ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

トスカニーニ&フィルハーモニアOの「ブラームス:交響曲第四番」

2005-05-29 | CDの試聴記
先日大阪でゲットしたCDから、トスカニーニのブラームスの交響曲第4番の感想を。
このアルバムは全集になっているのですが、とても面白いカップリングで、1番、3番がNBC交響楽団との旧盤(1940年、41年)、2番、4番がフィルハーモニア管弦楽団とのライブ録音(1952年)になっています。
このフィルハーモニア管との4番については、日本ではキングレコード、輸入盤ではTESTAMENT等から発売されていたようですが、私は今回はじめて聴きました。

<曲目>
ブラームス 交響曲第4番ホ短調 作品98
<演奏>
トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(1952年9月10月1日、ロイヤル・アルバート・ホール、ライヴ録音)

トスカニーニは、私にとってどちらかというと遠い指揮者です。
一番印象に残っているのはチャイコフスキーの「悲愴」で、大学時代にFMで聴いて、こんな表現の仕方もあるのかとびっくりしました。
フルトベングラーやメンゲルベルクをよく聴いていたものですから、当然かもしれません。
中でも第3楽章の勇壮な表現にはしびれました。インテンポの凄みってこんなことを言うんだなぁと
感心したことを覚えています。でも、その他の曲は?となると、たとえば定評ある「イタリア」もいい演奏だと思うけど、カンテッリやセルの演奏により惹かれるし、「ローマ3部作」「展覧会の絵」は曲そのものがもうひとつ好きになれない。
ベートーベンの交響曲は好きな演奏ですが、どの曲もマイベストではない。
また、NBC響とのブラームス(新盤)にいたっては、はっきり言って好きではありませんでした。特に4番の終曲パッサカリアの美しい中間部を、せかせかしたインテンポ(私にはそう聴こえました!)で通す感覚は、私とはまったく合いません。

そんな状況で聴いたこのライブのブラームス4番。
驚きました。オーケストラが熱い!。いつもトスカニーニ流を徹底的に教え込まれている(?)手兵のNBC響と違って、他流試合となったフィルハーモニア管のメンバーが、何とかマエストロの棒に応えようと必死に演奏していることが良く分かります。それと、全曲を貫く凄い緊張感。これは聴き手にすら生半可な姿勢で聴くことを許さないほどのものです。

冒頭第一楽章のテーマの歌わせ方が驚くほど柔らかい。表情の付け方がやや大きいのは、ライブであることと、他流試合のため指揮者の棒に対するオケの反応が普段以上に強めにでてしまったせいだと思います。クレッシェンドのあとのトゥッティがいつも凄いエネルギーを感じさせるのも、同様の理由でしょう。楽章全体をとおして、音楽がきびきびとかつ美しく流れます。
第二楽章は、トスカニーニのカンタービレのが凄さを改めて実感させられます。でも、誰ですか、トスカニーニをイン・テンポ指揮者だといったのは。(私も大きなことは言えませんが・・・)
「お涙頂戴式のセンチメンタルな表現のために、テンポを変えることは決してしない」のであって、この日のトスカニーニは必要とあればテンポをぐっと落として徹底的に歌わせています。
それと、第一主題の音型とアーティキュレーションが常に意識されており、そのため音楽の構成が浮き彫りになって、曲全体が立体的に聴こえます。
第三楽章は、先ほど触れた「悲愴」の第三楽章と同様に一発必中の表現です。ティンパニーが気持良いくらいに決まるので、抜群に引き締まった印象を与えます。
いよいよフィナーレのパッサカリアですが、素晴らしい演奏。何より36の変奏の特徴が丁寧に描き分けられていることに感銘を覚えます。そして、NBC響との演奏で全く気に入らなかった中間部、これも木管楽器・金管楽器を中心に夢見るような美しい表現を聴かせてくれました。
そして、その後壮大なコーダまで息もつかせぬ名演奏が繰り広げられます。
しかし、しかしです。ご存知の方も多いのかもしれませんが、このフィナーレ、3回もものすごい雑音が入るのです。「バシーン」といったノイズで一説によると爆竹だとか・・。
もし、そうだとしたら、コンサート会場で何を考えているんでしょうか。
本当に残念。演奏が素晴らしかっただけによけい残念です。でも、めげずに(?)コーダまでしっかり演奏したマエストロとオケにあらためて敬服!

しかし、ここまで書きながら、クライバー/VPOの演奏ってどうだったかなと思い、久しぶりに聴いてみました。
参った。正直参りました。あまり使いたくない表現ですが、一点非のうちどころのない演奏で、しばし呆然としてしまいました。濡れたような弦楽器、惚れ惚れとする美しさの管楽器といったウィーンフィルのよさを120%発揮させつつ、フレーズとフレーズのほんの少しの間ですら感動に変えてしまうクライバーマジック。
このクライバーの演奏については、改めて書いてみたいと思います。
こんなトスカニーニの素晴らしい演奏を聴いた後でも、人間欲がでるものですね。
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バーバラ・ボニー 「こよなく美しい島」(イギリス・リュート歌曲&アリア集)

2005-05-27 | CDの試聴記
バーバラ・ボニーの素晴らしい歌唱が聴けるアルバムをご紹介します。

<曲名>
「こよなく美しい島」(イギリス・リュート歌曲&アリア集)

さあもういちど,いまやさしい愛が求めている(ダウランド)
もし私の嘆きが(ダウランド)
立ち去れ,身勝手な若者たちよ(ダウランド)
流れよ,わが涙(ダウランド)
雨風にもまれた船が(キャンピオン)
夜のとばりがおりて(キャンピオン)
好いた同志の彼氏と彼女(モーリー)
おお主よ,いかに空しき(バード)
ファンタジー第9番(ジェンキンズ)
アマリリスは草原で踊り(バード)
音楽が愛の糧であるなら(パーセル)
劇音楽「アブデラザール」~エア1(パーセル)
劇音楽「アブデラザール」~エア2(パーセ)
歌劇「妖精の女王」~嘆き(パーセル)
歌劇「アーサー王」~こよなく美しい島(パーセル)
彼女は恋し,愛をうちあける(パーセル)
歌劇「ディドーとエネアス」~私が土の中に横たえられるとき(パーセル)

