ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ボジョレー・ヌーヴォー(2009)&ベートーヴェン:「ユダス・マカウベス」の主題による12の変奏曲

2009-11-29 | シャンパン・ワイン・焼酎
今年の我が家のボジョレー・ヌーヴォーは、昨年に続いてフィリップ・パカレ
結論、やっぱり美味しかった・・・。
ちょっとボジョレーの中では次元の違う味だと思う。
甘い苺のような香りから始まり、飲み進むにしたがって味が微妙に変化していく。
そして何よりもこのエレガントさは、なかなか他では味わえないものだ。
気がつくと、あっという間にボトルが1本空いていた。
もはや、ドメーヌ・ロマネ・コンティ社の醸造長のポストを蹴ったなんて逸話は必要ないだろう。
来年も再来年も、彼のボジョレーが飲めたら最高だ。

さて、昨年はフィリップ・パカレのボジョレーに合わせてサン=サーンスのバソンのためのソナタを聴いた。
今年は、ベートーヴェンのチェロとピアノのための変奏曲だ。
このディスクは、比較的最近手に入れたものだけど、いまや私の大のお気に入りになっている。
5曲のソナタも魔笛の変奏曲も甲乙つけがたいくらい素晴らしい演奏だけど、とりわけ魅力的なのが、このヘンデルの主題による変奏曲。
冒頭の主題から、艶やかなシフの音色に酔いしれる。
そして、陰になり日向になりながらチェロと自由自在に絡むフェルナーのピアノが圧倒的に素晴らしい。
初版譜に「オブリガードのチェロを伴うクラヴサンないしピアノフォルテのための12の変奏曲」と書かれていたことが、よくわかる。
私にとっては、フルニエ&グルダ以来のかけがえのない演奏だ。

瑞々しいパカレのボジョレーと、瑞々しい室内楽。
これからも、毎年、秋の愉しみになると思う。

<曲目>ベートーヴェン作曲
■チェロ・ソナタ第1番~第5番
■ヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカウベス」の「見よ勇者は帰る」の主題による12の変奏曲WoO.45
■モーツァルトの歌劇「魔笛」の「恋人か女房か」の主題による12の変奏曲Op.66
■モーツァルトの歌劇「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による7つの変奏曲WoO.46
<演奏>
■ハインリヒ・シフ(チェロ)
■ティル・フェルナー(ピアノ)
<録音>1998年11月~12月 ウィーン
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偕楽園と弘道館 in 水戸

2009-11-28 | その他
初めて水戸を訪れたが、ほんとに素敵な街だ。
十分開けているのに、浮ついた喧騒感がなく、落ちついた雰囲気がいい。

水戸へ着いて、まず向かったのが偕楽園。
表門の近くが工事中だったので、御成門から園内へ入った。
とにかく広い。そして平日であったこともあり、とても静かだ。
お天気もよく、紅葉を愉しみながらゆっくり散策する。
こんなにゆったりした気分を味わうのは、本当に久しぶりだ。
ひとしきり歩いた後は、東門から外に出た。

東門のそばに茶店があって、梅大福と甘酒をいただく。
大福と梅の甘酸っぱい食感が絶妙だ。


東門から偕楽橋を渡ってゆっくり階段を下っていくと千波湖にでる。
水鳥たちが可愛い。


そして湖の畔には「徳川斉昭公と幼少の慶喜公の像」があった。


すっかり癒されて、いったんホテルへ。
そのあとは前回書いたように、水戸室内管弦楽団の素晴らしいコンサートを聴いて一日目は終わった。

二日目は弘道館へ。
弘道館は、第9代藩主徳川斉昭によって創設された藩校。
江戸時代の全国の藩校の中でも最大のものだそうだ。
弘道館で若者に武術と学問を教え次代を担う人材を育てる一方で、休養とリフレッシュを図るための偕楽園を造る・・・。
光圀(義公)の遺志を受け継いで実現させた、名藩主徳川斉昭(烈公)の偉大な功績のひとつだろう。

これが、その弘道館の正門。


正席(藩主の執務所)からみた対試場。
対試場とは武術の試験が行われた場所で、今はひっそりと静まりかえる対試場をじっと見つめていると、170年の歳月を飛び越えて、当時の若い俊英たちの気合いや熱気が伝わってくるようだった。


「至善堂」の扁額。
至善堂は藩主の御座所であり、明治元年に、徳川最後の将軍慶喜が恭順謹慎した部屋でもある。


今回は時間の関係もあって偕楽園と弘道館にしか行けなかったが、こんなに穏やかな気持ちになれたことは最近ほとんどなかった。
是非、またこの素晴らしい水戸を訪れてみたい。
もちろん、水戸芸術館で水戸室内管弦楽団を聴くことも併せて・・・。
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小澤征爾&水戸室内管弦楽団定期演奏会(11/26) @水戸芸術館

2009-11-26 | コンサートの感想
休暇をとって、いま水戸に来ている。
もちろんリフレッシュが目的だけど、もうひとつのお目当ては「水戸室内管弦楽団」のコンサート。
上野から乗った「スーパーひたち」の車内を見渡すと、スーツ姿のサラリーマンがほとんどだった。
しばらくすると、あちこちから缶を開ける音が・・・。缶コーヒーを開ける音だ。
では、失礼して私も。
缶は缶でも、私のは「プシュー」という音がする。
そう、私の飲もうとしていたのは、お気に入りのプレミアム・モルツ。
だってプライベートだもの。
ちょっぴり優越感?を味わう。

上野から一時間あまりで水戸へ到着した。
意外に近い。
駅前のホテルにチェックインした後は、せっかく水戸へ来たんだからと、何はともあれ「偕楽園」へ直行。
シーズンオフということもあり、本当にゆったりした気分を満喫させてもらった。
そんな束の間の水戸紀行(そんな大層なものではございませんが・・)のお話は、次の機会に。

