ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ラフマニノフ:前奏曲嬰ハ短調Op.3-2 by アシュケナージ(P)

2010-02-26 | CDの試聴記
さあ、いよいよ真央ちゃんのフリーの日。
緊張するなというほうが無理な話だけど、とにかく自分を信じて、いまの真央ちゃんを精一杯表現してください。
真央ちゃんがすべる時間帯は、多分会議で缶詰になっていると思うけど、応援しています。

いま、アシュケナージのピアノで、ラフマニノフの嬰ハ短調の前奏曲を聴いている。
ドラマティックで本当にいい曲だ。
辻井伸行さんを栄冠に導いたラフマニノフが、必ずや真央ちゃんを支えてくれるだろう。
頑張れ、真央ちゃん。
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新国立劇場 ワーグナー:楽劇「ジークフリート」 2/20

2010-02-23 | オペラの感想
明日は、いよいよ真央ちゃんの登場だ。
結果なんて気にしないでいい。
思い切り青春を爆発させてください。
とくにこの1年間、貴女は誰よりも悩んだはずだし、それをエネルギーに変えて辛い練習にも耐えてきたはず。
とにかく自分のやってきたことを信じて滑ってくださいね。
鉢巻き締めて、応援してるよ。

さて、遅まきながら土曜日に観た「ジークフリート」の感想を…(汗)
結論から言ってしまうと、ひとこと、ブラーヴォ!
こんなハイレベルの上演に立ち会えたこと、しかもその上演を新国立劇場で観れたことに、私は日本人として本当に誇らしく思った。
粒揃いの歌手たち、本場ドイツのオケからもなかなか聴けないような東京フィルの素晴らしいサウンド、そして全体を重厚かつドラマティックにまとめあげたエッティンガーの確かな手腕。
うーん、素晴らしい!
演出もアバンギャルドな雰囲気ではあるが、私は好感をもった。何よりも押しつけがましくないところがいい。
おまけに、この日はセンターブロックの1列目という夢のような席だった。
舞台を観ながら、こんな幸運をもたらしてくれた神様に心から感謝した次第です。

ほとんどの場面で、舞台のセットが平面ではなく斜面になっていたのが印象的。
フラットな居場所なんてまず存在しない「今」を象徴しているのだろうか。
こんな安定しない足場にもかかわらず、あれほどの歌唱を聴かせてくれた歌手たちは、ほんと凄い。
ただ良く見ると、みんなスニーカーのような靴を履いていたっけ。
歌手の皆さんの苦労を垣間見ることができますねぇ。

この日の上演は先ほど書いたように全部素晴らしかったのだけど、とくに感銘を受けたのが第3幕。
さすらい人(=ウォータン)とエルダの会話の場面は、正直退屈することが多いが、これが素晴らしかった。
ウォータンが、どれほど我が娘ブリュンヒルデを、そして自らの分身のようなジークフリートを愛していたか思い知らされて、ジーンときた。
そしてクライマックスのジークフリートとブリュンヒルデの2重唱を迎える。
英雄ジークフリートが自分を目覚めさせてくれたことへの喜び、しかしそんなブリュンヒルデの喜びもつかの間。
時間の経過とともに、神性をはく奪されて、彼女は一人のか弱い人間になってしまった自分への嘆きを味わうことになる。
そんな陰鬱な気分の中、暗転した舞台から聴こえてくるジークフリート牧歌の何と暖かいこと。
その後の二人のやりとりが面白い。
ジークフリートが勇気を出してブリュンヒルデに迫ると、ブリュンヒルデは決まって一歩後ろへ下がる。
逆にジークフリートが一歩下がると、ブリュンヒルデが一歩前へくる。
うーん、まどろっこしいやっちゃなぁ。
あんた達は、いったい何やってんねん。
好きなら好きで、相手が逃げられんようにさっさと抱きしめんかい。
まるで、男と女の永遠の姿を見せられているみたいで面白かった。

粒揃いの歌手陣の中でもとくに印象に残ったのは、さすらい人のラシライネンとアルベリッヒのユルゲン・リン。
この二人がナイトヘーレのペンションに同宿する第2幕は、その意味でも聴きごたえがあった。

