ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

アルブレヒト&読響のマーラー:交響曲第9番

2007-03-31 | コンサートの感想
今日は、今年度最後の読響マチネーの日。
そして、特別の意味を持つコンサートでした。
9年間常任をつとめたアルブレヒトの最後のステージで、曲はマーラーの9番。
9という数字に大きな意味を持たせたわけではないと思いますが、マーラーの最高傑作にして、これほど最後の曲として相応しい音楽はないでしょう。

<日時>2007年3月31日(土) 午後2時開演
<会場>東京芸術劇場(池袋)
<曲目>
■マーラー:交響曲第9番
<演奏>
■ゲルト・アルブレヒト指揮
■読売日本交響楽団

  

少し横にそれますが、マーラーの9番は、私にとってもかけがえのない大切な音楽です。
この曲の音楽としてのクライマックスは、もちろん最後のアダージョにあるわけですが、アダージョにいたる音楽の流れが、本当に素晴らしいと思うのです。
私の中のイメージはざっと次のようなものです。(正しいかどうかではなく、あくまでも私の感性で理解しているイメージです)
第1楽章は、混沌とした中に、「憧れ」「恐れ」「希望」「美」「別れ」等のフレーズが次々と現われる。最後の部分は天上界への憧れか・・・。
第2楽章は、田舎踊り。テーマは多岐にわたるけど、ここでは迷いはなくひたすら踊りに集中しているように感じます。
第3楽章は、ロンド ブルレスケ。
再び現実の世界の戻り、早い舞曲風の音楽になりますが、徐々にアダージョの影が忍び寄ってくる。
私は、この箇所を聴くと「あー、もうアダージョが近いんだ。」と、早くも胸が締め付けられるような気持ちになります。快活なロンドの中に組み入れられているだけ、一層強烈な印象を残してくれます。
私の大好きな音楽!
そして第4楽章は、あのアダージョ。
もう、この楽章について文章で書けることは、ほとんどありません。
ひたすら浄化された音楽。しかし、浄化にいたる心の葛藤こそこのアダージョの最大の魅力。

さて、話を今日の演奏に戻します。
会場に入った時に、第一列の端っこの席まで埋まっているのをみて、まず驚きました。
マチネー会員の以外の方も、大勢来られたのでしょう。

チューニングが終わり、アルブレヒトがゆっくり指揮台に歩いてきました。
そして、にっこり微笑みながらコンマスの藤原浜雄さんと小森谷さんに握手を求め、何とも穏やかな表情で指揮台に登ります。
「これが常任最後のステージ、曲はマラ9。さあやるぞ・・・」といった気負いや感傷といったものは微塵も感じられません。
アルブレヒトらしいですね。

第1楽章は、お互いのパート間でお見合いをしているような、少し手探りの感じで始まりましたが、最初の強奏部で吹っ切れたようです。
その後は、アルブレヒトの指示する少し早めのテンポの中、見事なまでに音が鳴りきっていました。
途中ティンパニを中心に「ソ―シ――ド―シ」とやる箇所は、とりわけ印象に残りました。さらに最後にヴァイオリンソロが出てくる少し前あたり、鐘をともなってこの音型が再現される箇所では、もう胸がジーンとしてしまいました。

第2楽章は、オケも完全にペースに乗ってきました。アルブレヒトの棒はほとんど大きな振りをしないのに、実に力強く見事なアンサンブルを聴かせてくれました。

第3楽章は、先ほどお話したとおり大好きな楽章なのですが、「アダージョの影」の部分では、もう少し遅いテンポの方が良かったかなぁ。
しかし、音楽としての構成力は抜群でした。

そしていよいよアダージョです。
読響の誇る弦楽器群に導かれて、感動的な音楽が始まりました。
過度に思い入れたっぷりになっていない分だけ、音楽としての訴えかけてくる力がありますね。
コンマスの藤原さんをはじめ、チェロの毛利さん、ホルンの山岸さんといったソロ奏者が凄い演奏をするだけではなく、オーケストラ全員が心をひとつにして、見事な演奏を聴かせてくれたのです。
とくに、弦のトゥッティの人たちの表情を見ていると、こちらまで泣けてきました。
私も5年以上にわたり、ずっと読響の演奏を聴いてきましたが、全員がこんなに懸命に、必死になってヴィブラートをかけている演奏は初めてです。
また、ラストの弦楽器だけで奏でる最弱音の箇所は、最も感動的な音楽なのに(いや、感動的であるがゆえに)、我慢しきれなくなった咳払いや、予期しない物音によるノイズが断続的に発生しやすいところですが、今日はほとんど無事でした。
演奏家だけでなく、聴衆の集中力も大変なものであったことの証左でしょう。
私はというと、ステージで懸命に弾いてくれている奏者の表情を見ていると、つい涙がこぼれそうだったので、目線を少し上げてパイプオルガンを見ていました。
驚いたことに、最後の箇所では、パイプオルガンから音が出ているのかと錯覚するような音色が聴こえてくるではありませんか。
ひとこと、感動的な演奏でした。

最後に、アルブレヒトの残してくれた功績は本当に大きいと思います。
オケのレパートリーの面でも、またオケの合奏力の向上という点においても。
とくにここ数年、弦楽パートのレベルは一段と上がったように感じます。
アンサンブルも、音色も、全ての点において・・・。
ウィーンフィルのようにビロードのような肌触りの音色ではないけど、黒光りするような独特の音色になってきました。

それから、あえて書かなかったのですが、名手ぞろいのソロ奏者のなかで、最も若いソロ=ヴィオラの鈴木 康浩さん、本当に素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
もうひとりのこれまた素晴らしいソロ奏者である生沼 晴嗣さんとは、またタイプの違う名手の誕生です。
終演後、アルブレヒトが満面の笑みで鈴木さんを讃えていたのも頷けます。

アルブレヒトさん、長い間本当にありがとう。
そして、今日、記憶に残る素晴らしいマーラーを聴かせてくれた読響のみなさん、本当にありがとう。


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「クラシカ・ジャパン」が見れる!