<演奏>
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ヘリングマン(リュート)他

第1曲の「Come again:sweet love doth now invite」を、だまされたと思って聴いてみてください。
本当に美しい声、美しい音楽、まさに天上の調べとしか言いようがありません。
特に深夜音量を絞って耳を傾けたときに、何ものにも代えがたい感動を与えてくれます。
リュート伴奏で歌われるダウランドの歌曲は、もともと素朴な中にしっとりとした美しさを湛えていますが、これほど美しい響きで再現されることは稀だと思います。
2曲目以降も選曲がよく、ダウランド、パーセル等イギリスルネサンス期の音楽の素晴らしさを満喫させてくれます。

それから、このアルバム、ボニーの素敵な声が聴けると同時に音が素晴らしいんです。
実はこのCD、私のオーディオチェック用のCDでもあり、オーディオ機器を新しくしたとき、調整後の確認をしたいとき、オーディオショップで試聴するとき、いつも使っています。
細かなことは割愛しますが、歌とリュート伴奏のバランス、発声の明瞭さ、そして何より、音が出た瞬間にそのまわりの空間が清潔な空気に包まれるかを確認します。
オーディオ機器を変えた後等は、いつも大きな不安を感じながらおそるおそるCDを聴くのですが、このアルバムが美しく再現できたら、ようやくほっとしてアンプのボリュームを絞ることができます。

少し話しがそれてしまいましたが、ボニーのことをもう少しだけ。
8年ほど前になるでしょうか、小澤征爾が東京でヘネシーオペラの「魔笛」を振ったことがありました。
夜の女王役のスミ・ジョーは喉を痛めて欠場寸前の状態でしたし、他の歌手も全体に調子は良くありません。そんな中、ひとり光っていたのがパミーナ役のボニーでした。パミーナが歌いだした瞬間に、それまでの危なっかしい雰囲気が一変するのです。何度も何度も・・・。それは見事な存在感でした。
そのとき以来、バーバラ・ボニーは、私の中で最高のソプラノのひとりになりました。


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フルトヴェングラー バイロイトの第九

2005-05-22 | CDの試聴記
今頃なぜバイロイトの第九?
と思われる方もいらっしゃることと思いますが、昨日書きましたワルティに行ったお目当てがこれだったのです。
今回の第九は、最近評判になっている「OTAKEN盤の第九」です。

<曲目、演奏>
ベートーベン 交響曲第九番「合唱付」
フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
1951.7.29 ライブ
OTAKEN TKC-301

大学生のときにフルトヴェングラーの演奏に深い感銘を受けて以来、30年近い歳月が過ぎようとしています。
今でも宝物として我が家の棚でVIP扱いを受けているのは、ボックスに入っているフルトベングラーのベートーベン交響曲集(もちろんLP)ですが、このバイロイトの第九はその中でも私にとって中核に位置するものです。
CDの時代になってからも、よりよい状態の「バイロイトの第九」を求めて何枚も購入してきました。
そんななか、CDとしては最もいい音だというこのオタケン盤の評判を聴き、夢叶って昨日ワルティで入手することができました。

●OTAKEN盤の第九
オタケンこと太田憲志さんが、HMV初期ファーストフラットプレス 超ミント盤から復刻したもので、デジタルリマスタリングなしに直接CD化したものだそうです。

このCD化の背景はともかくとして、何よりその音質です。
想像以上に素晴らしい。もともとこの録音はライブ録音ということもあり、音質的に多くを期待できないと勝手に思い込んでいたのですが、この水準で聴かせてくれたら、もう何もいうことはありません。
既に私が持っている5種類のアルバム(国内盤LP・・・ブライトクランク盤です、初期の国内盤CD、オランダプレスCD、ART方式のCD全集、イタリアEMIのCD全集)に比べて、ベールを1枚剥いだ感じがします。たしかに当然板起し特有のノイズはありますが、聴き進むうちに何の障害にもならないどころか、むしろ臨場感を感じるところが不思議です。
主な特徴としては、バス・内声部が明瞭になり、木管楽器が随分美しくなったことでしょうか。また、従来は強音部で音がひずんだり団子になりがちでしたが、これも相当改善されています。
このため、今回のオタケン盤を聴いてみて新たに気づいたことが結構あり、改めて本当に凄い演奏だと思い知りました。

このような不滅の名演を前にして、私などがコメントすることもおこがましい話ですが、
たとえば、第一楽章冒頭、第3音が欠落した不安定な響きから、楽器の数を徐々に増やしつつ凄いエネルギー感でニ短調の第一主題が現われるあたり、本当に立体的かつ現実感をもって体感することができるようになりました。
また、終楽章のテーマがチェロ・コントラバスで最弱音で奏される前後の緊張感の凄いこと。今までも十二分に知っているつもりでしたが、音質が向上してことで感動は倍加しています。
この部分に関しては、評論家の吉田秀和さんが「これは一つの模範解答であって、こんな方法があると明らかにされてしまった以上、他の指揮者は同じ方法を採るわけには行かなくなった・・・。」というような趣旨のことを書かれていたことを、ふと思い出しました。

ワルツ堂の伝統を受け継ぐワルティ堂島に行けたこと、OTAKEN盤の第九に出会えたこと、マタチッチ&ザグレブPOのライブ盤等素敵な掘り出し物をたくさんゲットできたこと等、私にとって収穫の多い大阪出張でした。

また、先ほど、ちらっと触れましたが「イタリアEMIのベートーベン全集」、これも素晴らしいアルバムです。まだ全曲を聴いたわけではありませんが、おそらく誰が聴いても納得する素晴らしい音質だろうと思います。特に52年の「英雄」、54年の「運命」等は私も改めて魅了されました。
第九は、さすがに今回のOTAKEN盤に一歩譲りますね。