今日は、まずお目当てのコンサートから。

5時半近くになると、もうあたりは暗闇に包まれていた。
そんな中、初めてみる水戸芸術館はとても幻想的だ。
6時の開場時間まで少し時間があったので、建物の中を散策する。
美術館と新国立劇場をあわせたような、とてもお洒落な雰囲気だ。
コンサートホールの中に入ると、そこはまさに「木」の匂いが満ちている。
聴く前からすばらしい音楽に出会えそうな予感が・・・。

<日時>2009年11月26日(木)18:30開演
<会場>水戸芸術館コンサートホールATM
<曲目>
■ハイドン:協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I-105 作品84(※1)
■モーツァルト:ホルン協奏曲 第3番 変ホ長調 K.447(※2)
(アンコール)
■ブラームス:エチュード
(休憩)
■モーツァルト:交響曲 第39番 変ホ長調 K.543
<演奏>
■オーボエ:アレクセイ・オグリントチュク(※1)
■ファゴット:ダーグ・イェンセン(※1)
■ヴァイオリン:川崎洋介(※1)
■チェロ:原田禎夫(※1)
■ホルン:ラデク・バボラーク(※2)
■指 揮:小澤征爾
■管弦楽:水戸室内管弦楽団

この日のオープニングは、ハイドンのシンフォニア・コンチェルタンテ。
最初の音がホールに響いた瞬間に、「あー、何て素晴らしい音楽。水戸まで来て本当によかった」としみじみ思った。
4人のソリストも素晴らしかったし、オーケストラの音がもぎたての果実のように瑞々しい。
これは個々の奏者の力量の高さもあるけど、なんといっても小澤さんとの信頼関係なしにはとても考えられない。
室内オーケストラのひとつの理想像をみるような気がした。

2曲目は、バボラークをソリストに迎えてモーツァルトのホルン協奏曲第3番。
この人の手にかかると、「これが、あの難しいホルン?」と思えるくらい自由自在に音楽が流れていく。
モーツァルトもきっと賞賛を惜しまなかっただろう。
両端楽章ももちろん素晴らしかったが、第2楽章でオーケストラにホルンがかぶさっていくあたりは感涙もの。
アンコールでは、ブラームスの無伴奏のエチュードを聴かせてくれたが、これまた秀逸。もう唖然とするばかりの表現力だ。
そういえば、バボラークは12月でベルリンフィルを退団するらしい。
いったい何故なんだろう。バボラークとドールのソロホルン・コンビは、ベルリンフィルの今後の歴史にも必ず残ると確信していたのに・・・。
残念なニュースだ。

休憩後は、モーツァルトの変ホ長調のシンフォニー。
いまさらではあるが、小澤さんのテンポは本当に素晴らしい。
もうこれしかないというテンポで、しかもリズムに弾力性があるので、音楽が絶対に死なない。
また「清潔なフレージング」「音楽の呼吸感」とはこういうものだと、今日改めて教えられたような気がする。
第2楽章は、付点の扱い如何で音楽が台無しになってしまうリスクを孕んでいるが、そのあたりも小澤さんと名人たちは難なくクリアする。
もうずっと頷きながら、私は小澤さんと一緒に音楽させてもらった。
第3楽章のクラリネットのデュエットも、文字通り天国的な美しさ。
ボストン響の首席であるウィリアム・ハジンズのクラリネットはため息が出るほど素晴らしかったが、隣で吹いていたキャサリン・ハジンズは奥様?
こんなに見事な39番を聴かせてもらったら、もう何も言うことはない。
ただただ、休暇をとって、ここまで聴きにきた甲斐があったというもの。
また、39番シンフォニーのコンミスは潮田益子さんだった。
私の席からは潮田さんの後姿しか見られなかったけど、その潮田さんの後姿越しに小澤さんの指揮姿を見ることができて、これも大変感慨深かった。

それから、余談になるが、ほぼ1年ぶりにレコード芸術を買ったところ、特集を組んでいた「現代の名指揮者」のベスト10に小澤さんが入っていないじゃないか。
なんということだ!
今日のハイドンやモーツァルト、そして8月のサイトウキネンの戦争レクイエムを実際に生で聴いた者として、投票した評論家諸氏(読者の集計もあるが・・・)へのささやかな抵抗を試みたくもなる。
それにしても、初めて訪れた水戸は、本当に素晴らしい思い出をプレゼントしてくれた。
感謝、感謝です。
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ブロムシュテット&チェコフィル来日公演(11/23) @サントリーホール

2009-11-24 | コンサートの感想
ブロムシュテットのブルックナーの8番。
しかもオーケストラは、かつてマタチッチとブルックナーの名盤を残しているチェコフィル。
「これは今しか聴けないかもしれないかも・・・」という思いもあって、昨日サントリーホールへ行ってきた。
席は普段あまり座らないLC席。
今回は1列目ということもあって、視界的にも音響的にも申し分ない。

さて、肝心の演奏。
フィナーレが終わって(正確に書くと、指揮棒が静止したのをみて一度拍手が起こったのだけど、ブロムシュテットがそれを制して暫し沈黙の時間があったあと)場内は大きなブラヴォーと熱狂的な歓声に包まれた。
確かに熱演だった。
凄い迫力だった。
隣に座っておられた女性お二人も、「いい演奏でしたね。こんな素晴らしいブルックナーを聴けて心から感動ました。」と興奮しながら会話されていたので、間違いなく心のこもった演奏であったのだろう。
そんな中で、その光景を意外なくらい冷静な感覚でみている自分がいた。
人一倍感激屋の私が、終演後こんなに冷静になっていることはあまりない。
その差の大きさに、一日経った今でもいささか戸惑っている。

<日時>2009年11月23日 (月) 19:00 開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ブルックナー:交響曲 第8番 ハ短調
<演奏>
■指 揮:ヘルベルト・ブロムシュテット
■管弦楽:チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

