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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【ルポ】ストリップ集団と背広集団

2008-12-14 15:29:42 | 写真とおしゃべり
 いろいろ気が晴れぬことが多い中、元気に触れて自身を奮い立たせるべく、岐阜市北西部の葛懸(かつらがけ)神社の神事、通称「池の上裸まつり」を見に行きました。
 同じ岐阜にいながら、このお祭りは初めてです。
 この地方では、愛知県の国府宮の裸まつりが規模も大きく有名ですが、この「池の上」のそれは毎年、年末に行われること、国府宮が裸でもみ合うだけなのに池の上は長良川に漬かって「みそぎ」をするなどという特色があります。

 

 それともうひとつは、そのみそぎの行事が午後3時、7時、10時と三回にわたって行われるのも相違点でしょう。さらには、国府宮が大人のまつりであるのに対し、池の上では大人たちに加えて子供の裸隊も加わります。
 夜は苦手ですから、3時の部に出かけました。

 

 始まる前に神社に着き、そのたたずまいなどを写真に納めていたのですが、なんだか様子が変です。
 地味な背広の目つきがきつい人たちが、神社のあちこちに配備されていて、鋭く警戒の目を光らせているのです。

 

 昼行灯の私が気づくくらいですから、かなり目立つ存在です。
 同行した人に「なんでしょうね、あれは?」と尋ねると、「この祭りは荒れるから警察関係が警備しているのでは」と自信なさげな返事です。それもそのはず、普通の警官はちゃんと警官と分かる服装で警備に当たっているのですが、彼ら「地味背広軍団」は明らかに一般の警備とは別なたたずまいなのです。

 
             拝殿の中での神事

 彼らの警戒は周到です。たとえば、私がいいカメラアングルを探して拝殿の裏に回ると、そこにも彼らがいるのです。
 同行者もそれに気付いて、「あれはSP(Security Police)かな。この祭りが有名になって、皇室の人でも来るのだろうか」といっていました。
 やがて、拝殿付近でどよめきが起こり、その謎が解けました。

    
             後ろにいるのもSP

 彼らが警備していたVIPは、先の「vs佐藤ゆかり」戦を制したあの大臣の参拝なのでした。
 彼女が信心深いと思う人はよほどナイーヴな人です。
 彼女ら政治家という人種は、人の集まる場所には顔を出すのです。
 私は、昨年の加納天満宮のお祭りでも彼女と出会っています。

 かくして、謎が解けました。
 大臣は、ほぼ10分ほどの滞在で、姿を消しました。
 私は近くにまで寄って彼女の行動を観察したのですが、年配者やミーハー(死語か?)の若者たちが、SPに囲まれた彼女に握手を求め、彼女は彼女で子供たちに「どう、楽しい」などと声をかけていました。
 やがて、彼女が足早に立ち去ると、あの地味背広軍団もサッと潮が引くようにいなくなりました。

    
        出番が待ちきれなくて控所から覗く少年

 これでいつもの祭りの雰囲気に戻ったようです。
 社務所のところで、受付のおじさんの話を聞いていて、面白いと思いました。
 このお祭りの裸男、誰でも参加できるのです。
 近くの公民館で記帳すれば、鉢巻きとフンドシが支給され、大根の煮付けを肴に酒が振る舞われて、裸男の一丁上がりなのだそうです。
 これを読んでいるあなた、来年はいかがですか? え?あなた、女性? 女性は見なかったですね。

 
            いよいよ子供隊の出陣

 まずは子供たちの裸が登場です。
 例年になく暖かかったのですが、その陽を受けて子供たちの裸は綺麗です。
 元気で、いたずらっぽく、先導の大人が統率しようとするのですが、それを逸脱して弾けています。
 拝殿から長良川へ向かう道筋を元気なかけ声を挙げながら、家族や知り合いから名を呼ばれるとVサインをしながら進みます。

 
           続いて大人隊 出発前の揉み合い

 その後に続く大人たちは勇壮です。メタボおじさんも、異国の人も。そしてなんと、私ぐらいの人も混じっているではありませんか。そのしわくちゃなおっさんが、一瞬神々しく見えました。
 でもって、来年は私もというわけにはゆきません。
 今年はともかく、例年雪がちらつくという長良川へ、裸で入る勇気は私にはありません。

