ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

2014年に聴いたコンサート&オペラ

2014-12-31 | コンサートの感想

今年も、残すところ6時間弱。
ブログの更新については、本当にサボりまくってしまった。大いに反省しています(汗)
せめて大晦日くらいは記事を書かなければと思い、備忘録の意味も兼ねて、今年(2014年)聴いたコンサートをまとめてアップすることにしました。
感想は、Twitterで呟いたものをベースに、思いつくまま簡単に書いています。
来年が、皆さまにとって素晴らしい年になりますように。

■ツィメルマン ピアノリサイタル 1/20 @サントリーホール
<曲目>ベートーヴェン:ピアノソナタ№30~№32
演奏会は、「アバドに捧げます」というツィメルマンの衝撃の言葉で始まった。
その時点で私はまだアバドが亡くなったことを知らなかった。
演奏は、ライブでないと絶対聴けない壮絶なベートーヴェンだった。とくに後半の32番はちょっと言葉が見つからないくらい感動的な演奏。魂を鷲掴みにされるとは、まさにこんな演奏だと思う。ライブのツィメルマンはいつも凄いけど、今夜は特別だった。第二楽章の長く切ないトリルを聴きながら、私は心の中で偉大なアバドを見送っていた。

■ナタリー・デッセイ ソプラノリサイタル 4/14 @サントリーホール
<演奏>デッセイ(S)、カサール(P)
<曲目>
・クララ・シューマン~ブラームス~デュパルク~R.シュトラウス
・フォーレ~ プーランク~ドビュッシー
至近距離で見るからかもしれないが、体調本当に悪そう。それだけに逆に鬼気迫るものがあった。ブラームスが秀逸。あれだけ劣悪なコンディションの中、よくぞ最後まで歌ってくれた。あなたは紛れもなく現代最高のディーヴァです。曲の合間で何度も咳込んでいる姿が痛々しかったが、あなたの歌はやはり説得力が違う。アンコールは3曲。
2列目センターで聴かせてもらったこの日のコンサート、絶対忘れない。

■BCJの「マタイ受難曲」 4/19 @さいたま芸術劇場
<演奏>鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパン
・エヴァンゲリスト(福音史家):ゲルト・テュルク(テノール)
・イエス:ペーター・コーイ(バス)
・ハンナ・モリソン、松井亜希(ソプラノ)
・クリント・ファン・デア・リンデ、青木洋也(アルト)
・櫻田 亮(テノール)、浦野智行(バス)
絶大な安心感とピュアな響きは、この日も健在。歌手もみんな素晴らしいが、中でもバスのコーイが抜群だった。これほど感動的なマタイを日本で聴けるなんて、本当に幸せだ。
BCJのピュアでしなやかな美質はそのままに、この日のマタイはさらに豊かな情感に溢れていた。しかも一音たりとも緩んだ音はない。BCJのマタイはCD・実演含め何度も聴かせてもらったが、今回が最高。

■ケフェレックの室内楽 5/3 inラ・フォル・ジュルネ
<演奏>ケフェレック、パスキエ 、東条慧、ドマルケット
<曲目>
・ハイドン:ピアノソナタ ホ短調 Hob.ⅩⅥ-34
・モーツァルト:ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493
聴き手を幸せにしてくれる演奏だった。冒頭のハイドンのホ短調のピアノソナタが、まず持って絶品。CDでも素晴らしかったが、生は一層ニュアンスに富んだ名演だった。あの魔法のようなタッチと色彩豊かな音色は今年も健在。

■コルポの「フォーレ:レクイエム」 5/3  inラ・フォル・ジュルネ
<演奏>
・ヴェルメイユ (ソプラノ)、エヨーズ (バリトン)、ジャンニーニ (オルガン)
・ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソヴィア
ミシェル・コルボ (指揮)心から感動した。それにしても、フォーレの音楽ってなんて素晴らしいんだろう。そしてコルポのピュアで暖かい演奏が、フォーレの魅力を余すことなく伝えてくれる。
毎年当たり前のようにコルポの名演を聴かせてもらっているが、日本に住んでいる幸運に心から感謝。

■ケフェレック ピアノリサイタル 5/4 inラ・フォル・ジュルネ
<曲目>
・モーツァルト:ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K.332
・ショパン:ノクターン 嬰ハ短調(遺作)
・ショパン:子守歌、幻想即興曲、舟歌
モーツァルトは12番のヘ長調ソナタ。昔アンヌさんがLFJでモーツァルトのソナタをまとめて聴かせてくれたが、その時の魅力的な演奏は今でも鮮明に覚えている。
今日のヘ長調ソナタもまさに絶品。流麗な中に陰影に富んだ表現はまさにアンヌさんの独壇場だった。ショパンもひたすら魅力的。

■小菅優 ピアノリサイタル 5/4  inラ・フォル・ジュルネ
<曲目>
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第19番、第20番、第21番「ワルトシュタイン」
凄いワルトシュタインを聴いてしまった。小菅さんのライブを聴くのは一年半ぶりだが、一回りも二回りも大きなピアニストになっていた。極めてスケールの大きなベートーヴェンだけど、デモーニッシュというのは当たらない。だって真摯な生気に満ち溢れていたのだから。

■ゲルネの「白鳥の歌」 5/15 @紀尾井ホール
<演奏>ゲルネ(Br)、アレクサンダー・シュマルツ(p)
ただただ感動。もうため息しか出ない。リートって、こんなに生々しく巨大なものだったのか。生ゲルネはウィーンフィルを本気にさせたマーラー以来だったが、当代随一のバリトンだと改めて実感。いただいた招待券も後方ながらS席だったし、幸運に感謝。
今夜ゲルネの白鳥の歌、プログラム通りDer Doppelgängerで終わらず、予定通り「鳩の使い」のアンコールで締めくくられて良かった。Der Doppelgängerが終曲だと、あまりの鬼気迫る歌唱に圧倒されて今夜は眠れなくなりそうだった‥

■ムーティの「シモン・ボッカネグラ」 5/27 @東京文化会館
<演奏>
・指 揮: リッカルド・ムーティ
・管弦楽: ローマ歌劇場管弦楽団、同合唱団
・演 出: エイドリアン・ノーブル
・シモン・ボッカネグラ: ジョルジョ・ペテアン(バリトン)
・マリア(アメーリア): エレオノーラ・ブラット(ソプラノ)
・ガブリエーレ: フランチェスコ・メーリ(テノール)
・フィエスコ: ドミトリー・ベロセルスキー(バス)
・パオロ: マルコ・カリア(バリトン)
第一幕まで聴き終った。やはりフリットリの穴は埋まらない。でも、でも、でも、素晴らしい。最高のシモンだ。マエストロのタクトが一閃すると、みるみる音楽に生気が宿る。ムーティの指揮ぶりを斜め後ろから見れる幸運に感謝。歌手では、フィエスコ役の存在感が群を抜いている。
素晴らしい音楽にして素晴らしい演奏だった。終演後の聴衆の笑顔が全てを物語っている。それにしても、今までムーティでハズレだったことは一度もない。特にオペラはコジ・フィガロ・シモンと圧倒的な名演ばかり。私にとってやはり最高のマエストロだ。

■ムーティの「ナブッコ」 5/30 @NHKホール
<演奏>
・指 揮: リッカルド・ムーティ
・管弦楽: ローマ歌劇場管弦楽団、同合唱団
・演 出: ジャン=ポール・スカルピッタ
・ナブッコ:ルカ・サルシ
・イズマエーレ:アントニオ・ポーリ
・ザッカーリア:ドミトリー・ベロセルスキー
・アビガイッレ:ラッファエッラ・アンジェレッティ
・フェネーナ:ソニア・ガナッシ
第一幕、相変わらず、聴き手をドキドキさせるムーティマジックは健在。セルジャンの降板は残念だけど、アンジェレッティも頑張っていた。
第二幕、ますます好調。ベロセルスキーの存在感が圧倒的だ。フィエスコもザッカーリアも凛とした中に力強さを持った名唱で魅了してくれる。それから弦が物凄く綺麗。驚いた。
第三幕以降も本当に素晴らしかった。タイトルロールのサルシも第一幕は今ひとつだったけど、途中から本領発揮。声の威力に頼らず、あれだけ情感豊かに歌われると、涙腺が緩むやないですか。それから何と言ってもあの合唱。オペラの中で聴くと感動の大きさが違います。
ナブッコの金色の翼、ムーティは一切ドライブをかけないで、民衆の中から自然に湧き出てくるような音楽として聴かせてくれた。
アンコールはなかったが、聴衆の心の中に深く刻まれたことだろう。
ムーティの手にかかると、スコアに書かれている全ての音符に命が与えられて、音符たちが生き生きと踊り出す。
どれほど感動的なイタリアオペラを体験した後でも、「素晴らしかった。でも指揮者がムーティだったらどうなっただろう」と私はいつも夢想していた。今回はその贅沢な夢から解放された。

■セガン&フィラデルフィア管弦楽団 with諏訪内晶子 6/2 @サントリーホール
<曲目>
・チャイコフスキー:ヴェイオリン協奏曲 ニ長調Op.35
・チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調Op.74「悲愴」
メリハリ感とエネルギーの迸りが強烈。しかし、この音楽は、ほんとにセガンが求めているものなのだろうか。デリカシー、ドライブ、ダイナミクス、それぞれの要素が、それぞれの器の中で表現されているように感じる。パーツパーツをとれば文句なしなのだけど。

■フリットリ ソプラノリサイタル 6/4 @東京オペラシティ
<演奏>フリットリ(S) ヴィティエッロ指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
<曲目>
・ドニゼッティ:ラ・ファヴォリータ序曲
・デュパルク:「旅へのいざない」「悲しき歌」
・ベルリオーズ歌曲集「夏の歌」より「ヴィラネル」「知られざる島」
・マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲
・トスティ:アマランタの四つの歌
・モーツァルト:≪皇帝ティートの慈悲≫
「おおヴィッテリア、今こそ~今はもう美しい花のかすがいを」
・マスネ:タイスの瞑想曲
・マスネ:≪マノン≫より「さよなら、小さなテーブルよ」
・ヴェルディ:≪アイーダ≫より「勝ちて帰れ」
・プッチーニ:マノン・レスコー間奏曲
・プッチーニ:≪トスカ≫より「歌に生き、恋に生き」
(アンコール)
・チレア:≪アドリアーナ・ルクヴルール≫より
「哀れな花よ」、「私は創造の神の卑しい僕」
・マスカーニ:≪友人フリッツ≫より 「この僅かな花を」
最前列中央という、信じられない席で聴かせてもらった。
感想なんて言えないほど素晴らしい。全ての曲が超一流だった。
特に最後のトスティは感涙もの。間違いなく、いま世界一のプリマだと思う。
フリットリ終演。まだ夢の中にいるようだ。そして、夢なら覚めないでくれと祈りたくなるような素敵なコンサートだった。
シルキーなソットヴォーチェから、強靭なフォルテシモまで、聴き手を一瞬で虜にする歌唱は今夜も健在。そして優しさとユーモアも忘れない。やはりあなたは、最高のディーバです。
フリットリ様
こんなに素晴らしいあなただから思うのですが、マエストロ ムーティと組んだあなたのアメーリアが、何としても聴きたかった。
でも、後半の最後に聴かせてくれたトスカのアリアを聴きながら、トリノの来日公演の悔しさを思い出すとともに、今宵それが聴けた幸せを噛み締めている。