考えていくと原因はいくつかある。
第1楽章。
地の底から響くような運命の動機は、どこか不気味さを感じさせてくれる。
しかし、聴き進むにしたがって、音がいや響きが澄んでいないことが気になり出した。
はっきり言うと、ほとんどの和音が団子に聴こえるのだ。
音はとても大きく太いけど、いささか粗い。
第2楽章も基本は全く同じ。
ただ、第3楽章アダージョの冒頭は実に美しかった。
ノン・ヴィブラート気味に弾かれるファーストヴァイオリンの旋律がいじらしいくらいにピュアだ。
しかし、次第に音が大きくなるにつれて、和音が明晰さを欠いてくる。
ただ、最後のほうのクライマックスの描き方と、直後のsehr markig(きわめて力強く)の毅然とした表情は本当に素晴らしかった。
続くフィナーレは、勇壮さは申し分ない。
その意味でも最も安心して聴けた楽章だったが、最後のコーダにきて、やはり気になっていたことが現実のものとなってしまった。
ここでは、すべての主題が立体的に響かなければならないが、それこそ「全身を耳のようにして」聴いたにもかかわらず、声部が明瞭に聴きとれない・・・。
このもどかしさは、なかなか分かっていただけないかもしれないが、最後にきて「ああ、やっぱり」と感じたことは事実だ。
もちろん私の耳が至らないことも十分承知しているが、私が音楽で最も大切にしている要素の一つである「透明さ」という面において、いささか残念な思いがぬぐえない。

一般的に、ブロムシュテットの演奏スタイルは端正・流麗という言葉で語られることが多いが、ひょっとすると違うのではないだろうか。
実はかなり細かくテンポや表情を変化させながら音楽を作っていくタイプのマエストロだと私は感じている。
それが恣意的な印象を与えないところこそ、ブロムシュテットのブロムシュテットたる所以であって、彼の人間性や音楽家としての器の大きさがそうさせているのだと思う。
その意味で、この日は、ブロムシュテットの意図に敏感に反応する奏者とそうでない奏者にはっきり分かれていた。
客演指揮者という立場からは仕方がないともいえるが、それがアンサンブルの乱れに繋がり、テクスチュアの明晰さを欠く一番の原因だったように思う。

ここまでネガティブなことばかり書いてきたが、もちろん凡庸な演奏だったわけではない。
それだけ私の期待が大きかったのだとご理解ください。
80歳をゆうに超えていながら、なお背筋のピンと伸びた姿勢でブルックナーの大曲を暗譜で最後まで振ってくれたマエストロの姿をみて、私は感無量だった。
思えばもう30年近く前の話になるが、ブロムシュテットがドレスデン・シュターツカペレを率いて来日したときに、大阪のフェスティバルホールで聴いた「ジュピター」の精妙で気品のある演奏が今も忘れられない。
やはり、ブロムシュテットにとって最も相性のよかったオケは、ドレスデン・シュターツカペレだったのではないだろうか。
もう一度シュターツ・カペレと組んで、モーツァルトやブラームス、そしてリヒャルト・シュトラウスを聴かせてほしい。
もはや叶わぬ夢かもしれないが・・・。
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ムーティ&ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート 2009 in ナポリ(BS-hi)

2009-11-23 | BS、CS、DVDの視聴記
土曜日の深夜に、今年5月に行われたベルリンフィルのヨーロッパコンサートの模様をNHKのBS-hiで放映していた。
とても素晴らしいコンサートだったので、簡単に感想を。

今回のマエストロはリッカルド・ムーティ。
そしてコンサート会場に選ばれたのは、ムーティの生まれ故郷であるナポリのサン・カルロ劇場だった。
サン・カルロ劇場は、天井のフレスコ画が印象的な歴史的な建物で、今回の映像ではカメラもさりげなく美しい歌劇場の中を映し出してくれていた。
<日時>2009年5月1日
<会場>サン・カルロ歌劇場 (ナポリ)
<曲目>
■歌劇「運命の力」 序曲 ( ヴェルディ作曲 )
■「追憶の歌」 ( マルトゥッチ作曲 )
■交響曲 第8番 ハ長調 D.944 ( シューベルト作曲 )
<演奏>
■メゾ・ソプラノ:ヴィオレッタ・ウルマナ
■管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
■指 揮:リッカルド・ムーティ

「運命の力」序曲を聴くだけで、ベルリンフィルの表現能力の高さを思い知らされる。とくにクラリネットは絶品だ。
1曲目の序曲が終わると、早くも大きなブラヴォーがきていた。
ただ聴き終わって興味深かったのは、この序曲が一つの作品として完結しているように感じられたこと。
これがウィーンフィルやスカラ座のオケなら、拍手もそこそこにオペラの続きを観たいと感じたのではないだろうか。

2曲目はマルトゥッチの「追憶の歌」。
初めて聴く曲だったが、本当に素晴らしい音楽だ。
私は大きな感銘を受けた。
マルトゥッチといえば、ムーティは昨年のウィーンフィルとの来日公演でも、ブルックナーの2番が終わった後のアンコールで、彼のノットゥルノをとりあげていた。
ムーティにとっても、きっと大切に思っている作曲家なのだろう。
また、スカラ座の来日公演でアイーダを歌って喝采をあびていたウルマナだが、この日は静かに情感を込めて歌ってくれていた。
とくに終曲の「いや、夢は消え去っていない」は秀逸。
そして、ここでもベルリンフィルの素晴らしさには、ただただ唖然とするばかりだ。

後半は、シューベルトの「グレート」。
冒頭のホルンが、本当にゆったりとそして豊かに歌う。
この日のトップはバボラークだったが、いつもながら素晴らしいなぁ。
そしてそのホルンの醸し出した雰囲気を弦や木管が次々に引き継いでいくわけだけれども、その過程でメンバーたちがやりとりする呼吸の見事さ、音楽としての統一感の高さを聴くと、やっぱり世界一のオーケストラだと思い知らされる。
それから、すべてのパートに言えることだけど、彼らの奏でる音の何と立派なことだろう。
「美しい」とか「強い」とか「輝かしい」というような形容詞は、その一面しか言い表していない。
実がいっぱい詰まった音というか、とにかく充実した立派な音なのだ。
豊かな歌と圧倒的な高揚感に、私は痺れた。

