ひたすらこの美しい音楽に身をまかせながら、再び珈琲を飲みながら、読書を続けます。
なぜこんな習慣がついたのか自分でも分かりませんが、きっと各楽器の対話があまりに見事で、この自然な対話に私自分も何としても参加したいという願望があるのかもしれません。
第2楽章は、長調と短調が交錯する陰影に富んだ美しいラルゲット。
フィナーレは軽快なロンドですが、響きからはまるでピアノ協奏曲のような色彩豊かな印象を受けます。
何度聴いても、いい曲だなぁ。

こんな名曲ですから、ディスクにも名演の誉れ高いものが多いです。
私はブレンデルがホリガーたちといれたディスクを最も高く評価していますが、今日聴いたこのリリー・クラウス盤も大好きな1枚です。
リリー・クラウスのピアノは、曖昧さを排した潔さとともに、どこかいい意味での華やかさがあります。
そして、その彼女の美質と、共演しているフランスの名手たちのスタイルが、まさにベストマッチ!
とくにオンニュのバソンは、歌心と独特の明るさがあって大変魅力的です。
蓋し名演だと思います。
また、このディスクには、「アダージョとロンドハ短調 K.617」,「ケーゲルシュタットトリオ」という、これまた珠玉の名品が収められています。
クラリネットもランスロからエティエンヌに変わっており、それだけではないでしょうが、印象が少し違ってくるところが興味深いですね。

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「熱狂の日」2009(5) BCJ,ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル

2009-06-06 | コンサートの感想
「熱狂の日」の最終回です。
私が聴いた5月5日のコンサートは、既に感想を書いたマタイと、カンタータ30番&78番,ペルゴレージのスターバトマーテル3プログラム。
そのうち、カンタータ78番とペルゴレージのスターバトマーテルは、奇しくも昨夜のNHKの芸術劇場で放映されていましたね。
少し時間も経っているので、印象に残ったところだけ書きます。

<日時>2009年5月5日 13:00開演
<会場>ホールB7
<曲目>
■J.S.バッハ:カンタータ「イエスよ、わが魂を」BWV78
■J.S.バッハ:カンタータ「喜べ、贖(あがな)われし群れよ」BWV30
<演奏>
■レイチェル・ニコルズ(ソプラノ)
■青木洋也(カウンターテナー)
■ユリウス・プファイファー(テノール)
■ステファン・マクラウド(バス)
■バッハ・コレギウム・ジャパン
■鈴木雅明(指揮)

いつもながらの真摯でピュアなバッハでした。
とくに大好きな78番のカンタータが生で聴けたので、私としては大満足。
なかでも、やっぱり第2曲が素敵だったなぁ。
急遽代役にたったソプラノのレイチェル・ニコルズも良かったし、カウンターテナーの青木さんもいつもどおりの好演。そして何よりも鈴木秀美さんのチェロが圧倒的でした。
(余談ですが、この第2曲、いつきいてもシューベルトの軍隊行進曲に似ているように感じます。あまり賛同を得られませんが・・・)
また、昨夜放映された4日の公演ではチェンバロが少し引っ込んでいるように感じたのですが、私が聴いた5日のコンサートでは、このチェンバロが素晴らしかったのです。
間の取り方といい、装飾のセンスの良さといい、全体の中での立ち位置といい、とにかく抜群でした。
このアンサンブルの強みの一つが、通奏低音の見事さにあることを思い知らされました。
もはや、彼らの演奏に対して、「日本を代表する・・・」というようなフレーズはまったく必要ありませんね。間違いなく世界の一級品なのですから。


<日時>2009年5月5日 15:45開演
<会場>ホールC
<曲目>
■ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ:組曲 ト長調
■ペルゴレージ:スターバト・マーテル ヘ短調
<演奏>
■バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
■ウルリカ・テンスタム(メゾ・ソプラノ)
■ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル

このコンサートについては、開演直前にアクシデントが発生しました。
ステージに演奏者が登場し、まさに開演というタイミングだったと思いますが、2階席か3階席の階段で怪我をされた方が発生したのです。
この緊急事態に対して、主催者側の対応はあまり褒められたものではありませんでしたね。
場内アナウンスがなかったので、演奏者も含めてほとんどの聴衆は「何が起こったのか」まったく分からなかったと思います。
おまけに途中で舞台の照明が暗くなったので、演奏中止になるのではないかと私自身も不安と苛立ちを感じていました。
そんなハプニングのあと演奏されたヨハン・ルートヴィヒ・バッハの組曲は、さすがに最初少し硬い感じがしましたが、これはやむを得ないでしょう。
全体的に温かい響きをもった佳曲でした。
さて、メインはペルゴレージのスターバトマーテルです。
著名なソプラノであるヘンドリックスを独唱者に迎えていたこともあり、音楽そのものの存在感は抜群。
ヘンドリックスの声はよく通るし、歌唱としての立派さに疑いの余地はないのですが、私は最後までそのヴィブラートが気になって仕方がありませんでした。
ノン・ヴィブラートでとは言いませんが、このデリケートな美しさにみちた「スターバト・マーテル」だからこそ、もう少し透明感が欲しいと思ったのです。
2年前に同じこのホールCで聴いたコルボのフォーレには、それがありました。
でも、無いものねだりかもしれませんね。
昨日の放送を聴きながら、「これはこれで一流の演奏かもしれない」と私自身思いなおしたので・・・。
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青柳いづみこ 「モノ書きピアニストはお尻が痛い」

2009-06-02 | 書籍の感想
最近自分の書いた記事を見るとコンサートの感想ばかりで、まるでコンサートレビューブログのようになってしまいました。(汗)
実は、まだワルキューレもマクベス夫人も「熱狂の日」の最終回も書けてないのですが、今日は少し趣向をかえて印象に残った本の感想を。

ご紹介したかったのは、青柳いづみこさんの「モノ書きピアニストはお尻が痛い」というエッセイ。
タイトルからして興味をそそられますが、いったん読み始めるともう止まりません。
面白い、いや面白すぎる!
全編をとおして貫かれているのは、青柳さんの類をみないくらい旺盛な知的好奇心。
どんな些細なことに対しても、「これは当たり前だよね」という常識からスタートしない。だからこそ見えてくるものがあるのですね。
お読みになっていない方は、是非読んでみてください。
律儀に最初から順番に読んでいく必要はまったくありません。
目次を見ながら気に入った頁を開けて、どんどん読んで行きましょう。
寝転がってでも、珈琲を飲みながらでも、はたまた電車の中でもかまいません。
一度ひととおり読み終わったら、今度はもう一度最初から順番に読みたくなるはずです。

抱腹絶倒なテーマはネタばれになるといけないので読んでからのお楽しみとさせていただくことにして、私がとくに印象に残った部分をご紹介しましょう。
「本当の意味で初めてモーツァルトに出会ったといえるのは、フランス留学中、彼の白鳥の歌ともいうべきK595の変ロ長調のコンチェルトを、当時のお師匠さんのピエール・バルビゼ先生にレッスンしていただいたときのことだ。
3楽章のロンド、華やかなカデンツが終わった後、最後にもう一度テーマが再現される。先生は、このテーマを、出だしののように元気よくはずんで弾くかわりに、ピアニシモでしっとりと、あまり音を切らずに、回想のように弾いてごらん、とおっしゃった。
楽しかった子供時代の思い出、もう決して戻ってはこない過去への悔悟の念。
そして、彼の命は、もうあとほんのわずかしか残されていない・・・。(以下略)」
なんと、素敵なレッスンでしょう。
バルビエの声が、レッスン室の風景が、そして最弱音でひそやかに弾かれたラストのロンド主題の音が、いまにも聴こえてきそうです。
一度も訪れたことのない南フランスの街の匂いまで感じることができます。
こんなレッスンに私も立ち会いたかった・・・。

もうひとつ。
青柳さんがマルセイユへ留学されていたときの回想で、
「私はまたある日、ヴァイオリンのちっぽけな坊やと「クロイツェル・ソナタ」を弾いた。坊やは上がりまくって、ポンポン小節をすっとばして下さるので、私はその度に忍者よろしくさっと下の段に跳び移らなければならないのである。それでも、私は楽しく、無上の音楽的瞬間を味わっていた。
なぜなら、そこには、音楽が、いつも、ちゃんと、生きて、呼吸していたからである。
音楽が呼吸さえしていれば、どんなにすっとばそうとぞろぞろになろうと、ダメな子、と思いながら私はついていくことができる。
(以下略)」
まさに私が常に感じていることを書いてくださっています。
本当に心からそう思います。
だって、音楽で何か一つ大切なものといわれたら、私は「呼吸感」と答えるはずですから。
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