■ウィーンの音楽 8/22 in草津音楽祭
<演奏>
・ヒンク(Vn)、遠山 慶子(Pf)、オクセンホファー(Va)、ベッチャー(Vc)、シュトール(Cb)、山田 百子(Vn)、シュミードル(Cl)、岡崎 耕治(Fg)、木川博史(Hr)
<曲目>
・モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 変ロ長調 K.454
・モーツァルト:ピアノ・ソナタ ハ長調 K.545
・シューベルト:八重奏曲 ヘ長調 作品166 D.803
今年の夏も草津音楽祭に来た。いつもながらアルペンホルンも素晴らしい。
この日のプログラムは、モーツァルトとシューベルト。
事務局長の井阪さんのシューベルトに対する深い思い入れのお話を冒頭聴いて、私も改めてシューベルト愛に目覚めた(笑)
演奏も、偉大な作曲家に敬意を表しながら、名人たちがこれぞ室内楽というべき暖かな演奏を聴かせてくれた。しみじみ音楽っていいなぁと思う。

■小菅優 ピアノリサイタル 9/13 @さいたま芸術劇場
<曲目>
・J. S. バッハ:イタリア風のアリアと変奏 BWV 989
・ベートーヴェン:ソナタ第21番 ハ長調 作品53 「ワルトシュタイン」
・武満 徹:雨の樹 素描
・武満 徹:雨の樹 素描II -オリヴィエ・メシアンの追憶に-
・リスト:《巡礼の年 第3年》より 〈エステ荘の噴水〉
・リスト:バラード第2番 ロ短調
・ワーグナー(リスト編曲):イゾルデの愛の死
(アンコール)
・ショパン:24のプレリュード 作品28より
 第11番 ロ長調 、第15番 変ニ長調〈雨だれ〉
バッハ989の変奏曲、初めていい曲だと思った。小菅さん、静寂の表現が上手くなったなぁ。ワルトシュタインはLFJの時と、基本的なスタイルは変わらないが、今日の方が情念の迸りが強く感じられた。そして、この日の白眉は後半に置かれたリスト。
凄い表現力。やっぱり、この人は天才だ。

■ドゥダメル&ウィーンフィル 9/25 サントリーホール
世界一のオーケストラにして、我が最愛のオーケストラ。今日もその魅力を余すところなく披露してくれた。ドュダメルも凄い。単に早熟の音楽家じゃないのと少し偏見を持っていたが、どうしてどうして。この人、自然流の達人です。呼吸感も完璧!

■新国立劇場 「パルシファル」 10/8
<演奏>
・指 揮 飯守 泰次郎
・管弦楽 東京フィル
・合 唱 新国立劇場合唱団
・演 出 ハリー・クプファー
・アムフォルタス:エギルス・シリンス
・ティトゥレル:長谷川 顯
・グルネマンツ:ジョン・トムリンソン
・パルジファル:クリスティアン・フランツ
・クリングゾル:ロバート・ボーク
・クンドリー:エヴェリン・ヘルリツィウス
この感動をどう伝えたらいいのだろう。ライブ映像を含め、数多くの名演に触れてきたつもりだけど、初めて生で聴いた今日の公演は格別だ。とりわけトムリンソンの存在感は際立っていた。
それから、素晴らしい演出と舞台は、かくも作品の価値を高めるものなのか。

■パッパーノ&ローマ聖チェチーリア管 withブルネロ 11/7 @サントリーホール
<曲目>
・ヴェルディ: 歌劇「ルイザ・ミラー」序曲
・ドヴォルザーク: チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 (チェロ: マリオ・ブルネロ)
・ブラームス: 交響曲第2番 ニ長調 op.73
大好きなブルネロのコンチェルトを聴きたくてチケットを取ったのだけど、ルイザミラーからアンコールまで、これほどワクワクするような昂揚感と音楽を聴く喜びに浸れたコンサートは稀だ。
それは、やはりパッパーノの存在なしには語れないだろう。彼の音楽からは、一期一会の覚悟のようなものが伝わってくる。その覚悟が、聴衆に大きな感動を与えてくれた。そして、オケがパッパーノに対して全幅の信頼を寄せていることがビンビン伝わってくるのも嬉しい。たとえば、ブラームスの終楽章でパッパーノは要所要所で楔を打ち込む。この楔があることを知っているので、オケは思う存分歌いエネルギーを爆発させることができる。その結果として、あの昂揚感が生まれるのだ。
このオケは決して冷めた演奏をしない。温度は常にやや高めだ。その特質を土台に伸びやかに弦が歌い、木管はぽっと空間に漂う。そして力強くブラスは咆哮し、全体を見事な存在感でティンパニが引き締めていた。とりわけ、名ティンパニ奏者のカリーニの存在感が圧倒的だった。
パッパーノとオケの印象があまりに強烈すぎて、後回しになったが、ブルネロのチェロは、最高。現役のチェリストの中で、やはり私はブルネロが一番好きだ。

■ヤンソンス& バイエルン放送響 withツィメルマン 11/24 @サントリーホール
<曲目>
・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15
・ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 Op.95 「新世界より」
前半のブラームスのピアノ協奏曲第一番では、実演のツィメルマンの凄さをまざまざと思い知らされた。ヤンソンスとツィメルマン、そしてバイエルン響が互いに強い絆で結ばれていて、大きな感動を与えてくれた。後半の新世界は、一転してスタイリッシュな快演。
硬派の演奏にもかかわらず、終始暖かさを感じさせてくれるのは、やはりヤンソンスの凄さか。

■小泉和宏&東京都交響楽団 ベートーヴェン「合唱」 12/26 @サントリーホール
<演奏>リー・シューイン、中島郁子、オリヴァー・クック、青山 貴、二期会合唱団
私にとって今年最後のコンサート。テンポは少し速めだけど、いい意味で、昔からよく知っているスタイルの第九だった。目を引く演出も、わざとらしい仕掛けもない。最近流行りの研究成果とかもない。でも、このどこかレトロな味がする第九、私は大いに気に入った。それにしても、この曲、やっぱり桁外れ。ベートーヴェンは凄い。

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ドゥダメル&ウィーンフィル 来日公演(9/25) @サントリーホール

2014-09-29 | コンサートの感想

朝夕、めっきり涼しくなってきた。
そして、自宅近くでは、金木犀の香りも漂い始めた。
もう、秋の気配が感じられる。
そんな中、25日の木曜日に、ウィーンフィルの来日公演を聴かせてもらった。

ウィーンフィルは、世界中で私が最も敬愛するオーケストラ。
2005年10月にムーティが振る来日公演を初めて生で聴いてからというもの、私はすっかりウィーンフィルの虜になった。
もちろんLPやCDのディスクを通して、ウィーンフィルの素晴らしさは知っていた。いや知っていたつもりだった。
しかし、ウィーンフィルが奏でるモーツァルトのクラリネット協奏曲をサントリーホールで聴いたときの感動は、今も忘れることができない。
もちろんペーター・シュミードルのクラリネットも、ウィーンフィルの絶妙のアンサンブルも絶品だった。
しかし、第一楽章冒頭のトントントントンと淡々と伴奏を刻む弦楽器の音に、私は言葉では言えないくらいの衝撃を受けたのだ。
それは羽毛のように柔らかく、重さをまったく感じないサウンドでありながら、モーツァルトの音楽が必要とするリズムはものの見事に表現されていたから。
こんな音、こんな音楽は、いまだかつて聴いたことがなかった。

その時以来、ウィーンフィルは私の心の中で絶対的なアイドルになり、それ以降の来日公演は、かかさず聴いてきた。
しかし、今年の公演は、パソコンの不調という信じられないようなアクシデントがあって、チケットが取れなかった。
痛恨の極みではあったが、「今回は、さすがに縁がなかったと諦めよう。今まで幸運すぎたのだ。それにドゥダメルは若いし、また聴く機会はあるだろう」と強引に自分自身に言い聞かせていた。
そんな折、ずっと視聴しているクラシカジャパンの視聴者プレゼントでウィーンフィル来日公演の招待券のプレゼントがあることを知り、100%だめだろうと思いつつ申し込んだところ、何と奇跡的に当選した。
信じられないことが起こると、人間はよく頬っぺたをつねるというが、今回私は送られてきたチケットを見てもまだ信じられなくて、本当に頬っぺたをつねってみた。
そこで初めて本当に当選したことを実感。次の瞬間小躍りしたのは言うまでもない。こんなこともあるのですね。
クラシカさんには、心からお礼を申し上げます。



<日時>2014年9月25日(木) 19:00 開演
<会場>サントリーホール(大ホール)
<曲目>
■R.シュトラウス: 交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』 op.30
■シベリウス: 交響曲第2番 ニ長調 op.43
<演奏>
■指揮:グスターボ・ドゥダメル
■出演:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(アンコール)
■J.シュトラウス
・アンネン・ポルカ 
・ポルカ『雷鳴と稲妻』

前置きが長くなったが、そんな奇跡的な経緯で聴くことのできたコンサートだったので、私は特別の感慨を持ちながら、開演を待った。
やがて、会場の照明が暗くなりステージが明るくなる。
その後、いつもの光景であるが、コンマスのキュッヒルを先頭にメンバーがステージに登場してきた。
この日のもう一人のコンマスはシュトイデだ。またキュッヒルとともに今シーズン限りで退団するヴィオラの名手コルも、ヴィオラのサブの席に座る。
コンサートの前半は、「ツァラトストラはかく語りき」。
冒頭部分「日の出」はオーディオのデモンストレーションでもよく使われるが、当たり前のことだけど彼らの演奏に、こけおどし的な要素は微塵もない。
絹のような音色、そして豊かな拡がりを持ちながら少しも重さを感じさせないバス。
世界中でウィーンフィルだけが奏でることができるただ一つのサウンドは、この日も健在だった。
パレットの色はとんでもなく多いが、全てが有機的に結びついている。
よく言われることだが、全編まさに歌のないオペラを観ているかのようだった。
「日の出」の後、しばらくして登場する「信仰のテーマ」のなんと美しいことか。
こんなとろけるような表現ができるのは、ウィーンフィルだけだ。
第二部では、なぜか歌劇「サロメ」の中で、サロメがヨカナーンを呼び出すときのシーンが頭をよぎる。
リヒャルト・シュトラウスの爛熟した雰囲気を存分に表現しつくして、前半は終わった。
後半の、シベリウスは、さらに名演。
エネルギーの迸りも強烈で、このオーケストラが本気になったときの凄さをまざまざと感じさせてくれた。

さて、この日タクトを振ったのは、ベネズエラの俊英グスターボ・ドュダメル。
正直に告白すると、「ドゥダメルか。確かに大変な才能だと思うけど、単に才気煥発というか早熟の天才じゃないの」とある種の偏見を持っていた。
しかし、この日の音楽を聴いて、まったくの誤りであることに気づかされる。