ムーティの「グレート」といえば、4年前に初めて生ウィーンフィルをサントリーホールで聴いたときの想い出の曲だ。
あのコンサートを聴いて、私は生の音楽(=LIVE)の素晴らしさに目覚めた。
そして、それ以降音楽との接し方が変わったといっても過言ではない。
ウィーンフィルのその時の演奏と比べても、この日のベルリンフィルの演奏はまったく引けを取らない。
やはりムーティの自然で躍動感を感じさせる音楽作りの成せる技だと思う。

それにしても、最近のムーティは「指揮棒」を本当に大きく振らなくなった。
とくに右手でビートを刻むアクションは、必要最小限しかしない。
それでいてアンサンブルは緊密で、出てくる音楽は表情豊かで生気に満ちている。
オケがベルリンフィルだからということもあるが、何といってもマエストロ・ムーティの存在感の大きさがすべてだろう。
来年4月に来日するムーティのコンサート、やはり行きたいなぁ。
悩みの種はつきませぬ。
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バッハ:カンタータ第198番「候妃よ、なお一条の光を」 by リリングほか

2009-11-19 | CDの試聴記
同期入社の仲間が、突然逝ってしまった。
1年以上にわたる闘病生活だった。
仕事でもプライベートでも、もう一花も二花も咲かせたかったことだろう。
彼の無念さを思うと、悔しくてならない。

今夜、冷たい小雨の降りしきる中、彼のお通夜があった。
彼の遺影を見ながら、私は「うそだろう。何をにっこり笑ってるんだ。はやく戻ってこい。」と心の中で呟いていた。
やり残したこともいっぱいあったはずだし、奥さんとお嬢さんを遺していったいどうしたんだ。
どうして今日に限って黙っているんだ。いつものように喋ってくれ。
彼は根っから明るい性格で、とにかくよく喋る奴だった。
でも彼の話は人情味にあふれ、いつでも相手を暖かい気持ちにさせてくれた。
寂しいというよりも、悔しさのほうがずっと強い。

そんな彼のことを思いながら聴いた音楽は、自分でも意外なことにレクイエムではなかった。
バッハのカンタータ第198番。
ザクセン候国の選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世の妃であるクリスティアーネ・エーバーハルディーネが亡くなった時に、その追悼式のために書かれた音楽がこのカンタータ。
国民的人気を誇った王妃を讃えるこのカンタータは聴くほどに素晴らしい作品だが、今まで8曲目のテノールのアリアに最も惹かれていた。
でも今夜は、4曲目のアルトのレチタティーヴォと続く5曲目のアリア「候妃は何と心安らかに死にたまいしか」が、なぜか一番私の胸に響く。
このピュアな美しさに満ちた天国的な音楽こそ君にふさわしい。
ゆっくり休んでください。
本当にありがとう。

<曲目>
■バッハ:カンタータ第198番「候妃よ、なお一条の光を」
<演奏>
■リリング(指揮)
■ゲヒンガー・カントライ
■アーリン・オージェ(ソプラノ)
■シュレッケンバッハ(アルト) ほか
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マリス・ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団来日公演(11/15) @サントリーホール

2009-11-18 | コンサートの感想
日曜日に、ヤンソンス率いるバイエルン放送響のコンサートを聴いてきた。
今回の来日公演ではヨーヨーマや五嶋みどりをソリストにしたコンチェルトを含む公演がほとんどで、この日の公演がおそらく唯一のシンフォニーだけのプロだったと思う。
しかも、ブラームスの2番とチャイコフスキーの5番という魅力的な選曲。
最安席(=お気に入りのP席)を会員割引でゲットできたので、今が旬ともいえるこのコンビの名演を6,000円台で聴くことができて本当に幸運だった。
舞台裏のP席からホールを見渡すと、比較的安い席はほとんど埋まっているようだったが、1階前方の両サイドを中心に空席が散見されたのがいかにも残念。

<日時>2009年11月15日(日)14:00開演
<会場>サントリーホール
<曲目>
■ブラームス:交響曲第2番ニ長調op.73
■チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調op.64
(アンコール)
■シベリウス:悲しきワルツ
■ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル『憂いもなく』
<演奏>
■マリス・ヤンソンス指揮
■バイエルン放送交響楽団

前半のブラームスは、とにかくテンポの良さと透明度の高いハーモニーが印象に残る。
第1楽章から第2楽章にかけては瑞々しい歌が聴けたし、終楽章では、決して煽ったりしないのに、中から自然に湧き出てくるようなエネルギーの噴出に圧倒された。
一昨年のラトルとベルリンフィルの演奏も素晴らしかったが、この日のヤンソンスたちの演奏も決して負けていない。
見事なブラームスだった。