フランツのジークフリートも勿論素晴らしかったが、私は英雄としての強さを表現する部分よりも、むしろ弱音の美しさが際立っていたと思う。

終演は20時を回っていたが、あっという間の6時間(2回の休憩を含む)だった。
幕間では、yokochanさん、そしてブログで何度かコメントをいただいているIANISさんにばったり遭遇。
楽しい会話に、50分もあるインターミッションも全然長く感じない。
yokochanさんとは終演後、地下の居酒屋でさらに打ち上げ。
いやー、楽しかった。
ただでさえ大きな感動を与えてくれた公演だったのに、そんなこんなでさらに増幅されて、私の心に深く残ることになりました(笑)
感謝、感謝です。

<日時>2010年2月20日(土)14:00開演
<会場>新国立劇場
<キャスト>
【ジークフリート】クリスティアン・フランツ
【ミーメ】ヴォルフガング・シュミット
【さすらい人】ユッカ・ラシライネン
【アルベリヒ】ユルゲン・リン
【ファフナー】妻屋秀和
【エルダ】シモーネ・シュレーダー
【ブリュンヒルデ】イレーネ・テオリン
【森の小鳥】安井陽子
<演奏>
【指 揮】ダン・エッティンガー
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
<初演スタッフ>
【演 出】キース・ウォーナー
【装置・衣裳】デヴィッド・フィールディング
【照 明】ヴォルフガング・ゲッベル
【振 付】クレア・グラスキン
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モーツァルト:カンタータ 「悔悟するダヴィデ」 by ラ・プティット・バンド

2010-02-14 | CDの試聴記
いやー、モーグルの上村愛子さん、ほんとに惜しかった!
さぞかし悔しかっただろうなぁ。
メダルに手がかかっていたのだから、なおさらだと思う。
インタビューで「なんでこう一段一段なんだろう」と語る涙目の上村さんをみたときは、彼女がこれまでどれほどの試練に耐えそれを必死で克服してきたかを考えると、思わず私までうるうるしてしまった。
でも、いま私は猛烈に感動している。
自分のやってきたこと、そして現在の自分をひたすら信じて、決して逃げずに前へ進むことの素晴らしさを、彼女が身をもって示してくれたから。
だから、あえて残念という言葉は使わない。
胸を張って、堂々と日本へ帰ってきてください。
貴女にとって思い出深いバンクーバーの地から、大きな感動をくれて本当にありがとう。

こんなときに何を聴いたらいいのかよくわからない。
ただ、何故かモーツァルトの声楽を伴った曲が聴きたいと思って、取り出したのがこのカンタータ。
初めてこの曲を聴いた人は、例外なく「あれっ、どこかで聴いたぞ」と思うはず。
あるいは、ディスクをかけ間違えたんじゃないかと、驚いてジャケットを確認するかもしれない。
私は、後者だった。
どこかで聴いたと思うのも無理はない。
この曲のベースは、あの未完の大作「ハ短調ミサK.427」なんですから。
モーツァルトがウィーン音楽芸術家協会へ会員として入会するにあたり、急遽声楽曲を作る必要があって、2年前に作曲した「ハ短調ミサ」のキリエとグロリアに新作の2曲のソロ・アリアを挟み込む形で作られたのがこのカンタータ。

ところで、特急仕立てが気に入らないのか、間に合わせ主義に感じたのか分からないが、どうも巷ではあまり評価されていないらしい。
でも、そんな経緯は私には何も関係ない。
この曲が大好きなのだ。
急場しのぎであったことは間違いないけど、そもそもモーツァルトのような何百年に一人の天才の仕事に、抜かりがあるはずがないじゃないか。
早指し将棋を彼が知っていたら、きっと死ぬまで無敗を誇ったことだろう。
その証拠に、新たに加わった2曲のアリアをきいてみるといい。
6曲目のテノールが歌うアリアは、とにかく抒情的な美しさで際立っている。
歌が始まる序奏をきくだけで、既に私はメロメロ。
ハ短調ミサでは用いられなかったはずのクラリネットが、実にいい味で入ってくる。
そして、オーボエからフルート、ファゴットと繋がっていき、お待ちかねのテノール氏の登場となる。
この旋律がまた美しい。
タミーノやベルモンテ、フェルランドあたりが、このアリアをオペラの中で歌ったとしてもまったく違和感がないだろう。