まず第一に、彼はまさしく自然流の達人だった。
よく聴くと、「あっ、やってるな」と思う箇所も散見される。しかし、その表現は説得力があり違和感は皆無。大きな流れの中で、極めて自然に表現されていた。

それから二つ目の特徴は、見事としか言いようのない呼吸感の素晴らしさ。
私は、ライブで演奏を聴くときに、できるだけ演奏家と呼吸を合わせて音楽を楽しみたいと思うタイプ。
オケの楽器は何一つ演奏できない私であるが、この日のドゥダメルの指揮であれば、楽器の一つを手に取って気持ちよく演奏に参加できそうな気がした(実際に、そんなことができる筈もありません。でもそんな錯覚を覚えるほど、自然な呼吸感だったということです。)

三つ目の特徴は、全体の見通しが極めて明確であること。
たとえば、シベリウスの第一楽章。聴き手をフィンランドの大地へ誘うような魅力的な描写をしながら、そこにはすでに終楽章のイメージが感じられる。
個々のフレーズはこれしかないという見事な表現を行いながら、決して全体を見失うことはない。

そして、何よりも、音楽に生気を与えることができることが、彼の最高の特徴だろう。
私がムーティを敬愛する理由は、まさにそれだ。
今回私が感じたドゥダメルの美質が最も顕著に表れるのは、ひょっとするとオペラかもしれない。
昨年のスカラ座の公演は聴きそびれたが、次回来日するときは是非とも聴いてみたい。

まだまだ、ドゥダメルは若い。
だから、今回あえてマエストロという言葉は使わない。
しかし、近い将来、彼は必ずや音楽界を席巻することだろう。
また、聴く楽しみが増えた。

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小菅優ピアノ・リサイタル (9/13) @さいたま芸術劇場

2014-09-15 | コンサートの感想

一昨日から昨日にかけて、息子夫婦が孫娘を連れて遊びに来てくれた。
孫娘は、3月30日生まれだから、今月末でちょうど半年になる。
生まれたときは、まさに春の嵐が吹き荒れていた。初めて孫娘を見たときは、小さくて痛々しくて、これで本当に大きくなるのだろうかと、随分心配した。でも、彼女は両親の愛情を一杯もらって、すくすく成長してくれた。今や、家族中の太陽のような存在だ。この子の笑顔を見れるなら、どんなことがあっても我慢できると思う。
こんなことを言うと、やっぱり爺バカかなぁ(笑)。

さて、一昨日は、孫娘が来る前に、地元さいたま市で小菅優さんのコンサートを聴いた。
小菅さんのピアノを聴くのは、5月のラ・フォル・ジュルネ以来。
あの時聴いたベートーヴェンは素晴らしかった。今回もプログラムに入っているワルトシュタインをメインに据えたプロで、非常にスケールの大きな音楽を聴かせてくれたが、一方、規模の小さいソナタでは微妙なニュアンスに富んだ表現で魅了してくれた。
この日は、小菅さんが「どの曲も今私が一番弾きたい曲です」というプログラム。期待して、開演を待った。

冒頭のバッハは、テルデックのバッハ全集で聴いたときはほとんど印象に残らなかったが、小菅さんの手にかかるとなかなか聴かせどころも多く、いい作品だと思った。この曲は、チェンバロよりもピアノの方が合うかも。
前半のメインはワルトシュタイン。5月に聴いたときよりも、さらに情念の迸りをより強く感じた。ただ第2楽章から第3楽章へ移る時の神秘的な雰囲気をもう少し感じさせてくれたら、個人的には最高だったかもしれない。

後半は、武満徹の「雨の樹素描」から始まった。
この曲は、初めて聴いたときから大好きな曲。大江健三郎の短編「頭のいい雨の木」からヒントを得たと言われるが、所謂ゲンダイ音楽とは一線を画するとても美しい音楽だ。小菅さんは、椅子に座った後、なかなか弾きださない。その「無」の時間というか空間が、すでにこの音楽を立派に表現している。続く10年後に書かれた「素描Ⅱ」ともども、きわめて美しい表現だった。
この日の白眉は、続くリストの2作品。最初の「エステ荘の噴水」は、武満さんの作品と「水」つながりなのだろうか。弱音の美しさも抜群で見事な演奏。
そして、さらによかったのは、バラード第2番。凄みのある低音、中世の寺院の鐘を思わせる響き、強烈なパッションとそれと交錯するかのように現れる夢見るような美しい歌。この難曲を小菅さんは余すところなく魅力的に描いて見せた。いやはや凄い表現力だ。
それに比べると、最後の「イゾルデの愛の死」は大変な力演だったが、あのイゾルデが舞台で歌うアリアとははっきり言って別物。ただ、最後の音が消えて10秒、いや20秒以上だっただろうか、あの沈黙の時間を共有できた素晴らしい聴衆には、大きなブラーヴォ。
ベルリン国立歌劇場の来日公演で、ワルトラウト・マイヤーの神々しいまでの名唱を心無い拍手でぶち壊わしにされた経験があるだけに、この日さいたま芸術劇場に来られた聴衆の集中力には感謝してもしきれない。

小菅さんのピアノを初めて聴いたのは、もう10年以上前になるだろうか。
確か読響とのベートーヴェンのコンチェルトだった。
その時に感じた「このピアニストは、絶対大物になる」という予感は、年を重ねるごとに確信に変わるつつある。
毎年、小菅さんのピアノを聴くことは、私にとって大きな楽しみのひとつだ。
終演後、サイン会で小菅さんに感謝の言葉をかけたかったけど、この日ばかりは孫娘の魅力に負けてしまい断念。
次回も、楽しみにしています。 

<日時>2014年9月13日(土) 15:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<演奏>小菅 優
<曲目>
・J. S. バッハ:イタリア風のアリアと変奏 BWV 989
・ベートーヴェン:ソナタ第21番 ハ長調 作品53 「ワルトシュタイン」
・武満 徹:雨の樹 素描
・武満 徹:雨の樹 素描II -オリヴィエ・メシアンの追憶に-
・リスト:《巡礼の年 第3年》より 〈エステ荘の噴水〉
・リスト:バラード第2番 ロ短調
・ワーグナー(リスト編曲):イゾルデの愛の死

(アンコール)
・ショパン:24のプレリュード 作品28より
 第11番 ロ長調 、第15番 変ニ長調〈雨だれ〉

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ジョン・ウィリアムス ラストコンサート (10/28) @白寿ホール

2013-11-01 | コンサートの感想
23日のトリフォニーホールに続いて、28日にも白寿ホールで2回目のコンサートを聴くことができた。

<日時>2013年10月28日(月)
<会場>白寿ホール
<曲目>
■バッハ:リュート組曲 第4番 ホ長調 BWV1006a
■フレデリック・ハンド:祈り
■グレイム・ケーン:ア・クローズド・ワールド
■スティーブン・ゴス:マリルボーン・エレジー
■ジョン・ウィリアムス:マリンケ・ギターズ
■アルベニス:アストゥリアス
■タルレガ:アルハンブラ宮殿の思い出
■ジョン・ウィリアムス:
 ・ステッピング・ストーンズ 第1番
 ・オッド・ナンバーズ
 ・フロム・ア・バード第3番
 ・ハロー・フランシス
■マイヤーズ:カヴァティーナ
■バリオス:ワルツ 第3番
■フィゲレード:ロス・カウハリートス
■カリージョ:星の涙
■カノニコ:エル・トトュモ
(アンコール)
■バリオス:フリア・フロリダ

この白寿ホールのコンサートは、二つの意味でメモリアルな演奏会だった。
まず一つ目は、今年いっぱいで演奏活動を引退するジョン・ウィリアムスの日本における最後のコンサートであったこと。
二つ目は、白寿ホールという音響の素晴らしい小ホールで開催されたこともあり、PA装置を使用せずに、生音でジョンの美しい音色を味わえたこと。

チケット料金は上記の背景もあり通常のコンサートより割高ではあったが、ジョンの最後のコンサートを前から2列目のセンターで、しかもPAなしで聴けたことは、もう神様からの贈り物としかいいようがない。
あまりに期待しすぎると、往々にして勝手に作り上げたイメージ(偶像)と現実とのギャップに失望することもあるものだが、この日限って、そのような話は全くの杞憂だった。

ツアーの疲れもあっただろうし、この日の体調は決して万全の状態ではなかったはずだ。現に曲の合間に何度か咳き込む場面もあった。また連日のサイン会で右手を酷使した影響も、少なからずあったと思う。
そのせいかどうか分からないが、とくに前半、ミスタッチや思いがけない音の外し方をした場面も散見された。
しかし、ジョン・ウィリアムスは、やはり神様だ。
ジョンが表現したいと考えていることは、たとえミスタッチがあったとしても、何の障壁もなく私たちの心にダイレクトに飛び込んできた。
器楽の奏者は、70歳を超えると「枯れた味」なんて言い回しをされることもあるが、ジョンには全く当たらない。
高貴な佇まいを崩さずに生命力と躍動感に満ち溢れた演奏スタイルは、若い頃の天才ジョン・ウィリアムスと何ひとつ変わっていなかった。

今回、至近距離で聴かせてもらって強く感じたのは、左手と右手のモーションが際立って小さいこと。
ギターで最も難しいはずのポジションの跳躍においても、絶対にバタバタしない。
また右手のタッチは強いが、絶対に荒っぽくならない。透徹した豊かな音色はイメージ通りであったが、近くで聴くとやや硬めだった。
でも、これが音を減衰させずにホールに響かせるコンサートギタリストの刻印なんだと思う。
そして、彼のサウンドの最大の秘密は右手の親指にあった。
低音は言うに及ばず、高音(1弦や2弦)でもジョンは親指を多用していたが、その音の美しさ、表現力の凄さは、ちょっと類をみない。
それらの圧倒的な技術が高次元で融合し、見事に音楽に奉仕していた。

この日のプログラムは、前半のメインにリュート組曲第4番を据えたAプロ。
初期のLPで聴かせてくれた瑞々しさはさすがに薄れていたが、その代わり舞曲の性格はより鮮明になり、遊び心に満ちた佳演だった。
後半は、すみだトリフォニーホールで聴いたBプロと全く同じ。
前回よりもさらに闊達な演奏だった。
とくにジョン・ウィリアムス自作の作品が、とても魅力的。
ハロー・フランシスやオッド・ナンバーズあたりは、今後ギタリストの好個のレパートリーとなることだろう。
そして、アンコールは、この日もフリア・フロリダ。
ひたすら美しい音楽、そして美しい演奏だった。

この美しいバルカローレで、ジョン・ウィリアムスは日本のファンに別れを告げた。
私は聴きながら涙が滲んできて、とても恥ずかしい思いをしたが、涙を流しながらも心の中は不思議に爽やかだった。
ジョン・ウィリアムス様、本当にありがとう。
あなたの聴かせてくれた音楽は、ずっといつまでも私の心の中で生き続けます。