2007-03-29 | その他

先週から始まった2週間にわたる必殺「出張シリーズ」?がようやく終わりました。
齢のせいでしょうか、さすがに疲れました。(笑)
睡眠時間ひとつとっても、普段よりもかえって規則正しい生活が送れるはずなのですが、やはりホテル住まいが続くと「畳」が恋しくなります。
妙なところで、日本人であることを思い知らされました。

さて、私にとって嬉しいニュースがひとつあります。
それは、我が家で加入しているケーブルテレビで、4月から「クラシカ・ジャパン」が見れるようになったことです。
もちろんオプションプログラムなので、2,100円/月の負担増なのですが、メニューをみると、もう文句は言えません。
申込日を待ちかねて、すぐに申し込みました。

今週から試験的に放映されているのですが、この1週間だけ採りあげてもコンテンツはやはり魅力的。
ムーティ&スカラ座の「マクベス」や、カール・リヒターの「ミサ曲ロ短調」等、すでに有名な映像も含まれていますが、私がとくに興味をそそられたのが、ドキュメンタリーや音楽映画。

■ドキュメンタリー 『トスカニーニからアバドへ~ルツェルン祝祭管弦楽団の歴史』
■《1947年制作の伝説的ハリウッド音楽映画》 ユーディ・メニューイン『コンサート・マジック』 +同メニューインの語り

他に、アンセルメ&スイス・ロマンド管弦楽団演奏会や名手ピエッリのギターリサイタルという、レア映像も含まれています。

あっという間に、DVDレコーダーのハードディスクが満杯になりそうで、それだけが懸念です。
でも、楽しみだなあ。
また、折を見てブログでもご紹介していきたいと思います。

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セゴヴィアのシャコンヌ

2007-03-27 | CDの試聴記
今週は出張ウィーク。
昨日から今日にかけて、広島・大阪と転戦し?いったん帰宅。
明日からは、さらに名古屋・大阪へ行きます。
しかし、今週末は、読響の常任指揮者アルブレヒトの最後のステージがあるので、体調管理には十分注意しなくては・・・。
何といっても、マーラーの9番ですから。

さて、今回新幹線の車中とホテルでよく聴いたのが、ギターの神様セゴヴィアの演奏するシャコンヌ。
セゴヴィアは、バッハのシャコンヌを2回録音しています。
1954年にモノラル録音された新盤も、もちろんスケールの大きな素晴らしい名演ですが、私がとくに好きなのは、1944年にSP録音された旧盤です。

若きセゴヴィア(といっても40代ですが)が、満を持してパリのコンサートでこの曲を採りあげたとき、賞賛の声とともに「バッハに対する冒涜だ!」という中傷に近い批評も、少なからずあったそうです。
1935年6月のことでした。
それでもセゴヴィアはこの曲を弾きつづけました。
そして、第一回目の録音を行ったのが1944年。

この1944年に録音された、セゴヴィアのシャコンヌはとにかく熱い!
強烈なパッションをもつシャコンヌです。
「俺は愛するギターで、最高のシャコンヌを弾くんだ。」
というセゴヴィアの自信と気概が満ち溢れているように感じます。

冒頭のテーマからして既に熱い。
リズムにセゴヴィア独特の癖も感じられますが、確信をもった表現で次々と変奏の妙を描いて見せます。
そして、触ると大やけどしそうなエネルギーを持つ長大なスケールに続き、あのアルペッジョが現われます。
こんなうなりをあげて襲いかかってくるようなアルペッジョは、ヴァイオリンからもギターからもついぞ聴いたことがありません。
とくにクライマックス前後の息をのむような圧倒的な表現は、もう空前絶後でしょう。
「セゴヴィアが、セゴヴィア自身に対して、また聴き手に対して、そして何よりも大バッハに対して、真剣で真正面から勝負してきている」とすら感じます。

中間部の冒頭は、スル=ポンティチェロ(硬い音)でチェンバロのような効果を与えています。
(以来、何人のギタリストがこのセゴヴィアの表現を真似ていたことか・・・)
また中間部半ばで、A音のオスティナートが3つから4つに変わる箇所の雄弁な表現は、セゴヴィアの構成力の高さを示しているといえるでしょう。
そして、再びニ短調に戻ったあと、静かにしかも次第に高揚していく表情の見事さ。

やはりこのシャコンヌ、何度聴いても只者ではありません。
私は何種類かこのセゴヴィアのシャコンヌの旧盤を持っていますが、今日画像でご紹介したこの10枚組のアルバムが現在もっとも入手しやすいと思います。
そして、何と2000円を切る価格で販売されていますので、一度騙されたと思って聴いてみてください。
きっと驚かれると思います。

<曲目>バッハ作曲 シャコンヌニ短調(セゴヴィア編曲)
<演奏>A・セゴヴィア
<録音>1944年(SP)
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オーケストラ アンサンブル豊島 春季演奏会

