ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

モンポウ作品集~アリシア・デ・ラローチャを偲んで

2009-09-28 | CDの試聴記
アリシア・デ・ラローチャが亡くなった。
享年86歳。

すばらしいピアニストだった。
そして、私の大好きなピアニストだった。
彼女こそ、人に幸せを運んでくれる稀有の音楽家だったと思う。

私は高校生のころ、受験勉強もしないでクラシックギターに熱中していた時期があったが、アルベニスの作品にチャレンジしているときに恩師からこんなアドヴァイスをもらった。
「アルベニスやグラナドスを勉強するんだったら、ギタリストのレコードばかり聴いていてはいけないよ。オーケストラを、また歌を聴きなさい。そしてピアノを聴きなさい。とくにラローチャの演奏を聴いてみたらいい。きっと見えてくるものがあるはずだから」と。
そのとき初めてアリシア・デ・ラローチャの名前を知った。
そして、演奏を聴いて、たちまち私はその彼女のピアノの虜になってしまった。
なんて温かい音楽なんだろう。
弾力性のあるリズム、伸びやかな歌は、まさにスペインのイメージそのものなんだけど、決してそれだけじゃない。
どんな響きにも透明感があって、温かさを失うことがなかった。
私の音楽の理想が「透明で温かな響き」であることだと気づいたのは、このときからだ。
その意味でも、ラローチャこそが私の音楽の原点であり、母親のような存在だったといっても過言ではない。

ラローチャの演奏で凡庸な演奏はひとつもないと思っているが、とくにモーツァルトや所謂スペインものは他の追従を許さないほど素晴らしかった。
私にとって思い出深いアルベニスを聴こうとも考えたが、迷ったあげく同郷の作曲家であるモンポウの作品で、ラローチャを偲ぶことにしたい。
とても1曲なんて選べないので、アルバムそのものということにさせていただく。
とくに「内なる印象:第8番」の「秘密」は感動的だ。
こんな小品にもかかわらず、この神秘的なまでに美しい表情はなんと例えたらいいのだろう。
「歌と踊り」も、第3番は「聖母とその子」、第14番は「盗賊の歌」としてギタリストにもおなじみの作品だが、ラローチャの手にかかるとどこか高貴な雰囲気すら漂ってくる。
何度もいうようだが、本当に稀有の音楽家だった。
心よりご冥福をお祈りしたい。

■内なる印象 第1番「哀歌」
■内なる印象 第2番「哀歌」
■内なる印象 第3番「哀歌」
■内なる印象 第4番「哀歌」
■内なる印象 第5番「悲しい鳥」
■内なる印象 第6番「小舟」
■内なる印象 第7番「ゆりかご」
■内なる印象 第8番「秘密」
■内なる印象 第9番「ジプシー」
■前奏曲(ラローチャに捧ぐ)
■密やかな音楽 第4集
■歌と踊り 第1番
■歌と踊り 第2番
■歌と踊り 第3番
■歌と踊り 第14番
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ホグウッド&N響 ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」ほか 

2009-09-27 | コンサートの感想
昨日は久しぶりN響の定期演奏会を聴いた。
ホグウッドが指揮するC定期で、新古典主義というか擬古典主義的な作品を前半に集め、後半はモーツァルトのフリーメイソンのための葬送行進曲のあと、メインはハイドンのロンドン交響曲という演目。

<日時>2009年9月26日(土)15:00開演
<会場>NHKホール
<曲目>
■プロコフィエフ / 古典交響曲 作品25
■ストラヴィンスキー / バレエ組曲「プルチネルラ」
■モーツァルト / フリーメーソンのための葬送の音楽 K.477
■ハイドン / 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104「ロンドン」
<演奏>
指揮:クリストファー・ホグウッド
管弦楽:NHK交響楽団
(ゲストコンサートマスター)ヤーノシュ・セルメチ

まずオケの配置がユニーク。
左からファースト⇒ヴィオラ⇒チェロ⇒セカンドで、チェロの後方にコントラバスというイメージ。
冒頭のプロコフィエフは、少し慎重すぎる印象。
もう少し溌剌とした感じでもよかったかなと思う。
前半の2曲目は、ストラビンスキーのプルチネルラ。
こちらはずっと面白かった。
音楽に躍動感が出てきたし、さすがにN響の名手たちのソロがうまい。
まず、セレナータのオーボエの表情が美しい。民族音楽を思わせる伴奏音型もシンプルながらなぜか印象に残った。
それから、7曲のヴィーヴォも秀逸。
ペルゴレージの音楽が原曲だとはとても思えないようなユーモラスな表情がいい。
演奏は実は大変なんだろうと思うが、聴き手に微塵もそんなところをみせないのはさすがN響。
すっかり楽しませてもらった。