右の画像は、プレミアム席の特典でいただいた、生写真とジョン直筆のサイン。
また家宝がひとつ増えました。
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ジョン・ウィリアムス ギター・コンサート (10/23) @すみだトリフォニーホール

2013-10-27 | コンサートの感想
4年ぶりに、ジョン・ウィリアムスが来日した。
そして、「これぞギターで表現しうる最高の芸術」といいたくなるような素晴らしい名演奏を聴かせてくれた。
しかし、今回の日本公演は特別の意味を持ったツアーだ。
なぜなら、今年いっぱいでジョン・ウィリアムスが引退を表明しており、今回が文字通りのサヨナラ公演だったから。
すみだトリフォニーホールを埋めた聴衆も、きっと万感の思いでジョンの奏でる演奏を聴かれたことだろう。

<日時>2013年10月23日(水)
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>
■ヴィラ=ロボス:5つの前奏曲
■ソル:モーツァルト「魔笛」の主題による変奏曲
■バッハ:シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番より)
■アルベニス:アストゥリアス
■タルレガ:アルハンブラ宮殿の思い出
■ジョン・ウィリアムス:
 ・ステッピング・ストーンズ 第1番
 ・オッド・ナンバーズ
 ・フロム・ア・バード第3番
 ・ハロー・フランシス
■マイヤーズ:カヴァティーナ
■バリオス:ワルツ 第3番
■フィゲレード:ロス・カウハリートス
■カリージョ:星の涙
■カノニコ:エル・トトュモ
(アンコール)
■バリオス:フリア・フロリダ

軽やかにステージに登場したジョンは、とても70歳代とは思えないほど若々しかった。
最初のプログラムは、ヴィラ=ロボスのプレリュード全曲。
第1番は、チェロを思わせる低音の表現力が凄い。
第3番は、思いがけない箇所でミスがあって少し危なかった。しかし、リピートした後、最高音からカンパネラをともなって神秘的に下降するフレーズは鳥肌がたつほど美しかった。
続く第4番は名演。ただ最後の第5番はいささか雑な演奏で、正直いただけなかった。度忘れか即興か分からないが、中間部以降の配列も原曲とは異なる。
次のソルは原曲通り序奏付の演奏。
テーマは、後半の1フレーズがジョン・ウィリアムス流。
バリエーションでは、第4変奏が弾けるようなリズム感で見事だった。

そして、前半のメインは、バッハの聖典シャコンヌ。
この深遠で高貴なシャコンヌを聴けただけでも、この日は十分に値打ちがあった。
「ギターでバッハを、それもシャコンヌをなぜ演奏するのか」という問いに対する最高の答えがそこにあった。
旋律を美しく奏でられて、しかも和声を十分に表現できる。そして、分散和音等においては、他の楽器の追従を許さない見事な表現が可能なのだ。しかし、それはあくまでも可能性であって、今宵のジョンのように演奏することは極めて難しい。
やはり、ジョンはギターの神様だと思い知らされた。
少し技術的なことを備忘的に書いておく。
とにかく左指も右指も本当に動きが小さい。本物の技術とはこういうことなのだ。
前半の連続するスケールの難所を合理的な運指で楽々と弾き切った後、続く長大なアルペッジョを圧倒的な昂揚感で表現してみせた。
アルペッジョの後半では左指が悲鳴を上げる音の跳躍が出てくるが、ジョンは無理な運指を避けてハイポジションだけで弾いていた。(極めて自然な運指に見えたが、これもジョン様マジックかも・・・)
また、再びニ短調に戻った後、録音よりもさらに早い時点から高いAのカンパネラを使っていたのが印象に残った。

後半は、さらに素晴らしい。
ジョン・ウィリアムスの芸術の深さ・広さを満喫させてもらった。
アストゥリアスの最初のEの音が鳴った瞬間、「あっ、これこれ!」という魅惑の世界に引き込まれる。
そして最後の和音は、なんとタンボーラだ! しかし、この余韻の深さを聴かされてしまうと、奇策ではなく真実の発見だと感じてしまう。
その後の「アルハンブラ宮殿の思い出」以降も、「どの曲が」とか「どんな風に」といったコメント無用の名演ぞろい。
ジョンの名人芸に酔いしれているうちに、気が付くと盛大な拍手に応えてアンコールが始まるところだった。
アンコールは、バリオスの「フリア・フロリダ」。
「バリオスの・・・」ではなく、「アグスティン・バリオス・マンゴレの・・・」とフルネームで作曲家を紹介したジョンの謙虚さ・誠実さにも心打たれた。
それにしても、あの「フリア・フロリダ」の美しさは何と形容すれば良いのだろう。
聴きながら、私はずっと幸福感に浸っていた。

前回2009年の来日公演の折、私はこんな風にブログに書いた
「ジョン・ウィリアムス様
来年いや再来年でもいいから、日本で元気な姿をステージで見せてください。
そして、最高のギターを聴かせてほしい。
できることなら、そのときはバッハも聴かせてほしい。
今から楽しみにしています。」

この願い事は、今回すべて叶えられた。
しかも、その時もう一つの夢をブログに書いていたが、それも明日白寿ホールで叶えられようとしている。
「たとえ5割増しの料金であっても中規模のホール~たとえば紀尾井ホールとかカザルスホール・・・~で、一度ジョンの演奏を聴いてみたいと思ったのは、私だけだろうか・・・」

本当に神様に感謝しなければ・・・
右の画像は、終演後に、ニューアルバム「Stepping Stones」に書いてもらったジョン自筆のサインです。
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バッハ:「ヨハネ受難曲」 by バッハ・コレギウム・ジャパン (3/30) @彩の国さいたま芸術劇場

2013-03-31 | コンサートの感想
3月も今日で終わり、明日からは4月というよりも新年度が始まる。
今月は、公私ともに思い出深い月だった。
「公」の部分では、年金の専門誌へ特集記事として寄稿したことが最も大きな出来事。
得難い機会を与えて下さった専門誌の編集部の方には、大いに感謝している。
一方、「私」の部分では、母二人そして私たち夫婦の4人で山形のかみのやま温泉に旅行したことと、娘の婚約というのが2大イベントだった。
高齢の母たちと一緒に旅行するなんて、お互いの予定と健康状態が全てクリアされないと実現できないと思うので、大袈裟な言い方をすれば奇跡的なことだったかもしれない。
でも、旅行そのものも楽しかったし、少しは親孝行ができたかな。
また二つ目の「娘の婚約」も、親としては極めて大きな出来事だった。
とくに父親としては(笑)
でも、贔屓目にみるからかもしれないが、相手はなかなかの好青年だし、いい男性と巡り会えたと喜んでいる。
これらについては、機会をみつけて、もう少し書くつもりだ。

そして、大好きな音楽はというと、今年に入って月一回ペースでコンサートを聴いてきたが、3月も一回だけ実演を聴いた。
その唯一のコンサートが、昨日聴いたBCJのヨハネ受難曲。
私の中で神のような存在であるマタイ受難曲は、もう何回も生で演奏を聴いてきた。
そして、そのたびに涙してきた。
一方、ヨハネ受難曲の方はLPやCDで何十回も聴いてきたにもかかわらず、生で聴くのは実は今回が初めて。
今回の公演は大好きなBCJだし、地元のさいたま芸術劇場で聴けるということもあり、色々な意味で心待ちにしていた。
しかし、この日のヨハネは、私のそんな期待を大きく上回る圧倒的な名演だった。

冒頭の合唱を聴きながら、私は背筋を伸ばし、思わず座りなおす。
それほど厳しい音楽が、眼前で始まっていた。
マエストロの要求に応じて、容赦ないアクセントを伴いながら、贅肉のかけらもない引き締まった表情で音楽は進んでいく。
しかし、厳しくはあっても、決して冷たくならないところがBCJの真骨頂だ。
3番の感動的なコラール「大いなる愛」あたりから、私たちはますますヨハネの深遠な世界に引き込まれていく。
そして、11番の「誰なのですか?あなたを打ちすえるのは」を聴きながら、私は目頭が熱くなった。

第2部は、さらに素晴らしい。
19番のバスのアリオーソの何と感動的だったことか。
野入さんのリュートも文字通り絶品。
何年か前にコルボがラ・フォル・ジュルネでマタイをやったときに、彼女が「甘き十字架」で聴かせてくれた素晴らしい演奏を思い出した。

第22番のコラール「あなたの捕らわれによって、神の子よ」は、まさにこの日のクライマックス。
リヒターのように力強く勇気づけるコラールではない。
しかし、一切の虚飾を排し、ピュアで優しくそしてヒューマンに歌いあげられた彼らの音楽は、今思い出しても震えるほどの感動を覚える。
わずか1分足らずの音楽だったが、生涯決して忘れることはないだろう。

また、悲しみに静かに耐えながらも「成し遂げられた」とアルトが歌う30番のアリアの美しさ、そしてアルトにぴったり寄り添うヴィオラ・ダ・ガンバの素朴な味わいも、私の心に深く響いた。
そして、終曲のコラールの前に置かれた39番の合唱の高揚感は、やはり圧倒的。
マタイの終曲との関連で語られることの多い音楽だけど、私は聴きながらモツレクの「ラクリモーザ」の面影が、ずっと重なっていた。

この日のヨハネは、前述の通り私にとって初めて聴いた実演だったが、本当に凄い音楽、そして凄い演奏だった。
ドライヴをかけて、「どう?感動的な音楽でしょ。しっかり聴いてね」といったわざとらしい表現は、一音たりともない。
自然に湧きあがってくるピュアな音楽が、人をこれほどまでに感動させてくれることに、私はいまさらながら感動した。
集中力を切らさずに空間と時間を最後まで共有できた素晴らしい聴衆、席数こそ600席あまりだけど木の温もりとともに抜群の音響を誇るホール、そして何と言っても献身的な演奏を聴かせてくれたBCJの皆さん、そのすべてに対して、心からありがとうと言いたい。

<日時>2013年3月30日(土)16:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<出演>
■鈴木雅明(指揮)
■ジョアン・ラン(ソプラノ)
■青木洋也(カウンターテナー)
■ゲルト・テュルク(テノール)
■ドミニク・ヴェルナー(バス)
■バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱・管弦楽)
<曲目>J. S. バッハ:ヨハネ受難曲 BWV 245
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秋に聴いたコンサート (その2)

