六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

蟻のように働き、蟻のように踏みにじられたもの達

2006-08-15 03:37:30 | 映画評論
 


 以下は、映画『蟻の兵隊』(池谷 薫・監督)を観ての感想である。内容に触れた部分もあるので、これから観る予定の方はご注意下さい。 

  ============================

 1948(昭23)年、日本国内では既に新憲法が制定され、民主主義が謳歌され、戦禍の復興が成し遂げられつつあるとき、「天皇陛下バンザイ!」と叫んで戦死していった日本兵がいた。中国は山西省でのことである。

 なぜこのような理不尽なことがおこったのか。A級戦犯としての追及を恐れた当時の澄田軍司令官が、中共軍との内戦に突入していた中国国民党の幹部と取引し、自分の部隊をそっくりそのまま売り渡したからである。それを、当の兵士たちには、日本軍再建のための天皇の命令であるかのように偽って命じたのである。しかも、あろうことか、自分だけさっさと日本へ帰ってしまったのである。

 だから兵士たちは、国民党のためではなく、天皇のため、軍再建のためにと戦い続けたのだ。その戦いは、国民党が敗退し台湾へ逃亡する49(昭24)年まで続く。そしてさらに数年間にわたって続く捕虜としての生活。

 彼らは、日本兵として、もっともよく戦った兵であった。然るに、日本政府はこれを勝手な残留、逃亡兵として、帰還兵士に与えられる恩給などの権利を認めようとせず、それは裁判の場で争われることとなった。

 映画は、その原告団の一人、奥村和一さんを語り部とし、彼らの主張を裏付ける証拠探しのための彼の行動を描いてゆく。

 彼は、その決定的な証拠を見いだすべく、かつての戦場の地、山西省を訪れる。
 このくだりまでの彼は、ほとんど被害者として、その権利の正当性を追求する者として描かれる。しかし、そこで彼があからさまに見いだしたものは、幾分かの証拠書類とともに、当時の日本軍や、そして、他ならぬ彼ら自身が、いかに残虐な行為を重ねてきたのかという加害者としての赤裸々ともいえる姿であった。

 「肝試し」として中国人を惨殺する場面は、当事者として、誇張を抑制したものであるだけに一層リアルである。それは、現地の人達の話を聞き、自らの記憶をなぞるにつれ、過去の事実の域を超えて、何よりの彼自身の今に迫るのである。
 そうした記憶の底辺から立ち上るシーンとして圧巻なのは、山西省で見た原告団の一員の中国人惨殺に関する自供と告白の手記のコピーを奥村氏が持ち帰り、その当事者である人に見せる場面である。
 その当事者は、しばしの沈黙の後、そういえばそういうことがあったと絞り出すようにいうのである。故意にではないにしろ、それは記憶の底に深く深く埋められていたものが回帰する瞬間であった。

 「それは個人としての問題ではなく、軍隊や戦争全体の問題として・・」という奥村氏の繰り返される言い分は、それはそうだとしても、本当に「全体」へと棚上げしてしまっていいのかという疑問の余地は残る。近代以降の問題を持ち出すまでもなく、必然と自由の問題はそこにおいても存在するのであり、私たちは必然の名の下に、「全体」という空虚や抽象を対象に具体的な責任を追及することは出来ないのである。
 もっとも、状況そのものによって、そして今なお日本という国家によって、既に十分処刑されてきた奥村氏にそれをいうことは酷なのかも知れない。

 肉親すら完全に意識がないと思っていた寝たきりの宮崎参謀が、奥村氏の来訪と言葉に、極めてドラスチックに反応する場面は背筋に電流が走る思いがするが、既に多くの人が触れているので敢えて言葉を重ねまい。

 さらに、靖国がグロテスクなカルト宗教に属することは、短いシーンの中に余すことなく表現されている。私が数年前覗いた折りもそうだった。その折りには映画に出た軍服姿の行進に加えて、街宣車で乗り付けた紺色の戦闘服集団が、隊列を組んで周囲を睥睨して行進するのが不気味であった。
 あそこは鎮魂でも平和のための祈願の場所でもない。むしろその逆で、戦争への郷愁とルサンチマン、捲土重来を期す祈願の場である。それは映画の中での「今度は勝つ!」の台詞に集約されている。

