昨日、もうひとつのウィーンフィルのコンサートを聴くことができた。
もう言葉はない。
聴き終えて、ひとこと「ありがとう」という感謝の気持ちだけだった。
17日のコンサートのプログラムが「動」だとすると、この日のコンサートは「静」。
ウェーベルンとブラームスの4番というプログラムも最高だし、それをウィーンフィルで聴けるなんて・・・。
「絶対このコンサートだけは聴きたい」「何としても聴きたい」と、公演情報を観た瞬間から祈るような気持ちでいたが、そんな願いが通じたのか、1階7列目という私にとってはまさに理想の席を入手することができた。
この日は、その大切なチケットを握りしめてサントリーホールへ。

<日時>2009年9月20日(日)14:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ウェーベルン:パッサカリア op. 1
■ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品 op. 6
■ウェーベルン:9つの楽器のための協奏曲 op. 24 (※)
■ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 op. 98
(アンコール)
■ヨハン・シュトラウスⅡ :シトロン(レモン)の花咲く頃
<演奏>
■指 揮:ズービン・メータ
■管弦楽:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
(コンマス:フォルクハルト・シュトイデ)
※Vn:シュトイデ,Va:リー,Fl:フォーグルマイヤー,Ob:ホラック,Cl:オッテンザマーJr.,Hr:シュトランスキー,Tp:シュー,Tb:キューベルベック,P:コイシュニック

前半は、オール・ウェーベルン。
作品1の「パッサカリア」は私の大好きな音楽だが、こんなに柔らかで温かな質感をこの作品から感じたことはなかった。
微妙に光と影が交錯するような絶妙の響きに、私はただただうっとりするばかり。
ウィーンフィルという最高の名器があってこそ実現したものだとは思うが、メータがスワロフスキー教授から受け継いだ新ウィーン派の極意は、やはりだてではない。
2曲目の「管弦楽のための6つ小品」では、3曲目の切ない弦の音色が心に沁みる。
そしてウェーベルン自身が葬送行進曲と名付けた4曲目の不気味な緊張感に、私は思わず震えあがった。
3曲目は、「9つの楽器のための協奏曲」。
個人的には、是非あの美しい「夏の風の中で」を前半のメインに取り上げてほしかったが、なぜこの協奏曲(コンチェルトというよりも9人で行う室内楽)を選んだのだろう。
私は聴きながら、「あっ」と声をあげそうになった。
それは第2楽章だった。およそメロディといえるものはなくて、短いモティーフが掛け合いのようにして進んでいくのだけれど、そのモティーフがブラームスの第4番の第1楽章冒頭の3度⇒6度という掛け合いを思い起こさせるものだったから。
そう考えると、「ウェーベルンのパッサカリアで始めてブラームスの終曲パッサカリアで終わる」というこの日の大きなプログラムの軸に加えて、休憩を挟んでこのモティーフが相似形で使われていたんだ。
誰が考えたのかわからないが、なんとも心憎いアイデアだと思う。
それから、このトップ級を集めたメンバーの中でクラリネットを吹いていたのは、名手オッテンザマーの長男ダニエル氏。
やはり17日のクラリネットもジュニアだったのだろうか。
後半は、ブラームスの4番。
第1楽章の冒頭を聴いただけで、もう私は涙がこぼれそうになった。
こんな音色、こんな表情、もうウィーンフィル以外では絶対聴けない。
4年前に初めてこのサントリーホールで聴いて以来、私を虜にしたあのサウンドは健在だった。
伝統という言葉を安易に使いたくはないが、コンマスやトップ奏者たちがこれだけ変わっても、まぎれもない「ウィーンフィルのサウンド」であり続けるというのは、やはり伝統の力の賜物なのだろう。
加えて、私が嬉しかったのは、それがけっして枯れたサウンドではなく、常に瑞々しさを失わず、推進力を中に秘めたサウンドだったこと。
どんなに美しく歌っても、音楽の流れが滞るようなことはない。
しなやかさと弾力性をもった芳醇な響きは、ブラームスのシンフォニー、とりわけ4番のような音楽には、まさにうってつけだと思う。
第2楽章は、その意味で実に味わい深い音楽だった。
そして、何といってもこの日のクライマックスは終楽章。
例のパッサカリア主題そのものは、そっけないくらいの表情。
しかし、バリエーションに入ると、みるみる濃密な音楽になっていく。
中間部の管楽合奏では、心に沁みるような表情で奏でていたフルートが最後息も絶え絶えといった表情になって一瞬ひやりとしたが、それがむしろ人間的に思えて私は感動した。
後半は、前進するエネルギーがすごい。
193小節の1拍前は全パート休符になっていて、全員が息を止めてそこから一気に駆け上がっていくのだが、静寂を一撃でうち破るようなトランペットの強奏には鳥肌が立った。
本当に素晴らしいブラームス!
聴衆の誰もがそう感じたに違いない。
こんな素晴らしいウィーンフィルのコンサートを2回も聴くことができて、まさしく感無量だ。
今回ズービン・メータはあまり何もしなかったかのようにみえて、やはり大黒柱として実に大きな存在感を示していた。
とくに、共に30代という若い二人のコンマスにとって、マエストロ・メータの存在はさぞや大きかったことだろう。
メータの深い懐の中でこそ、ウィーンフィルの類まれな美質が、存分に花開いたのではないだろうか。
今年の来日公演は、「ウィーンフィル ウィーク イン ジャパン」と題された3年計画の真ん中の年だった。
最終年となる来年のマエストロは小澤さんという話を聞いたが、もしそうなら、これまた何をさておいても聴かなければ・・・。
そのときはブラームスだろうか、ラヴェルだろうか、それともマーラーだろうか。
ブラームスはサイトウキネンで今年2番をやったし、来年は1番をやるようなので、ブルックナーかもしれない。
ブルックナーでもマーラーでも、もしやるとしたら9番じゃないかと勝手に想像している。
これから、しばし夢想を楽しむことにしよう。