2007-03-25 | コンサートの感想
昨夜は、フィギュアの安藤美姫さん・浅田真央さんたちの素晴らしい演技に酔いしれました。
勝負の非情さを痛感するとともに、私がとくに印象に残ったのは、浅田真央さんの演技。
得意のはずのSPで大失敗したあと、翌日のフリーに向けて、若い浅田さんは一晩何を考えたのでしょうか。
金メダルの安藤さんも同じだと思いますが、きっと最後は「自分を信じる、自分のやってきたことを信じる」と決心したのではないでしょうか。
しかも、それをあの雰囲気の中で表現できる素晴らしさ。
結果的にほんの少しだけ金メダルに届かなかったけど、そんなことはどうでもいい。
彼女が滑り終わった後リンクでみせた大粒の涙をみて、私も思わずもらい泣きしてしまいました。
やっぱり、自分を偽ってはいけない。ここ一番で自分を信じられるような毎日を過ごさないといけないんですね。
大切なことを彼女に教えていただきました。

さて、一夜あけて、今日はおさかな♪さんが所属している「オーケストラ アンサンブル豊島」の春季演奏会を聴きに行きました。

<日時>2007年3月25日(日)14:00開演
<会場>文京シビックホール 大ホール
<曲目>
■サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」より "バッカナール"
■ラヴェル:組曲「マ・メール・ロア」
■チャイコフスキー:バレエ音楽「眠れる森の美女」より
<演奏>
■小林恵子 指揮
■オーケストラ アンサンブル豊島

このオーケストラを聴くのは、今日で3回目です。
いままでどちらかというとドイツものが多かったように思いますが、今日のプログラムはフランスとロシアの音楽でした。

サン=サーンスは、何より、音がよく出てました。
躍動するリズムと流れるメロディの対比がよく表現されていたと思います。
マ・メール・ロワは、技術云々以上に表現が難しい曲だと思います。
それは、ひとえに色彩感がでるかどうかにかかっているからなんですが、今日のアンサンブル豊島の演奏は良かった。
私に、「こう表現したいんだ」という意思がよく感じられました。
また、今日のコンマスは、ひょっとして初めてだったでしょうか。
最初こそ少し緊張気味に感じましたが、このラヴェルで聴かせてくれたソロはとっても素敵でした。音色がきれかったですね。

後半は、「眠りの森の美女」
前半にも増して、よく音が出ていました。
序奏のあたまを聴いて、思わず座りなおしました。
途中ブラスが少し不安な箇所もありましたが、エンディングに向かって調子があがっていき、大団円を迎えました。
迫力もあったし、優しさ、初々しさにも不足しない素敵な演奏だったと思います。
アンコールは、「眠りの森の美女」のワルツをもう一度聴かせてくれました。

今日とくに強く感じたのは、弦の音がとても綺麗になったこと。
アマチュアオーケストラであることを忘れてしまいそうでした。

それから、今日タクトをとった小林恵子さんについてひとこと。
素晴らしい指揮者ですねぇ。
気難しいマエストロというよりは、アンサンブルの姉貴分という感じでしたが、何を表現したいのかが実によく分かる指揮ぶりで、リズム感のよさがとても印象的でした。
トレーナーとしてもきっと優秀なんだろうなぁ。
前の方で聴いていて、その感をとくに強くしました。

おさかな♪さん、素敵なコンサートをありがとうございました。

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ワックスマン:「トリスタンとイゾルデ」幻想曲

2007-03-23 | CDの試聴記
今日は私の50回目の誕生日。
振り返ってみると、本当に激動の10年間でした。
仕事の上では、大好きなラグビーに例えると、数限りなく強烈なタックルを受け意識朦朧となったことも数知れず。
しかし、逆に、傷だらけになりながらのトライもこれまた数知れず。
若いときの戦いとは異なり、局地戦における一喜一憂だけではなく、心理戦の怖さと面白さもいやというほど味わいました。
そんな中で、ピンチの時こそ人の優しさが身に沁みること、そして人の本質がはっきり見えてくることを学びました。

身体(もちろん心も)に決定的なダメージを受けずに、よくぞここまでこれたものです。
改めて、意外に強靭な身体に産んでくれた親と、その間ずっと支えてくれた家族に感謝する次第です。

ようやく役回り・ミッションも変わり、ここ2年ほどは再び音楽に触れる機会も増えました。
これからの10年は、ある意味で一番大切なときではないかと思うので、公私共に目標を決めて、「チャレンジ精神」を常に忘れずに取り組んでいきたいと思います。

そんな第一歩の日に相応しいかどうか、いささか疑問ではありますが、ここしばらくよく聴いていたのが、この「トリスタンとイゾルデ」幻想曲。

<曲目>
■コリリアーノ:映画音楽「レッド・バイオリン」~シャコンヌ
■エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番(編曲:ワックスマン)
■ワックスマン:「トリスタンとイゾルデ」幻想曲
■ジョン・アダムズ:ヴァイオリン協奏曲
<演奏>
■クロエ・ハンスリップ(ヴァイオリン)
■チャールズ・オーウェン(ピアノ)
■レナード・スラットキン(指揮)
■ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
<録音>2005年12月

本来であれば、素敵なジョン・アダムズのヴァイオリンコンチェルトを取り上げたかったのですが、それはまたの機会に。
一方で、この「トリスタンとイゾルデ」幻想曲を作曲したワックスマンは、20世紀初めにドイツに生まれ、その後アメリカに渡って、200本近い映画音楽を書きあげたことでも有名な作曲家です。
オーケストラの鳴りっぷりのよさ、色彩感覚の確かさは、やはり映画音楽で鍛えられたせいかもしれませんね。

