書きたいことがあるのですが、まとまりません。
母が病に伏しているのですが、周辺の人たちもばたばた病魔に襲われています。
高校時代から親しい友人三人で、一夜、年越しの語らいでもしようといっていたのですが、他の二人の連れあいが倒れてしまい、結局、果たせずに終わりました。
追い打ちをかけるように、例年この時期にくる「喪中につき・・」の葉書も今年は一気に増え、私が出す予定の年賀状の2割ほどになっています。
私も母のことがありますので、年賀状はぎりぎりになって出すつもりです。
なんか、ぐったりする話題ばかりで、こちらもめげそうです。
近所の垣根で咲いていたお茶の花を載せます。
小さくても椿の仲間だそうです。
これが本当のお茶を濁すですね。
母が病に伏しているのですが、周辺の人たちもばたばた病魔に襲われています。
高校時代から親しい友人三人で、一夜、年越しの語らいでもしようといっていたのですが、他の二人の連れあいが倒れてしまい、結局、果たせずに終わりました。
追い打ちをかけるように、例年この時期にくる「喪中につき・・」の葉書も今年は一気に増え、私が出す予定の年賀状の2割ほどになっています。
私も母のことがありますので、年賀状はぎりぎりになって出すつもりです。
なんか、ぐったりする話題ばかりで、こちらもめげそうです。
近所の垣根で咲いていたお茶の花を載せます。
小さくても椿の仲間だそうです。
これが本当のお茶を濁すですね。
一方では、日比栄さんの「六十代終ってみれば華だった」に、本当にそうですよね、と合点するみすぼらしさに重ねて「八十を過ぎて想えば古希あたり恃みしこともまだありしものを」という林きみさんの短歌にすがろうとする情けなさ。
いろいろお言葉ありがとうございました。
まあ、結局は自分自身の生の現実的なありようから逃げることなく、それを慈しみ、生きてゆく以外ないのでしょう。
少し弱気になりました。反省です。