六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「鯉の恋」と六の時事川柳

2007-05-06 15:51:50 | 川柳日記
 近くを流れる荒田川下流の河川敷へ、いろいろウオッチングに行きました。
 下がその川です。かつて、愛犬「寿限無」が生きていた頃、時折、連れてきてやったところです。

 
 
 川岸を通りかかると、なんだか、バシャバシャと水音が聞こえます。
 なんだろうかと思ったら、川のあちこちで、鯉たちがはしゃいでいるのです。ある箇所ではつがいで、またある箇所では数尾群がって・・。

 
 
 そうなんです、5月は鯉のぼりの季節であると同時に、「鯉の恋」の季節なのです。水音は求愛の、あるいは愛の行為の、はたまた、相手を争奪するさざめきだったのです。
 さっそく、現場を押さえた写真を撮りました。れっきとした証拠写真です。
 これが芸能人なら、週刊誌に持ち込めば、何万円かの稿料になるところです。

 
 
 この川と私の付き合いは、半世紀以上になります。
 戦後の食糧難は解消されたものの、まだ動物性タンパク質の少ない時代でした。
 ある時、どういう訳か、この川に突然、ナマズが異常なほど大量発生し、私たち子供でも容易に掬うことが出来ました。その日から何日か、近所中、ナマズを焼いたり煮たりする匂いが立ちこめたことは言うまでもありません。

 それから後、高度成長の時代には、川は無惨でした。家庭排水はむろん工業廃水も垂れ流しで、川はどす黒く濁り、あちこちでシャボン玉のように泡が立ったり、川底に堆積したヘドロからメタンガスが立ち上る有様でした。

 その後、環境汚染が問題になるに及んで、少しずつ改善され、半世紀前の鮎も登れたという状況に近づいてきました。実際のところ、魚たちが数多く目撃されるようになりました。これは自然ウオッチャーとしては嬉しいことです。

 「鯉の恋」という生命継承の儀式の目撃は、何かほのぼのとしたものを思わせるのでした。

 写真を撮っているシルエットは、誰あろう、怪人六面相のものです(川の水、きれいでしょう)。

 


<今週の川柳もどき> 07.5.6

 ブレーキが効かぬ支援という派兵
  (今度は自衛隊をアフガンへ)

 憲法の還暦そっぽ向く与党
  (祝うどころか引退を迫る)


 ググってもヤフー買収分からない
  (マイクロソフトが買収?)

 絶叫がもはや出来ないコースター
  (死人は叫べない)

 行かぬからUターンにも縁がない
  (ラッシュは敬遠)

 三人衆ひとつの時代閉じて逝く
  (青島、植木、ノック。合掌)
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虫が付かない花なんて・・。

2007-05-05 17:33:06 | フォトエッセイ
 私が花の写真を撮っていると、虫がよく来てラッキーと以前、日記に書いたことがある。そうした写真をオンしてきたので、それを記憶していらっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。
 
 でも考えてみれば、それは当然のことで、植物は虫を招くために花を付け、虫はそれに依存して自らの糧を得、その結果として植物の増殖に貢献するというのが自然のサイクルなのだから、私がレンズを構えた花のもとに虫がやって来るというのは極めて当たり前なことなのである。

 しかし、今日のように、花と虫のツーショットが二枚も撮れるとうれしい。

 

 一枚は、この前、名前が分からないままの日記に載せた「春紫苑」(ハルシオン?)にやって来たシジミチョウである。


 

 もう一枚は、散歩旁々行った先で見かけた藤の花にやってきたクマンバチ(?)である。
 この撮影は少し恐かった。実はこのクマンバチ、複数が飛んでいて、私が撮影中、他のやつが私の頭の回りを旋回するのだ。その羽音が戦時中のB29に似ていて、防空壕があったら逃げ込みたいのを我慢して撮影した。
 私は彼らに、「よし、よし、私はお前たちの敵ではないぞ」と言って聞かせたのだが、どうやらそれが通じたらしく、刺されることもなく、なんとか撮影できた。

 
 
 上に述べたように、花と虫とは絶妙のコンビネーションで、自然間の交換過程ないしは継承が行われている。
 ということは、いずれか一方が欠けても、もう一方は成り立たない関係なのだ。そしてその関係は、多分、自然環境の健全度を示すバロメーターであろう。
 しかし、その双方とも、自然界では弱者である。それだけに、そのバランスの継承は微妙である。

 私が花にレンズを向けたとき、そこへ虫がやってくることは、撮影者にとっての僥倖であるばかりでなく、自然そのものにとっても僥倖なのだ
 コラ、クマンバチ! 私の割り込みぐらいは許せ! 
 でもこういう限り、これ以上の環境破壊にはちゃんとアゲインストしなければならないんだろうな。
コメント (2)
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桜ん坊と文学と現実と

2007-05-03 18:04:01 | フォトエッセイ
 うちの桜ん坊が熟しはじめた。
 やはり例年より10日か2週間早い。
 
 なぜか今年は実の数が少ない。昨年が豊作だったのでその反動か。それとも樹そのものの寿命で、もはやピークを過ぎたのだろうか。

 
 