後半は、モーツァルトとハイドンの作品。
1曲目のフリーメイソンの葬送行進曲は、冒頭の響きが寝台車の別れのクラクションのようで切ない。
わずか6分余りの短い作品だが、モーツァルトの音楽は本当に深いなぁ。
最後の最後に訪れる長調の和音に、ようやく私は救われる思いがした。

そして最後は、ハイドンの「ロンドン」。
これは掛け値なしに素晴らしかった。
いままでの3曲では、ホグウッドはN響という家に来て客人として演奏していた。
しかし、このハイドンでは自宅の庭にN響を招いて音楽をきかせてくれた。
そんな風に思えるほど、確信に満ちて且つリラックスした音楽だったのだ。
気持ち速めのテンポが、本当に心地よい。
響きも決して硬くなることはない。常に弾力性を失わずにフレーズが豊かに息づいている。
第3楽章のメヌエットの愉悦感も最高だった。ブン・チャッ・チャッという3拍子ではなく、1拍子系のリズム感でしなやかに表現することが、どれほど素晴らしいことか。
まさに、モダン楽器を使ったピリオド奏法のひとつの理想像を見るような気がした。

2月には、ブリュッヘンの感動的なハイドンを聴き、昨日またホグウッドの素晴らしいハイドンを聴かせてもらった。
それが海外のオケではなく、日本のオーケストラだったことが嬉しい。
今年は没後200年のハイドンイヤー。
心に残る名演奏に出会えています。
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スクロヴァチェフスキ&読響 ブルックナー:交響曲第9番ほか @東京芸術劇場

2009-09-24 | コンサートの感想
ウィーンフィルの感動の余韻も覚めやらないシルバーウィーク最終日、9月の読響マチネーを聴いてきた。
今回は上期の目玉ともいうべきスクロヴァチェフスキのブルックナー。
しかも、最高傑作の誉れ高い9番だ。
早々にチケットは完売。年末の「ベートーヴェンの第九」を除いて、マチネ-コンサートとしては異例のことだと思う。
いかに、ファンが待ち望んでいたかが分かろうというもの。

≪第114回東京芸術劇場マチネーシリーズ≫
<日時>2009年9月23日(水・祝) 14:00
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
■ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番
■ブルックナー:交響曲第9番
<演奏>
■ピアノ:アンドレ・ワッツ
■指 揮:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
■管弦楽:読売日本交響楽団

ブルックナーに先立って、前半は、アンドレ・ワッツをソリストに迎えてベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が演奏された。
終演後、大きな歓声に包まれていたように、重厚でエキサイティングなベートーヴェンではあった。
しかし、ワッツは、本当に自分の思い通りのピアノが弾けたのだろうか。
終始小声で歌いながらピアノに向かっていたが、自分の描いているイメージと実際に出てくる音の間には相当開きがあったように思う。
確かにベートーヴェン弾きとして必要な剛毅さは十分感じられる反面、こんな言い方をすると甚だ失礼ながら、細かいところ、たとえばスケール(音階)が美しくないのだ。最初は、朴訥な表現をイメージさせるために、わざとそうしているのかと思ったが、結局その印象は最後まで拭えなかった。
その結果、このコンチェルトの最大の魅力である「ピアノとオーケストラの対話の妙」が、十分伝わらなかったように感じる。
決して乱暴なピアノではなく、むしろ誠実なピアノであっただけに残念。

休憩後は、お待ちかねのブルックナー。
86歳のマエストロは、椅子に座ることはもちろん、背もたれに寄りかかることもない。
しかし、小柄なマエストロがいったん指揮台に上ると、強いオーラがステージのみならず客席の隅々にまで放射されていた。
第1楽章の冒頭、混沌とした状態からテンションをぐぐっと上げて第1主題のホルンの強奏へ。そして、例のファンファーレ主題の直前は、驚くほど激しいアッチェランドをかける。そして姿を見せるのが、雪崩を打って下降する最初の壮大なクライマックス。
鳥肌が立つような思いで聴き進むと、今度は夢見るような第2主題が待っている。
ヴィオラ、チェロが抜群にきれいだ。
余談だが、この日は生沼さん・鈴木さんという読響が誇る2名のソロヴィオラが並んで演奏していたが、この二人が並んだときの読響のヴィオラは本当に強力。