 行く途中と帰途の二回、神男の胴上げがあります。
 神男は、赤い鉢巻きに赤いフンドシで、進行中はいつも裸の集団の中央にいて揉まれながら進みます。
 ですから、胴上げの時以外、観衆からは神男はほとんど見えません。

 
      長良川へ 後ろの白い橋は忠節橋 金華山と頂上の岐阜城も

 ワッショイ、ワッショイと練り歩いて川へ入ります。
 しかし、川でのもみ合いはなく、みそぎは割合淡白です。
 その後、また揉み合いながら神社へと帰ります。

 この一サイクルの終わった後、近くの公園で餅撒きがあります。
 紅白揃いの餅を拾うと縁起がいいようです。
 ぼんやり見つめていてひとつも拾わなかった私に、同行者が、自分は紅白含めて三つ拾ったからといって私にひとつくれました。赤い餅の方でした。

 
             川からの帰途の揉み合い

 そこで家路につきました。
 実はこの神社から、ほど遠くないところに私の通っていた高校があります。
 その近くの、忠節橋に立って長良川を見つめると、折りからの夕陽が川面にきらめいて、半世紀以上前にここを自転車で通学していた紅顔の美少年の頃が偲ばれるのでした。



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お茶を濁します。

2008-12-14 01:15:00 | よしなしごと
 書きたいことがあるのですが、まとまりません。 
 母が病に伏しているのですが、周辺の人たちもばたばた病魔に襲われています。

    

 高校時代から親しい友人三人で、一夜、年越しの語らいでもしようといっていたのですが、他の二人の連れあいが倒れてしまい、結局、果たせずに終わりました。
 追い打ちをかけるように、例年この時期にくる「喪中につき・・」の葉書も今年は一気に増え、私が出す予定の年賀状の2割ほどになっています。
 私も母のことがありますので、年賀状はぎりぎりになって出すつもりです。

 

 なんか、ぐったりする話題ばかりで、こちらもめげそうです。
 近所の垣根で咲いていたお茶の花を載せます。
 小さくても椿の仲間だそうです。

 これが本当のお茶を濁すですね。


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【ルポ】目の当たりにする平成の柳ヶ瀬「ブルース」

2008-12-12 02:03:33 | 歴史を考える
 美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」が大ヒット(シングル120万枚)したのは昭和41(1966)年のことでした。
 この歌によって岐阜市の繁華街、柳ヶ瀬は全国に知られるところとなったのですが、しかし、そうした状況は追い風にはなったとはいえ、既にしてそれ以前から柳ヶ瀬は繁華な街だったのです。

 
        以下の写真共々、空白の行灯看板にご注目下さい

 歩いての10分ほどで端から端まで行けるような地域に、1,000軒に近い商店が軒を連ね、10館近い映画館やパチンコなどの遊戯施設も賑々しく、昼は市内はもとより近郷近在から善男善女が集い、ショッピングに、娯楽にと繁栄を誇ったものでした。

 

 さらに凄かったのは夜の賑やかさでした。かつて、社交場といわれたグランドキャバレーがこの一帯に集中し、さらにはバーやクラブ、それらを取り巻くようにして飲食街がひしめいていました。
 その安価さと気楽さが人気を呼んで、「名古屋からタクシーを飛ばしても岐阜の方が面白く値打ちに遊べる」といわれ、事実そうした客も含めて、柳ヶ瀬界隈は毎夜、一大不夜城と化すのでした。
 それらの夜の街が、集団就職(岐阜は繊維二次加工の街で、主に九州方面などから縫製工が多かった)でやって来た人たちの一部が転職し、その人たちによって支えられていたことは前にも述べた通りです。

    

 その当時、週末など、柳ヶ瀬本通りは人と人とが肩をすり合わすことなくして歩けないほどでした。現在の新宿や心斎橋筋のような様相だったといっていいでしょう。その道を今、お買い物のママチャリがスイスイと行き交う様を見ると、まさに隔世の感があります。

 

 といったことで回顧談は終わりにして、現況の柳ヶ瀬を示す一端を載せてみました。一見、場末のうらぶれた商店街に見えますが、ここは柳ヶ瀬の中心からほど遠からぬ、高島屋岐阜店の南側の商店街なのです。
 もっと正確に言うと、高島屋の南玄関前から左右前後を見渡した風景なのです。