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マタチッチ&ザクレブフィルの「ワーグナーライブ」

2005-05-21 | CDの試聴記
18日(水)の日帰り出張に続いて、19日(木)から20日(金)にかけて別の用件で再び大阪に出張。
今週はとにかく目が回るような一週間でした。
20日は、夜知人と会食をしたあと久しぶりに実家に泊めてもらうことにしていたのですが、仕事が予定より少し早く終わったので、ふと思い出したのがりゅうさんのつぶやき横丁で以前とりあげられていた「ワルティ堂島」のことです。
学生時代、また社会人になりたての頃、ワルツ堂(特に堂島店)には随分お世話になりました。
3年前に倒産したと聞いたときは本当にショックでした。
その後、社員の方が苦労してワルツ堂の伝統を受け継いだ「ワルティ堂島」を作られたと聞いていたので、この機会に是非行ってみようと胸をときめかせたのもつかの間、そこではたと気がつきました。ワルティ堂島の場所を知らなかったのです。ほんと、バカですよね。
でも、堂島アヴァンサに行けば何とかなるやと思って行ってみたのですが、そこには別の大手CDショップが・・・。
中を覗きましたが、あまり興味を引くものはありませんでした。しかたなくアヴァンサに入っているジュンク堂書店で、マーラーの本などを買ったついでに雑誌をパラパラめくって調べてみたのですが、ワルティの場所は見つかりませんでした。
がっかりして実家に行ったのですが、夜インターネットを見てようやく場所が判明。
ここまで来たら、このまま帰るわけには行きません。今日大阪駅前第一ビルにあるワルティに行ってきました。

雰囲気が懐かしい。ワルツ堂とほんと同じじゃないですか。しかもワルティはクラシックとジャズに特化していたので、より魅力を感じました。
商品の品揃えも充実していたし、お目当てのもの(これは明日書きます)以外にも掘り出し物をたくさん見つけてゲットしてきました。
このマタチッチ&ザクレブフィルのワーグナーライブもその一つ。

マタチッチ/ワーグナー名演集
<曲目>
ファウスト序曲
ジークフリート牧歌
ヴェーゼンドンク歌曲集

<演奏>
エステル・コヴァーチェ(S)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 ザグレブ・フィルハーモニー
(1983年2月11日、ザグレブでのライヴ録音)

1983年といえばサラエボオリンピックの前年で、まだ悲惨な戦争には至っていなかった時期の録音です。
1曲めのファウスト序曲って、こんないい曲だったっけ。
スケールも大きく、何よりもオーケストラの表情が真実味を感じさせます。
続く「ジークフリート牧歌」はこのアルバムの白眉。一刀彫のような豪快さを基調としながらも、こんなに曲への愛情が感じられる演奏も少ないでしょう。どのフレーズをとってみても気持ちがこもっています。ライブゆえの若干の傷もありますが、この素晴らしく美しい演奏を前にしたら全くとるに足りないことです。クナッパーツブッシュとはスタイルの異なる名演だと感じました。
最後の「ヴェーゼンドンクの歌」も、ジークフリート牧歌に劣らず素晴らしい演奏。
とりわけ、第3曲の「温室にて」以降の3曲に心打たれました。
コヴァーチェというソプラノのことはよく知りませんが、マタチッチの表現にぴったり寄り添った名唱といって差し支えないでしょう。ところで、このオーケストラ、ただものではありませんね。

音質については、ホールトーンがやや多いようにも感じますが、とても美しい音だと思います。
このCD、文字通りの掘り出し物で、今後私の大切なアルバムになることでしょう。
ところで、値段のことはあまり触れたくないのですが、このCD何と350円でした。


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テンシュテットのプロコフィエフ5番、7番

2005-05-19 | CDの試聴記
今日は、日帰りで大阪出張。
伊丹空港の着陸直前に飛行機が結構大きく揺れて、少し怖かったです。今から考えると何か暗示的だなぁ。
今回の出張の主目的は官庁折衝でしたが、なかなかハードなラリーになってしまい正直疲れました。
どうしてこんなに一生懸命説明しているのに、状況がわかってもらえないんだろう。
とにかく、結果は後日ということになりました。

憂鬱な気持ちが晴れないまま、帰りの新幹線に。
幸い空席が多かったので、気持ち的にはゆっくりすることができました。
そんな中車中で聴いたのは、テンシュテットのプロコフィエフのライブ録音です。

<曲目>
プロコフィエフ:交響曲第5番 変ロ長調 Op.100
プロコフィエフ:交響曲第7番 嬰ハ短調 Op.131

<演奏>
テンシュテット指揮 バイエルン放送交響楽団
(1977年 ミュンヘンライブ)

まずプロコフィエフの5番は彼の代表作とされていますが、正直に言いますとこの曲苦手なんです。
テンシュテットをもってしても、残念ながらこのイメージは変わりませんでした。
第3楽章なんかは本当に美しいんだけど、どこか言いようのない不安感がつきまとい、どうも楽しめません。この屈折した美しさが良いのかもしれませんが、今の私の感性に合わないようです。

一方、7番は素晴らしい演奏。
第1楽章の第二主題あたりは、この演奏で聴くと、晴れやかな船出の音楽のように感じます。
第2楽章は文字通りチャーミングなワルツ。オーボエ・クラリネット等の木管楽器が印象的です。
続くアンダンテ・エスプレシーヴォの冒頭、美しい祈りに似た表現は、とりわけ私のむねにぐっとくるものがありました。精神的にすこし凹んでいたせいかもしれませんが・・・。
また、最後のほうでハープが登場するところも、哀しいくらい美しい音楽です。
フィナーレは、第1番の「古典」と雰囲気がよく似ていますね。活き活きした表現が、聴き手にストレートに喜びを与えてくれます。「思わず一緒にメロディを口ずさみたくなるような」といったらいいでしょうか。

この7番全般をとおして、テンシュテットは曲の性格をとても鮮明に表現しています。
曲全体を見据えた上でひとつひとつ克明に彫刻していく音楽、これこそがテンシュテットの魅力だと思います。(特にライブで顕著!)

