毎年、今頃に発表される「今年の漢字」、今年は「輪」だそうです。
日本漢字能力検定協会(数年前には背任横領などのトラブルが発覚)というところのキャンペーン行事だそうですから、とくに権威云々という話ではないでしょう。
私の場合、毎年、横目でちらっと見る程度ですが、それでも例年、なるほどなとそれなりに納得のゆく点もありました。
しかし、今年の「輪」はどこか説得力もインパクトもないですね。
どうやら五輪決定が一番の理由らしいのですが、そんなものやる暇と金があるなら東北の復興をもっと真面目にやれと思っている向きには、ただただ押し付けがましいばかりです。
さきごろ発表された「流行語大賞」も、四つを列記するということで、選定側の決断力のなさを批判されたりしていましたが、いずれにしても世相を読むことが難しくなってきているのかもしれませんね。
安部首相の今年の漢字は「夢」だと報じられていますが、これは、特定秘密法案の強行突破や生活保護法の改正(悪)に見られるように、この人のいう「美しい日本」、「日本を取り戻す」という「夢」が叶いつつあるということの表明でしょうか。それにしても「夢」とはまた小学生の作文かそれ以下の表現でしかないようですね。
さて、「輪」について、私に対案があるわけではありませんが、考えてみたらほかに音で「リン」と読む字はけっこうありますね。
そういえば「朝日」の朝刊の時事漫画には、「倫」と書かれた紙の前で、猪瀬都知事が佇んでいる針すなお氏の作品が掲載されていました。もちろん、猪瀬氏の「倫理」を問うているものですね。ほんとうなら猪瀬氏、「五輪」の顔だったはずなのに、身から出た錆とはいえ、その言い訳はいささかも「凛然」とせず、正当性の「片鱗」をも示してはいませんね。まもなく、ご「臨終」との見方も濃くなってきたようです。
私も同様に、「リン」と読む字を巡って考えて(というより、こじつけて)みました。
まずは「臨」です。
一強多弱といわれる政治体制の中で、自民党がでんと「君臨」しやりたい放題ですね。特定秘密法案の運用によっては、「臨検」という戦前の制度が考えられます。これは、現在意味されている不審な船舶などに立ち入って調べるということだけではなく、催しなどの際には、警官が「臨席」する「臨検」席という場所が設けられ、弁士が不穏な発言や機密にふれる発言をするやいなや直ちに中止を命じることができる言論統制の手段でした。もちろんそれに従わない場合は即逮捕でした。
次は「隣」でしょうか。
「近隣」諸国との関係はとみに悪化しています。いずれも「隣国」であるだけに深刻です。これは相手があることですから、こちらのありようだけでは解決しない点もありますが、少なくともより刺激しあうことは避けるべきでしょう。「死ね」とか「殺せ」のヘイトスピーチはもってのほかです。
週刊誌等が、「日中もし戦わば」などという「臨戦」ムードを拡散するのもいかがなものでしょう。あ、この「臨」は上の項目でしたね。
続いて「吝」です。
なんとかミクスが幅を利かせているようですが、どうも社会的弱者にとっては「吝嗇」としか考えられない仕打ちが続いていますね。
企業所得の減税が検討されるなか、年金や生活保護は削減され、来春には消費税の追い打ちが待っています。
おかげでこれといって収入のない、しかもそれが増えるあては全くない私のような世帯は「火の車輪」です。そうそう、これは今年の「輪」でいいのですね。
いろいろいってきましたが、まあ、いまの世相はあまり「輪郭」がはっきりしないということなのでしょうか。
え、私?私の場合は「凛」としたいのですが、やはり「淋」でしょうね(あ、間違っても後ろに「病」は付けないで下さいね)。
日本漢字能力検定協会(数年前には背任横領などのトラブルが発覚)というところのキャンペーン行事だそうですから、とくに権威云々という話ではないでしょう。
私の場合、毎年、横目でちらっと見る程度ですが、それでも例年、なるほどなとそれなりに納得のゆく点もありました。
しかし、今年の「輪」はどこか説得力もインパクトもないですね。
どうやら五輪決定が一番の理由らしいのですが、そんなものやる暇と金があるなら東北の復興をもっと真面目にやれと思っている向きには、ただただ押し付けがましいばかりです。
さきごろ発表された「流行語大賞」も、四つを列記するということで、選定側の決断力のなさを批判されたりしていましたが、いずれにしても世相を読むことが難しくなってきているのかもしれませんね。
安部首相の今年の漢字は「夢」だと報じられていますが、これは、特定秘密法案の強行突破や生活保護法の改正(悪)に見られるように、この人のいう「美しい日本」、「日本を取り戻す」という「夢」が叶いつつあるということの表明でしょうか。それにしても「夢」とはまた小学生の作文かそれ以下の表現でしかないようですね。
さて、「輪」について、私に対案があるわけではありませんが、考えてみたらほかに音で「リン」と読む字はけっこうありますね。
そういえば「朝日」の朝刊の時事漫画には、「倫」と書かれた紙の前で、猪瀬都知事が佇んでいる針すなお氏の作品が掲載されていました。もちろん、猪瀬氏の「倫理」を問うているものですね。ほんとうなら猪瀬氏、「五輪」の顔だったはずなのに、身から出た錆とはいえ、その言い訳はいささかも「凛然」とせず、正当性の「片鱗」をも示してはいませんね。まもなく、ご「臨終」との見方も濃くなってきたようです。
私も同様に、「リン」と読む字を巡って考えて(というより、こじつけて)みました。
まずは「臨」です。
一強多弱といわれる政治体制の中で、自民党がでんと「君臨」しやりたい放題ですね。特定秘密法案の運用によっては、「臨検」という戦前の制度が考えられます。これは、現在意味されている不審な船舶などに立ち入って調べるということだけではなく、催しなどの際には、警官が「臨席」する「臨検」席という場所が設けられ、弁士が不穏な発言や機密にふれる発言をするやいなや直ちに中止を命じることができる言論統制の手段でした。もちろんそれに従わない場合は即逮捕でした。
次は「隣」でしょうか。
「近隣」諸国との関係はとみに悪化しています。いずれも「隣国」であるだけに深刻です。これは相手があることですから、こちらのありようだけでは解決しない点もありますが、少なくともより刺激しあうことは避けるべきでしょう。「死ね」とか「殺せ」のヘイトスピーチはもってのほかです。
週刊誌等が、「日中もし戦わば」などという「臨戦」ムードを拡散するのもいかがなものでしょう。あ、この「臨」は上の項目でしたね。
続いて「吝」です。
なんとかミクスが幅を利かせているようですが、どうも社会的弱者にとっては「吝嗇」としか考えられない仕打ちが続いていますね。
企業所得の減税が検討されるなか、年金や生活保護は削減され、来春には消費税の追い打ちが待っています。
おかげでこれといって収入のない、しかもそれが増えるあては全くない私のような世帯は「火の車輪」です。そうそう、これは今年の「輪」でいいのですね。
いろいろいってきましたが、まあ、いまの世相はあまり「輪郭」がはっきりしないということなのでしょうか。
え、私?私の場合は「凛」としたいのですが、やはり「淋」でしょうね(あ、間違っても後ろに「病」は付けないで下さいね)。