 注目して見ていただきたいのは、同じ規格に整えられている商店街の行灯看板です。
 文字の書いてあるものとないものがありますね。文字の書かれていないもの、これはまだ書かれていないのではなく、かつて書かれていたものが消去されたものです。以前はこの空白の看板の下には、それぞれの店があったわけです。
 ようするに、この空白の看板は、死んでしまった商店の墓標のようなものなのです。

    
           これは生きている店の行灯看板

 何とももの悲しい風景ですね。
 年末商戦で明々としたデパートの照明が輝くすぐ近辺がこの有様なのです。
 では、このデパートが一人勝ちした結果としてこうした状況が生じたのかというとそうでもありません。
 このデパートそのものが撤退の噂に常にさらされ続けているのです。
 
 振り返れば、かつて岐阜市にも複数のデパートがありました。
 ここ10年ほどの間に、それらは全て撤退したり閉店したりして、今やこの高島屋を残すのみなのです。
 その高島屋が、同系列の高島屋JR名古屋店と競合してしまっているのは皮肉としかいいようがありません。岐阜・名古屋間が、JRの快速で18分という距離ですから、それも無理ないのです。

    
           これはなくなった店の行灯看板

 ですから、こと柳ヶ瀬の場合、商店街とデパートは競合というより、かろうじて相互に共生しているといった方がいいかもしれません。ということは、このデパートが撤退したら、この商店街はさらに求心力をなくし、周辺はもっと暗くなるでしょう。

 商店街の人たちは、いろいろ企画をし頑張ってはいます。
 しかし、組合や発展会にとって商店数の著しい減少は深刻な問題です。組合費の減少は街のインフラともいえる諸部門の維持管理を困難にしています。そこへもってきて組合役員の1,000万円の使い込みといったことなども重なり、アーケードの破損部分の修復もままならぬと新聞は報じています。

    
       顧客を誘致するために敷かれた赤絨毯が目にしみるが

 確かに経営の問題は「自己責任」の部分を含むでしょう。しかし、かつてのバブルの時代までは、そこそこ真面目にやっていれば、生活を維持し店を存続させるだけの収入があったのです。
 それがいつの間にか真面目にやっているだけでは駄目で、同業の鼻先をかすめたり、出し抜いたりするようなことでもしないと生き残れなくなってしまったようです。
 競争原理が共存原理を凌駕したというのでしょうか。

 この大不況の中で、消費の冷え込みはいっそう進むでしょう。
 柳ヶ瀬の灯がまた、一つ、二つ、三つと消えてゆくのが目に見えるようで心が痛みます。
 かつての繁華な柳ヶ瀬の象徴であったあの「柳ヶ瀬ブルース」の最後は、まさに夜の静寂に滲み入るようにこう歌ってます。
 「ああ柳ヶ瀬の 夜に泣いている」。






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突然の赤カブですが・・。

2008-12-11 00:59:29 | 現代思想
 

 突然ですが、私の作った赤カブの千枚漬けです。
 二日ほどでこんなに赤くなりました。
 昆布、柚子、鷹の爪などを添えてあります。
 
 なぜそれが、ライムや柿などと一緒にいるのかは謎です。
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世論調査と「蛙の王様」

2008-12-10 01:09:53 | 社会評論
 写真と本文は関係ありません。

 世論調査というものは私など統計に暗いものにとってはよく分からないところがあります。
 ひとつには、たった1,000人ぐらいの調査で状況が把握できるのだろうかという疑問です。
 それで出来るのだという話を聞いたことがあります。詳しくは覚えていませんが、そのときはなるほどと思ったものでした。

 
                閉鎖した写真館

 それでも、現実には疑問は残りました。
 その疑問は、そうした方法によってある程度公正な結果が得られるとするなら、にもかかわらず、各種の新聞社やTV局によってその結果にばらつきがあるのはどうしてかということです。
 そうした結果の差異には、その調査する側の恣意的な予断が入っているのではないかという疑いすらもったこともあります。