後半のチャイコフスキーでは、一層自在な表現で私を魅了してくれた。
第1楽章では、管楽器の表現力の高さに思わず絶句。
また154小節目から始まるクラリネットの「ラーレ・ラーレ・・・」というフレーズを、ヤンソンスはその後もこの音型が出てくるたびにくっきり目だ立たせて表現していて、それが大変印象に残った。
第2楽章はこの日の白眉だ。
ホルンの音色が切ないくらいに美しい。そしてそれに絡むクラリネットの何と見事なこと・・・。
正直に言うと、ここまで完璧な演奏に圧倒されながらも、どこか計算されつくした匂いを感じないでもなかった。
しかし、この楽章は違う。人工的なイメージなどは微塵も感じられない。
私はオーケストラの奏でる哀愁に満ちた旋律に涙を抑えることができなかった。
テンポをぐっと抑えながら奏でられるピアニシモは息をのむような美しさだったし、何回か登場するゼネラルパウゼの効果も絶大で、それこそホール全体が呼吸を止めているかのような緊張感と静寂に包みこまれていた。
そして終楽章はアウフタクトを2つ取って始まったが、引き締まった実に良い音がしていた。
このオーケストラはもともと上質のサウンドを持っているが、とりわけ弦楽器のサウンドが素晴らしい。
音色は瑞々しいし力強さもある。その上にアンサンブル能力がきわめて高い。
ヤンソンスは、この日、明らかにその弦楽器を中心に据えたサウンド作りをしていた。
その弦に木管を絡ませて芯の響きを作り、要所要所でブラスが輝かしさを加えるという構図だ。
バイエルンのブラスも滅法上手いが、決して出すぎることはない。
ときに「ブラスのためのコンチェルト」のような演奏に出くわすこともあるチャイ5だが、ヤンソンス&バイエルン放送響の演奏では、最上のバランスで響いていた。
さすがに世界のベスト10に入るだけのことはある。

終演後のヤンソンスのサイン会では、400人のファンが並んだらしいが、さもありなん。
チャイコフスキーが終わった後、そして2曲目のアンコールが終わった後の2回、オーケストラがマエストロ・ヤンソンスに対して敬意を表した足踏みをしていたが、決して儀礼的には感じなかった。
それだけこのコンビが上手くいっているということなのだろう。
思い出に残る素晴らしいコンサートだった。
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アルフレート・ブレンデル/フェアウェル・コンサート

2009-11-14 | CDの試聴記
今日出張先の鹿児島から戻ってきた。
関東地方の天候不良とかで、鹿児島空港は30分以上遅れて出発、羽田空港へは1時間以上遅れて到着した。
羽田空港に着陸した後、時間を気にしながら何気なく窓を眺めていると、「ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ」という珍しい航空会社の飛行機を発見。
何だこの航空会社は?
えっ?ひょっとして、これがあの「エアフォース・ワン」(米国大統領専用機)?
ピンポーン。
来日中のオバマ大統領が乗るあの飛行機だった。
滅多に見れないエアフォース・ワンの実物を見ることができて、これは災い転じて何とやらだったのかも・・・

さて、自宅に帰った後は、先日届いた名ピアニスト・ブレンデルのラストコンサートのディスクを聴いた。
これは昨年12月に行われたソロとコンチェルトの二夜にわたるコンサートを収めたものだが、胸が熱くなるような内容だった。
ジュノームは、最初この曲にしてはいささかエネルギー不足のような印象をもったが、聴き進むにつれて次第に独特の味わい深さが私を魅了する。
とくに感銘を受けたのは第2楽章アンダンティーノ。
「ソ♭-ファ-ミ♭」と下降する音型をピアノが奏でる箇所では、ブレンデルが聴衆に向かって心の声で「アディオ」と語りかけているように思えた。
また、フィナーレの中間部メヌエットのしみじみとした表情も、本当に格別のものだ。しみじみとした情感を湛えてはいるが、決して涙の痕をみせないところがブレンデルらしい。
一方、ソロの演奏もいずれも素晴らしいが、とりわけハイドンの変奏曲とシューベルトの最後のソナタに私は心打たれた。

ブレンデルはまだまだ弾けるし、もっともっと私たちに大家の至芸をみせてほしかった。
でもこの引き際の鮮やかさも、ブレンデル一流の美学かもしれない。
彼の残してくれた珠玉のモーツァルトやシューベルトのディスクを、これからじっくり聴きなおしてみようと思う。

<曲目>
■モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調『ジュノーム』 K.271※
■ハイドン:変奏曲ヘ短調 Hob.XVII/6
■モーツァルト:ピアノ・ソナタ第18番ヘ長調 KV533/KV494
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第13番変ホ長調 作品27-1
■シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960
■ベートーヴェン:バガテル イ長調 作品33-4
■シューベルト:即興曲第3番変ト長調 作品90-3,D899
■J.S.バッハ:コラール・プレリュード『いざ来たれ、異教徒の救い主よ』BWV659
<演奏>
■アルフレート・ブレンデル(ピアノ)
■サー・チャールズ・マッケラス(指揮)※
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団※
<録音>
2008年12月19日:ウィーン、ムジークフェラインザール(ライヴ)※
2008年12月14日:ハノーファー(ライヴ)
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音楽時計のための作品集 by ウィーン管楽合奏団

2009-11-12 | CDの試聴記
今週はまさにセミナーウィーク。
テーマも複数に跨っているので、頭の切り替えが少々大変だ。
今日はというと、宮崎で仕事をした後、明日のセミナーに備えて「特急きりしま」で先程鹿児島へやってきた。
近いようだけど、宮崎・鹿児島間は特急で2時間ちょっとかかる。
何の事件も起こらなかったが、俄か十津川警部の気分で車中の2時間を楽しませてもらった。
鹿児島中央駅を降りて駅前のホテルまで歩く中、小さな虫の群れかホコリか分からないけど何かいやなものにぶつかったような感触が断続的に続く。
何だこれは・・・。
そしてホテルに入って自分のスーツをみて愕然とした。まるでホコリだらけになっているではないか。
犯人は火山灰。そう、ここ鹿児島は桜島のお膝元の街なんです。
フロントの女性にブラシを借りて火山灰をひととおり落としてから、ようやく部屋に入った。
過去2回鹿児島に来たが、こんな経験は初めて。
でも、鹿児島がまたちょっぴり身近になった気がする。

