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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

忌憚なく話し合える友人

2006-09-06 04:36:47 | よしなしごと
 

忌憚なく話し合える友人がいることは良いことです。

 私のような年配者でも、世界の現状や政治的な状況について感じたり考えたりします。
 しかしそれを、自分の属しているギョーカイや、地域社会、趣味の世界で話しても、「まあまあ、堅い話は止めといて・・」などと相手にされなかったり、挙げ句の果ては、奇人変人扱いをされたりします。

 しかし、幸いなことに、私にはそれを語り合える友人たちがいます。年二回ほどですが、高校時代の同級生、厳密にはひとつ下の学年の人も加えて、数人がちょっとした勉強会をしています。

 昨日、その集まりがありました。今回の報告者はM君で、自然破壊と地球の温暖化についての資料を提出し語りました。もちろん研究家でも何でもない私たちには手に余る課題です。

 息子が環境庁にいるというN君が補足的な説明をしました。
 いろいろ話し合っているうちに、ただならぬ状況であることは確認できました。
 ではどうすればいいのか。そんな結論など簡単にでっこありません。

 個人で出来ること、行政がすべきこと、国家単位ですべきこと、国際的な規模ですべきこと、など思いつくままに羅列するのみです。そんなことなど話し合ったって何の役にも立たないだろうといわれればそれまでです。

 しかし、最初に述べたように、私たちは日常的にそうしたことを語る場さえ持ってはいません。ですから、それが語り合える場は貴重なのです。ましてや、15、6歳のガキの頃に交わりを初めて以来、それぞれが全く違った道を歩んできた仲間が、半世紀を経過した今、何を感じ、何を考えているかを相互に知ること自身が、とても刺激的なのです。

 テーマは常に脱線します。今回も、靖国から安倍政権、戦争体験から天皇制、縄文時代の話などまさに様々でした。極論も出ますし、中庸も出ます。ですから楽しいのです。
 私にとっては、状況を知り尽くしたような人の話よりもはるかに勉強になる集まりです。

 次回は、先に述べた息子が環境庁へ行っているというN君がレポーターです。何を話そうか悩んでいましたが、どうせお前の話をきっかけに脱線するのだから、話の糸口さえ提供すれば良いと言っておきました。

 冒頭の言葉を繰り返します。
 忌憚なく話し合える友人がいることは良いことです。
 そしてそれは、私にとって勉強の励みなのです。

 
 写真は私の勉強机です。額に入った写真は私の養父ですがもう故人です。私を育ててくれた恩人です。
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