そして、ここで早くもミスターSの老獪な術中にはまっている自分に気がついて、思わず苦笑い。
スクロヴァチェフスキのブルックナーをきくと、その見通しのよさにいつも唖然とさせられるが、この第9のような大作ではそれが一層力を発揮する。
テンポの変化がいつもよりも激しい印象を受けたが、それでも造形は崩れない。素晴らしいブルックナーだと思う。
私はブルックナーの演奏について、「○○でなければ」というような哲学は持たない主義だ。
強いて言うなら、大切に考えているのは次のふたつくらいだろうか。

①音が濁らず、見通しがはっきりしていること
②すべての音、すべてのフレーズに愛情を持って演奏していること
速かろうと遅かろうと構わない。また絶対インテンポでなければという気持ちもない。要は上記2つの条件に、魂を入れてくれればそれでいいと思っている。
ただ、形だけ整えたような魂のこもっていない演奏に出会うと、もう腹が立つというよりも情けなる。
その意味でも、スクロヴァチェフスキのブルックナーというのは当代最高のブルックナーのひとつだと私は思っているし、この日も期待通りの名演だった。

さて、第2楽章のスケルツォはきわめて速いテンポで始まった。
おそらく弦楽器がピチカートで弾ける限界の速さだったと思う。
一方、中間部のトリオはテンポのよさといい弾力性持ったリズムといい、申し分ない。
そして、第3楽章のアダージョ。
冒頭の9度の大きな跳躍は、まさに弦がすすり泣いているようだ。
続いて弦が奏でる第2主題の美しさ、木管のいじらしいまでの繊細な表現は出色のもの。
できれば、このままずっと聴いていたいと感じさせてくれるブルックナーだった。

最後にスクロヴァチェフスキ自身の言葉をご紹介したい。
「私にとって演奏とはスコアに命を吹き込むこと。(中略)どんなに分析が行き届き、上手く解釈されていても、演奏として美しく聴こえてこなければ悪い演奏ということになる。いかに各声部が浮かび上がってくるように工夫したとしても、それがバラバラに聴こえてくるようでは意味がない。そこに一つの流れ、統一したテンポによる流れを作っていくのが一番重要だ。」

この言葉に、私は120%賛同する。
マエストロ、昨日の演奏は、まさにあなたの仰っていたことが見事に音として表現されていましたよ。
本当にありがとう。
来年3月26日に行われるあなたの常任指揮者としての最後の定期演奏会で、ブルックナーの8番を聴かせていただくのを心待ちにしています。
はたして涙なしに聴けるだろうか。
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メータ&ウィーンフィル来日公演(9/20) @サントリーホール

2009-09-21 | コンサートの感想
昨日、もうひとつのウィーンフィルのコンサートを聴くことができた。
もう言葉はない。
聴き終えて、ひとこと「ありがとう」という感謝の気持ちだけだった。

17日のコンサートのプログラムが「動」だとすると、この日のコンサートは「静」。
ウェーベルンとブラームスの4番というプログラムも最高だし、それをウィーンフィルで聴けるなんて・・・。
「絶対このコンサートだけは聴きたい」「何としても聴きたい」と、公演情報を観た瞬間から祈るような気持ちでいたが、そんな願いが通じたのか、1階7列目という私にとってはまさに理想の席を入手することができた。
この日は、その大切なチケットを握りしめてサントリーホールへ。

<日時>2009年9月20日(日)14:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ウェーベルン:パッサカリア op. 1
■ウェーベルン:管弦楽のための6つの小品 op. 6
■ウェーベルン:9つの楽器のための協奏曲 op. 24 (※)
■ブラームス:交響曲第4番 ホ短調 op. 98
(アンコール)
■ヨハン・シュトラウスⅡ :シトロン(レモン)の花咲く頃
<演奏>
■指 揮:ズービン・メータ
■管弦楽:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
(コンマス:フォルクハルト・シュトイデ)
※Vn:シュトイデ,Va:リー,Fl:フォーグルマイヤー,Ob:ホラック,Cl:オッテンザマーJr.,Hr:シュトランスキー,Tp:シュー,Tb:キューベルベック,P:コイシュニック