2012-12-30 | コンサートの感想
続けて第二弾。

◎マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団
<日時>2012年11月12日(月)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>ベートーヴェン
■交響曲第4番変ロ長調
■交響曲第3番変ホ長調「エロイカ」
⇒掛け値なしに現在聴ける最高のエロイカ。バイエルン放送響もまさに超一流だった。
そして何と言ってもヤンソンス。このマエストロはやっぱり凄い。
今まで生真面目さが少し気になっていたが、完全に一皮向けた印象。
この日のエロイカは、総じてテンポが速い。特に第1楽章と第2楽章が速い。
しかし、テンポは速いのに間の取り方と呼吸感が抜群だった。
だから、聴きても一緒に呼吸しながら音楽に浸ることができる。3拍子ではなく1拍子で生き生きとフレーズが描かれると言えば、少しわかっていただけるかしら。
第1楽章の最初と最後の音の表情が全く同じであることに、思わずドキっとした。
第2楽章は、フルトヴェングラーのような、慟哭の中を息も絶え絶えになりながら少しでも前に進もうとするような緊迫したドラマ性はない。その代わり、音楽そのもののもつピュアな力は圧倒的だ。これがヤンソンス流。
スケルツォは三連符のリズム感が際立って素晴らしい。トリオのホルンも実に見事。
フィナーレは前に進む推進力よりも、変奏曲であることを大切にした演奏。各バリエーションの描写が本当に上手い。それでいてラストに向けての盛り上げ方も圧倒的で、こんな演奏を聴かされたらたまらない。
エロイカのことばかり書いたが、4番も躍動感溢れる快演。
第1楽章の序奏から主部に入るところの見事さを聴くだけで、レベルの高さが分かる。
ちなみに、この日はどちらの曲も対抗配置。そして、4番のティンパニはベルリンフィルのゼーガースというサプライズ付き。


◎マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団
<日時>2012年12月1日(土)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>ベートーヴェン
■交響曲第8番ヘ長調
■交響曲第9番ニ短調「合唱付」
<演奏>
■指揮:マリス・ヤンソンス
■クリスティアーネ・カルク(S)
■藤村実穂子(A)
■ミヒャエル・シャーデ(T)
■ミヒャエル・ヴォッレ(Bs)
■バイエルン放送交響楽団
■バイエルン放送合唱団
⇒一音たりとも気持ちのこもらない音はなかった。あれだけぎゅっと中身が詰まっているのに、響きは温かい。
不思議なことに涙は出なかったが、こんなに充実感に満たされた第九は滅多に聴けないと思う。
特に第二楽章のホルンは絶品。オンエアされたら是非聴いて下さい。
独唱者のレベルも非常に高い。とくにアルトの藤村さんの歌唱は最高。
また、たった2回の第九の公演の為だけに来日したバイエルン放送合唱団も素晴らしかった。
ブラーヴォ!ブラーヴォ!


◎ケフェレック ピアノリサイタル
<日時>2012年12月4日(火)19:00開演
<会場>王子ホール
<曲目>
■スカルラッティ:ソナタ より 5曲
  イ短調K54,ヘ短調K481,ニ長調K33,ロ短調K27,ニ長調K96 
■モーツァルト:ピアノソナタ第12番 へ長調 K332
■ラヴェル:鏡
■ドビュッシー:喜びの島
(アンコール)
■セヴラック/古いオルゴールが聞こえるとき
■モーツァルト/トルコ行進曲
■ドビュッシー/月の光
⇒我が最愛のピアニストであるケフェレック。春はラ・フォル・ジュルネ、夏は草津でも聴いたので、今回の王子ホールは3回目。
1年に3回もケフェレックのピアノが聴けるなんて、なんて幸せなことだろう。
前半は、意外なくらいテンペラメントに富んだ演奏だった。スカルラッティはそれが吉と出て、モーツァルトはやや粗く感じられた。
後半は草津と同じ選曲。まさに文句のつけようのない名演だ。
今聴ける最高のラヴェルじゃないだろうか。エレガントでいてかつ大胆、そしてファンタジーに溢れてる。
ドビュッシーの喜びの島も絶品。
毎年ケフェレックの素敵なピアノを、その素敵な笑顔とともに当たり前のように聴かせてもらっているが、この幸運に心から感謝しなければいけないとつくづく思う。


◎ツィメルマン ピアノリサイタル
<日時>2012年12月12日(水)19:00開演
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>
■ドビュッシー/版画より
1.パゴダ 2.グラナダの夕べ 3.雨の庭
■ドビュッシー/前奏曲集第1巻より
2.帆 12.吟遊詩人 6.雪の上の足跡 8.亜麻色の髪の乙女 10.沈める寺 7.西風の見たもの
■シマノフスキ/3つの前奏曲(「9つの前奏曲 作品1」より)
■ショパン/ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58
⇒実演のツィメルマンの凄さは数年前の横浜のコンサートでよく知っている筈だったけど、この日も驚愕の演奏。
特に後半が凄い!
シマノフスキも彼の手にかかると第一級の音楽になる。
ショパンは第三楽章の後半あたりからフィナーレにかけて涙が止まらなかった。
ショパンのソナタのフィナーレを、これ程ドラマティックに表現したピアニストがいただろうか。
ツィメルマンのピアノは、音の芯が常に明確であるとともに響きが絶対に痩せない。
中低音の豊かさが、音楽の豊かさに結びついていると思う。
私と同学年のツィメルマン。今回も大きな刺激と勇気を私にくれた。
よし、私も頑張るぞ!


◎カンブルラン&読響
<日時>2012年12月22日(土)18:00開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」
<演奏>
■指揮:シルヴァン・カンブルラン
■ソプラノ=木下美穂子
■メゾ・ソプラノ=林美智子
■テノール=小原啓楼
■バリトン=与那城敬
■合唱:新国立劇場合唱団
⇒今年最後のコンサート。改修後の芸劇も初めてだし、読響を聴くのも1年半ぶり。
カンブルランの第九はとにかくテンポが速い。特にスケルツォの中間部あたりは記録的な速さだ。アダージョも速めのテンポだったが、音楽が実にいい感じで横に流れるので、とても心地よい。
終楽章は器楽のフガートで空中分解しそうになるが、寸前のところで踏みとどまり合唱へ。この合唱が圧倒的に素晴らしかった。
生命力に溢れた力強い歓喜の歌が、全てを救ってくれた。新国立劇場の合唱団って、こんなに凄かったのか。
「第九は合唱で決まる」とつくづく思い知らされる。
オケの団員が退場した後、合唱団が続いて退場する時に、客席から改めて大きな拍手が起こった。
やはり、この日の聴衆は同じ印象を持っていたんだ。
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秋に聴いたコンサート (その1)

2012-12-30 | コンサートの感想
今年も残すところ、あと1日あまり。
ブログも書きたいことは沢山あったのに、またまた生来のサボリ癖が出て殆んど書けずじまい。
ただ今年の10月以降聴いたコンサートは素晴らしい名演ばかりで、これは自分の備忘録としても書いておかねばと思い、まとめて書くことにした次第。
まず第一弾。

◎ウィーン国立歌劇場日本公演
リヒャルト・シュトラウス 歌劇「サロメ」
<日時>2012年10月14日(日)15:00開演
<会場>東京文化会館
<出演>
■サロメ:グン=ブリット・バークミン
■ヨカナーン:マルクス・マルカルト
■ヘロデ:ルドルフ・シャシンク
■ヘロディアス:イリス・フェルミリオン
■ナラボート:ヘルベルト・リッペルト
■小姓:ウルリケ・ヘルツェル
<指揮>ペーター・シュナイダー
<演出>ボレスラフ・バルロク
⇒歌手はほとんど知らないし、その上、指揮者もウェルザー・メストから急遽交代。
しかし、ウィーンのサロメはびくともしない。「これぞサロメ!」というかけがえのない濃密な世界を体験させてもらった。
やはりサロメはオケが主役なんです。
加えて、シュナイダーはウィーンで何度もサロメを手掛けてこのオペラの真髄を知り尽くしているし、サロメ役のバークミン以下歌手たちも、私が知らないだけで皆実力派揃い。
今まで私が観た中で、文句なく最高のサロメだった。


◎ティーレマン&ドレスデン・シュターツカペレ
<日時>2012年10月26日(金)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛の死
■ブルックナー:交響曲第7番ホ長調
⇒なぜティーレマンが当代きっての人気指揮者と言われるのか、それを思い知らされたブルックナーだった。
極めて丹念に彫刻された音楽に耳を傾けているうちに、次第に速いのか遅いのかすら分からなくなってくる。
やがて自分の体がふわりと空中に浮きあがり、あとはティーレマンのなすがままといった状態に・・・。
そして気がつくとフィナーレが終わっていた。
彼の音楽がこれほど強い陶酔感をもたらしてくれるとは想像もしていなかった。フルトヴェングラーの実演は、ひょっとしたらこんな感じだったのかもしれない。
かつて、アバドのマーラーを聴いて、同じように空中浮遊に近い感覚を味わったことがあるが、決定的に違うのはアバドの音楽には絶対毒がないと信じられたこと。
ティーレマンの場合は、ひょっとしたら毒饅頭かもしれないと思いつつ、それで死ねたら本望と感じさせる魔力があった。
ウィーンフィルが、いま最も一緒に演奏したいマエストロとしてティーレマンの名前を挙げていたことも頷ける。
凄いものを聴いてしまった。


◎小菅優&シェレンベルガー
<日時>2012年11月2日(金)19:00開演
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>モーツァルト
■歌劇「イドメネオ」序曲
■ピアノ協奏曲第21番ハ長調
■ピアノ協奏曲第23番イ長調
■交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
<演奏>
■小菅優(ピアノ)
■シェレンベルガー(指揮)
■カメラータ・ザルツブルク
⇒凄い体験をさせてくれたティーレマンのブルックナーからちょうど一週間後に聴いたコンサート。
大好きな小菅さんのピアノと、これまた大好きなシェレンベルガーが組んでモーツァルトを演奏すると聴いたら放っておけない。
小菅さんのピアノは、いつもに増して多彩な表現と即興性で楽しませてくれた。
一方のシェレンベルガーたちの本領発揮は、最後のジュピター。
第二楽章のテンポは史上最速じゃないかと思うくらい速かったけど、せかせかした感じは皆無。細かなリズムに捉われずに大きな塊で音楽を捉える感性が実に魅力的。そしてフィナーレがこれまた見事。
聴き終わって、とても幸福感に浸れた。


◎ドニゼッティ:歌劇「ランメルモールのルチア」(コンサート形式)
<日時>2012年11月12日(月)19:00開演
<会場>サントリーホール
<出演>
■ナタリー・デセイ(S) ルチア
■ウラジスラフ・スリムスキー(Br) エンリーコ
■エフゲニー・アキーモフ(T) エドガルト
<演奏>
■ワレリー・ゲルギエフ(指揮)
■マリインスキー歌劇場管弦楽団
⇒コンサート形式のルチア。しかし、あのデセイのルチアが聴けるんだから、贅沢は言えない。
心ときめかせて開演を待っていた。
コンサート形式のオペラで、前から2列目の席をゲットできたメリットは計り知れない。
息遣いもはっきり聴こえるような近いところで、デセイがルチアを歌ってくれている。
それだけでドキドキしたが、この日のデセイは文字通り鬼気迫るものがあった。
彼女の声がピークを過ぎたとかいう人もいるが、ルチアになりきったその迫真の歌唱を聴かされたら(演技の力を借りれないにも関わらず)、デセイこそ当代随一のルチアと認めざるを得ない。
メトの来日公演で、ダムラウの清純なルチアに涙した私だが、やはり本家はここに居た。
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ポリーニ・パースペクティヴ 2012 (11/7)  ベートーヴェン:「ハンマークラヴィーア」ほか

