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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

君は「炭鉱節」を踊ったことがあるか?「あいち国際女性映画祭」にて

2006-09-08 12:12:50 | 映画評論


 二日間、続けてこの映画祭に通い、四本の作品(うち一本は2時間45分)、三つのトークショウや討論に参加し、さすがに疲れました。

 私は、映画の感想などよく書きますが、あまり、これは観るべきだというような書き方は致しません。書物についても同様です。
 ある特殊な分野で、限定された知識を得ようとするならばとにかく、必読とか、必見なんてものはないと思っているからです。
 人はどこからでも思考を始めることが出来ます。
 
 熊谷博子監督の「三池---終わらない炭鉱(やま)の物語」は、日本の石炭総生産量のうち、四分の一を産出していたという三井三池炭鉱が1997年に閉山するまでの物語です。

 
 熊谷博子監督です。フラッシュを炊けなかったのでやや暗い。

 ドキュメンタリーですが、極めて物語性の高い映画で、まるで大河小説を読むような感じがします。

 物語は大きくいって三つに別れます。

 ひとつは戦前の囚人労働、強制連行労働、捕虜(白人も当然含む)の頃の話です。私どもが知らなかった興味ある事実が続々と出てきます。


 
 第二は、1960年頃の、千何百人かの指名解雇に端を発する労働争議の模様です。「総労働対総資本の戦い」といわれたこの争議は、まさに日本の労働史上最大のものでした。

 長引く闘争、当時の金額にして220億(現在に換算して約3,000億)をつぎ込んだ会社の争議切り崩し工作、そして誕生する第二組合、労働者同士の激しい肉弾戦。加えて、日本中の半分を集めたという機動隊、右翼の戦闘集団、暴力団などによる日常茶飯事の激突。その中で暴力団に刺されて死亡する労働者。

 映画は、それらの事態を、当時の実写と、関連した人達との証言で綴って行きます。そこには、第一労組、第二労組、会社側の人の証言も生々しく記録されています。



 第三は、その争議の三年後の、炭鉱史上最大の犠牲を出した三川坑炭じん爆発事故で、死者458人を数えるに至りました。一説には、先の争議の結果としての徹底した合理化による保安対策の弱体化によるとするものもあります。

 この事故のもうひとつの問題は、一酸化炭素中毒患者839人を生み出したということです。彼らの症状はまちまちですが、完全な脳死状態のもの、記憶喪失、幼児化、ときおり訪れる激しい発作などなど、40年以上経過した今もなお、それに苦しむ多くの人たちがいます。



 大牟田市は、今や炭鉱の街から脱皮する道を模索しています。炭鉱節をアレンジした若い人達の「さのよい」踊りが、鉱山の遺物の間にこだまします。

 
 以上は映画の骨組みに過ぎません。内容はそこに映像化された事象そのものであり、それを語り継ぐ人々に刻み込まれた歴史そのものの記憶であり、流れ来たったものの排除しがたい重みです。

 あいち国際女性映画祭のエントリーだけあって、出てくる女性たちが皆元気です。深刻な話も、彼女たちの語り口を通じると、それを敢然と受け止めた者の力強さのようなものがひしひしと伝わります。

 さて、この映画ですが、その背景には、戦前戦後の日本の繁栄を支えた石炭産業が、石油エネルギーに取って代わられようとする、いわゆるエネルギー革命
の歴史があります。
 今日、その石油エネルギー自身が、地球温暖化などの元凶として問題視されているのは歴史の皮肉というほありません。

 冒頭に、「これを観よ!」などとおこがましいことは言わないと書きました。
 しかし、私たちのこの時代が、どんなものを経由して現代に至ったのか、それを確認する試みに興味のある方、とりわけ若い方には観ておいて損はない映画だと思います。

 映像の持つ表現力に改めて感服いたしました。

*東京での再上演の他、順次各地で上演の予定。
 名古屋地区は10月下旬、シネマスコーレにて。
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忌憚なく話し合える友人

2006-09-06 04:36:47 | よしなしごと
 

忌憚なく話し合える友人がいることは良いことです。

 私のような年配者でも、世界の現状や政治的な状況について感じたり考えたりします。
 しかしそれを、自分の属しているギョーカイや、地域社会、趣味の世界で話しても、「まあまあ、堅い話は止めといて・・」などと相手にされなかったり、挙げ句の果ては、奇人変人扱いをされたりします。

 しかし、幸いなことに、私にはそれを語り合える友人たちがいます。年二回ほどですが、高校時代の同級生、厳密にはひとつ下の学年の人も加えて、数人がちょっとした勉強会をしています。

 昨日、その集まりがありました。今回の報告者はM君で、自然破壊と地球の温暖化についての資料を提出し語りました。もちろん研究家でも何でもない私たちには手に余る課題です。

 息子が環境庁にいるというN君が補足的な説明をしました。
 いろいろ話し合っているうちに、ただならぬ状況であることは確認できました。
 ではどうすればいいのか。そんな結論など簡単にでっこありません。