この作品は10分強の作品ですが、トリスタンの名による二重協奏曲といった風情の作品だといえばお分かりいただけるでしょうか。
二重協奏曲のソロを受け持つのは、独奏ヴァイオリンとピアノ。
「前奏曲と愛の死」をベースに、第2幕のあの息の長いメロディが上手く組み込まれています。
ただ、二重協奏曲のスタイルを持ったこの幻想曲は、原曲よりかなり華美。
そして、エッジがたった音楽に仕上がっています。
いつ始まっていつ終わったのか分からないような、原曲の持つあのめくるめく陶酔感はありません。
メロディラインを強調することでイメージは鮮明になりますが、逆に麻薬のような痺れる感覚は薄れています。
生粋のワグネリアンからは、この点で目を剥かれるかもしれません。

しかし、何故か何故か、私はこの幻想曲に惹かれるのです。
エッジのたて方が実に巧妙で、ドラマティックな雰囲気に富んでいること。
そして、長すぎず短すぎず、まさに絶妙な曲の長さ。
ワックスマンのシナリオどおりとしか言いようがないのですが、私はすっかり嵌ってしまいました。
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メータ&イスラエルフィル:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 ほか

2007-03-18 | コンサートの感想
日曜の昼下がり、メータ率いるイスラエル・フィルのコンサートを聴いてきました。

<日時>2007年3月18日(日) 14:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■R・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」op.30
■ドボルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界から」op.95
(アンコール)
■ヘルメスベルガー:ポルカ『軽い足どり』
■J.シュトラウスⅡ:ポルカ『雷鳴と稲妻』
<演奏>
■ズービン・メータ指揮
■イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

イスラエルフィルというと、弦の綺麗なオケという印象が強いですが、とにかく弦に限らずオケ全体の音色が優しい。そして色彩感に富んでいます。
素晴らしいオーケストラですね。
私の予想を大きく上回る演奏を聴かせてもらいました。

今日の座席はLA4列目。ステージをやや横からみる形なので、音も生々しいし、指揮者のキューが飛んできそうなくらいの臨場感があって、私は大いに気に入っています。
ホールを見渡すとほぼ満席。
今年のウィーンフィル/ニューイヤーコンサートのシェフでもあったズービン・メータの知名度、そして休日の午後のコンサートという好条件も重なった結果だと思います。

さて、前半のツァラトゥストラ。
これが良かったんです。
サントリーホールいっぱいに響き渡るパイプオルガンの壮大な音、雄渾なティンパニ、そして、直後にぽっと浮かび上がる弦楽器の優しい音色。
美しいとか綺麗だとかいうよりも、とにかく優しい音色だと感じました。
そして管楽器の音も含めて、表情が多彩で色彩感に富んでいるので、まさにリヒャルト・シュトラウスにうってつけ。
メータは過剰な指示は出しません。オケを信じて、大きな方向感をだすことに専念しているようにみえましたが、これが大成功でした。
しかし、このオケ、やはり弦の音は独特の魅力を持っていますね。
とりわけヴィオラの実在感、チェロ・コンバスの弱音の美しさは抜群でした。

後半は、新世界。
昨年11月に聴いたコンセルトヘボウと同じ演目です。
そういえば、昨年RCOのシェフはマリス・ヤンソンス、今日のイスラエルフィルのシェフはメータとくれば、まさにその年のウィーンフィル/ニューイヤーコンサートのシェフと同じじゃないですか・・・。
何か不思議な縁を感じます。

印象は前半のリヒャルト・シュトラウスとほぼ同じです。
ただ、第2楽章。
メータはやや速めのテンポを指示しますが、オケのメンバーがもう少し粘りたそうな箇所があり、少しアンサンブルがずれたところもありました。
しかし、イングリッシュホルンの痺れるような音色とともに、ハーモニーは豊かで、とても美しい音楽を聴かせてくれました。

そして、全体を通して少々意外な感じを受けたのは、メータが劇的でグラマラスな音楽づくりを封印し、滑らかで柔軟性にとんだ音楽を目指しているように感じたことです。
昔のマッチョな音楽をイメージすると、きっと肩透かしを食うでしょう。
イスラエルフィルの持ち味を考えてのことなのか、彼の音楽が変貌を遂げたのか、あるいはその両方なのか、どうなんでしょう・・・。

アンコールは、ポルカ2曲。
とくに2曲目は『ライメイ ト イナズマ』とメータが日本語で紹介してから、まさに一気呵成の演奏でした。
オケもノリノリ、聴衆もノリノリの状態で、みんな幸せな気分で家路に着いたのではないでしょうか。

ちなみに、2006年4月にはメータが、12月にはイスラエル・フィルが70歳(日本でいう古希)を迎えたそうで、その記念公演の一環として今回の来日公演が実現したそうです。
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ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2007-03-17 | CDの試聴記
異常な暖かさから一変して、寒い日が続いています。
私の周りでも俄かに体調を崩している人がでてきていますが、皆様はお変わりございませんでしょうか。
かくいう私も少し風邪気味です。(花粉症との合わせ技のようですが・・・)

さて、今日とりあげるのは、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。
サン=サーンスの3番のコンチェルトと並んで、私の最も好きなヴァイオリン協奏曲です。
あまりに大好きな曲なので、レビューを書くのを躊躇していました。