2012-11-18 | コンサートの感想
めっきり秋らしくなってきた。
日が短くなったし、朝夕の気温も下がってきたので、そろそろコートの出番も近そうだ。
仕事では相変わらず出張が多く、緊張を強いられる場面も多いが、オフは音楽とお酒でモードチェンジ。

昨夜は解禁日に届いていたボジョレー・ヌーボーを堪能させてもらった。
銘柄はすでに我が家の定番になったフィリップ・パカレ。
やっぱり美味しい・・・
このボジョレーには毎年裏切られたことがないが、今年も本当に素晴らしい。
ボジョレーがこんなにエレガントでいいんだろうか。
とにかく、飲むほどに幸せを運んできてくれるワインだ。

さて、私のもうひとつのモードチェンジである音楽だけど、秋に入ってから仕事の間隙を縫っていくつかコンサートを聴いた。
ウィーン国立歌劇場の「サロメ」、ティーレマンとドレスデンシュターツカペレのブルックナー、小菅さんとシェレンベルガーのモーツァルト、デセイのルチア等、それぞれが記憶に残る名演揃いで、音楽を聴けることの喜びをあらためて実感している。
機会をみつけてそれぞれ感想を書くつもりだけど、中でも素晴らしかったのが、7日に聴いたポリーニのベートーヴェン。

オーバーな言い方かもしれないが、私が実演で聴いた最高のピアノ演奏だった。
いや、ピアノに限らず、今まで聴いた実演の中でも5指に入る感動的な演奏だった。
10日以上経った今も、その感動は薄れるどころか、ますますはっきりした形で私の心の中に刻み込まれている。

この日の席は、サントリーホールP席の最前列。
この席は演奏者の表情や息遣いがよく感じられるので、実演を聴く以上「ホールに入れば、聴衆と言う名のプレーヤー」のつもりでいる私にとって、大のお気に入りの席。
ただ、とくにピアノの演奏は、蓋の関係もあって総じて音が良くない。
しかし、私は自分の中でひとつの賭けをしていて、「確かに音は良くないかもしれない。しかし本物の名演奏であれば、そのハンデを超えて必ず自分の心に響くはずだ。今回のポリーニは絶対私の心に強く響くはず」と。
そして、その賭けは当たった。
それも、私の予想をはるかに超えて・・・。

しかし、この日は、申し訳なくなるほど聴衆の入りが悪かった。
安い方の席は大半が埋まっているが、高い席は1階中央部分を除いて閑散としていた。
全体で6割程度だろうか。

前半は、ジャック四重奏団のラッヘルマンの「クリド(叫び)」で始まった。
この曲のことはおろか、作曲者のラッヘルマンのことも全く知らなかったが、とても面白い曲。
弦楽器のフラジオレットの効果を活かした緊張感の高い作品で、ジャック四重奏団の超絶的な名演奏もあって楽しませてもらった。
およそメロディなんてものは存在しないが、音楽が十分に呼吸していて、それが興味深く聴けた原因かもしれない。
前座と言うには、あまりに失礼なくらい素敵な演奏だった。
その後ポリーニが登場して、ベートーヴェンの28番のソナタを弾いてくれたが、第三楽章の祈りのような表現以外、正直あまり印象に残っていない。
やはり、P席ではポリーニの素晴らしさを味わえないのかと、幕間は少し落胆していた。

そして、迎えた後半。
いよいよ、ポリーニのハンマークラヴィーアが始まった。
前半の28番のときとまったく違う。
冒頭のあの響きを聴くだけで、既に王者の風格が漂っていた。
ただならぬ気合いに満ちているにもかかわらず、決して空回りしない。
ベートーヴェンの音楽に対するポリーニの真摯な姿勢が、豊かで温かい響きとなってホールを満たしていった。
「ポリーニのピアノが豊かで温かい?」と驚かれる方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、あのハンマークラヴィーアの演奏は、豊かで温かいとしか言いようがなかった。
「全てに亘って完璧。しかし音楽の温度はいささか低い。」という嘗てのポリーニのイメージが、既に過去のものであることを思い知らされる。
完璧を求め続けた不丗出の巨匠がたどり着いた世界は、信じられないくらい豊かで温かく、そこには真摯に音楽に向き合った人間だけが表現できる魂の叫びのようなものが存在していた。

圧倒的な技術も、経験も、研ぎ澄まされた感性も、そのすべてが真摯な気持ちとともに、ベートーヴェンの音楽にひたすら奉仕している。
こんな演奏を聴かされて感動しないわけがない。
第三楽章、アンダンテソステヌートの、ピュアで深い表現を私は決して忘れないだろう。
そして、終楽章。
天から舞い降りてきたかのような美しい「センプレ・ドルチェ・カンタービレ」の主題とその後のフガートの何と感銘深かったことか。
私は、いつまでもこの幸せな時間が続いてくれることを、祈らずにはいられなかった。
最後の和音を響かせて長大なハンマークラヴィーアが終わった後、私は涙が止まらなかった。

かつて同じサントリーホールでアバドが聴かせてくれたマーラーの6番を聴きながら、この日と同じような震えるような感動を味わったことを思い出す。
そのときのアバドたちの演奏も、恐ろしいほどの透明感を基本にしつつ、ヒューマンな温かさに満ちていた。
だから、マーラーの音楽が、いつも以上に生々しく聴き手の心を鷲掴みにした。
この日のポリーニのベートーヴェンは、そのときのアバドたちと比べても優るとも劣らない。
彼が奏でてくれたハンマークラヴィーアは、私たちの心の中で、ずっと生き続けることだろう。
そして、いつの日か「伝説の名演奏」と言われるに違いない。
聴衆は決して多くなかったけど、いつまでも鳴りやまない拍手と全員の熱いスタンディングオベーションが、何よりの証左だ。

生きてて良かった。
そして向こう何十年も、この日の感動で生きていける。
私は心からそう思った。

☆ポリーニ・パースペクティヴ 2012
<日時> 2012年11月7日(水)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ラッヘンマン:弦楽四重奏曲第3番「グリド(叫び)」
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 op. 101
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op. 106 「ハンマークラヴィーア」
<演奏>
■マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
■ジャック四重奏団
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庄司紗矢香&カシオーリ デュオ・リサイタル(10/7) @彩の国さいたま芸術劇場

2012-10-08 | コンサートの感想
先週後半は大阪出張だった。
今回ほど悪い体調で臨んだ出張は、ほとんど記憶にない。
前兆らしきものはあったのだけど、次第に頭痛と喉の痛みが激しくなり、熱も相当あったと思う。
絶対外せない出張だったので無理を覚悟で決行したものの、肝心の金曜日の行政折衝のときには、ほとんど声が掠れてでない最悪の状態に。
しかし、何が幸いするかわからない。
熱のせいで目も据わっていたと思うし、きっとどすの利いた声に聴こえたことだろう。
「○○という解釈で、何とか△△の取り扱いを認めていただけないか」と出ない声を振り絞って懇請した私をみて、「よくわかりました。私の権限で認めます」と即答してくれたのだ。
相当難度の高い案件だったので、本当に嬉しかった。
ただ、その一瞬で体が燃え尽きてしまったらしく、帰りの新幹線では爆睡。
帰宅後も体調は一向に回復せず、6日の朴葵姫さんのギターリサイタルは涙を飲んでキャンセル。
とても楽しみにしていただけに、本当に残念。

そんな体調だったけど、このコンサートだけは何としても聴きたいと思って出かけたのが、昨日の庄司さんのリサイタル。
当初オール・ベートーヴェンプロの予定だったが、かなり大胆に曲目変更されている。
たしかにベートーヴェンを集中的に聴いてみたい気持ちもあるが、このプログラムなら私的には満足だ。

この日、庄司さんは、淡いピンクの衣装でステージに登場。
日本一の庄司さんファンを自認されているM氏のお話によると、新しいドレスらしい。
会場は休日の午後ということもあって満員。
やはり庄司さんの人気は凄い。

冒頭におかれた曲はヤナーチェクのソナタ。
村上春樹さんの「1Q84」ですっかり有名になったヤナーチェクだが、7~8年前まで私にとってどうもしっくりこない作曲家だった。
それが、当時読響のシェフをしていたアルブレヒトの一言で理解できた。
アルブレヒトは、あるレクチャーコンサートで、聴衆にこう説明したのだ。
「ヤナーチェクの音楽は、ビター味のチョコレートのようなものです」
私は思い切り腹落ちした。ヤナーチェクの音楽を素直な気持ちで楽しめるようになったのは、このときからだ。
庄司さんの演奏は、アルブレヒトの言葉を体現するものだった。
とくに終楽章が、ガラス細工のような繊細な美しさと、それを否定するかのような苦みの両面を鮮やかに使い分けていて、実に見事だった。
ベートーヴェンは、立派な演奏だったが、正直あまり印象に残っていない。

後半は、ドビュッシーで始まった。
庄司さんお得意の意外性が随所に発揮されていて、興味深かった。
ここは歌わせるはずだと思う箇所であっさり系の表現をしたかと思えば、思い切ったアーティキュレーションで驚かせてくれた。
またカシオーリのピアノが素晴らしい。
前半では音の粒立ちのよさが際立っていたが、後半のドビュッシーでは色彩感が何とも見事だ。
庄司さんの意図と上手くマッチしていたのではないだろうか。

そして、この日最も素晴らしかったのが、最後のシューマン。
以前トリフォニーホールで、ルノー・カプソンとアルゲリッチの協演を聴いたことがあるが、そのときはあまりにピアノの存在感が大きすぎて、いささか異質なシューマンだと思った。
その点、庄司さんとカシオーリのコンビでは、まったくそんな懸念はない。
緊密なアンサンブルを基軸にしながら、意外なくらい情感豊かに奏でられたシューマンだった。
シューマンはこのくらい濃密にやってもらわないと、欲求不満が残る。
終楽章だけは、もう少しスリリングな演奏が好きなんだけど・・・

鳴りやまない拍手に応えて、アンコールは2曲聴かせてくれた。
とくに2曲目に弾かれたシュニトケのパントマイムが印象に残っている。
全力を出し切って泳いだスイマーが、最後にクロールでゆっくりゆっくり流しているかのような音楽。
あのシュニトケの音楽とは、ちょっと聴いただけではわからないだろう。
途中ヴァイオリンがお約束の不協和音を奏でても、まったく違和感を感じない。
「この日のコンサート、お楽しみいただけたでしょうか」と庄司さんたちからのメッセージのように私には感じられた。
そして、そのメッセージは確実にこの日の聴衆に伝わっていたと思う。
だって、終演後のサイン会の行列が半端じゃなかったから・・・

この日は生憎の体調だったので、会場でminaminaさんはるりんさんにお目にかかったが、挨拶しようにも肝心の声が出てこない。
大変失礼しました。
本当はサイン会も打ち上げもご一緒したかったのだけど、果たせず早々に帰宅することに。
返す返すも残念。
次回は是非とも・・・