すこし心が晴れてきました。



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下野竜也&読売日響 マーチ&ダンス

2005-05-16 | コンサートの感想
昨日は、芸劇マチネーの日です。
午前中残務があったので会社へ行ってから、いざ池袋へ。

<日時>
5月15日(日)

<曲目>
《マーチ&ダンス》

①スッペ: <軽騎兵>序曲
②黛敏郎:NTVスポーツニューステーマ
③イェッセル:おもちゃの兵隊の行進曲
④グノー:操り人形の葬送行進曲
⑤スーザ:行進曲<ワシントン・ポスト>
⑥ビゼー: 闘牛士の行進曲
⑦マイアベーア:<預言者>より「戴冠行進曲」
⑧ロッシーニ:<ウィリアムテル>より「スイス軍の行進」
⑨エルガー: 威風堂々第1番
⑩オッフェンバック:<天国と地獄>からギャロップ
⑪ブラームス:ハンガリー舞曲第1番
⑫バルトーク:ルーマニア民謡舞曲より
⑬ドボルザーク:スラブ舞曲第10番
⑭チャイコフスキー: <くるみ割り人形>組曲

指揮:下野竜也

曲目をご覧いただければお分かりいただけるように、前半は行進曲・後半は舞曲という構成でしたが、小品だからといって手を抜くなんてことは一切なく、燃焼度の高い好演でした。誰でも知っているような楽しい曲が多かったせいか、普段の月と異なり子供さんの姿も多かったようです。司会はNTVの藤井恒久さん。指揮者の下野さんとの掛け合い漫才のようなトークも本当に楽しかった。

ところで、みなさんは②~④の曲をご存知ですか?
②は、NTVプロ野球中継のテーマ音楽、というより私には「全日本プロレスのテーマ音楽」という印象が強いのですが、そう「あのテーマ」です。今から25年ほど前、テレビでステレオ放送が開始されたときに、読響では録り直しをしたのだそうです。この曲を聴きながら、ふと「読売日響の読売は、読売ジャイアンツの読売」ということに気がつきました。私のごひいきのチームは、黄色と黒を基調とする永遠のライバル球団。うーん、何ということ!今まであまり考えたこともなかった・・・。(ま、でも関係ないや! そうです、変わり身は早いのです・・・。)
話が脱線してしまいましたが、③④について、
③は、キューピー3分間クッキングのテーマ。曲の長さも3分です。お見事!
④は、ヒチコック劇場のテーマ音楽だそうです。
ということでみんなよく知っている曲でした。

また、昨日のコンサートでは最後にちょっとしたアクシデントがありました。
後半もいよいよ大詰め、くるみ割り人形の「花のワルツ」を残すのみとなっていたときです。会場が何故かゆらゆら揺れているではありませんか。隣の人の貧乏ゆすりかと一瞬思いましたが、違いました。そう地震だったのです。その後揺れが収まるのを待って静かに下野さんのタクトが動き出し、花のワルツが始まりました。微妙に揺れる「素敵なワルツ」になったことはいうまでもありません。

昨日のコンサートで嬉しかったことが二つ。
ひとつめ、昨年末の「第九」で陥った「演奏と呼吸が合わせられない症候群」の症状がまったく出ず、「聴衆」というパートの奏者として心から音楽を楽しめたこと。
ふたつめ、一昨日のブログでとりあげたテンシュテットのワーグナーライブで素晴らしいソロを聴かせてくれたデヴィット・ノーランのヴァイオリンが実演で聴けたこと。
これなんかも、何かの縁を感じました。
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テンシュテットのワーグナー・ライヴ

2005-05-15 | CDの試聴記
完全オフの今日(14日)は、午前中モントューの英雄の旧盤(ウィーンフィルとの演奏)やミャスコフスキーの交響曲を聴いて過ごしたのですが、連休明けの週で疲れがたまっていたせいもあって、その後珍しく昼寝をしてしまいました。その甲斐あって、上戸彩のように「元気はつらつ!」とまではいきませんが、気分的には随分すっきり。
回復した勢いで、夕方からテンシュテットのライブ盤を聴きました。

<曲目>
ワーグナー:管弦楽曲集
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~第1幕の前奏曲
「リエンツィ」序曲
「神々の黄昏」~“夜明けとジークフリートのラインへの旅”
「神々の黄昏」~“ジークフリートの葬送行進曲”
「ワルキューレ」~“ワルキューレの騎行”[コンサート・ヴァージョン]
「タンホイザー」~序曲とヴェーヌスベルクの音楽

<演奏>
クラウス・テンシュテット指揮、ロンドン・フィルハーモニー
(1992年8月20日;ロイヤル・アルバート・ホール ライブ)
*裏面には1988年5月6日 ロイヤル・フェスティヴァル・ホールと表示されていますが、誤りだそうです(タワーレコードHP)

ライブだからといって無理やりドラマティックな演出はありません。
でも、テンシュテットの表現意欲、それに応えようとするロンドンフィルの情熱がひしひしと伝わってくる演奏です。私は感動しました。
特に、リエンツィとタンホイザーの両序曲、それとアンコールのワルキューレの騎行が良かった。

リエンツィは、冒頭トランペットの語りかけの後、最弱音で始まりやがてユニゾンで徐々に高まりを見せる弦の表現力の凄いこと。そのあとリエンツィの祈りのテーマが出てくるときには既に胸がいっぱいです。ブラスも弦もとにかく音が分厚く、うねるような表現がワーグナーにぴったり。ロンドンフィルが何かドイツのオーケストラになったみたいです。行進曲に入るといっそう推進力が加速し圧倒的なエンディングを迎えます。

ワルキューレの騎行は、もっとあおった表現かと思いきや、堂々としたインテンポで進められます。だからこそスケールが非常に大きい。最後の部分でようやく少しスパイスが効いて、興奮のうちに曲が終わります。ブラボーが凄い!