8曲目のソプラノのアリアは、より劇的だ。
悲劇的な響きの前半が終わると、後半は一転して晴れやかな明るさをもった音楽に変わる。
何年か前に放送していた「毎日モーツァルト」という番組で、このアリアをとりあげていたことがあったっけ。
「ダヴィデ」という歌詞は、不思議なことに、このカンタータのどこにも出てこない。
毎日モーツァルトの中では、この点について旧約聖書のダヴィデの詩編を引き合いに説明していた。
イスラエルの王ダヴィデが不倫の末、不倫相手の夫(部下である有能な将軍)を戦地に送り戦死させてしまった。
このことで神の怒りをかったダヴィデは深く悔い改め、その後赦されたという。
ダヴィデの悔悟(難しい言葉ですね)と赦された喜びが、この音楽のテーマだと結んでいた。

最後に演奏のことを。
私はこの1枚しかディスクを持っていないが、何ら不満はない。
神聖な空気に触れるような感触があって、アンサンブルも緊密。
独奏者、コーラスの出来も素晴らしく、この曲の真価を十分に伝えてくれる名演だと思う。
それから、このカンタータが終わった後、静かに静かに「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が始まる。
もう、最高の演奏にして最高の演出だと思った。

モーツァルト
■カンタータ「悔悟するダヴィデ」K.469
■モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618
<演奏>
■ラキ(S),ファリエン(S),ブロホヴィッツ(T)
■オランダ室内合唱団
■クイケン指揮
■ラ・プティット・バンド
<録音>1985年4月
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マティス&若杉弘 R・シュトラウス:「4つの最後の歌」ほか @サントリーホール

2010-02-12 | BS、CS、DVDの視聴記
あー、さむいさむい。
花粉大魔神も、そろそろ暴れ出した。
外勤には一番いやなコンディションだ。
そしてこんな日の外勤に限って、とびきり手強いミッションが待っている。
しかし、今日は何故かいやな予感がなかった。
理由はいたって単純。
某日本テレビ系の「あかさたな占い」で、私の「は」行が最高の運勢だったのだから・・・
「信ずる者は救われる」じゃないけど、果たして手強いミッションとやらも難なくクリア。
今日はなかなかに良き日でありました。

さて、良き日と言えば、今日2月12日はエディット・マティスさんのお誕生日。
何回目かって?
そんな野暮なことを言ってはいけません。
ただただ、いつまでもお元気でいてくださいと願うばかりでございます。
これって、ひとりの熱狂的ファンの本心ですよ(汗)
今日のタイトルだって、本当は「エディット・マティス3」としたかったのだけど、3回も続けて同じ女性歌手のことをエントリーしていると思われるのが恥ずかしくて、みえみえの小細工をしたくらいなのだから。

そのマティスさんが歌った貴重な録画映像を引っ張り出してきた。
1989年に若杉弘さんに率いられて来日したドレスデンシュターツカペレのコンサートだ。
彼女が歌っているのは、R・シュトラウスの「4つの最後の歌」。
中でも第3曲の「眠りの前に」と第4曲「夕映えのなかで」が、とびきり美しい。
マティスさんの知的で深い情感を中に秘めたアプローチが、この音楽の本質を見事に言い当てていると思う。
また絶妙の節回しで絡みつくソロ・ヴァイオリン、ホルンの見事さは、まさにシュターツカペレの独壇場。
この曲の正規録音を彼女は多分残していないと思うので、その意味でもこの映像はますます貴重だ。

マティスさんのことばかり書いたけど、冒頭の躍動感に満ちた「ドン・ファン」、全編しっとりと歌わせながら格調高さがとりわけ印象に残るメインの「ブラ4」、そして究極の美しさと評したいアンコールの「月光の音楽」。
いずれも、昨年惜しくも亡くなられた若杉さんの素晴らしい偉業だ。
こんな素晴らしい映像こそ、是非是非また「思い出の名演奏」でとりあげてください。
NHKのプロデューサー・ディレクターの皆様、どうかよろしくお願いします。

<日時>1989年4月5日
<会場>サントリーホール
<曲目>
■R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
■R・シュトラウス:「4つの最後の歌」
■ブラームス:交響曲第4番ホ短調
(アンコール)
■R・シュトラウス:歌劇「カプリチョ」から「月光の音楽」
<演奏>
■エディット・マティス(ソプラノ)
■若杉弘(指揮)
■ドレスデン・シュターツカペレ
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エディット・マティス 2

2010-02-09 | その他
日曜日にエディット・マティスの来日コンサートの映像を見てからというもの、まだ熱病に浮かされたようになっている。
まる2日が経つというのに、症状は重くなる一方だ。
そんな中、ブログにコメントを寄せて下さったlunlunさまの情報では、今年もマティス女史は来日されるらしい。
しかも公開レッスンもされるそうな。
ほんと?これは、何をさておいても調べなきゃ・・・
というわけで探しました。それこそ必死で探しましたよ。
そして見つけました。
lunlunさまのお話の通り、2月の終わりに公開レッスンがあったのです。