<日時>2012年10月7日(日)15:00開演
<会場>彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
<曲目>
■ヤナーチェク: ヴァイオリン・ソナタ
■ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調 作品96
■ドビュッシー: ヴァイオリン・ソナタ ト短調
■シューマン: ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 作品121
(アンコール)
■バッハ:「音楽の捧げもの」からカノン風フーガ
■シュニトケ:「古典様式による組曲」からパントマイム
<演奏>
■庄司紗矢香(ヴァイオリン)
■ジャンルカ・カシオーリ(ピアノ)
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A.ケフェレック ピアノリサイタル イン 草津 (8/24)

2012-09-02 | コンサートの感想
随分、ご無沙汰しております。
色々あったのは事実ですが、やはりサボり癖が治らないんだなぁ。
反省しきりでございます。

さて、先週2年ぶりに草津へ行ってきました。
目的は、もちろん草津温泉と音楽祭。
2年前は、タマーシュ・ヴァルガの素晴らしいチェロを堪能したが、何よりも天皇皇后両陛下ご列席のコンサートだったことが印象に残っている。
さて、今年音楽祭で聴いたのはケフェレックのピアノ。
何度も書いているように、現役のピアニストで私が最も敬愛するピアニストの一人だ。
5月に東京のラ・フォル・ジュルネで、珍しいロシア物を聴いたばかりだが、今回はお得意のレパートリーで妙技を披露してくれた。


コンサートの直前には、アルペンホルンの素朴な響きが、聴衆の心を和ませてくれる。
絶好の晴天に恵まれたこともあって、庭の芝の緑が目にも鮮やかだ。
夏の音楽祭の素晴らしさを、開演前から満喫させてくれる。

そんな中、開演時間になった。
演奏に先立って、音楽プロデューサーの井阪紘さんが、ケフェレックの録音を担当し始めたころのエピソードを紹介してくれた。
面白かったのは、デビュー間もない頃の彼女の録音をリリースするにあたり、ジャケットが気に入らなかったとかで、新たにケフェレック嬢の写真を撮ってジャケットに使ったという話。
そのときのLPレコード(シューベルトのアンプロンプチュほか)がロビーにも展示されていたが、その姿の何と可憐なこと。
私たちがすぐに思い浮かべる「清楚なマドモアゼル」のイメージそのものだ。
しかし、その後○十年経過した現在のケフェレックさんも、本当にチャーミング。
人間、こんな風に齢をとりたいものだとつくづく思う。

話が横にそれてしまったが、井阪さんの話が終わると、大きな拍手に迎えられながらケフェレックがステージに登場。
前半は、モーツァルトのピアノソナタとベートーヴェンの「月光」。
ケフェレックのモーツァルトというと、6年前にラ・フォル・ジュルネで聴いたソナタ集が忘れられない。
どちらかというと地味なK.311のアンダンテを聴いて、私は涙が止まらなかった。
こんな素晴らしいモーツァルトを生で聴かせてくれるピアニストが、この時代にいてくれるることに、私は大きな喜びと幸せを感じた。
それ以来、彼女が来日したときのコンサートには、時間が許すかぎり聴いている。

さて、この日のモーツァルトは変ロ長調のソナタ。
細かな装飾音符が珍しく団子になる場面が散見されたが、あの魔法のような多彩なタッチは健在。
しかし、前半の白眉は、次の「月光」だった。
これは本当に素晴らしかった。
暗めの音色で、静かに静かに弾き進める。
この静寂は、まるで夜明け前の街のようだった。
そして、そこに一つまた一つという風に、あの絶妙のタッチで灯りがともされていく。
灯りがともされるのは、絶対電灯ではなく、ガス灯だ。
こんなイマジネーションを感じさせてくれるほど、彼女の演奏は詩的で美しかった。
静けさから俄かに動きが出てきた第二楽章を経て、フィナーレは文字通り情念が迸るような演奏。
今まで私が実演で聴いた月光の中でも、最高の演奏だと断言できる。

後半は、ラヴェルとドビュッシー。
どちらも、眩いばかりに輝く演奏で魅了してくれたが、とくにラヴェルが絶品。
有楽町の東京国際フォーラムで聴いたときも凄いと感じたけど、この日の演奏はそれを凌ぐ素晴らしさ。
この多彩な音色と、しなやかな感性で彩られた「鏡」を聴いたら、きっとラヴェルもスタンディングオベーションで称賛しただろう。
ところで、この日の私の席は、ケフェレックのタッチがよく見える席だったので、「あっ、こんな風に弾いているんだ」と秘密の一端を垣間見れたような気がして、何だか嬉しかった。

そして、最後に弾いてくれた2曲のアンコールが、これまた素晴らしい。
ケフェレックの弾くアンコールは、いつも感心するのだけど、この日の2曲も聴衆の心をつかんで離さない演奏だった。
ヘンデルの高貴な美しさ、少しアンニュイな雰囲気を漂わせたサティ、ともにこの日のコンサートを一層忘れられないものにしてくれた。
こんな素晴らしいコンサートを聴かせてくれたんだから、絶対サインをしてもらおうとロビーで待っていたが、旅館の送迎バスが来てしまい、残念ながら果たせなかった。

12月に王子ホールで再びケフェレックの演奏を聴くことができるので、今回の忘れものは、そのときまでお預けと言うことにしよう。

A.ケフェレック ピアノリサイタル
<日時>2012年8月24日(金)16時開演
<会場>草津音楽の森国際コンサートホール(使用ピアノ:ヤマハ)
<曲目>
■モーツァルト:ピアノ・ソナタ 変ロ長調 K.333(315c)
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 嬰ハ短調 作品27-2「月光」
■ラヴェル:鏡
■ドビュッシー:喜びの島
(アンコール)
■ヘンデル:メヌエット (組曲 HWV434 ト短調より)
■サティ:グノシェンヌ 第1番
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庄司紗矢香&大野和士/都響(6/19) @東京文化会館

2012-06-24 | コンサートの感想
嵐の中のコンサート。
今思い出しても、本当に感動的なコンサートだった。
このコンサートがあることも私はよく知らなかったので、誘ってくださったminaminaさんには、ただただ感謝です。

冒頭のシェーンベルクは、とにかく弦の響きが美しい。
単に音が澄んで美しいというよりも、各セクションが絡み合う中で色彩感に富んだ美しさを醸し出している。
弦に定評がある都響だけど、これほどの魅力をもっているとは思わなかった。
大野さんの音楽作りも、精妙でかつ官能的。

2曲目は、庄司さんをソリストに迎えてのシマノフスキのコンチェルト。
シマノフスキと言えば、何年か前に横浜で聴いたツィメルマンの「ポーランド民謡の主題による変奏曲」が凄い演奏だった。
とにかく濃密で、聴きながら何度となく強い陶酔感に浸ったことをよく覚えている。
この日のヴァイオリンコンチェルトも、そのときのツィメルマンに劣らず凄い演奏だった。
何と言っても庄司さんのヴァイオリンが素晴らしい。
彼女のヴァイオリンは、無色透明とは対極にある意思の強さを感じさせることが特徴だが、この日の彼女のヴァイオリンは妖しいまでの輝きを放ち、そして自在に舞っていた。
まるでリヒャルト・シュトラウスのオペラを聴いているかのような瞬間もあって、すこぶる楽しませてもらった。
大野さんのサポートも絶妙。
優しく包み込む一方で、必要があれば対峙することも厭わない。
だからこそ、音楽が平板にならず、起伏に富んだ濃厚なものになっていた。

休憩を挟んで、後半はバルトークのオケコン。
前半の出来からして大きな期待をもって聴き始めたが、文字通り圧倒的な演奏だった。
この完成度の高さは、驚異的だ。
あの部分が、この部分が・・・なんて次元を超えている。
日本のオケもここまできたのかと、深い感慨を覚えた。

ここまでオケの力、ソリストの魅力を引き出せたのも、やはり大野さんの力だろう。
音楽を塊でとらえないで、一度バラバラにしたものを再構築し、色彩豊かに表現してくれる。
そして、何よりも素晴らしいのは、音楽が常に生気をもっていること。
その結果、音楽は斬新で、抜群の鮮度で聴衆に提供される。
大野さんが外国で高い評価を得ている理由も、よく理解できた。

このコンビ、いやソリストとして庄司さんにも入ってもらってトリオの形で、是非また聴かせてほしい。
楽しみがまた一つ増えた。



<日時>2012年6月19日(火)19:00開演
<会場>東京文化会館
<曲目>
■シェーンベルク:浄められた夜
■シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第1番
■バルトーク:管弦楽のための協奏曲
<演奏>
■指揮:大野和士
■ヴァイオリン:庄司紗矢香
■東京都交響楽団


コメント (2)
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ヒラリー・ハーン&P・ヤルヴィ(6/7) @サントリーホール ブルックナー:交響曲第8番他

2012-06-10 | コンサートの感想
村上春樹のべストセラー小説「IQ84」が文庫化されたので、遅まきながら読んでいる。
ようやくBook3の前篇まで読み終えた。
残すところ、あと1巻だ。
今すぐにでも読みたいけど、じっと我慢して明日からの愉しみに残しておこう。

さて、昨日に続いてパーヴォ&フランクフルト放送響のコンサートの感想を。
二日目となる7日のメインは、ブルックナーの8番。
私はこのシンフォニーが心底大好きなんだけど、実演ではなかなか震えるような感動に出会わない。
私がこのブルックナー畢生の大作で大事にしたいポイントは大きく3つある。
ひとつは、ブルックナーの生命線ともいえるオルガンのような響きが感じられるか、
二つめは第一楽章冒頭の「タターン」というモティーフが全曲を通して貫かれているか、
そして最も大切にしたいのは全体のバランス。
バランスと書いてしまうと、各楽器間の音量のことだけのように思われるかもしれないが、勿論それだけではない。
私が大切にしたいのは、全4楽章を通した音楽の設計だ。全体の見通しという方が適切かもしれない。
部分部分に感情移入し過ぎて前後のつながりが不自然になってもらっては困るし、何よりも音が団子になってほしくない。
だからと言ってドライな演奏は大嫌い。絶対に血の通った温かい音楽であってほしい。
こんな気難しい注文をつけるので、なかなか心を揺さぶられる演奏に出会わないのかもしれない。

さて前置きが長くなってしまったが、この日のパーヴォたちの演奏は、先述の3条件を当然のことのようにクリアしていた。
横浜公演では不調を伝えられたブラスも、この日は快調。木管もとても上手い。
弦もウィーンフィルやコンセルトヘボウのような際立った個性こそないものの、その力強く暖かい音色はいかにもブルックナーに相応しかった。
加えてマーラーの感想でも書いたように、音楽を大きなうねりの中で見事に構築していくパーヴォのシェフとしての腕前は、ブルックナーでも健在。
これだけ揃えば、「今回はさぞかし大感動だったでしょう」と言われそうだけど、実は心震えるようなブルックナーとまでは行かなかった。
何故なんだろう。
ラストの余韻が残っているにも関わらず、全てをぶち壊すような拍手があったことも一因かもしれない。
でもそれだけじゃないような気がする。正直自分でもまだ分からない。
私自身の音楽の感じ方の問題かもしれないので、もう少し考えてみたい。
ただ、ホールを埋めつくした聴衆の反応も、前日のマーラーの時とは異なり、いささか醒めていたように思われた。