前半は、オール・ウェーベルン。
作品1の「パッサカリア」は私の大好きな音楽だが、こんなに柔らかで温かな質感をこの作品から感じたことはなかった。
微妙に光と影が交錯するような絶妙の響きに、私はただただうっとりするばかり。
ウィーンフィルという最高の名器があってこそ実現したものだとは思うが、メータがスワロフスキー教授から受け継いだ新ウィーン派の極意は、やはりだてではない。
2曲目の「管弦楽のための6つ小品」では、3曲目の切ない弦の音色が心に沁みる。
そしてウェーベルン自身が葬送行進曲と名付けた4曲目の不気味な緊張感に、私は思わず震えあがった。
3曲目は、「9つの楽器のための協奏曲」。
個人的には、是非あの美しい「夏の風の中で」を前半のメインに取り上げてほしかったが、なぜこの協奏曲(コンチェルトというよりも9人で行う室内楽)を選んだのだろう。
私は聴きながら、「あっ」と声をあげそうになった。
それは第2楽章だった。およそメロディといえるものはなくて、短いモティーフが掛け合いのようにして進んでいくのだけれど、そのモティーフがブラームスの第4番の第1楽章冒頭の3度⇒6度という掛け合いを思い起こさせるものだったから。
そう考えると、「ウェーベルンのパッサカリアで始めてブラームスの終曲パッサカリアで終わる」というこの日の大きなプログラムの軸に加えて、休憩を挟んでこのモティーフが相似形で使われていたんだ。
誰が考えたのかわからないが、なんとも心憎いアイデアだと思う。
それから、このトップ級を集めたメンバーの中でクラリネットを吹いていたのは、名手オッテンザマーの長男ダニエル氏。
やはり17日のクラリネットもジュニアだったのだろうか。

後半は、ブラームスの4番。
第1楽章の冒頭を聴いただけで、もう私は涙がこぼれそうになった。
こんな音色、こんな表情、もうウィーンフィル以外では絶対聴けない。
4年前に初めてこのサントリーホールで聴いて以来、私を虜にしたあのサウンドは健在だった。
伝統という言葉を安易に使いたくはないが、コンマスやトップ奏者たちがこれだけ変わっても、まぎれもない「ウィーンフィルのサウンド」であり続けるというのは、やはり伝統の力の賜物なのだろう。
加えて、私が嬉しかったのは、それがけっして枯れたサウンドではなく、常に瑞々しさを失わず、推進力を中に秘めたサウンドだったこと。
どんなに美しく歌っても、音楽の流れが滞るようなことはない。
しなやかさと弾力性をもった芳醇な響きは、ブラームスのシンフォニー、とりわけ4番のような音楽には、まさにうってつけだと思う。
第2楽章は、その意味で実に味わい深い音楽だった。
そして、何といってもこの日のクライマックスは終楽章。
例のパッサカリア主題そのものは、そっけないくらいの表情。
しかし、バリエーションに入ると、みるみる濃密な音楽になっていく。
中間部の管楽合奏では、心に沁みるような表情で奏でていたフルートが最後息も絶え絶えといった表情になって一瞬ひやりとしたが、それがむしろ人間的に思えて私は感動した。
後半は、前進するエネルギーがすごい。
193小節の1拍前は全パート休符になっていて、全員が息を止めてそこから一気に駆け上がっていくのだが、静寂を一撃でうち破るようなトランペットの強奏には鳥肌が立った。
本当に素晴らしいブラームス!
聴衆の誰もがそう感じたに違いない。

こんな素晴らしいウィーンフィルのコンサートを2回も聴くことができて、まさしく感無量だ。
今回ズービン・メータはあまり何もしなかったかのようにみえて、やはり大黒柱として実に大きな存在感を示していた。
とくに、共に30代という若い二人のコンマスにとって、マエストロ・メータの存在はさぞや大きかったことだろう。
メータの深い懐の中でこそ、ウィーンフィルの類まれな美質が、存分に花開いたのではないだろうか。

今年の来日公演は、「ウィーンフィル ウィーク イン ジャパン」と題された3年計画の真ん中の年だった。
最終年となる来年のマエストロは小澤さんという話を聞いたが、もしそうなら、これまた何をさておいても聴かなければ・・・。
そのときはブラームスだろうか、ラヴェルだろうか、それともマーラーだろうか。
ブラームスはサイトウキネンで今年2番をやったし、来年は1番をやるようなので、ブルックナーかもしれない。
ブルックナーでもマーラーでも、もしやるとしたら9番じゃないかと勝手に想像している。
これから、しばし夢想を楽しむことにしよう。
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メータ&ウィーンフィル来日公演(9/17) @サントリーホール