さて、そんなハプニングもあった中、いまホテルの自室でipodを使って聴いているのは、モーツァルトたちの「音楽時計のための作品」を管楽アンサンブルで演奏した珍しいアルバム。
音楽時計とは置時計に組み込まれた自動オルガンのことで、ここではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品が納められている。
このディスク、実は私のひそかな愛聴盤で、なかなか曲も演奏も良いのです。
深みというのはあまり感じないけど、このおおらかさ、素朴さは捨てがたい魅力にあふれている。
とくに、モーツァルトの自動オルガンのためのアダージョと、「聖アントニーのテーマ」で有名なハイドンのディヴェルティメント(本当はプレイエルの作品らしい)が素晴らしい。
それに弾いているのが、この種の曲を演奏させたら当代随一のウィーンフィルの名手たち。
ビール片手に、ハプニングのことなどすっかり忘れて、まさに至福の時間を過ごさせてもらっている。
ついでに明日のセミナーのこともすっかり忘れそうだ・・・
(マズイ、マズイ)

音楽時計のための作品集
<曲目>
モーツァルト
■幻想曲 ヘ短調 K.608
■自動オルガンのためのワルツ ヘ長調 K.616
ハイドン
■ディヴェルティメント「聖アントニウス」
モーツァルト
■幻想曲 ヘ短調 K.594
ハイドン
笛時計のための7つの小品
ベートーヴェン
■音楽時計のためのアダージェットとアレグレット
<演奏>
ウィーン管楽合奏団
■ヴォルフガング・シュルツ(フルート)
■ゲルハルト・トゥレチェック(オーボエ)
■ペーター・シュミードル(クラリネット)
■フォルカー・アルトマン(ホルン)
■フリードリヒ・ファルトゥル(ファゴット)
<録音>
1980年8月 ウィーン、ゾフィエンザール
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バッハ:カンタータ第22番「イエス十二弟子を召寄せて」より コラール

2009-11-08 | CDの試聴記
このカンタータは演奏される機会があまり多くないようだけど、バッハが聖トーマス教会のカントル採用試験用に書いた作品で、当時の試験演奏においても多くの人から絶賛されたというだけあって、なかなか魅力的な作品だ。
とくに深みのある第1曲、胸を打つ3曲目のレチタティーヴォ、終曲の美しいコラールは素晴らしい。
また、終曲のコラールはハリエット・コーエンの手によって編曲され、多くのピアニストに愛奏されている。
私が深く敬愛してやまない二人の女流ピアニスト、ラローチャとケフェレックもこの曲をレパートリーに入れており、それぞれ録音も残している。
そして、その二人の演奏が同じ曲とは思えないくらい違うので、ちょっと比較してみることにした。

それではまずケフェレックから。
ケフェレックのディスクは「瞑想」というタイトルがつけられており、今年3月にもアルバム全体の感想を書いたばかりだが、改めて聴いてみるとケフェレックらしさが随所に感じられる。
テンポは速めで、何よりも特徴的なのはバスの動きだ。
原曲では通奏低音によって奏でられる部分を左手が担っているが、8分音符4つが2回で1小節になるというきわめてシンプルなリズムなのに、ケフェレックの手にかかると、「タッ・ター・ラッ・タ」というアーティキュレーションを基調にしつつ、まるで生き物のように変幻自在に表現される。
4つの音を均等に弾いたかと思うと、次は2つ目の音である「ター」に少しアクセントをおく。そして、ときに「ラッ・タ」の音を強調して見せると言った具合。
しかし、ケフェレックが素晴らしいのは、その変幻自在のバスだけではない。
コラールが登場すると、そのコラール部分は本当にたっぷりとした音で響かせるのだ。
変幻自在の弾力性を持ったバスの面白さと、充実感あふれる「歌」が見事に一体になっている!
でもこんなことは、いまさら私が貧しい語彙を使って書くまでもあるまい。
彼女のコンサートを一度でも聴いたことがある人なら、すぐに、「あー、あの表情、あの表現のことね」と分かっていただけるはずだから。
私も今年の「ラ・フォル・ジュルネ」でケフェレックが聴かせてくれたこの曲の演奏を、その素敵な表情とともに鮮明に思い出すことができる。
ケフェレックは、生きていることの素晴らしさを聴衆に教えてくれる、本当に稀有なアーティストだ。

一方、ラローチャの演奏はケフェレックとまるで違う。
テンポもずっと遅い。
また、バスのリズムも何ら特別なことはしていない。
敬虔な表情で淡々とピアノを奏でているだけだ。
しかし、エンディングに向けて音楽は次第に盛り上がりをみせ、圧倒的な高揚感の中でラローチャのコラールは終わる。
その間、何の不自然さも感じられない。
「何という大きな音楽。体の隅々にまで、一瞬にして入り込んでくるこの不思議な感覚はいったい何?」
この優しさ、この温かさ、この豊かさを表現する言葉を、私はとても思いつかない。
先週末、名古屋~大阪へ出張した際、新幹線の中で少々手強い内容の仕事をしていて、頭を休めるためにipodで何気なく聴いたのがこのラローチャのバッハだった。
そして見事なまでに嵌ってしまった。

ケフェレックもラローチャも、本当に凄い。
それにしても、同じ音楽なのに演奏によってこんなに違うとは・・・
音楽の奥深さをあらためて教えられたような気がする。

<参考:演奏時間>
■ケフェレック:「瞑想」(1分55秒)
■ラローチャ:「20世紀の名ピアニストたち」(3分17秒)
■リリング&バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト:カンタータ第22番の終曲(2分19秒)

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パトリシア・プティボン 歌曲の夕べ(11/2) @東京オペラシティ

2009-11-03 | コンサートの感想
昨年に続いて来日してくれた「不思議な妖精」プティボンのコンサートを聴いてきた。
ジョン・ウィリアムスのコンサートと重なってしまい、10/31のオーケストラ伴奏のコンサートが聴けなかっただけに、私はこの日のコンサートを心待ちにしていた。