仕事を終えて遅く帰宅しても、この曲を聴くと心が休まります。
とくに、部屋の照明を落とし、お気に入りの豆を挽いて淹れた珈琲の豊かな香りにつつまれながら、あるいは気分によってはブランデーグラスを片手に、アンプのボリュームを少し絞って聴く第2楽章のアダージョ。
もう私にとっては、これ以上ない至福の時間です。
愛用のスピーカーであるソナス・ファベールのクレモナも、この曲を最高の状態で聴くために選びました。
長い間、私のお気に入りのディスクは、キョンファ・チョンの演奏でした。
しなやかでありながら、きりっとした強さを芯に秘めた彼女の演奏は、今も最高の名演だと信じています。

ただ、ここ1~2年は、キョンファ・チョン盤に代わって諏訪内さんのディスクを聴くことが多くなりました。
以前、同じディスクに収録されているスコットランド幻想曲をブログで取り上げたことがありますが、このコンチェルトがまさにメインの曲で、彼女の事実上のデビュー盤です。

第1楽章冒頭、あの独奏ヴァイオリンのモノローグから、もうすでに諏訪内さんの世界に引き込まれてしまいます。
そして、第一主題に入るときの呼吸の素晴らしさ。
これはマリナーのセンスの良さでもありますが、絶妙としかいいようがありません。

第1楽章ラストのヴァイオリンのピアニシモからアタッカで続くあの美しい第2楽章。
ひとこと、最高の演奏!
「凛としたエスプレッシーヴォ」、私が言葉にするとしたらこの表現しかありません。
そして、最後の部分で弱音で奏でられるホルンの美しい表情も印象に残りました。

フィナーレは、冒頭のヴィオラの伴奏が何とも見事。
きわめて単純な音型ながら、6連符の頭に軽くアクセントをつける表現が、絶妙のテンポ設定と相まって素晴らしい効果を得ています。
マリナーは、日本では何故か過小評価されているように感じますが、とくにコンチェルトの分野では「鬼」じゃないでしょうか。
諏訪内さんも、マエストロ・マリナーを全面的に信頼してこのレコーディングにのぞんだといわれていますが、大いに頷けます。
ただ、第1主題を演奏する諏訪内さんの表現は、もう少ししなやかな弾力性がほしいなぁ。
このテーマは、キョンファ・チョンの演奏が抜群でした。
しかし、つづく第2主題こそが諏訪内さんの真骨頂。
中低音の凛とした音が、もうため息が出るくらい素晴らしいです。

この箇所を聴くと、いつも日本フィルの定期演奏会で彼女が弾いたブルッフの1番を思い出します。
目の前のステージでヴァイオリンを弾く諏訪内さんがいるにもかかわらず、その音はまさにヴィオラの音でした。朗々とかつ凛としたその音色に、私は息も出来ないくらい感動しました。
このディスクでは、幸い私の印象どおりの彼女の表現を聴くことが出来ます。

デビューアルバムとしては大変な完成度を持った演奏で、いつ聴いても諏訪内さんの才能の大きさを実感できる素敵な演奏だと思います。
諏訪内さんは、出産後体調をくずされていたときいていましたが、最近再びステージで活躍されているようですので、一安心。
また、ステージで彼女のブルッフが聴きたくなってきました。

<曲目>
ブルッフ作曲
■ヴァイオリン協奏曲第1番
■スコットランド幻想曲
<演奏>
■諏訪内晶子(ヴァイオリン)
■マリナー指揮
■アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

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ソル 「アンクラージュマン(慰め)」Op.34

2007-03-11 | CDの試聴記
私のギターの恩師がギター教室を開いて、今年で50周年になります。
その記念コンサートが大阪であったので、行ってきました。
当然のごとく裏方担当のつもりだったのですが、師匠から「アンサンブルにも入ってもらうからね。それから、ソロも2曲くらい準備しておいてね。プログラムにも入れたのでよろしく。」と意外なひとこと。
唖然としながらも、師匠に言われたら仕方ありません。

当日午後に行われたリハーサルで、初めてアンサンブルに加わりました。
行きの新幹線の車中では、送ってもらった譜面とずっと「睨めっこ」しながら、赤ペンで運指やポイントになりそうなところを必死にマークしていました。
しかし、何といってもリハーサルが初めての音出し。
(こんなのあり???)
リハーサルでは、アンサンブルメンバーとの呼吸に一番気を使いましたが、思わぬ落とし穴があちこちにあって、もう泣きそう・・・。

あっという間にリハーサルが終わり、本番の時が来ました。
しかし、いざ第1部のステージに上がると、テンションは十分高いのですが、不思議に落ちついている自分を発見してびっくり。
昔から「開き直り」で生きてきたような性格が、この日ばかりは味方してくれたようです。
音響が意外に良かったせいもあって、今回のような状態としては精一杯の演奏ができたと思います。

第2部は、ソロ・重奏で、何と私はトップバッター。
ペルナンブーコとラウロという南米の作曲家の曲を2曲弾きました。
暗譜そのものも不安なくらいの準備不足でしたが、この日は、ハンドルネームにもなっている愛器のロマニリョスが、私のピンチを何度も救ってくれました。
最近ほとんどケアしてあげていないというのに、もう感謝感謝です。
(これからは、もっと可愛がってあげるからね・・・)

第3部は再びアンサンブルのステージ。
ちょっとミスもあったけど、結構熱い演奏が出来たのではないでしょうか。
あっという間の2時間でした。

終演後は、場所を変えてお約束の打ち上げ。
私の場合、実はこのために来たようなものです。(笑)
師匠はもちろん、先輩達や新しく加わったメンバーとも親しく話ができて、すばらしく楽しい時を過ごすことができました。
この日のコンサート&打ち上げには、著名なギター制作家の先生もこられており、ロマニリョスの話や先生の作られたギターの話で、飲むほどに大いに盛り上がりました。
やはり、ギターは素敵な楽器です。
これからは、絶対毎日少しずつでも練習しようっと!
(しかし、私の性格から考えて、まず無理かなあ。まず3日が目標だぁ!)

