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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

桜ん坊と文学と現実と

2007-05-03 18:04:01 | フォトエッセイ
 うちの桜ん坊が熟しはじめた。
 やはり例年より10日か2週間早い。
 
 なぜか今年は実の数が少ない。昨年が豊作だったのでその反動か。それとも樹そのものの寿命で、もはやピークを過ぎたのだろうか。

 
 
 桜ん坊で思い出す文学作品が二つある。
 ひとつは、島崎藤村の『桜の実の熟するとき』、そしていまひとつは、太宰治の『桜桃』
 
 いずれも若読みで、高校生ぐらいの時の読書(半世紀前ですぞ!題名を覚えているだけで素晴らしい!←自分でほめるな!)だから、その記憶は極めて曖昧である。ましてやその評価などは出来ようはずもない。

 前者は大学生を主人公とした青春小説で、聞いたことのある東京の地名、横文字の書名・作者などの固有名詞、キリスト教、教会、祈祷、女性群、自責の念や苦悩、などなどが並べられるだけで、なんてハイカラ(古っるいな~)なんだろうと感激したものである。

 一方、太宰治の方は、最晩年の遺作ともいえるもので、家庭に疲れ切った男の話である。
 「子供より自分が大事」と繰り返される台詞、「死んでしまおうか」とこともなげに吐かれる言葉が記憶にある。

 前者の青春の苦悩と、後者のニヒリスティックなイメージ双方に憧れ、そうしたところへ身を置く自分を夢想していたのだから、変な少年だったといえる。

 
 
 太宰の命日は「桜桃忌」として有名だが、これは6月19日、彼の入水自殺による遺体が発見された日であり、同時に、奇しくも彼の誕生日だという。
 彼の郷里である青森県の金木では、「桜桃忌」ではなく、「生誕祭」として祝うとどこかで読んだ。

 ちなみにこの6月19日、私のところの桜ん坊より1ヶ月遅い。そういえば、この連休中、弘前は桜祭りだという。
 またまた脱線だが、かつて知り合った弘前出身のおばさんは、弘前城の桜がたいそう自慢で、「は~、やっぱ、おらほのさぐらが~、えつばんだ~」といっていた。

 
 
 ところで、現実のうちの桜ん坊だが、うっかりしていたら、写真のように鳥さんたちにあちこちついばまれてしまった。
 そこで、慌てて使い古したCDなどぶら下げたのだが、果たして効果のほどはいかがなものか。

 例年、娘が勤める学童保育の児童たちのおやつに持たせるのだが、7日まではお休なので、5ないし6日に収穫したものを持たせるつもり。

 
 
 鳥さんたち、どうかそれまではついばまないでおくれ
 一通り人間様にわたったら、いつものように後は君たちに提供するんだから・・。
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