いやー、素晴らしかった。
プティボンのステージというのは、ちょっと他に類を見ないくらい愉しい。
「笑いあり、涙あり、涙のあとに感動あり」なんて書くと、どこかのテレビドラマのキャッチフレーズのようだが、まさにそんな感じなのだ。
もともと声の質・技術ともにずば抜けたものを持った人なので、普通に歌っても感銘を受けるはずだけど、ひとたびステージに出るとさらに魅力が倍加する。
それは、「私と一緒に音楽を通して素敵な時間を共有しましょう」という彼女の強いメッセージが、歌に、歌詞に、そして達者な演技を含む表情のすべてに込められているからに他ならない。
研究熱心な彼女のこと、きっと事前には随分時間をかけて準備しているはずだ。
しかし、ひとたびステージに出たらプティボンはエンタテイナーに徹する。
もちろん緻密な計算もあるのだろうが、聴衆に微塵もわざとらしさを感じさせないプロ根性は大したものだ。

昨年の淡いベージュ色のドレスとは異なり、この日プティボンは落ちついた黒のドレス姿で登場。
冒頭しっとりと格調高く歌われたヘンデルのアリアを聴きながら、そしてあの美しいバルバリーナのアリアを聴きながら、「今宵はこのしっとり路線で行くのかしら」と素直に思ってしまった私は何とも浅はか・・・。(汗)
次のデスピーナのアリアで、早くも私の予想は裏切られることになる。
ピアニストのスーザン・マノフともども原色系のカツラをつけて登場したプティボンは、一転コシ・ファン・トュッテの業師に変身。
そして続くリナルドの名アリアでは、またまた「しっとり」系に戻り、文字通り「泣かせて」くれた。
この日、私が最も感銘を受けたのは、ホールの照明を落として歌われたヘンデルの歌劇「アルチーナ」のアリア “緑の牧場よ”と、その静謐な雰囲気を受け継いでひたすら美しく奏でられたハイドンのピアノソナタ。
素晴らしかった・・・。
後半はよりアクティブな曲が並んだこともあり、プティボンの魅力がまさに満開。
笑って、泣いて、気がつくと、最後の「ドレッタの夢」が終わっていた。
31日に指揮をしたレヴィも飛び入り(いや仕組まれた小道具の一つ?)参加して、もう最高に愉しい2時間余りを過ごさせてもらった。

昨年、私はブログで、「もう、ナタリーの妹分なんて言わせない」と興奮気味に書いたが、そんなのはもはや当たり前。
スーパースターであるデセイとも、また違った道を歩み始めたプティボン。
来年はザルツブルクでアーノンクールと「ルル」を演じるようだが、日本にも是非来てくださいね。
あなたのコンサートだったら、何をさておいても行くという熱心な信者がワンサカいるのだから。

また、コンサートはもとより、サイン会、2次会のインド料理店までお付き合いいただいたyokochanさんにも感謝。
プティボンからもらったプラスのエネルギーが2倍になりました。(笑)
ありがとうございました。

<日時>2009年11月2日(月) 19時開演
<会場>東京オペラシティ コンサートホール
<曲目>
■ヘンデル:歌劇「アリオダンテ」より
  アリオダンテのアリオーゾ “ここでは、愛を”
■モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」より
  バルバリーナのカヴァティーナ “落としてしまったの、どうしよう”
  スザンナのアリア “恋人よ早くここへ”
■モーツァルト:歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」より
  デスピーナのアリア “女も15歳になれば”
■ヘンデル:歌劇「リナルド」より
  アルミレーナのアリア “私を泣かせてください”
■ハイドン:歌劇「薬剤師」より
  ヴォルビーノのアリア “ご機嫌よう、親愛なるセンプルーニオ”
■ハイドン:歌劇「オルランド・パラディーノ」より
  エウリッラのアリア “あなたの愛らしい面差しが”
■ヘンデル:歌劇「エジプトのジュリオ・チェーザレ」より
  アリア “この胸に息のある限り”
■ヘンデル:歌劇「アルチーナ」より ルッジェーロのアリア “緑の牧場よ”
■ハイドン:ピアノ・ソナタ第16番ニ長調より 第2楽章
■ヘンデル:「アルチーナ」より モルガーナのアリア “また私を喜ばせに来て”
   (休憩)
■ハイドン:
「英語によるカンツォネッタ」より
 “さすらい人”“するどい目つき”“忠実”“霊の歌”“船乗りの歌”
■プーランク:歌曲集「あたりくじ」より
 “バ・ブ・ビ・ボ・ビュ”
 “ハートの女王”  
■サティ: “あなたがほしいの”
■ガーシュウィン:3つの前奏曲より 1.変ロ長調(ピアノ・ソロ)
■バーンスタイン:コミック・オペレッタ「キャンディード」より
  キャンディードのソロ “この程度のものか”
■プッチーニ:「つばめ」より マグダのアリア “ドレッタの美しい夢”
(アンコール)
■カントルーブ:「オーヴェルニュの歌」より“捨てられた女”
■オッフェンバック:「ホフマン物語」より“森の小鳥は憧れを歌う”
■バーンスタイン:「キャンディード」より“It must be me”
<演奏>
■パトリシア・プティボン(ソプラノ)
■スーザン・マノフ (ピアノ)

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ジョン・ウィリアムス ギターコンサート(10/31) @すみだトリフォニーホール

