以下は、映画『蟻の兵隊』(池谷 薫・監督)を観ての感想である。内容に触れた部分もあるので、これから観る予定の方はご注意下さい。
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1948(昭23)年、日本国内では既に新憲法が制定され、民主主義が謳歌され、戦禍の復興が成し遂げられつつあるとき、「天皇陛下バンザイ!」と叫んで戦死していった日本兵がいた。中国は山西省でのことである。
なぜこのような理不尽なことがおこったのか。A級戦犯としての追及を恐れた当時の澄田軍司令官が、中共軍との内戦に突入していた中国国民党の幹部と取引し、自分の部隊をそっくりそのまま売り渡したからである。それを、当の兵士たちには、日本軍再建のための天皇の命令であるかのように偽って命じたのである。しかも、あろうことか、自分だけさっさと日本へ帰ってしまったのである。
だから兵士たちは、国民党のためではなく、天皇のため、軍再建のためにと戦い続けたのだ。その戦いは、国民党が敗退し台湾へ逃亡する49(昭24)年まで続く。そしてさらに数年間にわたって続く捕虜としての生活。
彼らは、日本兵として、もっともよく戦った兵であった。然るに、日本政府はこれを勝手な残留、逃亡兵として、帰還兵士に与えられる恩給などの権利を認めようとせず、それは裁判の場で争われることとなった。
映画は、その原告団の一人、奥村和一さんを語り部とし、彼らの主張を裏付ける証拠探しのための彼の行動を描いてゆく。
彼は、その決定的な証拠を見いだすべく、かつての戦場の地、山西省を訪れる。
このくだりまでの彼は、ほとんど被害者として、その権利の正当性を追求する者として描かれる。しかし、そこで彼があからさまに見いだしたものは、幾分かの証拠書類とともに、当時の日本軍や、そして、他ならぬ彼ら自身が、いかに残虐な行為を重ねてきたのかという加害者としての赤裸々ともいえる姿であった。
「肝試し」として中国人を惨殺する場面は、当事者として、誇張を抑制したものであるだけに一層リアルである。それは、現地の人達の話を聞き、自らの記憶をなぞるにつれ、過去の事実の域を超えて、何よりの彼自身の今に迫るのである。
そうした記憶の底辺から立ち上るシーンとして圧巻なのは、山西省で見た原告団の一員の中国人惨殺に関する自供と告白の手記のコピーを奥村氏が持ち帰り、その当事者である人に見せる場面である。
その当事者は、しばしの沈黙の後、そういえばそういうことがあったと絞り出すようにいうのである。故意にではないにしろ、それは記憶の底に深く深く埋められていたものが回帰する瞬間であった。
「それは個人としての問題ではなく、軍隊や戦争全体の問題として・・」という奥村氏の繰り返される言い分は、それはそうだとしても、本当に「全体」へと棚上げしてしまっていいのかという疑問の余地は残る。近代以降の問題を持ち出すまでもなく、必然と自由の問題はそこにおいても存在するのであり、私たちは必然の名の下に、「全体」という空虚や抽象を対象に具体的な責任を追及することは出来ないのである。
もっとも、状況そのものによって、そして今なお日本という国家によって、既に十分処刑されてきた奥村氏にそれをいうことは酷なのかも知れない。
肉親すら完全に意識がないと思っていた寝たきりの宮崎参謀が、奥村氏の来訪と言葉に、極めてドラスチックに反応する場面は背筋に電流が走る思いがするが、既に多くの人が触れているので敢えて言葉を重ねまい。
さらに、靖国がグロテスクなカルト宗教に属することは、短いシーンの中に余すことなく表現されている。私が数年前覗いた折りもそうだった。その折りには映画に出た軍服姿の行進に加えて、街宣車で乗り付けた紺色の戦闘服集団が、隊列を組んで周囲を睥睨して行進するのが不気味であった。
あそこは鎮魂でも平和のための祈願の場所でもない。むしろその逆で、戦争への郷愁とルサンチマン、捲土重来を期す祈願の場である。それは映画の中での「今度は勝つ!」の台詞に集約されている。
麻生某が、(民営化の動きに逆らって)、国営化を目論んでいるようだが、カルト教団を税金で飼うことなど決してあってはならない。
なお、私は、8月10日の日記に、「それは単なる片思いに過ぎない」と題して、国家や民族などの抽象に殉じることなかれと書いたが、この映画を観た後としては、そこでの私の記述が幾分抽象的であったのでは思えるほど、ここに描か ない。
ただし、日本を棄民国家と表現したのは全く正当であったと思う。
ちなみに、この映画の裁判では、最高裁に至るまで彼らの主張を認めようとはせず、またもや切り捨てたのである。
最後に、出演者や、それを撮るもの、そして私たち観るものが、その経過に従って変化を余儀なくされるのが優れたドキュメンタリーの要因だとしたら、これは間違いなくその部類に属すると思う。