 麻生某が、(民営化の動きに逆らって)、国営化を目論んでいるようだが、カルト教団を税金で飼うことなど決してあってはならない。

 なお、私は、8月10日の日記に、「それは単なる片思いに過ぎない」と題して、国家や民族などの抽象に殉じることなかれと書いたが、この映画を観た後としては、そこでの私の記述が幾分抽象的であったのでは思えるほど、ここに描か  ない。
  ただし、日本を棄民国家と表現したのは全く正当であったと思う。
 ちなみに、この映画の裁判では、最高裁に至るまで彼らの主張を認めようとはせず、またもや切り捨てたのである。

 最後に、出演者や、それを撮るもの、そして私たち観るものが、その経過に従って変化を余儀なくされるのが優れたドキュメンタリーの要因だとしたら、これは間違いなくその部類に属すると思う。

 

 

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「栄光の二日間」と六の時事川柳 06.8.13

2006-08-13 17:51:22 | 川柳日記




*写真 上は、岐阜公園内の電飾から 
    下は、愛知芸術文化センターの12階付近



 梅雨が比較的長く居座った分、暑くしなきゃあ損だぐらいにお考えになったお天道様は、立秋後といえども容赦ない熱気を振りまいていらっしゃいます。

 おかげをもちまして、私どもの住まいいたします片田舎におきましても、二日連続で日本一の暑さを記録するという栄誉に輝いたのでございます。

 8月10日 揖斐川町 39.1度 11日 岐阜市 38.4度

 一説に依れば、やはり地球温暖化によるものだそうですが、これまでの低開発国が頑張り出すことを考えると、この温暖化、そう簡単に収まりそうにはございません。
 ということは、この温暖化による環境の変化に、どう人間自身が適応して行くのかといういたちごっこになりそうな気配です。

 自らの欲望によって環境を破壊し、その破壊した環境に適応しなければならないというのはまことに業の深いことでございます。

 「業の深い」はいささか仏教的な表現でしたので、今度はクリスチャンの方にもサービス。
 これが人間の原罪とでもいうのでしょうか。

 それはさておき、まことにもって暑うございます。
 皆様方におかれましても、くれぐれもご自愛を。
 ぁ、そうそう、赤子など車に残したまま、パチンコなどにお励みになることは厳にお慎みなさいますよう申し添えます。


<今週の川柳もどき> 06.8.13

 もう安倍と決まり政局しらけ気味
 立秋やライオン丸は過去の人
  (もうすっかり首相気取り)

 イスラムは殺せと是認する決議
  (国連イスラエル侵攻を実質追認)

 社員無くそれでも会社ある不思議
  (パート、派遣、偽装請負
 
 負け組勝ち組どもが奪い合う
  (製紙、メンズなどの吸収合併騒ぎ)
 
 行く末は虐待が待つ長寿国
  (東京、老人ホームさくら苑)
 
 年寄りの多趣味元気である証拠
  (ゲートボール人口三分の一に

 半分は渋滞にいるわが休暇
  (今年も・・)

 雷神がヘソ出す娘(こ)らに奮起する

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギュンター・グラス、ポール・ド・マン、そしてハイデガー

2006-08-13 01:34:54 | よしなしごと



 以下は、若い友人がネットで触れていた問題への私のコメントです。

>>ホントは私はギュンター・グラスの話題を書きたかったのです

 ギュンター・グラスがナチスの武装親衛隊に入っていたことがあるという告白に関してですね。
 
 17歳ねぇ。そして外部からの情報から遮断され、子供の頃から徹底してナチズムの教育を受けていた彼に、その他の選択肢はあったのでしょうかねぇ。
 真面目なエリートであったが故に選抜され勧誘されたようですね。

 似たような問題に、アメリカのデリダ派の思想家、故ポール・ド・マンが、渡米以前のベルギー時代、親ナチ的な評論を書いていたとして告発されたことがあります。
 彼の場合は、その父親(親ナチ派)の影響が大きく、それらの文書は20歳前後に書かれたものでした。

