六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

野を食す 野蒜(のびる)と食糧難の思い出

2021-04-11 03:00:32 | 想い出を掘り起こす

 田舎育ちのせいで野蒜は子供の頃から知っていた。折から戦後の食糧難、私のような疎開民は食べられるものは何でも口にした。
 そんななか野蒜は、フキノトウやツクシ、セリなどと並んでこの時期の食用野菜として貴重だった。

              
                採ったばかりの野蒜

 なにしろ、あの固くてジャリジャリするスギナまで、ヒジキの代わりとして食べた時代だ(これとは別にオカヒジキという山菜があるが、これはさっぱりとしていてうまい)。なにしろ、有毒という彼岸花の球根すら毒を取り除いて食用にするほどだったのだ。

 話はとぶが、私が居酒屋をやっていた時代、8月15日には特別メニューとしてスイトンを出していた。戦時の代用食の代表格を提供し、往時を偲んでもらうためだった。
 しかし、これは逆効果だった。若い人から、「戦中、戦後にこんなうまいものを食っていたなんて・・・・」という反応があったからだ。

             
                 シンクに入れて洗う

 そりゃあそうだろう。板場が、カツオ出汁を効かせた汁に、小松菜などをあしらい、メリケン粉のなめらかな落し団子とカマボコの一切れぐらいを添えているのだから。
 戦中、戦後のそれは、味付けはほとんど塩だけ、あるいは醤油か味噌だけ、具はクズ野菜、そして落とし団子はふすま粉混じりのザラザラ、パサパサした食感。
 ふすま粉を手に入れれば再現可能だが、飲食店としてあからさまに不味いものを提供するわけにはゆかないではないか。

 野蒜に話を戻そう。うちの近くの田ののり面に群生しているところがあり、容易に採れる。ただしもう、時期が遅かったかもしれない。
 球根も茎も葉も、湯がいてヌタにできるが、茎も葉ももう硬そうだ。よく湯がかねばなるまい。それでも茎の太いのは、葉先以外は硬そうだから天ぷらにしようと思う。球根のみを生味噌という手もある。ピリッと辛くて酒が進む。

         
                  掃除が終わった

 この国は老人が暮らすには厳しい。年金は年々数字的にも実質的にも目減りし、私の場合は僅かな厚生年金と国民年金とで、合わせて月8万ほどだ。
 その意味で、野にあるものを食すのは生活防衛でもある。足腰が立つ間は、せっせと野の恵みをかき集めようと思う。
 そのうちに、彼岸花の球根の解毒法を学ばねばなるまい。
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2021 卯月某日の絵日記 | トップ | ある奇遇、そして・・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。