タンホイザーは、序曲に続けてヴェーヌスベルクの音楽が演奏されています。
序曲は、何気なくゆったり開始されます。しかし、弦がテーマを歌いだすあたりから徐々にオーケストラが夢中になりはじめ、ブラスが高らかにコラール風のテーマを吹くともうエンジン全開です。一方、8分過ぎからひそやかに奏でられるバイオリンソロは本当に心に沁みます。このソロはデビット・ノーランです。(余談ですが、読売日響はこのノーランといい、藤原浜雄さんといい、すばらしいコンマスを擁していますね)
ヴェーヌスベルクの音楽に入ると、特に途中のハープを伴った官能的な表現に驚かされます。このあたりはライブの影響が強いと思いますが、表情が特に濃厚です。こんな音楽を聴かされた日には、タンホイザーでなくてもヴェーヌスの魅力にめろめろにされそうです。

全体として、細かなミスもありますし、会場ノイズも散見されますが、それもライブ盤の魅力の一つでしょう。
ベルリンフィルとのスタジオ録音盤も、オーケストラの合奏能力の高さと相まって名演でしたが、私はこのライブ盤のほうに惹かれます。
先日ご紹介したアバドのマーラー6番もそうでしたが、「ライブ盤」って私の感性にあっているようです。



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アルゲリッチのブラームス「ラプソディop79 第2番ト短調」

2005-05-13 | CDの試聴記
昨夜の紹興酒の飲みすぎで、今日の午前中はさすがにブルー。午後から少し回復しましたが、調子が出てきた頃には既に夜の9時。いい年をして恥ずかしいことです。
大変美味しいお料理と年代モノ(?)の紹興酒でしたが、さすがに会話がはずみ、歯医者のコップ状態(置くとすぐに満タンになる!)が続くと、こんな結果になるのですね。反省反省。
さて、今夜聴いた曲は、ブラームスの2つのラプソディです。

大学時代、クラブの部内演奏会でロドリーゴのギター協奏曲「ある貴紳のための幻想曲」(抜粋)を弾いたことがあるのですが、そのときクラブの仲間にピアノ伴奏をお願いしました。
本番を控えた練習の合間に、その仲間が弾いてくれたのがこの曲(2番ト短調のほう)です。
「ケンプのように弾きたいけど、どうしても上手く弾けない」なんていいながら、達者に聴かせてくれました。当時私は初めてこの曲を聴いたのですが、「おお、ブラームスだ」と感心したことを良く覚えています。
その後、ケンプ、バックハウス、グールドとこの曲についても聴く機会が増えましたが、その中では詩情豊かなケンプがやはり最も素敵でした。
ただ、現在の私のファーストチョイスは、アルゲリッチ盤です。アルゲリッチが弱冠19歳のときの録音(グラモフォンデビューのアルバム)ですが、もう既に彼女のスタイルが刻印されています。
天性としか言いようのないテンペラメント溢れる演奏、これぞラプソディだと感じます。
第二主題の豪快な表現と、展開部でみせる神秘的なうた。この対比の妙こそがアルゲリッチそのものです。自由奔放に弾いているようでいて、弾いた軌跡が見事な音楽になっている。やはり天才の為せるわざですね。

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コーガンの室内楽

2005-05-11 | CDの試聴記
レオニード・コーガン。
初めてコーガンを聴いたのは高校生のときです。17センチLP(こんなLPが何故か我が家にあったのです)で、曲はクライスラーの小品集でした。当時くずした弾き方も多かったなか、スタイリッシュな演奏が大変新鮮に感じたことを覚えています。
今回聴いたCDは、若き日のコーガンがギレリス等と組んで演奏した室内楽コンサートのライブ録音です。

<曲目>
ブラームス:ホルン三重奏曲
ジュリアーニ:セレナーデop19
フンメル:セレナーデ№1

<演奏>
L.コーガン(Vn)、ギレリス(P)、シャピーロ(Hr)、イヴァノフ=クラムスコイ(g)他
(1951年:mono)

ブラームスのトリオは、びっくりするくらいコーガンの音が生々しい。
ライブらしく、コーガン、ギレリスともに情熱を秘めた好演。ただ、ホルンのヴィブラートがいかにも目立ちすぎ。これがロシア風なんでしょうか。
次の2つのセレナーデは、あまり演奏されない曲だと思います。
まずジュリアーニのセレナーデ。
ジュリアーニは、自身イタリアのギターの名手で、作曲家としても華麗なギター独奏曲やコンチェルトを書いています。
この1951年当時に、クラシックギターを含めた室内楽、とくにジュリアーニというギター関係者以外はほとんど無名の作曲家の曲が、コーガンのような大物を交えて演奏されたことに驚きを覚えます。(いやギター弾きの立場から言うと、本当は嬉しくてたまらないのですが・・・。)
でも、この1951年といえばコーガン27歳、エリザベート妃国際ヴァイオリンコンクールで優勝した年です。若々しくって当然ですね。
しかし、しかしです。肝心のギターが弱い。弱すぎる・・・。
アンサンブルの妙味と言うものは感じさせてくれませんでした。(残念!斬り!)
最後のフンメルのセレナーデは、ずっと楽しめます。
ピアノ・フルートが入ったことも一因だと思いますが、ずっと華やかな曲想です。
モーツァルトの魔笛(モノスタトスのアリア)のアリアではじまり、最後はフィガロの結婚序曲で終わります。「気のおけない仲間同士が、楽器をもって、思いっきり楽しむ」という、まさにハウスムジークそのものですね。これは楽しく聴かせてもらいました。

そういえば、1951年という年は、フルトベングラーがバイロイトであの有名な「合唱」を指揮した年でもありました。
感動させる音楽、神がかり的な音楽、その一方で音楽仲間が集まって楽しむ音楽、いろいろありますよね。

ところで、今回ご紹介したこのCDは、韓国のYedang Classics(イエダン・クラシックス) から発売されているもので、いまタワーレコードでバーゲン中です。お値段はあっとおどろく1枚590円です。
ロシアの名演が多く含まれており、スベトラーノフのミャスコフスキーの交響曲など面白いアルバムもありますよ。
一度ご覧になられたらいかがでしょうか。
音質、ジャケットの装丁も、結構いいです。

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アバド&ベルリンフィル マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

2005-05-09 | CDの試聴記
ゴールデンウィークが終わってしまいました。
さすがに今日の午前中は仕事のテンションがあがらず、若干自己嫌悪気味。
GWの想い出(?)に、連休最後のほうで何度も聴いたこの曲の感想を。

<曲目>
 マーラー:交響曲第6番「悲劇的」

<演奏>
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 クラウディオ・アバド(指揮)
 (2004年6月 ライブ録音)