2009-09-19 | コンサートの感想
一年ぶりに、待ち焦がれていた恋人に再会した。
場所は、4年前に初めて彼女と出会って一目惚れした思い出のサントリーホール。
髪型や服装が少しばかり変わってはいたが、話し始めた瞬間にわかるあの懐かしい声。
「元気そうだね。そしてあいかわらず綺麗だ。」
思わずそう声をかけたくなる。
こんな魅力的な美女に話しかけられて、胸がときめかない男なんているはずがない。
ほんとに夢のような時間を過ごさせてくれた。

この日のウィーンフィルのコンサートは、まさにこんな印象だった。
今年のマエストロはズービン・メータ。
強烈なドライブ力と豊かな色彩感覚を武器に、グイグイオーケストラを引っ張っていた昔の印象はまったくない。
オーケストラの自発性を大切にして、音楽そのものに語らせようとする姿勢が痛いほど伝わってきた。

<日時>2009年9月17日(木)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■バルトーク:管弦楽のための協奏曲 Sz116
■ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 op. 92
(アンコール)
■ヨーゼフ・ヘルメスベルガーJr:ポルカ「軽い足どり」
■ヨハン・シュトラウス:ポルカ「雷鳴と電光」
<演奏>
■指 揮:ズービン・メータ
■管弦楽:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

前半は、バルトークのオケコン。
この日、私はRAの1列目に陣取っていた。
ステージが明るくなると、例によって、コンサートマスターを先頭にして楽員がステージに入場。
てっきりキュッヘルが先頭かと思いきや、なんと女性のヴァイオリニストだ。
おお、彼女が噂のアルベナ・ダナイローヴァか。
そして隣にはシュトイデが座った。
オーケストラの配置は、所謂対抗配置。
メンバーを見渡すと、全体的に昨年とかなり変わっているようだ。
キュッヘルもホーネックもバルトロメイもいない。管楽器でも、シュルツもアウアーもガブリエルもいない。
はたしてサウンドはどうなんだろうと、一抹の不安が脳裏をかすめる。

しかし、そんな不安は、バルトークの第一楽章を聴いて一瞬にしてふっとんだ。
ホールに響きわたったサウンドは、まぎれもないウィーンフィルのそれだったから・・・。
第2楽章の金管のコラールも荘厳で素晴らしかったし、何といっても第4楽章のヴィオラが飛びきり美しかった。そして楽章の後半で再び弱音で再現されるときの表現は一層見事で、もう絶品としかいいようがない。
それから見てて面白かったのは、終楽章に登場するティンパニのグリッサンド。このときだけスネアの奏者が助っ人にはいっていたが、これまた絶妙のサポートでバッチリ決まった。
あと、前半のクラリネットの1番は誰だったんだろう。オッテンザマーによく似ていたけど、それにしては若すぎるかなぁ。ひょっとしてジュニア?

後半は、ベートーヴェンの7番。
後半のコンマスはシュトイデに交代し、ダナイローヴァ女史は隣席へ。
3年前に聴いたアーノンクールとの演奏では、第2楽章のアレグレットが今でも鮮明に思い出される。
そのときアーノンクールたちは、息をするのも憚れるくらいの緊張感を持った静寂の中で、ピリオド奏法の弦楽器がひたすらピュアな響きを紡いでいた。
それに比べると、今回のメータたちは、そんな緊張感をオケにも聴衆にも強いることはない。
モダン楽器を使ったモダン奏法で、実に自然で伸び伸びとしたベートーヴェンを聴かせてくれた。
第1楽章と第2楽章の間をアタッカでつないでいたことを除けば、ほとんど珍しいことはしない。
常識的なテンポ、理にかなったダイナミクス、適切なアーティキュレーション、美しい響き、あえて文字で表すとそんな形容詞が並ぶのだけれども、こんなスタイルの演奏をひょっとしたら「サプライズのない平凡な演奏」だと評する方もいらっしゃるかもしれない。
でも、私の印象はまったく違う。
私はある意味で究極のベートーヴェンだと感じたし、こんな演奏を生で聴ける自分は本当に幸せな人間だと思った。
それは、さきほどあげた形容詞はあくまでも結果であって、実は、「きわめて自然な呼吸感」「弾力性のあるリズム」「音楽することへの無上の喜び」といったものが、それらすべてのベースになっていることを、直接肌で感じたからに他ならない。
そして、何よりも何よりも、世界に二つとないあの芳醇で美しいサウンド。
正直「大丈夫?」と思わせるような箇所も何度かあったが、次の瞬間には完璧に綻びを縫い合わせてしまう奇跡のようなアンサンブル能力。
やっぱり、私の恋人だ。
1年間待ち続けた恋人は、決して私を裏切らなかった。
そして、ラッキーなことに、私は明日もう一度恋人に会うことができる。
ウェーベルン、ブラームスという最高の食材を得て、どんな料理を食べさせてくれるのだろうか。
ブラームスの「パッサカリア」主題の原曲と言われている、バッハのカンタータ第150番でも聴きながら明日を待つことにしよう。
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2010年は、トリノ王立歌劇場が来日!

