先日大阪でゲットしたCDから、トスカニーニのブラームスの交響曲第4番の感想を。
このアルバムは全集になっているのですが、とても面白いカップリングで、1番、3番がNBC交響楽団との旧盤(1940年、41年)、2番、4番がフィルハーモニア管弦楽団とのライブ録音(1952年)になっています。
このフィルハーモニア管との4番については、日本ではキングレコード、輸入盤ではTESTAMENT等から発売されていたようですが、私は今回はじめて聴きました。
<曲目>
ブラームス 交響曲第4番ホ短調 作品98
<演奏>
トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(1952年9月10月1日、ロイヤル・アルバート・ホール、ライヴ録音)
トスカニーニは、私にとってどちらかというと遠い指揮者です。
一番印象に残っているのはチャイコフスキーの「悲愴」で、大学時代にFMで聴いて、こんな表現の仕方もあるのかとびっくりしました。
フルトベングラーやメンゲルベルクをよく聴いていたものですから、当然かもしれません。
中でも第3楽章の勇壮な表現にはしびれました。インテンポの凄みってこんなことを言うんだなぁと
感心したことを覚えています。でも、その他の曲は?となると、たとえば定評ある「イタリア」もいい演奏だと思うけど、カンテッリやセルの演奏により惹かれるし、「ローマ3部作」「展覧会の絵」は曲そのものがもうひとつ好きになれない。
ベートーベンの交響曲は好きな演奏ですが、どの曲もマイベストではない。
また、NBC響とのブラームス(新盤)にいたっては、はっきり言って好きではありませんでした。特に4番の終曲パッサカリアの美しい中間部を、せかせかしたインテンポ(私にはそう聴こえました!)で通す感覚は、私とはまったく合いません。
そんな状況で聴いたこのライブのブラームス4番。
驚きました。オーケストラが熱い!。いつもトスカニーニ流を徹底的に教え込まれている(?)手兵のNBC響と違って、他流試合となったフィルハーモニア管のメンバーが、何とかマエストロの棒に応えようと必死に演奏していることが良く分かります。それと、全曲を貫く凄い緊張感。これは聴き手にすら生半可な姿勢で聴くことを許さないほどのものです。
冒頭第一楽章のテーマの歌わせ方が驚くほど柔らかい。表情の付け方がやや大きいのは、ライブであることと、他流試合のため指揮者の棒に対するオケの反応が普段以上に強めにでてしまったせいだと思います。クレッシェンドのあとのトゥッティがいつも凄いエネルギーを感じさせるのも、同様の理由でしょう。楽章全体をとおして、音楽がきびきびとかつ美しく流れます。
第二楽章は、トスカニーニのカンタービレのが凄さを改めて実感させられます。でも、誰ですか、トスカニーニをイン・テンポ指揮者だといったのは。(私も大きなことは言えませんが・・・)
「お涙頂戴式のセンチメンタルな表現のために、テンポを変えることは決してしない」のであって、この日のトスカニーニは必要とあればテンポをぐっと落として徹底的に歌わせています。
それと、第一主題の音型とアーティキュレーションが常に意識されており、そのため音楽の構成が浮き彫りになって、曲全体が立体的に聴こえます。
第三楽章は、先ほど触れた「悲愴」の第三楽章と同様に一発必中の表現です。ティンパニーが気持良いくらいに決まるので、抜群に引き締まった印象を与えます。
いよいよフィナーレのパッサカリアですが、素晴らしい演奏。何より36の変奏の特徴が丁寧に描き分けられていることに感銘を覚えます。そして、NBC響との演奏で全く気に入らなかった中間部、これも木管楽器・金管楽器を中心に夢見るような美しい表現を聴かせてくれました。
そして、その後壮大なコーダまで息もつかせぬ名演奏が繰り広げられます。
しかし、しかしです。ご存知の方も多いのかもしれませんが、このフィナーレ、3回もものすごい雑音が入るのです。「バシーン」といったノイズで一説によると爆竹だとか・・。
もし、そうだとしたら、コンサート会場で何を考えているんでしょうか。
本当に残念。演奏が素晴らしかっただけによけい残念です。でも、めげずに(?)コーダまでしっかり演奏したマエストロとオケにあらためて敬服!