アバドは変わった。
あの大病を克服して、音楽の質が確かに変わった。
TVでみたルツェルン祝祭管弦楽団とのマーラー「復活」でも感じたのですが、持ち味である弱音の表現力の凄さと切れ味鋭いフレージング・絶妙のカンタービレに加えて、人間的な暖かさがにじみ出てくるようになりました。
だからと言って、決して激情的に熱くなったりするわけではありません。いままでのどちらかというとヒンヤリした感触から、全体の体温が少し上がった感じなのです。
このことは非常に重要で、そのことにより、音楽が冬眠状態から醒めて、俄かに息づいていくのではないでしょうか。

具体的にいうと、
第1楽章、展開部のヴァイオリンソロとホルンのデュエットの美しいこと。またそのあとppの弦楽器・カウベル・チェレスタに乗せて木管が自然に歌うところも本当にぞくぞくするような表現で、今までのアバドからは聴かれなかったもの。だからこそ、そのあと再現される第一主題との対比がいっそう際立つのです。
第2楽章は、前のシカゴ響との録音とは異なりアンダンテ・モデラートを持ってきました。
この楽章のテーマの美しさはどう表現したらいいんだろう。マーラーの5番のアダージェットと双璧。5番のアダージェットが繊細なガラス細工でできている「ワレモノ」だとすると、6番のアンダンテは磨きぬかれた工芸品。切ないまでに哀しみを奥底に秘めたメロディは、何度聴いても涙がでてきそうになります。シューマンの第2シンフォニーのアダージョと共通するものがあるかもしれません。前置きが長くなりましたが、この楽章こそ、変身をとげたアバドの真骨頂が聴けます。こんなに愛情に満ちた表現は、シカゴ響との演奏では聴けませんでした。
第3楽章のスケルツォは、若干気持ち悪い(?)曲ですが、マーラーのいうところの「よちよち歩き」の雰囲気がよくでています。チャメッ気たっぷりの表現がおもしろい。
第4楽章は、アンダンテ・モデラートと並んで、ニュー・アバドの良さが満喫できます。
ベルリンフィルのパワーを見せつけるような、序奏の圧倒的な表現力。そして続く主部に入ってからの第二主題、ここは私が最も好きな箇所なんですが、この心浮き立つような魅力的な表現、他のどの演奏よりも素晴らしい。
優しさと激しさの交錯する見事な演奏だと思います。猛者ぞろいのベルリンフィルの連中が必死で弾いている姿が眼に浮かびます。しかし、どん底に突き落とすようなあのハンマーの一撃。やっぱりえげつないです。小心者の私なんかは、そのたびに身震いしてしまいます。
何なんでしょうかね、この曲は・・・。

全曲をとおして聴き終わったあとの感銘は、大変なものです。
ただ、一点だけご注意を。
ダイナミックレンジは広いのですが、音量レベルは低めです。したがって、第2楽章あたりでボリュームを必要以上に上げすぎると、スケルツォでスピーカーが大変なことになります。

テンシュテットの91年のライブ盤、バーンスタイン/ウィーンフィル盤と並んで、私にとって大切なアルバムがまたひとつ増えました。
でも、あらためて思います。
「アバドは変わった!」と。

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東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団 「第17回定期演奏会」(オール ベートーベンプログラム)

2005-05-08 | コンサートの感想
東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団 第17回定期演奏会(オール ベートーベンプロ)に行ってきました。

<日時、場所>
2005年5月7日(土)東京芸術劇場

<曲目>
ベートーヴェン作曲
コリオラン序曲
ピアノ協奏曲第3番
交響曲第7番

<演奏>
田村 響(ピアノ)
三石精一指揮
東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団

初めて聴くオーケストラでしたが、東京で10番目に誕生したプロオーケストラです。
で、演奏はと言うと、大変失礼な言い方で申し訳ないのですが、予想していたよりもずっと良かった。
まず響きが大変暖かい。それと集中力が高いオーケストラだと感じました。

冒頭のコリオランは、ゆっくりとしたテンポかつ重厚な響きでベートーベンにぴったりです。
途中、これでもかと何度も繰り返される音型などは、もっとはったりをきかせることも出来るはずですが、三石さんは絶対奇をてらった表現をしません。最後までほぼインテンポで押し通しました。
2曲目は、コンチェルト。
ソリストは田村響さん。弱冠18歳のピアニストです。本来ソロを予定した園田高弘さんが昨年急逝されたため、3年前の園田高弘賞ピアノコンクールで優勝した田村さんに白羽の矢がたったようです。
ただ、正直なところ、このコンチェルトはいまひとつでした。
田村さんのテクニックは十分だし、カデンツァも大変美しかった。
しかし、コンチェルトの醍醐味であるソロとオーケストラの対話が十分ではなかったと思います。
たとえば、終楽章の第二主題で雰囲気ががらっと変わるところでも、オケの表情も固いし、それをピアノが受け継いで新たな雰囲気で展開するというような演奏にはなっていなかった。
田村さんは本当に素晴らしい才能を持ったピアニストだと思いますが、コンチェルトにおいては「ピアノを弾く」ということに集中しすぎているような気がします。オケの反応にもっと関心をもてれば、また新しい魅力が生まれるのではないでしょうか。
さて、メインの交響曲第7番。
これはわくわくするような素晴らしい演奏でした。
第二楽章のアレグレットは、たんたんとした流れの中に哀しみをたたえた秀演。弦楽器が綺麗です。
スケルツォではトリオでやや苦しい部分もありましたが、全体によく音楽が息づいていました。
フィナーレは今夜の白眉。まさにアレグロ・コン・ブリオという演奏で、大変スリリングでした。
ティンパニーが要所を決め、管楽器(とくにフルート・オーボエ)も見事。さかんにブラボーがかかっていました。
最後に指揮者の三石さんのことを少しコメントしますと、とにかく奇をてらわず正攻法な音楽作りです。それが、今日のベートーベンでは大いに功を奏していました。またコンチェルトも含めてすべて暗譜で指揮をしていたことにもびっくり。大変求心力のある指揮ぶりだったと思います。

今日は、まぎれもなく「ベートーベン」を聴かせてもらいました。
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ニーノ・ロータ ハープ協奏曲他