2009-09-15 | オペラの感想
ジャパンアーツから定例のコンサート案内が届いた。
それによると、来年7月~8月はトリノ王立歌劇場が来日するらしい。
「1年近く先の公演チケットを、もう売りだすんだ」と思いながら見てみると、
演目は「椿姫」と「ラ・ボエーム」の2つ。
演目に目新らしさはないが、キャストをみて一瞬時間が止まった。
デセイとフリットリがそれぞれのヒロイン!
なんと、私がいま最も好きなソプラノ二人じゃないか。
これじゃ、どちらかひとつを選択することすら難しい。
加えて、チケットをゲットした後に、万一彼女たちが降板したらどうしてくれるの?
ジャパンアーツさん、なんとも罪作りなことをしてくれますねぇ(泣)

おまけに、翌9月には英国ロイヤルオペラも来る。
これまた、ネトレプコの「マノン」、ゲオルギューの「椿姫」という当代きっての美女ソプラノ二人の競演ではないか。
しかも、ロイヤルオペラの「マノン」のほうは、トリノの「椿姫」と同様にローラン・ペリーの新演出。
またまた嬉しい悩みで、当分眠れそうにありませんわい。


♪ヴェルディ:「椿姫」 
(サンタフェ・オペラ・フェスティバル共同制作 2009年8月プレミエ予定)
トリノ王立歌劇場では2009年9月~10月初演予定
<演出>ローラン・ペリー  
<指揮>ジャナンドレア・ノセダ
<出演予定>
■ヴィオレッタ:ナタリー・デセイ
■アルフレード:マシュー・ポレンザーニ
■ジェルモン:ローラン・ナウリ 他
<公演日時>2010年 7/23,26,29, 8/1

♪プッチーニ:「ラ・ボエーム」
<演出>ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ
<指揮>ジャナンドレア・ノセダ
<出演予定>
■ミミ:バルバラ・フリットリ
■ロドルフォ:マルセロ・アルバレス
■ムゼッタ:森麻季 他
<公演日時>2010年 7/25,28,31



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ミラノ・スカラ座来日公演 「ドン・カルロ」(その2) @東京文化会館(9/8)

2009-09-13 | オペラの感想
私にとって、オペラの楽しみの一つは幕間のシャンパン。
この日も第2幕が終わった後、私はロビーでシャンパングラスを片手に、「2幕は1幕よりずっと良くなってきたぞ。次の第3幕でパーペはフィリッポ王の深い悲しみをどう表現するんだろう、ロドリーゴの最後の場面は? フリットリのエリザベッタはきっと素晴らしいだろうな・・」なんてひとり思いをはせていた。

さて、休憩が終わり、私の最も好きな第3幕が始まった。
独奏チェロが美しい。単に美しいというのではなく、悲しみをたたえた美しさだ。
そして、フィリッポ二世の独白が続く。
「王妃は私を愛してくれない・・・」という嘆きで始まるこのアリア、名曲中の名曲だが、朗々と歌いすぎてもいけないし、かといって暗くなりすぎると王としての威厳に欠ける。
そんな難しい音楽を、パーペはまさに最高の形で歌い上げてくれた。
誰にも言えない王としての孤独な寂しさを、威厳を失わずに且つ一人の人間として表現してくれたのだ。
私は震えるほどの感動を覚えた。
深いバスというよりも、チェロの音色とも相通じるような艶やかさをもったパーペの声は、人間フィリッポ二世を表現するのにぴったり。
それと私が印象に残ったのは、フィリッポ王にぴったり寄り添うかのように、王の心理を見事に表現したオーケストラの素晴らしさ。
これこそミラノ・スカラ座の伝統なのだろう。
コチェルガの宗教裁判長の頑固一徹さ、「呪われし美貌」を見事に歌いきったザージックも素晴らしい。
もうこのあたりに来ると、ステージだけではなく、聴衆も一体になって、ホール全体が「ドン・カルロ」の世界になっていた。