2009-11-01 | コンサートの感想
昨日は、ジョン・ウィリアムスのギターコンサートを聴いてきた。
「キング・オブ・ギター」とか呼ばれることもあるようだが、そのようなキャッチフレーズはともかくとして、彼は間違いなく世界最高のギタリストだ。
何度かブログでも書いてきたが、ジョン(一面識もあるわけではないが、敬愛の念を込めてジョンと呼ばせていただく)は、私にとって文字通り「永遠のアイドル」で、その敬慕の念は今も全く変わらない。
明けても暮れてもギターに没頭していた高校時代、自分の目指す方向性を見失いそうになったときに偶然ジョンの弾く1枚のレコードを聴いた。
忘れもしない「ジョン・ウィリアムス コンサート」というタイトルのLPで、ムダーラの「幻想曲」に始まり、最後はモレノ・トローバの「ラ・マンチャの歌」で終わる選曲で、私がギターで弾かれた最高のバッハ演奏だと信じて疑わない「プレリュード・フーガ・アレグロ」もA面の最後に収められている。
聴き始めた途端、私はあまりの感動で金縛りにあったような状態になってしまった。
だって、思い悩んでいた私の理想とするイメージが、突然目の前に現れたんだから。
「こんな音で、こんな風に弾きたかったんだ。ギターって、こんなに素敵な楽器なんだ」
理想ははっきり見えた。しかし、今度は理想と現実のギャップの大きさに絶望させられることになる。(泣)
でも人生で最も多感な時期に、自分にとっての理想の演奏スタイルが見つけられたのは本当にラッキーだったと思う。
先日亡くなったラローチャもそうだが、ジョンの演奏スタイルも基本は「透明感をもった豊かな音楽」だった。
ラローチャに比べるといささか冷やかな佇まいではあるが、湧き出てくる豊かな音楽は楽器の違いを超えて私の心を捉えた。
前置きが随分長くなったので、そろそろ本題に。

<日時>2009年10月31日(土)14:00開演
<会場>すみだトリフォニーホール
<曲目>
■プレトリウス:3つの舞曲(「テレプシコーレ」1612より)
■D.スカルラッティ:2つのソナタ ニ短調 K.213/ホ長調 K.380
■アルベニス:アストゥリアス/マジョルカ
■ドメニコーニ:コユンババ
■タルレガ:アルハンブラの思い出
■アルベニス:コルドバ
■バリオス:フリア・フロリダ/2つのワルツ
■ジョン・ウィリアムス:
 ・プレリュード・トゥ・ア・ソング
 ・無言歌
 ・ハロー・フランシス
■マイヤース:映画「ディア・ハンター」のテーマ、カヴァティーナ
■アイルランドの歌(伝承曲 ジョン・ウィリアムス編曲):
 ・キャロランのコンチェルト
 ・ザ・リトル・アンド・グレート・マウンンテン
 ・ザ・ボトム・オブ・ザ・パンチボウル
 ・ジャクソンのモーニングブラシ
(アンコール)
■カタリ・カタリ

開演30分前にすみだトリフォニーホールの入口の前に行くと、まさに人・人・人。
おやっ、アイドル歌手のコンサートでも近くであったのだろうかと一瞬考えたが、大外れ。
「人・人・人」はすべて、この日のジョンのコンサートの聴衆だったのだ。
ギター1本でトリフォニーの大ホールを満員にできるのは、世界広しといえジョンだけだろう。
ジョン・ウィリアムス恐るべし。

ギターを2本抱えてステージに登場したジョンは、68歳という年齢よりもずっと若く見える。
2本のうち1本は、前半のメインの曲である「コユンババ」専用。
例によってPA(パワーアンプ)をセットしての演奏だった。
ジョンは、所謂大ホールで演奏する時は遠慮せずにPAを使う。
音色を若干犠牲にしても、「音がよく聴きとれない⇒音楽そのものが伝わらない」という致命的な問題の解消には、これもやむを得ないと考えているようだ。
しかし、たとえ5割増しの料金であっても中規模のホール~たとえば紀尾井ホールとかカザルスホール・・・~で、一度ジョンの演奏を聴いてみたいと思ったのは、私だけだろうか。
最新の音響機器を用いているはずだが、それでも音色の微妙なニュアンスが聴きとりにくいし、また消音できない響きが増幅されて残ってしまうからだ。

さて肝心の演奏だが、前半では何といっても「コユンババ」が良かった。
才能豊かなギタリストでもあるドメニコーニの作品だけに、もともと演奏効果満点の傑作だが、これほどの名演奏にはめったに出会わない。
トルコの土の香り・空気の匂いまでもが漂ってくるような描写が秀逸。幽玄といってもいいかもしれない。
また、アルベニスのアストリアスでは、再び冒頭のカンパネラの部分に戻るときの一瞬ためらいを見せるような表情が忘れ難い。
やはり、ジョンだ。

後半では、バリオスでちょっとっしたハプニングがあった。
フリア・フロリダは可憐な曲で私の大好きな曲でもあるのだが、「3+3」の典型的なバルカローレ。
ところが冒頭の3つの音が、なぜか4つになってしまった。まったく予期しないアクシデントだったのだろう、ジョンにしては珍しく最後まで硬さがとれなかった。
次のワルツ第3番は無難に終わったものの、第4番で最初にハイポジションに駆け上がるところで最高音が決まらない。これに動揺したのか直後のフレーズで一瞬止まりそうになる。しかしジョンの真骨頂はここから。
テンポを2段階くらい速めたかと思うと、即興的な雰囲気でこの難曲を一気に最後まで弾ききってしまった。
さすが・・・。
これも生演奏の醍醐味か。
マイアーズの「カヴァティーナ」を弾き忘れて、アンコールのような形で演奏してくれたのもご愛敬。

名手と呼ばれるギタリストは、現在何人も存在する。
ピエッリ、ラッセル、セルシェル、バルエコ、アウセル、フェルナンデス・・・。
いや、もっと若い層にも俊英たちがでてきた。
しかし、ブリームが事実上引退した今、ジョン・ウィリアムスほど音楽で強いメッセージを伝えられるギタリストはいない。
「ひょっとしたら現役ギタリストとしてのジョンを聴けるのは今回が最後かもしれない」と思ってチケットを買ったのだが、まったくの杞憂だった。
たとえ一瞬とはいえ、大変失礼なことを想像したとジョン様にお詫びしないといけない。
それほど、格調高くかつ瑞々しさを失わない演奏だったから・・・。

ジョン・ウィリアムス様
来年いや再来年でもいいから、日本で元気な姿をステージで見せてください。
そして、最高のギターを聴かせてほしい。
できることなら、そのときはバッハも聴かせてほしい。
今から楽しみにしています。
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