さて、ギターの重奏を考える上で、私には決定的なディスクがあります。
それは、ジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスという2大巨匠が録音した3枚のディスクです。
(ブリームがBBCに録音したライブ盤に、シューベルトの弦楽四重奏をギター二重奏向けにアレンジした曲が含まれており、それを入れると4枚ですね)

その4枚のディスクの中でもとくに鮮烈な印象を与えるのが、この最初のディスク。
LPではA面にバロックから古典の曲、B面はスペインもの+ラヴェルのアレンジという構成でした。

このF・ソルのアンクラージュマンは、LPではA面の最後を飾る曲で、カンタービレ(序奏)~主題と変奏~ワルツ(終曲)の大きく3部構成になっており、演奏時間も15分ほどかかります。
私は古典期のギター音楽を代表する曲のひとつだと思っていますが、本当に美しい曲です。
他にプレスティ&ラゴヤ夫妻の、まさしく一心同体のような名演奏もありますが、私は格調の高さとスケールの大きさを感じさせる、このジュリアンとジョンの名演奏により惹かれます。

とくに、ジョン・ウィリアムスの美音には、ただただ涙するばかり。
単にひとつひとつの音が美しいだけではなく、フレーズ全体を捉えた時にも、文句のつけようがない自然さと美しさがあるのです。
もし、このディスクをお持ちでしたら、試しにカンタービレの冒頭を聴いてみてください。
ブリームのシンプルだけど何とも自然な伴奏にのって、ジョンが旋律を奏でます。
ギターという楽器が、単音でもどれだけ美しい音楽を奏でることができるか、これはひとつの証左といえるでしょう。

この2人の名人達の演奏(ディスク)から、私は学生時代、本当に多大な影響を受けました。
ギターの音楽をあまりご存知ない方にも、是非聴いていただきたい曲であり、演奏です。

<曲目>
■二つのギターのための組曲(ロウズ)
■ギターのための二重奏曲ト短調 作品34(カルッリ)
■アンクラージュマン 作品34(ソル)
■コルドバ(アルベニス)
■歌劇「ゴエスカス」から間奏曲(グラナドス)
■スペイン舞曲 第1番 (ファリャ)
■なき王女のためのパヴァーヌ (ラヴェル)
<演奏>
■ジュリアン・ブリーム(ギター)
■ジョン・ウィリアムス(ギター)
<録音>1971年
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ヴェルディ 『椿姫』

2007-03-08 | オペラの感想
一昨日、仕事を終えてから、仲間4人で餃子を食べに行きました。
安くて美味しい餃子を食べさせてくれる店で、満員のことも多いのですが、この日は先発隊の3人が上手く席を確保してくれていました。
私一人が一時間ほど遅れていったのですが、もう3人はすっかり「ご機嫌さん」状態。
何とか3人にテンションをあわせようと必死でピッチを上げて、ようやく追いついたと思ったら、もう11時過ぎです。
そこでお開きになりました。

さあ帰ろうと思って駅への階段を降りかけたら、一番若い後輩に「もう一軒付き合って下さい」とせがまれ、ようやく私のテンションも上がってきたところだったので、「じゃあ、いくか」ということで2人で二次会へ。

案内してくれた店は、静かな雰囲気の洋酒の店でした。
大好きなモエのシャンパンを注文し、雑談を始めたところで、その後輩から、
「オペラによく行かれていると聞きましたが、オペラってどこが一番の魅力ですか」
と思いがけない質問を受けてしまいました。
その後輩と言うのは、根っからのスポーツマン。
普段の雰囲気からは、クラシックやオペラに関心があるとはまったく想像できないタイプだったので、いささか面食らいました。

でも、真面目な顔で聞いてくるので、真剣に答えなきゃと思ったものの、考えてみると恐ろしく難しい問題です。
しばらく考えて、シャンパンの力も借りつつ、私は次のように答えました。
「歌・音楽・芝居という全ての要素が入った芸術であることが一番なんだろうけど、私の場合は『非日常の世界』に浸れるところかな。
たとえば、どんなに大変なトラブルシューティングをしている最中であっても、また明日まったく気の進まない商談があったとしても、オペラを観ている間だけは、誰にも邪魔されない自分だけの世界に浸れるから・・・」と。

後輩は、大きく頷きながら聞いていましたが、もうひとつ質問が来ました。
「何か分かるような気がします。でもクラシック音楽をほとんど知らない自分のような人間でも分かるようなオペラはありますか?」

これまた難問。
しばし考えて、答えました。
「もし最初に観るなら、ヴェルディの『椿姫』がいいんじゃないか。
(『椿姫』のあらすじと聴き所を簡単に説明した後)
難しく考えなくていいと思う。
頭を空っぽにして、ヴィオレッタのファンになればいい。
根っからの悪人が出てこないのに、何でヴィオレッタはこんな運命に翻弄されなくちゃいけないんだと怒ればいい。
ああ、ヴィオレッタを抱きしめてあげたい・・・って涙すればいいじゃないか」と。