 個人で出来ること、行政がすべきこと、国家単位ですべきこと、国際的な規模ですべきこと、など思いつくままに羅列するのみです。そんなことなど話し合ったって何の役にも立たないだろうといわれればそれまでです。

 しかし、最初に述べたように、私たちは日常的にそうしたことを語る場さえ持ってはいません。ですから、それが語り合える場は貴重なのです。ましてや、15、6歳のガキの頃に交わりを初めて以来、それぞれが全く違った道を歩んできた仲間が、半世紀を経過した今、何を感じ、何を考えているかを相互に知ること自身が、とても刺激的なのです。

 テーマは常に脱線します。今回も、靖国から安倍政権、戦争体験から天皇制、縄文時代の話などまさに様々でした。極論も出ますし、中庸も出ます。ですから楽しいのです。
 私にとっては、状況を知り尽くしたような人の話よりもはるかに勉強になる集まりです。

 次回は、先に述べた息子が環境庁へ行っているというN君がレポーターです。何を話そうか悩んでいましたが、どうせお前の話をきっかけに脱線するのだから、話の糸口さえ提供すれば良いと言っておきました。

 冒頭の言葉を繰り返します。
 忌憚なく話し合える友人がいることは良いことです。
 そしてそれは、私にとって勉強の励みなのです。

 
 写真は私の勉強机です。額に入った写真は私の養父ですがもう故人です。私を育ててくれた恩人です。
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雑然がなぜ悪い!今池祭りだ!

2006-09-04 16:27:08 | よしなしごと
 昨日は、名古屋の今池祭りに行って来ました。
 どこかの神社の祭りではありません。商店街の祭りです。

 自慢じゃぁないですが(少し自慢ですが)、この祭りの第一回の実行委員長でした。
 その折りのコンセプトは、どこかの企画会社がするような整然としたものではなく、街中全部が沸き立つような、そしてあらゆる表現者が集まってパフォーマンスが行えるような、そんなものにしたいということでした。
 
 スローガンは、「雑然がなぜ悪い」と居直ったものでしたが、その通り、街中のあちこちの広場や空き地で、絶えることなく何かが行われていて、線状のプログラムがとても作れないという同時多発的な雑然とした祭りになりました。

 そして、嬉しいことには、私がとっくに引退した今も、そのコンセプトが継承されていることです。
 友人の焼鳥屋のケンちゃんは、自ら街角に作った特設リングに登り、プロレスにチャレンジし、さらにその場で、本物の結婚式を実現させたりしました。悪役レスラーが花嫁に襲いかかるのを花婿が撃退するというパフォーマンス付きです。

 また、地元のみならず、全国の今池ファンで作るコミュニティ、「今池ハードコア」( 私はここの最長老のメンバーです)の人達が文字通り全国から駆けつけ、ブースでの今池Tシャツや今池ラーメンの販売、そして賑やかすぎて回りのブースの顰蹙を買うくらいの様々なパフォーマンスを繰り広げました。

 もちろん、商店街としての様々な問題を抱えてはいますが、一年に一度、街が燃え、沸き立ち、道行く人達の誰もがにこやかな瞬間、そんなものがあっても良いじゃぁないかと思っているのです。



 私の若き友人にして詩人の李光君の、ギター演奏とのコラボレーションによる詩のリーディングです。



 日、韓、朝の青年たちで構成されたノリパン農楽隊による街頭練り歩きと辻々での舞の披露です。このグループは、私が一度、取材したことがあります。
 


 夜、キューバン・バンドの演奏に酔いしれて踊る人々。これは、魚屋さんの倉庫で、この時間、他の二カ所でも同時にライブが行われていました。
 

 
 おまけの写真です。祭りの中の子供のスナップですが可愛いでしょう。残念ながら私の孫ではありません。
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アンテナがある蛙と六の時事川柳 06.9.03

2006-09-03 02:56:01 | 川柳日記

  雨蛙です。でもただ者ではありません。天と交信をします。その意味では「天蛙」なのです。
 
 写真をよく見てください。頭部にアンテナを備えています。偶然のいたずらだろうという人のために、写真をもう一枚掲載します。どうです、二枚ともアンテナがくっきり写っているでしょう。


 もっと違うアングルでと回り込んだとたん、草むらへと逃げ込まれてしまいました。場所は私の家の庭です。

 どうも最近、私の行動や思考までもが、あちこちへ筒抜けになっていると思ったら、どうもこいつがそれを天に伝えていたようなのです。
 私は公私ともに公明正大(かな?)ですから、別に構わないのですが、でも、それを逐一報告されるというのはあまり気持ちが良いものではありません。

 今度もし捕まえたら尋問し、情報提供先を白状させます。CIAかな、それとも内閣情報室かな?
 え? 私の家人のスパイ? それが一番恐い。


<今週の川柳もどき> 06.9.03

 改憲の家訓に燃える三代目
 雪崩うちポストほしさの安倍詣で
  (阿部政権近し。小泉さんは暇みたい

 核実験お前はするな俺はする
  (アメリカで実施)

 県庁の辺りか黒い煙立つ
 焼け残る黒い疑惑と非常識
 裏金は皆で作れば恐くない
  (ああ岐阜県!知事も、そして監査局も)

 保険金払わぬ時の保険要る
  (払わぬ生保と損保)

 勝ち組負け組を喰い肥える秋
  (合併、買収過去最高)

 朝夕は涼し懐なお涼し
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総理!火を付けたのはあなたです!

