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ある農夫の苦闘の記録 倒伏した田の刈り取りを見る

2014-10-30 02:21:44 | 写真とおしゃべり
 これは先般来、私がやきもきしながら見てきた私のうちのすぐ隣りの、刈り残された田圃の始末記です。それはまた、この農夫の丸一日の苦闘の記録でもあります。

          

 有機農法を試みたのだと思います。それがなんかの手違いがあったのでしょう、風雨に耐え難くほぼ全面に倒伏する結果になってしまったのでした。
 そして、同じ頃に田植えをした田がすべて刈り取られてから20日余り、ここだけが無残な様相で取り残されていたのです。



 ここは、二階に住む私が、朝起きて部屋を出た途端に目にする田なのです。その間、目にするたびに、どうしたんだろう、今年は収穫を諦めたのだろうか、いやそんなはずはない、このまま放置されるはずはないと一人気を揉んでいたのです。



 それがついに昨29日、始まったのです。
 午前9時頃、物音に気づいた私が見下ろすと、もう作業は始まっていました。
 しかし、例年のようにスイスイと刈り取ってゆくというわけには行きません。
 コンバインを少し動かしては、倒伏のひどい場所では降り立っての手作業です。
 ですから、見ているとコマギレの蕎麦をすするようなイライラするほどの作業です。
 いちいち説明はしませんが、写真をご覧になればその過程を想像していただくことができるでしょう。



 最初の方に、彼とは違うおじさんが出てきます。
 このおじさんは、私の家から見て、彼の田圃の手前にある休耕田の持ち主です。
 おじさんは自転車でやってきて、ミレーの「種まく人」よろしく何やら細かい種を休耕田一面に撒きました。勘の良い人はお分かりのように、これはレンゲの種です。来春には可憐な花をつけ、私の目を楽しませてくれることでしょう。



 このおじさん、帰り際にコンバインの彼と何やら話しているツーショットの写真があるでしょう。何を話していたのかはもちろん分かりませんが、農家特有の会話があったものと思います。



 ツーショットといえば、コンバインに乗った彼とカラスのものがあるでしょう。この辺りは倒伏が少なくて鼻歌交じりでコンバインを操作できる場所です。でも、そんな場所は圧倒的に少ないのです。



 途中と終わりの方に、道端に積まれた白い袋が出てきますでしょう。
 これは刈り取りから脱穀まで行う自脱型コンバインで、脱穀された米が入った袋です。20キロぐらいではないかと思うのですが、途中の白い車と一緒に写っているものでは20袋ですが、終わりの方のバスと一緒のものでは50袋に増えていますね。



 本当は最後まで彼の作業を見届けたかったのですが、図書館や食糧の仕入れなどに行く必要があったため、午後3時半ぐらいでウオッチングを切り上げました。あと一往復ぐらいで終わるところですね。



 帰宅すると、もう日はとっぷりとくれていました。最後の写真のように田はすっかり刈り取られています。
 例年なら半日もかからないくらいの作業を、ほとんど一日かけて行ったことになります。



 よく、米という字を分解すると八十八になる、つまり88回の手が加えられているのだといったりしますが、私の母方の祖母はもっと簡潔に、「六や、一粒の米でも出来るのに一年かかるのだぞ」といって、飯台の上はもちろん、床に落ちた一粒の米でも拾って食べろと諭しました。今でもその言いつけを守っています。

 本当にお疲れ様でした。
 来年は、ちょっとやそっとでは倒伏しない稲を育てたいものですね。
 収穫量や米の質ががそれほど落ちていませんように。








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