 桜ん坊で思い出す文学作品が二つある。
 ひとつは、島崎藤村の『桜の実の熟するとき』、そしていまひとつは、太宰治の『桜桃』
 
 いずれも若読みで、高校生ぐらいの時の読書(半世紀前ですぞ!題名を覚えているだけで素晴らしい!←自分でほめるな!)だから、その記憶は極めて曖昧である。ましてやその評価などは出来ようはずもない。

 前者は大学生を主人公とした青春小説で、聞いたことのある東京の地名、横文字の書名・作者などの固有名詞、キリスト教、教会、祈祷、女性群、自責の念や苦悩、などなどが並べられるだけで、なんてハイカラ(古っるいな~)なんだろうと感激したものである。

 一方、太宰治の方は、最晩年の遺作ともいえるもので、家庭に疲れ切った男の話である。
 「子供より自分が大事」と繰り返される台詞、「死んでしまおうか」とこともなげに吐かれる言葉が記憶にある。

 前者の青春の苦悩と、後者のニヒリスティックなイメージ双方に憧れ、そうしたところへ身を置く自分を夢想していたのだから、変な少年だったといえる。

 
 
 太宰の命日は「桜桃忌」として有名だが、これは6月19日、彼の入水自殺による遺体が発見された日であり、同時に、奇しくも彼の誕生日だという。
 彼の郷里である青森県の金木では、「桜桃忌」ではなく、「生誕祭」として祝うとどこかで読んだ。

 ちなみにこの6月19日、私のところの桜ん坊より1ヶ月遅い。そういえば、この連休中、弘前は桜祭りだという。
 またまた脱線だが、かつて知り合った弘前出身のおばさんは、弘前城の桜がたいそう自慢で、「は~、やっぱ、おらほのさぐらが~、えつばんだ~」といっていた。

 
 
 ところで、現実のうちの桜ん坊だが、うっかりしていたら、写真のように鳥さんたちにあちこちついばまれてしまった。
 そこで、慌てて使い古したCDなどぶら下げたのだが、果たして効果のほどはいかがなものか。

 例年、娘が勤める学童保育の児童たちのおやつに持たせるのだが、7日まではお休なので、5ないし6日に収穫したものを持たせるつもり。

 
 
 鳥さんたち、どうかそれまではついばまないでおくれ
 一通り人間様にわたったら、いつものように後は君たちに提供するんだから・・。
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スズランとレトロと映画の話

2007-05-02 00:15:10 | 映画評論
 どっかからもらってきたスズランが昨年から花を付け、今年も可憐な花を咲かせました。

 
 
 昨年よりだいぶ株の数が増えているので、花が終わったら、もう少し大きい鉢に移植してやるつもりです。

 
 
 ところでこのスズランに関し、これを模したいわゆる「スズラン灯」ないしは「スズラン燈」を思い起こされる方は多いと思います。

   
 かつては、繁華街の街灯として、全国を風靡したものだからです。

 私の住む町、岐阜でも、柳ヶ瀬商店街を彩っていたし、それを基本にデフォルメしたものを数え上げれば、ほぼ全国をカバーするのではないでしょうか。
 また、それにつれて、「スズラン通り」という名称も各地にあるようで、私がお世話になった名古屋は今池にも、その地名がありました。

   
 
 なぜ、こんなことを思い出したかというと、昨日観た映画『黄色い涙』に、四角にデフォルメされたこのスズラン灯が出てきていたからです。
 やはり、このスズランの街灯はなにがしか「昭和」を思わせます

 この映画も、昭和30年代後半(1960年代前半)の青年群像を描いたものです。そしてそれは何を隠そう、私の時代とドンピシャリ重なるのです。

 ですから、懐かしい風俗習慣などが至る所に出てきます。食い物がなくて、友人の下宿に何かを持ち寄ってかろうじて腹を満たしたことなど、「あった、あった」という感じです。

 しかし、どこか当時の青年たちと違う感も否めないのです。そのひとつは、これはたぶん意図されたものだとは思うのですが、政治に関する描写が全くないのです。

 これはあの時代にしては幾分、変なのです。
 というのは、その後の70年などと違って、60年安保は、まさに国民のほとんど総員を巻き込んだ政治問題であり、別に特別なデモや集会の場ではなくとも、風呂屋や飲み屋で、普通に話題にされたいたのでした。

 おそらくそれを捨象しきったところに青春群像を描きたかったのでしょうが、やはり幾分、違和感が残ります。要するに、そこに確実にあったものがなかったようにされているのですから。
 ですから、CGや江南や大垣のレトロな風景で当時を再現されても、何だか入れ物だけがその時代という感じで不可思議なのです。

 『三丁目の夕日』のヒットにあやかったのかも知れませんが、この内容なら、とくに60年代に限定することはなかったようにも思えるのです。
 犬童監督自身がこの60年の生れであり、そこに20年の隔たりがあることのせいかもしれません。

 映画の展開や内容には観るべきものがあります。それぞれが夢と希望を持ち寄りながら・・という話の展開はよくできています。
 かつての中国映画『プラットフォーム』をもう少し陽性にしたものかも知れません。

 なお、出演者は主として、男性アイドルグループ「嵐」の面々だとのことですが、それを感じさせることなく、役にすんなりはまっています。

 それにしてもスズラン灯の時代は終わったのでしょうか?
 下は、ガス燈風のイメージです。

   

コメント (3)
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