 しかし、今回の世論調査を見て驚きました。
 各新聞社のそれがほとんど同じ数字を示しているのです。例えば、内閣の支持率は、朝日22%、毎日21%、読売21%とほぼ同じです。しかも、政権にやや厳しいといわれている朝日の数字が、政権に甘いといわれている読売よりも今回は甘いのです。
 まあ、しかし、いずれにしても1%の違いですからこの統計的な数字には十分納得できます。
 今回、目にした一番甘い数字は、NHKの24%でした。まあ、国立放送としては多少遠慮気味でも厳しい数字を出さざるを得なかったということでしょうか。

 
                  冬の夕焼け

 もうひとつ驚いたことを付け加えれば、あの口も思考も軽く、朝令暮改で論理的・倫理的一貫性を著しく欠き、行動力も全くない人を、五人に一人の人が支持しているということです。
 その人たちはきっと、情報から隔絶されているか、あるいはそのマンガチックな状況をアイロニカルに楽しんでいるかのどちらかでしょう。

 でもこの数字を突きつけられた与党の人たちは大変ですね。
 「選挙の顔」として担ぎ出した人がこのていたらくですから、もはや何をか言わんやで、それぞれ勝手なことを言い放ち、それがまた逆スパイラルで自分のよって立つ基盤を掘り崩しつつあるようです。末期とはこうした状況でしょうね。

 「選挙の顔」にこだわる人たちは、この際、大阪の橋下知事や宮崎の東国原知事を党首にしてはといったことも結構真面目に検討しているようです。しかし、こうした発想は全く国民を舐めたものです。
 ようするに、国民は馬鹿だから、少し人気のあるキャラを担ぎ出せば付いてくると思っているのです。
 考えてみれば、そうした発想によって今の首相を「選挙の顔」として据えたのではなかったのでしょうか。

    
                  冬の虹

 しかし、私たちはそんな人気投票で国政を任せる人を選びはしません。
 今回の内閣不支持の理由は、各調査機関に共通して、政策の不適切あるいは無策、さらにはその実行力のなさをトップに挙げているのです。この大不況の中で、不正規採用の労働者がばたばたと首を切られ、それが正規雇用者にもおよび、さらには新卒の内定取り消しという詐欺のような事態が発生しているというのに、この政権はあちこちで軽口を叩くほか何の対策らしいこともしていません。

 くれと頼んだわけでもない給付金とやらを、有り難くいただけという口の端から、それを貰う奴は「さもしい」という発言が飛び出すなど、むちゃくちゃな事態となっています。
 不正規雇用を本採用とした企業には一人当たり100万円をくれてやるという「救済策」も、まさに今首を切られつつある労働者にも、また、もともとそういうものとして不正規採用を行っていた経営者にとっても、何の突っ張りにもならない思いつきに過ぎません。

 与党は小泉氏以降、あれこれ選挙用の顔を模索してきたようですが、その根本に、政策政見ではなく人気や顔で選挙を戦うのだという国民に対する完全な蔑視があります。ですから今度は、橋下氏や東国原氏をといった安易な発想が生まれるわけです。

 
             JR岐阜駅のイルミネーション

 これを見ていると、イソップの「蛙の王様」を思い出します。
 蛙たちは、丸太ん棒の王様では頼りないと神様に願いし、鶴か鷺のような王様を貰うのですが、その王様が蛙たちをみんな食べてしまったというあの物語です。
 タロウさんという王様は、ドンドン臣下を食べ尽くし、ついにはあの小泉氏もなしえなかった、「自民党をぶっ壊す」偉業を為そうとしているようです。

 「選挙の顔」ということで人気者をお捜しでしたら、お勧めしたい向きがあります。
 男性でしたら、氷川きよし氏、あるいは石川遼君などはいかがでしょう。
 女性でしたら、浅田真央さんなどはいかがでしょうか。
 私の好みとしては宮崎りえさんですが・・。

 たぶん、彼女や彼らは、沈みつつある泥船に乗るほど愚かではないと思いますが。
 



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90歳の「新人」監督による『夢のまにまに』

2008-12-08 01:21:08 | インポート
 平均年令80歳以上の合唱団を描いたノンフィクション映画、『ヤング@ハート』を、老いてなおかつ「活動」し続けることの意味やありようを古稀を迎えたおのれと重ね合わせて観てきた経緯を先般ここに載せました。
 今回、またそうした映画にに遭遇しました。今度は90歳の「新人」監督・木村威夫による長編劇映画、『夢のまにまに』がそれです。