私にしては、いつになく饒舌に熱っぽく話してしまいました。
モエのシャンパンのせいかなあ。(笑)

後輩は、いよいよ興味を持ったようで、
「今度オペラに行くときに、是非一緒に連れて行ってください。値段は高くてもいいです。」と言われてしまいました。

男2人でオペラというのもいささか色気のない話ですが、まあオペラ好きがひとり増えてくれるなら、それもまた良しとしますか・・・。
話の成り行きからは、やっぱり『椿姫』にしないといけないんだろうなぁ。
9月のチューリッヒオペラがすぐに思い浮かびましたが、まあもう少し考えてみましょう。

『椿姫』といえば、昨年お正月にハイビジョンで放映していたザルツブルクのネトレプコ主演の舞台や、NHKホールで実際に観たメトの舞台(こちらはフレミング主演でした)も素晴らしかったけど、やはりビデオで観たゲオルギューにとどめを刺します。

ゲオルギューの声そのものは、しなやかというよりはやや固めの声だと思うのですが、このヴィオレッタの舞台姿の何と美しいこと。
まさにヴェルディのイメージしたヴィオレッタが歌ってる。悲しみをじっとこらえて密やかに泣いている。
指揮をしていたショルティが、あまりの素晴らしさに涙したという逸話が残っていますが、さもありなんです。
アルフレード役のことはほとんど印象に残っていないのですが、ジェルモン役のヌッチも素晴らしかった。

この舞台が映像として残っていて、本当によかった。
永遠に不滅のディスクだと思います。

ヴェルディ:歌劇《椿姫》
<出演>
■ヴィオレッタ…アンジェラ・ゲオルギュー
■アルフレード…フランク・ロパード
■ジェルモン…レオ・ヌッチ(バリトン)ほか
<演奏>
■指 揮:サー・ゲオルグ・ショルティ
■管弦楽:コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
■合 唱:同合唱団
<録画>
■1994年12月 コヴェント・ガーデン・ロイヤル・オペラ(ライヴ収録)

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小菅優&ヴェロ/仙台フィル モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595

2007-03-04 | コンサートの感想
昨日、小菅さんのK.595を聴いてきました。
会場は、すみだトリフォニーホール。
「地方都市オーケストラフェスティバル2007」と題するのコンサートの一環で、この日は仙台フィルとの共演でした。
一番安い席だったので、視覚的にはもう一つでしたが、音はなかなか良かった。


演奏前にプレ・コンサート・トークがあって、指揮者のパスカル・ヴェロさんが話をしてくれましたが、とても面白かったです。
まず、冒頭、日本語で「おはようございます・・・」
これは大いに受けました。彼はその日に仕事を始めるときは、時間に関わらず「おはようございます」で通しているとか・・・(笑)
また、「素晴らしい音楽を演奏したあとは、素晴らしい食事で締めくくる」がモットーのようで、親日家のヴェロさんは、ラーメンや鮨もよく食べに行かれるそうです。
私も客席で大きく頷いてしまいました。

さて、最初の曲は「牧神の午後への前奏曲」。
久しぶりにこの曲聴きましたが、やっぱりいい曲ですね。
初めて聴く仙台フィルも素敵なサウンドで演奏してくれましたが、この曲独特の「いつ変わったのか分からないような、微妙な色彩の変化」が、もう少し表にでてくればなお良かったかなぁ。

2曲目が、小菅さんのソロで、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番。
モーツァルト最後のピアノ協奏曲にして、死の年にかかれた名作。
華麗なパッセージも、センチメンタルなメロディもありません。
ひたすら「純」な音楽。
全曲を支配するのは、「ド-ミ-ソ-」という、あまりに基本的な和音。
それを埋めるように、浮かんでは消える魅力的なモティーフたち。

ベートーヴェン、ラフマニノフ、チャイコフスキー、モーツァルトの9番・21番といった名コンチェルトで圧倒的な成功を収めてきた小菅さんが、秋の可憐な花にも似たこのK.575で、果たしてどんなアプローチを見せてくれるのか。
大きな期待を持って、演奏を待ちました。

第1楽章冒頭は、ふくよかなバスに支えられてなかなか心地よいスタート。
しかし、直後の合いの手が大きすぎる。もう少しデリケートな表現を聴きたかったところです。
小菅さんのピアノが入ってくると、少し音楽が華やかになります。華やかというよりも、「音楽する喜び」が色濃く出てくるというべきでしょうか。
しかし、21番や9番「ジュノーム」のときとは、音色の使い方も含めて明らかに異なる表現。
彼女の様式感の素晴らしさに、脱帽でした。

第2楽章は、少し早めの表現。
私の好みとしては、もう少し「呟き」のような感じがあっても良かったかも。
しかし、繊細で美しい音楽でした。

フィナーレは、まさに伸びやかで、瑞々しい音楽。
また、眼差しが何か遠くの方を見つめているような印象を受けました。
K.596の「春への憧れ」、あの感じです。
オケでは、とくに弦の音が柔らかくて美しかった。
この楽章が、オケ・ピアノ一体となっていて、最も素晴らしかったなぁ。


やはり小菅さんのコンチェルトは格別のものがあります。
確信が、この日の演奏でさらに深まりました。
後半のサン・サーンスは、残念ながら所用があったので聴けませんでしたが、小菅さんのK.595が聴けたので、とても満足しています。

<日時>2007年3月3日(土)午後6時開演
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>
■ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K595
■サン=サーンス:交響曲第3番 ハ短調 OP78「オルガン付」
(残念ながら聴けませんでした)
<演奏>
■ピアノ:小菅 優
■指 揮:パスカル・ヴェロ
■管弦楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団

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歌劇「フィガロの結婚」 ザルツブルク音楽祭2006

2007-03-02 | BS、CS、DVDの視聴記
BSハイビジョンで先週末放映していた「夢の音楽堂 ~ クラシック音楽・不滅のメロディー ~ 」という番組を観ました。
観たといっても、レコーダーに録画しておいたものを観た訳ですが、この9時間弱の番組の最後の演目が、昨年のザルツブルク音楽祭の目玉と言われていたアーノンクールのフィガロ。
いや、違いました。「ネトレプコのスザンナが聴けるフィガロ」というほうが正確?