しかし、ここまで書きながら、クライバー/VPOの演奏ってどうだったかなと思い、久しぶりに聴いてみました。
参った。正直参りました。あまり使いたくない表現ですが、一点非のうちどころのない演奏で、しばし呆然としてしまいました。濡れたような弦楽器、惚れ惚れとする美しさの管楽器といったウィーンフィルのよさを120%発揮させつつ、フレーズとフレーズのほんの少しの間ですら感動に変えてしまうクライバーマジック。
このクライバーの演奏については、改めて書いてみたいと思います。
こんなトスカニーニの素晴らしい演奏を聴いた後でも、人間欲がでるものですね。
このアルバムは全集になっているのですが、とても面白いカップリングで、1番、3番がNBC交響楽団との旧盤(1940年、41年)、2番、4番がフィルハーモニア管弦楽団とのライブ録音(1952年)になっています。
このフィルハーモニア管との4番については、日本ではキングレコード、輸入盤ではTESTAMENT等から発売されていたようですが、私は今回はじめて聴きました。
<曲目>
ブラームス 交響曲第4番ホ短調 作品98
<演奏>
トスカニーニ指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(1952年9月10月1日、ロイヤル・アルバート・ホール、ライヴ録音)
トスカニーニは、私にとってどちらかというと遠い指揮者です。
一番印象に残っているのはチャイコフスキーの「悲愴」で、大学時代にFMで聴いて、こんな表現の仕方もあるのかとびっくりしました。
フルトベングラーやメンゲルベルクをよく聴いていたものですから、当然かもしれません。
中でも第3楽章の勇壮な表現にはしびれました。インテンポの凄みってこんなことを言うんだなぁと
感心したことを覚えています。でも、その他の曲は?となると、たとえば定評ある「イタリア」もいい演奏だと思うけど、カンテッリやセルの演奏により惹かれるし、「ローマ3部作」「展覧会の絵」は曲そのものがもうひとつ好きになれない。
ベートーベンの交響曲は好きな演奏ですが、どの曲もマイベストではない。
また、NBC響とのブラームス(新盤)にいたっては、はっきり言って好きではありませんでした。特に4番の終曲パッサカリアの美しい中間部を、せかせかしたインテンポ(私にはそう聴こえました!)で通す感覚は、私とはまったく合いません。
そんな状況で聴いたこのライブのブラームス4番。
驚きました。オーケストラが熱い!。いつもトスカニーニ流を徹底的に教え込まれている(?)手兵のNBC響と違って、他流試合となったフィルハーモニア管のメンバーが、何とかマエストロの棒に応えようと必死に演奏していることが良く分かります。それと、全曲を貫く凄い緊張感。これは聴き手にすら生半可な姿勢で聴くことを許さないほどのものです。
冒頭第一楽章のテーマの歌わせ方が驚くほど柔らかい。表情の付け方がやや大きいのは、ライブであることと、他流試合のため指揮者の棒に対するオケの反応が普段以上に強めにでてしまったせいだと思います。クレッシェンドのあとのトゥッティがいつも凄いエネルギーを感じさせるのも、同様の理由でしょう。楽章全体をとおして、音楽がきびきびとかつ美しく流れます。
第二楽章は、トスカニーニのカンタービレのが凄さを改めて実感させられます。でも、誰ですか、トスカニーニをイン・テンポ指揮者だといったのは。(私も大きなことは言えませんが・・・)
「お涙頂戴式のセンチメンタルな表現のために、テンポを変えることは決してしない」のであって、この日のトスカニーニは必要とあればテンポをぐっと落として徹底的に歌わせています。
それと、第一主題の音型とアーティキュレーションが常に意識されており、そのため音楽の構成が浮き彫りになって、曲全体が立体的に聴こえます。
第三楽章は、先ほど触れた「悲愴」の第三楽章と同様に一発必中の表現です。ティンパニーが気持良いくらいに決まるので、抜群に引き締まった印象を与えます。
いよいよフィナーレのパッサカリアですが、素晴らしい演奏。何より36の変奏の特徴が丁寧に描き分けられていることに感銘を覚えます。そして、NBC響との演奏で全く気に入らなかった中間部、これも木管楽器・金管楽器を中心に夢見るような美しい表現を聴かせてくれました。
そして、その後壮大なコーダまで息もつかせぬ名演奏が繰り広げられます。
しかし、しかしです。ご存知の方も多いのかもしれませんが、このフィナーレ、3回もものすごい雑音が入るのです。「バシーン」といったノイズで一説によると爆竹だとか・・。
もし、そうだとしたら、コンサート会場で何を考えているんでしょうか。
本当に残念。演奏が素晴らしかっただけによけい残念です。でも、めげずに(?)コーダまでしっかり演奏したマエストロとオケにあらためて敬服!
しかし、ここまで書きながら、クライバー/VPOの演奏ってどうだったかなと思い、久しぶりに聴いてみました。
参った。正直参りました。あまり使いたくない表現ですが、一点非のうちどころのない演奏で、しばし呆然としてしまいました。濡れたような弦楽器、惚れ惚れとする美しさの管楽器といったウィーンフィルのよさを120%発揮させつつ、フレーズとフレーズのほんの少しの間ですら感動に変えてしまうクライバーマジック。
このクライバーの演奏については、改めて書いてみたいと思います。
こんなトスカニーニの素晴らしい演奏を聴いた後でも、人間欲がでるものですね。