2005-05-07 | CDの試聴記
評価の定まった偉大な作曲家の作品をじっくり聴くことと平行して、数年前から、隠れた名曲というのでしょうか、あまり知られていない曲・メジャーではない曲を見つけてはぼちぼち聴いております。
シンフォニーではパリーやラフ、室内楽・弦楽アンサンブルではシュポア、フンメル、個別の作曲家ではステンハンマル(この人は相当メジャーになりましたね)あたりが最近のお気に入りです。
そんな中、素敵な1枚を見つけましたのでご紹介します。
ちなみに、このCDは「2004年廃盤(輸入盤含む)CD大ディスカウントフェア」というセールがインターネット上で行われたときに、輸入盤としてゲットしました。

<曲目>
ニーノ・ロータ作曲
交響組曲「道」
ハープ協奏曲
トロンボーン協奏曲

<演奏>
ジェニファー・シュヴァルツ(Hp)
アラン・トゥリュデル(Trb)、
ヤンニク・ネゼ=セガン(指)
モントリオール州メトロポリタンオーケストラ

ニーノ・ロータといえば、言わずと知れた映画音楽の巨匠です。
ゴッドファーザー、ロミオとジュリエット、太陽がいっぱい等枚挙にいとまがないくらい数多くの映画で、大変印象的な曲を作曲しています。
このアルバムでは、そんな映画音楽の名作の中からフェリーニ監督の「道」をテーマにした交響組曲、それとハープ・トロンボーンのための協奏曲が納められています。

1曲目の交響組曲「道」は、どの曲も魅力的で、ジェルソミーナのテーマはやっぱりとびきり印象に残ります。
また、3曲目のトロンボーン協奏曲も上品な良い曲なのですが、今日本当にご紹介したかったのは、2曲目のハープ協奏曲です。
これは素晴らしい曲です。

第1楽章は、バロック音楽のようなさわやかな出だし。冒頭のハープのアルペッジョが美しい。ファイナルファンタジーというゲームが好きな方なら分かると思いますが、そう「クリスタルのテーマ」に良く似ているんです。バッハのブランデンブルク風のテーマにのせて、転調を繰り返しながらハープとオーケストラのかけあう様がとても楽しめます。
第2楽章こそ、この曲の白眉です。前の楽章とうってかわって重厚な響き。途中弦楽器とハープで荘重に奏でられるテーマが本当に美しい。その後ハープのオブリガードをともなってそのメロディはオーボエ・フルートに引き継がれ、徐々に高揚していきます。その頂点でトランペットが鳴り響き、急に光がさしこんだように一瞬明るい雰囲気に包まれます。しかし、その後すぐに先ほどの荘重なテーマが弦楽器とティンパニで重厚に響くと、感動で胸がいっぱいになります。
ここまで書いてきて、ハタと思いついたのですが、この楽章はそのままの形でNHKの大河ドラマのテーマに使えます。絶対ぴったりです。
第3楽章は、弦楽器がユニゾンで音階風のパッセージを一気に弾ききった後、ハープとフルートが小鳥のさえずりのような愛らしいテーマを奏でます。音階風のパッセージと、愛らしいテーマが交互に現われますが、ハープの扱いがとにかく見事です。

というわけで、この曲は私にとって宝物です。
ロータのアルバムは、他に5~6枚持っているのですが、また聴き直したくなりました。
ちなみにこのCDは輸入盤なので、なかなかお勧めしにくい部分もあるのですが、可能であれば是非聴いていただきたいと思います。大推薦盤です。

参考までにレーベルとCD番号を記載しておきます。
<ATMA> ACD2 2294
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小澤&サイトウキネンのブルックナー交響曲第7番

2005-05-06 | BS、CS、DVDの視聴記
先日の健康診断で再検査を指示されたので、今日は午後から休みをとって診療所へ。
今日の診察では特に大きな異常は見られないとのことでしたが、不整脈のチェックのため、後日「24時間心電図検査」を行うことになりました。
(まる一日、携帯用の器具を装着して検査するらしいですが、うっとしいなぁ!)
まあそんな関係で早めに帰宅できたので、昨日みー太さんの記事を読んで気になっていた「小澤征爾&サイトウキネンのブルックナー7番」を、録画しておいたDVDで見直しました。


<曲目>
マルタン:7つの管楽器とティンパニ, 打楽器と弦楽合奏のための協奏曲
ブルックナー:交響曲第7番ホ長調

<演奏>
小澤征爾 指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ
(2003年9月10日、長野県松本文化会館)

ブルックナーの交響曲のなかで、抒情的な第7番は小澤征爾にもっとも合った曲だと思います。
とにかくブルックナーとしては異質なくらい透明感が高い。それが清潔なフレージングと相まって、独特の抑制された美しさを醸し出しています。このスタイルは強いていうとジョージ・セル&クリーブランドに似ているかもしれません。違いは、メリハリを含めた陰影のつけかたが、セルのほうがはっきりしていることでしょうか。
第1楽章の冒頭から、とくに弱音の弦楽器が美しい。響きが本当に透明。
第2楽章はあの名手バボラクがワーグナー・チューバを吹いています。やはりホルンを含めた金管の響きが見事。でも第1楽章で感じた「透明感」が、この楽章でも印象に残ります。フィナーレでは最後に大きなクライマックスを築きますが、どんな場合も決して音が濁らない。これもこのコンビの特徴です。

どの楽章もどのフレーズも、オーケストラのひとりひとりが、小澤征爾の棒を信じきって一心に演奏していることが本当によくわかります。
今回のブルックナーは、徹頭徹尾オザワとサイトウキネンのスタイルだと言えるでしょう。このスタイルを受け入れられるかどうかで評価が決まるのではないでしょうか。一部の評論家が言うような、無機的、冷たいという評は正しくないと思います。
ただ、みー太さんがコメントされているように、ブルックナー特有の「オーラ」が不足していることも事実です。コクがうすいというのかなぁ。これは、先ほどの「決して音が濁らない」ことと無関係ではないかもしれません。
私もこの演奏、心が洗われるような素晴らしい演奏だとは思うのですが、「オマエは本当のところどうなんだ?」と問われたら、マイベストにはならない。やはり無色の演奏より、何らかの色がついている演奏が好きなんでしょうね。たとえばウィーンフィルやドレスデン・シュタッツ・カペレのような。