 もちろん新人といっても、90歳の老人がいきなり映画監督になれるわけではありませんから、この木村威夫も、もともと映画に縁のあったひとではあります。縁があったどころか、鈴木清順や熊井啓、黒木和雄などのそうそうたる監督の代表作の美術監督を担ったひとで、その道の巨匠ともいえるひとですらあります。

          

 しかしながら、90歳にして美術監督という従来の役割を越えて、脚本・監督と一本の映画をまるまる作ろうというのは並大抵ではないと思います。まずは何をさておいても、それに敬意を表して観に行くことにしました。
 ただし、90歳のひとが作ったのだからという先入観はこの際抜きにして観させて貰いました。

 まず特筆すべきは、やはり絵の綺麗さでしょう。さすが長年美術監督をつとめてきただけのことはあります。ショットのひとつひとつがとても美しいのです。どの画面も、切り取って写真展に出品したらそのまま入選しそうな感じです。
 
 ストーリーは、これから観る人のために触れませんが、主人公にして映画学校の校長(長門裕之)とその妻(有馬稲子)との戦中戦後の歴史、そして、その映画学校の生徒である青年(井上芳雄)との絡み、さらには幻のように現れる女性(宮沢りえ)との関連、この三つが柱となって展開されます。
 この三つの要素を結びつけるキー・ポイントはやはり戦争であろうかと思います。

 ストーリー展開に破綻はもちろんありませんし、丁寧に描かれてはいますが、青年を病者にする必然性は今ひとつ分かりません。監督自身の実体験かもしれませんが、少し欲張りすぎたかも知れないなと懸念する唯一の点です。

  

 確かに、「夢のまにまに」です。戦中戦後、私はまだ幼かったのですが、そこで青春を迎えた人たちはいっそうリアルに戦争と向かい合ってきたはずです。それだけに、その後、半世紀以上を経過して迎えた現実は果たして何だったのかという回顧には重いものがあるはずです。
 戦前戦後が「夢のまにまに」であったともいえますが、しかし、表層的なビジュアルで彩られた現在もまた、「夢のまにまに」ではないでしょうか。

 この映画は、90歳の新人監督の回想録にとどまらず、変転する歴史の流れを遮断する瞬間々々のコラージュのようなものとして作られています。
 そういえば、主人公の妻が実際にアルバムなどを切り抜いてコラージュを作っているのは象徴的です。主人公が買い求めた絵にも、そしてこの映画のところどころにまさにコラージュの手法が使われます。
 それは、日常的な関連のうちにあるものをその場から剥がし、他のものと接続させる異化作用によって新たな視点が導入されるといった方法ですが、それにより日常の連続として生きてしまっている歴史が改めて対象となり問われることとなります。

 
 
 木村監督の培ってきたキャリアが、この映画に結集したスタッフやキャストの顔ぶれに現れているのも見所のひとつでしょう。上に紹介したキャストの他、永瀬正敏、浅野忠信、桃井かおりなどがほんのちょい出風に現れますし、先に紹介した鈴木清順監督も映画監督役で出てきます。そして昨年他界した観世榮夫も・・。

 私にとっての嬉しいおまけは、映画青年役の井上芳雄が、私の好きな歌、「夜のプラットフォーム」を、若手のミュージカルスターらしく朗々と歌い上げるシーンがあったことです。
 この歌を男性が、しかもあのように歌い上げたのを聴くのは初めてです。

 繰り返しますが、とにかく絵が美しい映画です。



そういえば今日は、67年前、日本があの無謀な戦争に突入した日です。むろん、それ以前からの動きと連続性があるのですが、もはや戻れない地点にさしかかったという点では決定的な節目であったと思います。
 それを、「蒋介石の陰謀で戦争に引きずり込まれた」と解釈するのは、まさに「自虐史観」に他ならないと思うのですが・・。

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黄色のディベルティメント(喜遊曲)

2008-12-07 02:47:33 | フォトエッセイ
 黄色のディベルティメント(喜遊曲)

    

 紅葉は秋のものだと決めてかかっていたが、そうばかりでもないようだ。
 例えば公孫樹(イチョウ)などは、むしろ初冬の散り始めが美しい。
 樹木全体が真っ黄色に彩られるのも見ものだが、その辺りに散った様がまたあでやかだ。