喜んだのもつかの間、公開レッスンの場所をみて愕然とした。
何と会場は神戸だったのだ。
オー・マイ・ゴット!
しかし、気を落としている場合ではないぞ。
学生時代を過ごした思い出の神戸へ行くのも悪くないと気を取り直し、手帳をくってみる。
そして再び愕然。
何と公開レッスンの日である28日は、樫本大進さんのバッハの無伴奏全曲演奏会の日だったのだ。
あー、ダメだー。

今年は、やっぱり縁がないのかなぁ・・・
でも、神戸以外に東京では本当に公開レッスンやらないのかしら。
マティスさんに会いたい。
珍しく往生際が悪い私でございました。
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エディット・マティス ソプラノ・リサイタル (教育テレビ:思い出の名演奏)

2010-02-07 | BS、CS、DVDの視聴記
日曜日に不定期に放映されている教育テレビの「思い出の名演奏」。
今朝、新聞のテレビ欄をみて、私は小躍りした。
何、エディット・マティスの来日公演?
「嘘じゃないよね」と半信半疑でテレビをつけた。
電子番組表で確認すると、確かに「エディット・マティス ソプラノリサイタル」と記されている。
ブログでも何度か書いたことがあるが、私にとってマティスこそ最高にして最愛のソプラノ。
そのマティスのリサイタルが映像つきで見れるなんて・・・。
何と言う幸せ。
早速ブルーレイレコーダーで録画予約。

いよいよ放送の時間が来た。
どきどきしながら見た、聴いた。
そして目茶苦茶感動した。
1986年といえば、私はまだ大阪にいるときだ。
ステージに登場したエディット・マティスは当時48歳のはずだが、若い頃の美貌はいささかも衰えていない。
暖かく上品な人柄がそのまま滲み出てくるような歌唱に、私はすっかり魅了された。
そして、彼女の最大の美質だと信じて疑わない、しなやかさを決して失わない清潔な表現と発音の美しさも、今回あらためて実感させてくれた。

とくにR・シュトラウスの「あすの朝」の高貴なまでの美しさに至っては、もはや言葉が見つからない。
何回繰り返し見たことだろう。
もう、ため息しかでない。
こんな素晴らしい映像を放送してくれたNHKには、ただただ感謝するばかりだ。
エディット・マティス様、これからもずっとお元気でいてくださいね。

<日時>1986年6月12日
<会場>東京文化会館小ホール
<曲目>
ベートーヴェン作曲
■「追憶」
■「悲しみの喜び 作品83-1」
■「うずらの声」
ドイツ民謡集(ブラームス編)
■「一本のぼだい樹が」
■「静かな夜」
■「どうしたら戸が開けられるか」
■「深い谷間に」
■「騎士」
■「お母さん 欲しいものがあるの」
ブラームス作曲
■「舟の上で 作品97ー2」
■「嘆き 作品105-3」
■「月夜」
■「おとめの歌 作品107-5」
■「春の歌 作品85-5」
R・シュトラウス作曲
■「あすの朝 作品27-4」
■「冷たい空の星よ 作品19-3」
■「もの言わぬ花 作品10-6」
■「帰郷 作品15-5」
■「ときめく胸 作品29-2」
(アンコール)
■R・シュトラウス:「お父さんの言うことには 作品36-3」
■ブラームス:「おとめの歌 作品95-6」
■モーツァルト:「すみれ K.476」
■ブラームス:「こもり歌 作品49-4」
<演奏>
■エディット・マティス(ソプラノ)
■小林道夫(ピアノ)


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セゲルスタム&読響 オール・シベリウス・プログラム(2/6) @東京芸術劇場

2010-02-06 | コンサートの感想
今日は読響マチネの日。
マチネー会員として読響のコンサートを聴くのは、実は来月が最後になる。
「ライヴこそ私のサプリメント。何としても継続して生の音楽に触れたい」と渇望し、6~7年前から年間会員として聴き続けてきたマチネーコンサートだったが、4月からは新たに芸劇名曲コンサートの会員として読響のコンサートを聴くことにした。
理由は単純で、来シーズンのプログラムを見比べて、名曲シリーズの方により強く惹かれたから。
この経緯については、後日もう少し詳しく書かせていただこうと思う。