第2場では、ロドリーゴが牢獄で銃撃されて、亡くなる直前のアリアが印象に残った。
このオペラの中でも最も美しい音楽のひとつだけれど、本来伴奏であるはずのハープとフルートが、ピアノと指示されているにもかかわらず、ロドリーゴの声と対等なくらい大きめの音量でのびやかに奏でていた。
そうか、もうすでに彼の魂は天国にあって、ハープとフルートが作る美しい花園の中にロドリーゴは佇んでいるんだ。
また、この日の舞台では、ロドリーゴの死の後、フィリッポ王が歌う「誰がこの男を私に返してくれるのか」という嘆きのアリアがおかれていた。
通常の上演ではカットされることが多いようで、私も初めて聴いたが、物語の展開上も大切なものではないだろうか。
アリアの冒頭、「あなたの手は血で染まっている!さがってください」とカルロが強い口調で父に迫る場面で、ヴァルガスにもう少し切迫感があればと惜しまれるが、父と子が共にロドリーゴというかけがえのない人物の死を惜しむ姿は感動的だ。

そして第4幕。
この幕では、何といってもエリザベッタの名アリア「世のむなしさを知る神よ」がメインになるが、この日のフリットリの素晴らしさを何と形容したらいいのだろう。
独特の甘く伸びやかなシルキーヴォイスは、エリザベッタの優しさ、運命に翻弄されながらも王妃としての務めを懸命に果たそうとする健気なまでの心情を、完全に表現しつくしていた。
昨年コジで聴かせてくれたフィオルデリージにも圧倒されたが、今回のエリザベッタの名唱はさらにその上を行っていたのではないだろうか。
永遠に続くかと思うような拍手の嵐が、その何よりの証だ。

全体的な印象で言うと、初日ということもあって、最初はややまとまりを欠く状態だったが、最後は「さすがスカラ座のドン・カルロ!」と思わせてくれた。
また、今回の上演では、マエストロ・ガッティの存在をあまり強く感じることはなかったが、歌・オーケストラ・演出のバランスを重要視し、歌だけあるいはオケだけが決して突出しないようにきめ細かくコントロールする彼の姿勢は、随所に現れていた。
最後に、カルロとエリザベッタの心のふるさとである「フォンテンブローの森」、カルロとロドリーゴの少年時代から変わらぬ友情と忠義、そして原点ともいえるサン=ジュスト修道院といった重要なモティーフを、子役を巧みに登場させつつ視覚的にも美しく演出したブラウンシュヴァイクにも大きな賛辞を送りたい。
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ミラノ・スカラ座来日公演 「ドン・カルロ」(その1) @東京文化会館(9/8)

2009-09-12 | オペラの感想
8日に「ドン・カルロ」の初日を観た。
2回に分けてその感想を。

今回のミラノ・スカラ座の来日公演は2演目。
2演目のうちアイーダとドン・カルロとどちらか一つと言われたら、やっぱりドン・カルロだ。
そして、キャスティングをみると、私にとっては初日しか選択肢がなかった。
というわけで、この日は仕事を定時に切り上げて上野の文化会館へ急いだ。
この日の席は、3階のレフトサイドの2列目。
あまりいい席とは言えないが、観れるだけで幸せ。
どきどきしながら開演のベルを待った。

<日時>2009年9月8日(火) 18:00開演
<会場>東京文化会館
<出演>
■フィリッポ二世:ルネ・パーペ
■ドン・カルロ:ラモン・ヴァルガス
■ロドリーゴ:ダリボール・イェニス
■宗教裁判長:アナトーリ・コチェルガ
■エリザベッタ:バルバラ・フリットリ
■エボリ公女:ドローラ・ザージック
<演奏>
■指 揮:ダニエレ・ガッティ
■管弦楽:ミラノ・スカラ座管弦楽団
■合 唱:ミラノ・スカラ座合唱団
<演 出>シュテファン・ブラウンシュヴァイク