    
               岐阜市近郊にて
 
 ほとんどの紅葉は散ってしまうと葉の色も変わり枯れ葉っぽくなってしまうのだが、公孫樹に関しては散ってもしばらくはその色も形状も維持し続ける。それだけ葉も肉厚でしっかりしているからだ。
 したがって、その樹木共々、辺りの落ち葉の風情がかなりの期間、楽しめることとなる。

 
              名古屋白川公園にて
 
 ただし、この落ち葉の始末がなかなか大変なのはいうまでもない。
 とりわけ公孫樹に関しては、その落ち葉がなおもしっかりしていることから来る意外な欠点もあるようだ。

    
        どこまで続く黄色い絨毯 名古屋栄公園にて
 
 かつて我が家にも銀杏から育てた公孫樹の木があり、やっと紅葉が少し観られるほどに育ち楽しみにしていたら、となりの田圃の持ち主からクレームがあった。
 曰く、他の葉と違って公孫樹は朽ちにくいため、田圃に鋤き込めずじゃまになるとのことだ。
 むろん米作りを妨害するつもりはいささかもないので、残念ながら伐採に及んだ。

    
             同公園付近の黄昏時

 その田圃が、休耕田としてずーっと休眠し続けることになったのはそれからしばらくしてからである。
 ちょっと皮肉な結果になってしまったが、伐採した公孫樹の脇に生えていたものを植木鉢に移して盆栽風に残せたのはせめてもの慰めであった。
 







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元気な?名古屋とタロウさんと歴史哲学と 

2008-12-05 04:39:47 | 社会評論
 元気な名古屋に暗雲が垂れ込め始めました。
 もともと元気なのはトヨタさんで、それに引っ張られてなんやかや姦しかったのですが、トヨタさんの足取りが危うくなれば、「親亀こけたら皆こけた」になるわけです。
 もともとトヨタさんのご威光が届かないところではさしたることはなかったのですから、いわばから元気だったのかも知れません。

 全国でいきなり三万人の不正規労働者の首が飛びました。その大半は、契約期間内にもかかわらずです。愛知はトップで3,000人だそうです。そしてなんと第二位が、わが岐阜県の1,800人だそうです。この数字は、岐阜県の産業構造が完全にトヨタさんの下請け化ないしは植民地化していることを示しています。お隣の三重県も同様に高い数字を示しているようです。

 
                  名古屋駅前・1

 でもこれはまだまだ序の口のようです。
 不正規労働者は真っ先に狙い撃ちですが、その上に立ってふんぞり返っていた正規雇用者にも首切りの地獄が迫っています。
 それら、職を失う人の数は、このままでゆけば来年には30万人に達しようかとも言われています。
 日本の経済を支え続けてきた底辺の労働者たちが、要らなくなったといってボロ雑巾を捨てるように放り出されるのです。

 政局のために補正予算の提出も拒んできたタロウさんたちも、さすがにこの「みぞうゆう」の事態に慌てて遅まきながらも不正規労働者の救済に乗り出しました。
 それによれば、不正規労働者を正規採用にした企業に対しては一人当たり100万円を払うというのです。
 何でもばらまくことが好きな人ですね。

 
                  名古屋駅前・2

 でも、これって変ですよね。
 何で企業に対して金を払うのでしょう。
 本当に困っているのは職を奪われる労働者ですよ。
 だったら、企業に100万円差し上げますではなくて、不正規労働者を契約期間内に首にする企業がその労働者に100万円を支払うことこそが妥当なのではないでしょうか。

 それにこんな案を今さら出しても、目の前でばたばた首にされている事態への何の突っ張りにもなりません。
 そのお金を受け取るのは、それなら不正規労働者を格上げして金をせしめようとする余裕のある企業だけです。
 100人格上げすれば一億の金になるのですから・・。

 
                  名古屋駅前・3

 タロウさんたちの泥縄式案が何らかの効果をもたらすとはとても思えません。
 むしろ、早急にすべきは、日本の労働者の三分の一が不正規雇用であるという異常事態を、それを招いた規制緩和の時点にまでさかのぼって是正すべきなのです。