冗談はさておき、プレミアがついて何と1枚20万円とも40万とも言われたあの公演です。
昨秋、教育テレビでさわりだけ放映されていましたから、全曲を早く観たいと思っておられた方も多いことでしょう。
実は、昨年12月に販売されたDGのモーツァルトオペラの全集にも含まれていたようですが、何せDVD33枚組という代物。おいそれとは手が出せません。
そんな折、オペラファンには最高の贈り物だったのではないでしょうか。

『ザルツブルク音楽祭2006』
モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」
<出演>
■アルマヴィーヴァ伯爵:ボー・スコウフス
■伯爵夫人:ドロテア・レシュマン
■フィガロ:イルデブランド・ダルカンジェロ
■スザンナ:アンナ・ネトレプコ
■ケルビーノ:クリスティーネ・シェーファー
■マルチェリーナ:マリー・マクロクリン
■バルトロ:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ
■バルバリーナ:エヴァ・リーバウ ほか

<合唱 >:ウィーン国立歌劇場合唱団
<管弦楽>:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
<指 揮>:ニコラウス・アーノンクール
<演 出>クラウス・グート
<収録>2006年7月 ザルツブルク音楽祭より モーツァルト劇場

   



前置きが長くなりましたが、さすがに刺激的な上演でした。
私は気がついたら3回位観ていました。
もちろん、食事時間等に1~2幕ずつこま切れで観たものを含んでのことですが、3回も観たということは、それだけ魅力的だったということでしょう。

アーノンクールの序曲は、とにかく遅い!
しかし決して重々しくはなく、不思議な軽さと言うのでしょうか、独特の雰囲気があります。加えて、序曲に限りませんが、ウィーンフィルが本当に柔らかくいい味を出していますね。
歌手も粒ぞろいで、アリアもデュエットもアンサンブルも、まったく穴がありませんでした。
ダルカンジェロのフィガロは、10数年前のザルツブルクで、そして昨年ウィーンでも観ることができましたが、プライ亡き後、当代随一のフィガロかも。
とにかく歌も演技も、まさに機知に飛んだフィガロそのものでした。
そして、ネトレプコ。
スザンナにしては少し深い声のような気もしますが、まあ舞台姿が素晴らしい。フィガロだけではなく、伯爵がころっと彼女の魅力に嵌ってしまうのも頷けます。
また、予想外に知的なスザンナだったと言ったら、あまりに失礼でしょうか。(ファンの方、すみません・・・)
スコウフスとレシュマンの伯爵夫妻も成熟した大人の歌唱を聴かせてくれましたし、スザンナ役で評価の高かったマクロクリンがマルチェリーナを歌うなど、脇役も本当にレベルが高かった。
しかし、私が文句なく素晴らしいと思ったのは、クリスティーネ・シェーファー。
どこか危なっかしい中性的な魅力に溢れた、最高に魅力的なケルビーノでした。モーツァルトのイメージどおりのケルビーノじゃないかなぁ。

しかし、これだけ素晴らしい歌を聴きながら、そして、いたるところで感心しながら、「最高のフィガロだった!」とストレートにいえないところがオペラの難しいところ。
それは、ひとえに演出です。
実演を観た人の間でも、賛否両論あったようです。

このステージでは、台本にはない狂言回しの役を演じる天使が登場します。
名前もケルビム。ケルビーノの分身?
ただし、魔笛の3人の童子のような「幸運の天使」的な存在ではありません。
いたずら好きの運命の女神といった風情です。
その結果、「自分で自分が分からない」という、全員がまさにケルビーノ状態に。
本当に面白いけど、これでよかったのかしら。

第4幕の最後は、伯爵の「コンテッサ、ペルドーノ・・・」の後、どんな演出でも一直線にハッピーエンドに向かうのですが、今回の場合はなにやら一筋縄では行きません。
もう一波乱起こそうとするケルビムの動きが、どうしても気になるのです。

また、今回の演出では、歌手を横になって歌わせるシーンが多かった。
にもかかわらず、破綻なく歌いきる歌手達には、心から脱帽です!
それから、スコウフスもレシュマンも、またダルカンジェロも、普段以上に多く汗をかいているようにみえました。
これも少々、ライトが強すぎたのでは・・・。

何やらネガティブなことを書きましたが、上演自体は「最高に刺激的な舞台であり音楽」であったことは、紛れもない事実です。
演出も、しばらくたってもう一度観たら、すんなり溶け込めるかもしれません。
再チャレンジしてみたいと思います。

P.S
今年のザルツブルク音楽祭では、同じグートの演出で再演が予定されていますが、
指揮はアーノンクールに替わってハーディング。
そして、スザンナ役にはなんとダムラウです。
声質的にはダムラウの方が合うように思うので、きっと素敵な舞台になるだろうなぁ。









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