でも、このオーケストラのメンバーは、さすがにすごいですね。
世界で活躍する桐朋時代の盟友や後輩が名を連ねる弦楽器群、ライスター、宮本文昭、工藤重典という豪華な管楽器、バボラク、モリソン等のブラス、加えて小澤が最も信頼するティンパニストのファース。
このビッグネーム達が、世界の小澤と気持ちを一つにしてひたすら演奏している姿は、やっぱり感動します。


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カリンニコフ 交響曲第1番

2005-05-04 | CDの試聴記
カリンニコフは、わずか34歳の若さで貧困の中この世を去ったロシア生まれの作曲家です。
この交響曲第1番は彼の代表作とされていますが、最近にわかに「隠れた名曲」として脚光をあび一大ブームを巻き起こしましたので、一度は耳にされた方も多いかと思います。
私はNAXOSのクチャル盤で初めてこの曲に出会いましたが、その後ヤルヴィ盤を聴き、今回のスベトラーノフ盤で3枚目になります。

<曲目>
カリンニコフ:交響曲第1番

<演奏>
スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト交響楽団
(1975年録音)

スベトラーノフ指揮の演奏では、N響とのライブ録音がCD化されていますが、このソヴィエト交響楽団とのコンビによる演奏は以前から名盤といわれながら入手困難な状況が続いていました。
私も是非入手したいと中古CD屋を漁ったこともありましたが、先日山野楽器に行ってみると棚にさりげなく置かれているではありませんか。もちろん即ゲットです。

早速全曲とおして聴いたのですが、期待が大きすぎたのか、めりはりのついた演奏ではあるのですが、どこか「こけおどし」的な匂いを感じ楽しめませんでした。
しかしもう一度聴いてみようと思い、本日再チャレンジ。
印象はまったく異なりました。すばらしい演奏です。この手の曲はチャイコフスキーもそうなのですが、ある程度劇場的な仕掛けを施したほうが感動するんです。
この部分を「こけおどし」と感じたんでしょうね。しかし、前回いったい何を聴いてたんでしょうか・・・。以下感想を。

第1楽章は、弦楽合奏による第1主題に続き、チェロによって奏でられるあの魅力的な第2主題が最初の聴きどころ。上手い。聴かせ上手やなぁ。中間部のフーガの扱いも見事ですが、私がこの楽章で最も感銘を受けたのは、その後再現される第2主題です。ハープに伴われた主題が本当に美しくかつ懐かしく響きます。
第2楽章冒頭のハープ・弦楽器で奏される静謐な雰囲気は、何と例えたらいいんだろう。イメージとしては「雪」でしょうか。この静けさの中、オーボエ、フルートなどの木管楽器が哀愁を帯びた旋律を奏でます。単に「お国ものだから」とかたずけられない素晴らしい演奏です。とにかく最美の曲の最美の演奏で感動しました。
第3楽章は、一転して明るいスケルツォです。表情の若々しさが印象的。
第4楽章が、最も他の2組の演奏と異なるところかもしれません。
とにかく早く熱い。名手ぞろいのこのオケも、さすがについていけてないところもありますが、それは全体から見れば些細なこと。このエネルギーの噴出こそ、何より音楽が要求しているじゃないですか。これを聴いてしまうと、他の2枚は生ぬるいと感じてしまいます。各楽章の主題がロンドに乗せて展開されるとき、それぞれの楽章の感動が改めて甦り、最後は圧倒的なエンディングで締めくくります。このあたりの曲の設計の匠さは、スベトラーノフの偉大さの証しだと思います。

改めて、すごい演奏です。
なお、久しぶりに他の2枚の演奏も続けて聴いてみましたが、私にとってのセカンドチョイスは、真摯さが心をうつクチャル盤です。


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ワルターのブルックナー:交響曲第7番

2005-05-03 | CDの試聴記
オリジナル・ジャケット・コレクション
ワルターのマーラー&ブルックナー:交響曲集(13CD)から、前回の第4番「ロマンティック」に続いてブルックナーの交響曲第7番を聴きました。

<曲目>
ブルックナー:交響曲第7番

<演奏>
ブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団
(1961年3月録音)

ワルターのブルックナーについては、4月30日のブログで触れたように第9番のトラウマもあって今まで敬遠してきましたが、リマスタリングされた「ロマンティック」を聴いて考え方が少し変わりました。
そこで、今日は第7番を聴いてみました。(まだ恐る恐るです・・・。はい。)

結論から言ってしまうと、第4番「ロマンティック」よりもさらに良かった。
微温的なイメージはここにはなく、主張すべきはきっちり主張しながらも、全体を通して感じられるのは作品に対する深い愛情です。
「ロマンティック」を聴いたときに感じた弦楽器の薄さと金管楽器の粗さは、この演奏ではまったく感じられません。弦楽器はしなやかに歌ってくれるし、スケルツォ等で金管楽器はときに雄弁さをみせますが、決して粗くはありません。
私がこれまでに聴いた中では、この曲の最も美しい演奏です。

第1楽章の最後に各主題が再現されるときの美しいこと。このあたりの表現はワルターの独壇場でしょう。
第2楽章では、何といってもワーグナー追悼のコーダが本当に心のこもった演奏で感動させられます。楽章をとおしてとにかく美しい。
第3楽章とフィナーレは一転して力強い演奏で、弱音部も決してなよなよせずに、ワルターの意志がはっきり分かります。ただ、フィナーレはもう少し早いほうが私としては好きだなあ。

録音年月はロマンティックの約1年後なのですが、音質は一段と良くなっています。
そのため内声部・対旋律の動きが良く分かり、そのことが曲を立体的に感じさせてくれます。
私にとって、ブルックナーを鑑賞する上で何の不満もありません。
第7番のマイベストアルバムは、ブロムシュテット/ドレスデン・シュタッツ・カペレ盤ですが、このワルター盤も今後大切な1枚になることでしょう。

次はいよいよトラウマの第9番を聴いてみたいと思います。

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