 経済学者や政治学者のみなさんもこの「みぞうゆう」の(あ、ゴメンナサイ、みなさんはちゃんと「みぞう」と読めたのですね)事態に直面していろいろお忙しいようですね。
 「だから言ったじゃぁないの」と、故・松山恵子さん(古いなぁ、だけど私好きだったのです)みたいなことをおっしゃっている方が多いのですが、本当に事前に予測されていたのかどうかは別として、こうした問題を生じるこの生産や流通、資本調達のシステムを根底から考え直し、アルタナティブなシステムがないのかどうかを真剣に考える時が来ているのではないでしょうか。

 
                  伏見にて

 ようするに、博打打ち的、ネズミ講的、ババつかみ的な金融システムで資金調達をする実質経済が、その賭博的連鎖の破綻と同時に大恐慌を生じかねないという現行の資本主義についてラディカル(根底的)に思考し直すということです。
 前世紀のそうした超克の試みが破綻したことは明らかですし、今さらそのミイラを掘り出せというのではありません。
 しかし、それで腰が引けてしまって、アルタナティヴなあり方の追求自身がすっ飛んでしまい、まるで現行のシステムが自然的必然的様相であることを前提として論じられているのが現状ではないでしょうか。

 人が言語と貨幣を持ったときから、欲求が欲望化し、質量共にグローバルなシステム化が必然であったことは事実でしょう。しかしそれは、今日のようなありようでグローバルであることを必ずしも意味しないはずです。
 もし今日が必然であるならば、ヘーゲルさんやフランシス・フクヤマさんがおっしゃるように歴史は既にして終焉しているわけです。

    
             栄付近のイルミネーション

 経済学者や政治学の学者先生にもう一度いいます。
 重箱の隅をつついたり、統計上の対比を観察するのも学問ですし、それを否定はしません。
 しかし、上に見たような現行システムを根底的に見直すような分野での「理論」的思考も必要なのではないでしょうか。
 今年のノーベル物理学賞も、そうした原理論的な考察だったと思います。

 問いは単純です。
 私たちの現行システムは、必然にして自然要件ですか?


 今日、12月5日はモーツアルトの命日でした。
  「レクイエム」でも聴きましょうか。
  ザルツブルグの大聖堂で聴いた折のことなど思い出しながら・・。

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【映画】『ヤング@ハート』でありたい!

2008-12-03 17:51:01 | インポート
 月一回の勉強会に出ているのですが、そこのメンバーの複数の人がとてもよかったといっていたのと、予告編でも多少アンテナに引っかかっていたこともあって、観に行ってきました。ドキュメンタリーです。
 『ヤング@ハート』、良い題名ですね。
 平均年令80歳を超える合唱団が、民謡や古典的な歌ではなく、パンクロックやブルース調のものなどにも挑戦します。



 最初から出てくる「スキゾフレーニー」という曲が象徴的ですね。
 ご承知のようにこれは、かつて、「スキゾとパラノ」と対で語られた言葉なのですが、パラノが何ごとかに固執するのに対し、スキゾはどこまでも他者や他性に向かって開かれて行くことを示しています。
(病名として使われる「スキゾフレーニー」はその極端な現れとして、「統合失調症」などといわれます)

 一般に子供の落ち着きのなさや何にでも関心を示す散漫な様子はスキゾ風ですが、老人の悟りきった、「世の中はこうなのだ」という固執はパラノ的だと思われます。

 しかし、この映画の老人たちはそうした傾向を見事にひっくり返し、子供のごとく新しい試みへと開かれているのです。自らの年令や体力をも越えてです。
 そこにはパラノイックな何かへの固執はありません。
 
 撮影の期間に二人のメンバーが世を去ります。
 哀しい出来事ですが、どこかすっと抜けているのです。
 彼らは二人とも最後まで歌を志し、限界にチャレンジしていました。

 まさにスキゾフレーニーです。そしてそうであるがゆえに、彼らはもともと幼児であるときに持っていたスキゾフレーニーな領域へとループするかのように繋がってゆくのです。
 果たしてその生は終わったのでしょうか。そこには線状に延びた時間を超え、ループし、回帰する時間があるように思うのです。

     