一方、前半のヒラリー・ハーンは、文句なく素晴らしかった。
この人のコンサートで裏切られたことは、ただの一度もないのだけど、この日もひたすら感動的な演奏を聴かせてくれた。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が、これほど儚くも美しく感じたことはなかった。
どんなフレーズも、いかなるパッセージも、彼女の手にかかるときわめて自然にかつ誠実に響く。
この自然さこそがヒラリーの最高の美質だと私は確信しているが、それが最高の形で結実したのが、アンコールで聴かせてくれた2曲のバッハだった。
このバッハを聴いて、心動かされなかった人はいないと思う。
音の美しさ、サントリーホールの隅々にまで響きわたる遠達性という点において、彼女のヴァイオリンは既に比類ないレベルに達している。
加えて、ウェットな質感を保ちながら自然に淡々と弾かれるスタイルの中で、バッハの神々しさが一層はっきりと見えてくるといったら言い過ぎだろうか。
高貴にしてピュア、しかも自然な形で奏でられる彼女のヴァイオリンを聴けることは、私にとって最高の贈り物だ。
ヒラリーさん、今年も素晴らしい演奏を聴かせてくれて本当にありがとう。

終演後、先輩と聴きに来られていたminaminaさんと軽く一杯。
感動的な演奏の後で飲むビールは、やはり最高です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

<日時>2012年6月7日(木)19時開演
<会場> サントリーホール
<曲目> 
■メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調
■ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調 
(アンコール)
■バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番より「グラーヴェ」
■バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番より「アレグロ」
<演奏>
■ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
■パーヴォ・ヤルヴィ指揮
■フランクフルト放送交響楽団
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アリス・紗良・オット&P・ヤルヴィ(6/6) @サントリーホール マーラー:交響曲第5番他

2012-06-09 | コンサートの感想
今週は、2日続けてパーヴォ・ヤルヴィ率いるフランクフルト放送響の来日公演を聴いた。
2日続けて平日のコンサートというのは、仕事のやりくりという点でもさすがに大変。
でも一昨年のブルックナーの7番があまりによかったので、「夢よもう一度」という気持ちでチケットを入手した。
一日目はマーラーの5番、二日目はブルックナーの8番という大曲をメインに据えたプログラムは、ボリューム満点。
しかも、メインの曲の前に、それぞれアリス・紗良・オット、ヒラリー・ハーンという若き人気ソリストを立てたコンチェルトがあったので、文字通りのフルコースを味わうことに・・・。

まず第一日目の感想から。
この日前半のソリストは、アリス・紗良・オット。
彼女のピアノは、目指すものが非常にはっきりしている。
その実現のためには絶対妥協しないし、「自分の今の技量の範囲内でベストを」なんて発想は、そもそも彼女の辞書に存在しない。
自分の信じた道を、ひたすら突っ走る。(ひたすら歩くのではない!)
そして、その目指すものが、聴衆にもちゃんと伝わる。
これは簡単そうで、実は大変難しいことだ。
そんな彼女の資質が最もよく表れていたのが、アンコールで弾いた「ラ・カンパネラ」。
この曲で見せてくれたテンペラメントは、若い頃のアルゲリッチに似ていなくもない。
さすがに音楽のスケール感や凄みという点では大先輩に及ばないが、私は、彼女の潔さ、気風のよさが大いに気に入った。
リストのコンチェルトのほうは、さすがに少し主張を抑えていたようにも感じるが、それでもヤルヴィとフランクフルト放送響の温かいサポートの中で十分に羽ばたいていたと思う。
ただ、この日アリスは例によって裸足だったようだが、私の座っている席からはよく見えなくて、その点だけが残念(笑)

そして休憩を挟んで、後半はいよいよメインのマーラー。
チューニングが始まろうとしているのに、管楽器のメンバーの何人かがいない。
おいっ、大丈夫か?
そんな心配をしはじめた途端、遅れたメンバーが慌ててステージに登場。
間に合って良かった。

「パパパパーン (休) パパパパーン (休) パパパパーン・・・」
この第1楽章冒頭の有名なフレーズを、首席トランペット奏者が緊張感を保ちながら見事に吹いてくれた。
とくに素晴らしかったのが、パパパ・パーンという音型に挟まれた四分休符。
どこに感心しているんだと言われそうだけど、これほど弾力性をもった音楽的な休符の表現は聴いたことがない。
故吉田秀和氏が名著「世界の指揮者」の中でお書きになっていた、ライナー&シカゴ響の「運命」のスケルツォを、目の当たりにしたような感じがした。
この首席奏者の腕前も勿論だが、パーヴォ・ヤルヴィのリズム感の良さとオーラが成せる技だと思う。
そして第2楽章を聴く頃には、私はもうすっかり彼らのマーラーの音楽に酔っていた。
中でも印象に残っているのが、展開部の最初の方でティンパニの最弱音のトレモロをバックにチェロがユニゾンで奏でる部分。
このトリスタンとイゾルデを思い出させるような哀愁に満ちた旋律を、彼らは何と温かく表現してくれたことか。
ラストのハープ~チェロ&コンバス~ティンパニと受け継がれる最弱音の音もきわめて鮮烈。

第3楽章では、コントラバスの横に移動して、その場所で立ったまま吹いたホルンのソロが絶品。
トュッティのホルン、トランペット、トロンボーン等の金管も輝かしく、管楽器は繊細でかつ華麗。
既にフィナーレの高揚感を先取りしているような、実に見事な演奏だった。
アダージェットは、弱音の美しさが際立っていた。
また、これだけ息の長いディミヌエンドが上手く表現できるオケも珍しいだろう。
そして前述した休符の雄弁さは、この楽章でも健在だった。
ということは、やはりパーヴォの力か・・・。

呼吸することもためらわれるような最弱音・沈黙から、「目を覚ませ」とばかりに、ホルンがファゴットがそしてオーボエが、それぞれのモティーフを奏でてフィナーレが始まった。
この楽章でも、パーヴォの設計の見事さに驚かされる。
オーケストラが完璧に鳴り切った爽快感、すべての音が聞こえてくるかのようなバランスのよさが心地よい。
それでいて、サウンドは決して冷たくない。
聴いている自分がふっと浮き上がって、気がつくと音楽の大きなうねりの中に身を委ねていた。
こんなマーラーを体験したのは、ひょっとするとアバド&ルツェルンの来日公演以来かもしれない。

終演後、楽員全員が舞台から退場するまで、いや退場しても聴衆からの大きな拍手は鳴りやまなかった。
そして、鳴りやまない拍手に応えるようにマエストロが再登場すると、ブラーヴォの声とともに一段と大きな拍手が起こる。
決して誰かが煽ったわけではなく、自然発生的にそんな状況になったところが何とも素晴らしい。
それほど、感動的なマーラーだった。

P.S
アンコールは、ブラームスのハンガリアンダンスの5番と6番。
中でもヴィブラートを極力排した6番の表現が面白かった。
まるでドイツカンマーフィルの大編成版みたい。
パーヴォは、本当にどんなアプローチも出来る人です!

<日時>2012年6月6日(水)19:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
■マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
(アンコール)
■リスト:「ラ・カンパネラ」
■ブラームス:ワルツ第3番
■ブラームス:ハンガリー舞曲第5番、第6番
<演奏>
■アリス=紗良・オット(Pf)
■パーヴォ・ヤルヴィ指揮
■フランクフルト放送交響楽団
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イェルク・デームス ピアノリサイタル(5/19) @東京文化会館

2012-05-27 | コンサートの感想
先週は金環日食で始まった。
しかし、ビルの18階という絶好のロケーションに居ながら、西側に面した自席で仕事をしていた私は、残念ながらこの歴史的な金環日食を観ることができなかった。
ただ、徐々に暗くなっていく様子や、少し肌寒くなることは体感できたので、それで良しと言うことにしよう。

さて、金環日食の少し前、19日の土曜日に聴いたイェルク・デームスのピアノコンサートの感想を・・・。
昨秋、歌曲の伴奏をするデームスのピアノを聴いたが、ときに優しく寄り添い、ときに強い調子でソプラノを励ましながら、味わい深い音楽を奏でてくれた。

ソロはどうなんだろう。
プログラムもバッハからドビュッシー、フランクといった彼の得意のレパートリーだけに、大いに期待して上野の文化会館に向かった。
冒頭におかれたバッハのパルティータを聴いて、まず感じたのはバスの力強さ。
太い音でぐいぐい音楽を引っ張っていく。バッハを聴いてこんな風に感じることは珍しい。
細かな部分にフォーカスすれば、気になる箇所も確かにあった。
装飾音符もそうだし、声部の描き方も、最初はきっちり各声部を弾き分けるが、徐々に内声部がぼやけてくる。
しかし人間の耳は不思議なもので、たとえば内声部が途中で多少ぼやけてきても、最初に道をきっちりつけてくれたら、その声部を自然に追いかけて聴くことができる。
細かな音を完璧に弾くことは大切だけど、もっと大切なことがあるでしょう、と言われているような気がした。
私がこの日のデームスの演奏を聴いてもっとも強く印象に残ったのは、陰影をつけて音楽に奥行きを与える表現力の見事さ。
細筆ではなく中筆や太筆を使って、巧みに音楽の陰影を描ききる匠の技に、私は唸るしかなかった。

そして、その陰影の見事さは、後半のドビュッシーでさらに昇華する。
決して熱心なドビュッシーファンではない私だけど、デームスのドビュッシーは実に魅力的だった。
こんなドビュッシーなら、もっと聴いてみたい。
しかし、この日の白眉は、まちがいなく最後に弾かれたフランク。
デームスの良さが凝縮されたような演奏で、これは本当に素晴らしかった。
荘重で表情豊かな前奏曲、陰影を持って美しく奏でられたアリア、フランクの代名詞ともいえる循環形式の魅力を満喫させてくれたフィナーレ、全てが素晴らしい。
そして、さらに全曲を貫く太い芯のようなものが感じられて、それが一層強い印象を与えてくれたように思う。
やはり偉大なピアニストだと実感した。

終演後、新しくリリースされたCDにサインをしてもらったが、そのときの強い眼差しが今も忘れられない。
80代のピアニストとは到底信じられないような、強い眼の光りだった。
きっと、まだまだ現役で活躍されることだろう。

P.S
この新譜のCDには、主にドビュッシーとフランクの作品が収められているが、8曲目の「星の夜」と題されたデームス自作の曲がことのほか魅力的。名手シェレンベルガーの美しいオーボエの音色とともに忘れられない。


イェルク・デームス ピアノリサイタル
<日時>2012年5月19日(土) 14:00開演
<会場>東京文化会館
<曲目>
■J.S.バッハ:パルティータ第1番 BWV825
■モーツァルト:アダージョ K540
■ベートーヴェン:ピアノソナタ第31番
■ドビュッシー:
・月の光がふりそそぐテラス
・そして月は荒れた寺院に落ちる
・月の光
・水の反映
・葉末を渡る鐘の音
・金色の魚
■フランク:前奏曲、アリアと終曲
(アンコール)
■ショパン:子守唄
■ドビュッシー:沈める寺

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