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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

馬の耳に東の風が吹いたら

2007-05-17 15:59:35 | よしなしごと
 以下はある小冊子のために書いたエッセですが、テーマが急に変更になったため、宙ぶらりんになっていたものを引っ張り出してきたものです。幾分カットするなどの手は加わっています。

 なお、写真は全く関係ありません。

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 「ちゃんと聞いているんですか?この前も言ったでしょう」
 家人(♀)の叱責の声が聞こえます。あいまいな言い訳をすれば、そのトーンがさらに上がるに決まっています。だから黙って首をすくめるという自衛策しか取れません。

 
 
 私だって、あえてそれに逆らおうとしているわけではないのです。その言い分はもっともですし(そうでないときもあるのですが)、できればそれに従いたい気持ちでいっぱいなのです。
 しかしです、この世の中には、私の注意力を要求する事柄が多すぎるのです。私は社会人として、特定の人たちの友人として、そしてまたあるときは酒場の優雅な客として振る舞い、なおかつ家庭でのしかるべき権利(これはきわめて少ないのですが)を行使し、義務(これは多いのです)を果たさねばならないのです。

  
 
 ますます複雑化する社会の中で、たとえ人に先んじようなどと大それたことを考えなくとも、それなりにその流れについて行こうとすると、並大抵ではありません。現にこうして自分が使っているつもりのパソコンですら、時として私を裏切り、きりきり舞いをさせます。しかもその大半の理由は、私がそのマニュアルを中途半端にしか理解していなかったことによるのです。
 
 要するに「世間並み」というレベルがぐんと上がっていて、世間並みになるために私たちがこなさねばならないマニュアルは実に多岐にわたっているのです。「便利な社会」が提供しているその便利さは、そうしたマニュアルを制覇した者のみに与えられるもので、さもないと、「ジョーホー社会」から転落してしまうのです。

 
 
 これは大変です。道は二つあるように思えます。一つは、必死でそれに食らいつくこと、もう一つは、そんな試みそのものを拒否して、ジョーホー社会にから己を閉ざすことです。
 しかし、ここで求めるのは、そのいずれにも属さない第三の道です。マニュアルに追いつめられず、引きこもりにもならず、世に適用しうる道、そんな道がほしいのです。

    
 
 それは、身に降りかかるすべてを引き受けるのではなく、適度に取捨選択しながら、時としてはさらりと受け流すこと、聞き流すことではないでしょうか。これを専門用語では「馬耳東風」というようです。その取捨選択の基準は人それぞれですが、それがその人の生き様を決めるものだともいえます。

 あ、また家人がまた何か言っています。私は本能的に、それを聞き流す方へと分類します。家人よ許せ。これが私が現代を生き延びるための必要な方策なのだから。「王様の耳はロバの耳」ならぬ、私の耳は馬の耳なのです。
 そこで一首(いわずと知れた菅原道真のパクリです)。

 東風(こち)吹かば思い起こせよ馬の耳 
     主(あるじ)怒れどそれは忘れよ
  未知座寝
コメント
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