 ですから、誤解を恐れずに言えば、その死は湿り気を帯びた哀しみというより、さらっとした感触をすら感じさせます。
 どうやらその他のメンバーも、深い哀しみのうちにありながら、それを単なる感傷に引きずることなく、何よりも自分自身についての覚悟のうちで受け止めているようなのです。

 ラストシーンを始め多くの感動的な場面がありますが、私としては、刑務所でのライブで歌われた「Forever young」でウルウルと来るものがありました。
 その後の受刑者たちのスタンディングオーベーション、そして出演者とのハグ。

 ハンナ・アーレントは、「人は死ぬために生まれてくるのではない」と言っています。これは人の生誕がひとつの開けであり、その「活動」によって常に世界が更新されてゆくことを意味しているのですが、同時に、死を待つのではなくその間際にまでにじり寄ってでも「活動」し続けること、そこに人間の尊厳があることをも意味しているようです。

 自分の老齢をも振り返って、あの映画で歌い続ける先達のように、生の躍動がスキゾフレーニーにその最期にまでループできるような生でありたいと痛感しました。

<追記>亡くなった方のボブではなく、リーダーのボブ、髭を剃り、髪を短くしたら、オバマ新大統領に似ていると思ったのは私だけだろうか。 


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解体エレジーと新しく生み出されるもの

2008-12-02 06:01:56 | 想い出を掘り起こす
 なぜか解体現場に興味がある。
 別にそれほどマニアックではないのだけれど、少なくとも建設現場よりも興味がある。ましてやそれが、日頃慣れ親しんできた建造物だったりしたらなおさらだ。

 この間も、しばしば通る箇所で解体作業をしていたので、早速カメラを構えていたら現場の責任者とおぼしき人がとんできて、「何か不都合がありますでしょうか」と訊いてきた。

 どうやら私がクレーマーで、証拠写真を撮っていると誤解されたようだ。
 「いやぁ、最近は壊すにも作るにも、いろんなクレームがあって大変なのですよ。ホラ、壊してるところに絶えず水を注いでいるでしょう。ああしないとほこりが舞い上がって、うちの洗濯物が汚れたけどどうしてくれるんだ、部屋に埃が入ったから掃除に来い、などと苦情が入り、中には脅迫まがいのものもあるのですよ」
 というのが彼の説明。

 話しているうちに誤解も解けて世間話になったのだが、「この後ここは何になるのですか」という私の問いに、「さあ、私どもは壊すだけですから詳しいことは知りませんが、もう少し高層のマンションになるのでは」との返事。
 そうなんだ、壊す人と、その後に作る人とは当然違うんだ。

 

 ところで、なぜ解体現場に興味をそそられるかであるが、理由は単純である。
 これはボケが始まった私だけの事情であろうが、古いものが壊され、新しいものが建ってしばらくすると、前にここに何があったのかをさっぱり思い出せないのだ。

 現に今、目の前にあるものの存在感は強烈である。そしてその存在感の前に、かつてあったものの記憶は完全に埋没してしまうのだ。

 どうやらこれは、建造物ばかりの問題ではないようだ。
 例えば、歴史においてもそうである。
 今日の繁栄した日本の姿(むろん不安定な要素を含むのだが)からは、戦前戦後のあの惨めなありよう、そしてそこへと導いた偏狭なイデオロギーを想起することは困難である。

 そこに、歴史修正主義が生まれる余地がある。
 わが同胞がそんな残虐に荷担するはずがないという主張には、出来れば私も同調したい。私たちの父祖は、その市民生活にあっては今の浮ついた世相より遙かに謙虚で、骨身を削って働き、四囲に対する思いやりを欠かさなかったのだ。
 その彼らがという思いはある。
 しかしそれは、解体された建物のようにもはやその痕跡は希薄だが、実際にそうであったのであり、それを否定するわけにはゆかないのだ。

 解体現場には様々な顔がある。
 既存ものを無にして大地へ返還する動き、過去にまつわる一定の歴史を無として計上する動き、そして、新たな劇場として人々が活躍する場所のための地ならし。

  

 新しきものの登場、それには解体が伴うことは事実である。
 私が解体にこだわるのは、新しく生まれるものへの賛歌であろうか、それとも失われゆくものへのノスタルジーであろうか。

 何はともあれ、解体現場は、建設現場よりも遙かに絵になりやすい。
 少なくとも私にとっては・・。
 


 






コメント (3)
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