2006-09-01 15:46:59 | 社会評論
 
写真は、心ないものによって為されたブロンズ像の破壊の痕跡です。加藤邸の焼け跡とも重なる野蛮で粗野な行為の痕跡です。(名古屋の街角にて 8月下旬撮す)

 ============================================================ 
 
 小泉様 私は8月16日付をもって、あなたへの最後のラブレターを書き終えたと思っていました。現実にあなたの政治生命は既に終了し、政財界の安倍詣でが雪崩を打って進行しているからです。
 しかし、今ひとつ、お伝えすべきことが残されていましたので、未練がましくも筆を執った次第です。

 問題は、例の加藤邸への放火事件と、それへのあなたの関与についてです。
 もちろん私は、あなたが直接、加藤邸へ火を放つのを見たわけではありません。しかし、心象風景としてはどうしてもあなたが火を付けたように思えて仕方がないのです。

 靖国正当化のアジテーターとしてのあなたの言動が、かの狂信者を焚きつけたという厳然たる事実は否定できないのですが、さらに詳細を見るならば、それを越えて、あなたが直接、火を放ったに等しい共通点を見いだすことが出来ます。

 その一つは、あなたの問答無用という態度です。あなたの参拝以前の世論調査では、60%を越える人達が参拝に反対していました。あなたはその声に耳を傾けようとしなかったばかりか、それとの対話さえ拒み、その信念とやらを強行されました。この問答無用という態度こそ、かの狂信者の行動とパターンを同じくするものであることはいうまでもありません。

 さらには、もうひとつ、あなたは、参拝の動機を「心の問題」だと強弁されます。「心の問題」なら何をしても構わないかといわんばかりにです。
 あなたはその個人としての内面性を持っているかも知れまません。しかしそれは、内外の情勢を踏まえ、それに反対する国民の声や、近隣諸国への今後の外交上の諸問題などなどへの総理としての公の責任ある立場に優先させるべきものではありません。

 あなたのかつての盟友、加藤氏も、きわめて常識的なその事実を指摘したに過ぎません。しかしあなたと、あなたと思いを同じくするかの狂信者は、「心の問題」を犯されたと考え、自らの「心の問題」を満たすべく、凶行に及んだのです。

 もうひとつ、あなたが「心の問題」を強調される際、あなた以外の他者の「心の問題」はどうなるのでしょう。
 あなたと、あなたと思いを同じくするかの狂信者は、参拝や放火によって自分の「心の問題」を満たされました。しかし、近隣諸国の人達の「心の問題」、それに苦々しい思いをしている国民の「心の問題」、家を焼かれた加藤氏の「心の問題」はどうなるのでしょう。

 「心の問題」のためなら何ごとも許されるというあなたの強弁は、同時に、かの狂信者の凶行の動機でもあります。

 さらにあなたには、ある種の状況証拠があります。
 既に、8月16日の日記において、私は

>>これから出されるであろう貴殿のコメントが、既にしてよく分かります。
「どんな事情にしろ、言論を暴力で封じるのはよくない」という一般的で白々しいものでしょう。

 と述べておきました。
 あなたのコメントは、私の予測とほとんど一言一句変わらぬものでした。その意味では的中したのですが、問題はその時期です。
 私はおそらく、瞬時にしてそうしたコメントが出されるものと信じていました。しかし実際には、それは事件から二週間も経過した後、しかも、記者からの質問に答えるという形でやっと為されたのでした。

 この事実は、あなたがこの問題を実際には大したものとは考えていないこと、いや、そのコメントとは裏腹に、加藤邸は焼かれて然るべきだったと考えていらっしゃったことを示してはいないでしょうか。
 「テロとの戦い」では、ブッシュとあんなに歩調を揃えていらっしゃるあなたが、足下のそれには全く無関心であり、今なお、そうしたテロへの適切な対応を何ら指示していないということは、あなた自身が、ある種のテロルには密かに荷担していらっしゃると考えざるを得ません。
 
 以上のような状況証拠から、あなたはかの狂信者と同罪であること、あるいは少なくとも、かの狂信者の行為をとがめる立場にはないし、また実際に、とがめることを全くなさってこなかったことが明らかだと思います。

 テロルに支えられ、テロルを容認した総理として、私はあなたのことを記憶致します。

*なお、あなたの同志のかの狂信者が、加藤氏の母上が留守である時を見計らって火を放ったのは「立派であった」という盗人たけだけしいとしかいいようのない言説すらあるようですが、それはあなたの賢明な指示のせいでしょうか。それとも事後的にそうした言説を流布させ、事態がたいしたことがないことを印象づけようとなさる作為なのでしょうか。
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