この日の公演は、1~2幕と3幕以降でまるで別物だった。
第3幕以降は、さすが天下のミラノ・スカラ座!
それに比べて、前半はいささかフラストレーションのたまる内容。
とくに第1幕は、ほとんど印象に残っていない。
オケは粗いし、声も思ったほど通らない。
とくにヴァルガスのドン・カルロは、声は奇麗だけど全くこちらに訴えかけてこない。だからというわけではないが、ロドリーゴとの有名な「友情の二重唱」も、はっきり言って絵空事。
第2場の白く明るい舞台が、やけに鮮烈だった。ザージックの「ヴェールの歌」は素晴らしい。ヴィブラートはあまり私の好みに合わないが、この人の歌唱には納得。
それから、パーペとフリットリが登場して歌いだすと、そのときだけ周りの空気が一変する。ただ、彼らの出番があまり多くないので、全体の印象を変えるまでには至らなかった。

第2幕は、第1幕よりもずっといい。
全体に集中力が増してきたし、何よりもメッセージが強く伝わるようになってきた。
ドン・カルロの独白の場面でも、初めてヴァルガスの柔らかな声が活きていたのではないだろうか。
ただ、オーケストラの肌理の粗さが、私には依然として気になっていた。
ウィーン国立歌劇場やドレスデン国立歌劇場のオケの緻密な表現力と比べると、どうしても違和感を覚えるのだ。
しかし、それも次の第3幕では見事に解消することになる。

(続きは次回に)

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松本~美ヶ原~王ヶ頭紀行(+サイトウキネンフェスティバル)

2009-09-07 | その他
昨日、サイトウキネンのオーケストラコンサートの模様を、NHKハイビジョンで生中継していた。
何と瑞々しいブラームスだろう。
小澤さんも、オーケストラも本当に夢中になって音楽をやってる!
先日大きな感動を与えてくれたブリテンの「戦争レクイエム」のときとは当然にアプローチも違うが、共通するのは人間への深い愛情と音楽への畏敬の念。
ラヴェルの歌曲を歌ったスーザン・グラハムも、実に味わい深い歌唱だった。
10数年前に初めてザルツブルクへ行ったときに、彼女は「フィガロの結婚」でケルビーノを歌っていて、誰よりも大きな拍手をもらっていた。
「これはきっとブレイクするぞ」と楽しみにしていたが、これほど表現力に長けた歌手になるとは・・・。
聴きながら、私まで何だか嬉しくなってしまった。(笑)
ゲストの藤原浜雄さん(読響ソロコンサートマスター)が、サイトウキネンオーケストラの前身である斎藤秀雄メモリアル・オーケストラが結成されて初めて演奏した時のことを回想しながら、「とてつもないオーケストラ・・・」「コンサートを聴かなかったお客様は、大きな損をしたのでは・・・」というコメントをされていたが、さもありなん。

8月に私が聴いたコンサートは、珍しくサイトウキネンのブリテンだけだった。
一方、月が変わって9月は楽しみなコンサートが目白押しだ。
まず明日8日は、ミラノ・スカラ座の「ドン・カルロ」。
フリットリのエリザベッタ、パーペのフィリッポ二世といった素晴らしいキャストを得て、ガッティ&ミラノ・スカラ座がどんな魅力的なドン・カルロを聴かせてくれるのだろう。
そして、来週は17日と20日と2回にわたってウィーンフィルを聴く。
ベートーヴェン、バルトーク、ウェーベルン、ブラームスといったウィーンフィル十八番の音楽をメータがどんな風に料理してくれるのか。
最後は23日の読響マチネ。
今季限りで読響を離れるスクロヴァチェフスキのブルックナーの9番だ。
期待するなという方が無理というもの。
最高の聴衆であるためにも、体調管理だけは万全にしておかねば・・・。

さて、下の画像は、サイトウキネンフェスティバルを堪能した後、松本~美ヶ原を旅行した時のもの。
霧に邪魔されて美ヶ原高原からの絶景を見ることはできなかったが、松本城の気品と力強さには大きな感銘を受けた。

         
♪特急「しなの」号に
 乗っていざ出発!
          ♪何といっても松本文化会館は
           サイトウキネンのメッカです
                       ♪マエストロ小澤には
                         テレビ局から花束も…

          
♪おー 松本城?
 いや違った。古本屋さんだ。
                ♪これぞ、正真正銘の松本城。
                 さすが天下の名城!ひたすら感激です。

        
♪知る人ぞ知る「王ヶ頭ホテル」
 自然を満喫させてくれます。
           ♪霧がかかった生憎のお天気
            でも、ここが日本百名山のひとつ王ヶ頭だ!
                        ♪景色はさっぱりだけど、
                        こんな可憐な花がいっぱい…
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