さて、2月のマエストロはセゲルスタム。
お国もののオール・シベリウス・プログラムというのが嬉しい。
いままでセゲルスタムの演奏で裏切られたことは一度もなかったので、大いに期待して一路芸劇へ。

<日時>2010年2月 6日(土) 14:00開演
<会場>東京芸術劇場
<曲目>
《オール・シベリウス・プログラム》
■交響詩〈フィンランディア〉
■ヴァイオリン協奏曲
■交響曲第1番
<演奏>
■松山 冴花(ヴァイオリン)
■レイフ・セゲルスタム(指揮)
■読売日本交響楽団

ところが行く途中でアクシデント勃発。
埼京線が強風で遅れてしまい、池袋駅に着いたら開演4分前だった。
これはいかんと、慣れないダッシュでホールへ向かい、何とか滑り込みセーフ!
ホールへ繋がるエスカレータが、今日ほど長く感じられたことはなかった。
ほんと、あぶないあぶない。
客席で汗を拭きながら待っていると、セゲルスタムが巨体を揺らしながらステージに登場してきた。
相変わらず大きい。赤い服を着せたら、まさにサンタさんそのものだ。
しかしひとたびタクトを握れば、この人並み外れた巨体が包容力の源に変わるのだから不思議。
フィンランディアの冒頭から、早くもセゲルスタム節が炸裂する。
スケールが大きく、ドラマティックだ。
それでいて荒っぽい感触は皆無。
進む方向性が明快で、太いタッチで描かれた彼の音楽は、やはり際立って大きな安心感を与えてくれる。

2曲目は、松山冴花さんをソリストに迎えてのヴァイオリン協奏曲。
松山さんの演奏を聴くのは初めてだったが、第1楽章冒頭の弱音部の表情が独特だった。
儚さとか強いメッセージ性は感じられない。
その代わり、まったく重量がないようなふわっとした感触でフレーズが紡ぎだされる。
まるで空間にメロディが浮かんでいるようだった。
その後、徐々に輪郭がはっきりしてきて、実在感を増した表現に変わっていく。
そのさまは、まさに圧巻。
ライトのせいかチューニングに苦労していたようだが、私は大変充実した演奏だと感じた。
また、演奏とはまったく関係ないが、以前彼女の書いたブログが実に面白いので、興味のある方は是非読んでみてください。
とくにピアスのことを書いたエントリーは抱腹絶倒です。

休憩をはさんで、この日のメインは交響曲第1番。
これがまた良かった。
雄大なスケールと抒情美あふれる歌に圧倒される。
見たこともないフィンランドの情景が、まざまざとステージ上に描き出されているような気がした。
少し話がそれるが、昨年末に開催された「M1グランプリ」で「笑い飯」が「鳥人(とりじん)」というネタを披露した。
もう最高に面白い出来で、島田紳介さんが100点を出して話題になったのだけど、私はオール阪神巨人の巨人師匠の評が忘れられない。
「何度見ても本当に素晴らしい。普通は回数を重ねると球も遅く感じるものだけど、このネタは逆だ。いつでも鮮明に情景が浮かんでくるんですよね」と。
そう、情景(=イメージ)をはっきりと表現するすることは、かくも重要なのです。

それからセゲルスタムは、この交響曲第1番について、次のように語っている。
『交響曲第1番では、「シーベリウス」と聞こえるクラリネットソロで始まっています。シベリウスの母国語であるスウェーデン語では、リウスには光という意味があり、シーベは半音を意味します。ですから、ちょっと冗談めかして言えば、「さて、今から半音を使っていかに陰影をつけられるか、ひとつやってみせましょう」と言っているように思えるのです。』

なかなか含蓄のある説明でしょ。
私は大いに納得してこの日の演奏を聴いたのです。
すると、確かに「シーベ・リウス」と聴こえてくるじゃありませんか。
しかし、その後登場するフレーズも「シー、ベリベリベリ・・・」と聴こえてくるし、第2楽章も「もういくつ寝ると、シベリウス」と聴こえてくる。
終楽章もまったく同じ。
もう40分間、ステージ・ホールを問わず、「シーベリウス」だらけじゃないか。
サンタ・セゲルスタムさん、ほんとに貴方は殺生なことを教えてくれました。
これから私はこの曲を聴くときに、絶対「シーベリウス」の呪縛から逃れられなくなってしまったじゃないですか。
夢の中にまで「シーべリウス」が出てきたら、いったいどうしてくれるの?
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