 二人の違いは年齢差のみならず、ギュンター・グラスが、自伝を出すという必要性に迫られたとはいえ、それを自ら告白したのに対し、ド・マンの場合は、それを明らかにすること亡くなくなったということでしょうね。

  この種の問題で、前世紀後半でもっとも話題になったのはハイデガーの場合です。彼はナチに入党し、1933年にフライブルグ大学の総長に就任した際、ヒトラーを讃える悪名高い演説を行っています。

 その後、間もなく、政治的には表面から去り、表だった発言もないのですが、逆に戦後に至っても自己批判めいた明確な発言もなく、 彼の政治的な選択肢と、その哲学自身との内在的な関係が今もなお、問われています。

 アメリカの哲学者、R・ローティなどは、彼は単に政治的に無知だったのであり、その哲学とは関係ないといいきっています(いわゆる論理と信念の問題は別だというのが彼の基本的な立場で、その例として、進化論の第一線で活躍する生物学者が、熱心なカソリック信者で、日曜のたび、教会へ行くようなものだといっています)が、それほど簡単に割り切れるかどうかはいささか疑問です。

 私見ですが、ハイデガーの場合は、いわゆる 形而上学の完成としての近代合理主義のようなものをどう超えるかという哲学上の課題とともに、そうした近代合理主義の実現態としての現代を超えたい(彼のアメリカとソ連--当時--への批判は厳しいものがあります。要するに、完成した資本主義でもなく、ソ連型社会主義でもなく)という課題への希求や関心もあり、 その可能性を、初期のナチズム(彼らもまたそう称していました)の中に見てしまったのではないかと思うのです。

 この関係は、日本の「近代の超克派」が、やはりそうした時代の閉塞を打ち破ろうとしつつも、天皇制の枠内でしかそれを語れず、ついには、その天皇制に依拠した超克に自らを矮小化し、そのイデオローグになってしまったという状況とよく似ているように思われます。

 いずれにしてもこれらの問題は、人はどのようにしてある思想のもとに囚われるのか、あるいは、そうしたものに自己を限定しない保証はどこに求められるべきかという重い課題を示していると思います。

私自身の告白です。 
 先の戦争末期、6歳であった私はバリバリの軍国少年で、大きくなったら、東条英機のような偉い大将になって、天皇陛下のために戦うのだと固く固く決意していました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それは単なる片思いに過ぎない!

2006-08-10 17:52:19 | 社会評論




  観念のために死んだり殺したりするのは止めよう。

 この場合、観念とは、その実体がなかったり、中味が曖昧であるにもかかわらず、それが自明であるかのように私たちに迫ってくるものたちのことである。
 例えば、国家、民族、名誉、伝統、社会、正義、真理、などなど、お望みなら、人民や平和を加えてもよい。

 なぜこんなことを改めて言うかというと、NHK・BSの<「取り残された民衆」---元関東軍兵士と開拓団家族の証言>を見て、考えるところがあったからである。
 内容を概略すれば、旧満州国に駐留していた関東軍が、1945年8月9日のソ連の参戦に際し、守るべき民衆を見捨てて勝手にさっさと敗走してしまい、結果として、取り残された開拓団の民衆たちが、「自己責任で」悲惨な状況に晒され、多くの犠牲者を生み出したという経緯についてである。
 それらを、今なお生存している人達の証言で綴るのだが、「民衆を守るなどということは当時、問題にもならなかったし、私自身なにも聞いていません」という元関東軍兵士の言葉が、すべてを物語っている。

 これらの前提として、満州国というもの自体が侵略を正当化するための傀儡でしかなかったこと、開拓団といっても、荒野の開拓ではなく、中国人の農地を取り上げただけであることなどの問題があるのだが、今はそれは問うまい。

 問題は、軍が民衆を見捨てる、あるいは沖縄がそうであったようにむしろ民衆を盾とするなど、この国にある徹底した棄民の伝統である。
 先頃、裁判の末、和解に至ったドミニカ移民を始め、戦前の南米などの移民もほとんどが、経済政策の破綻を糊塗する棄民の性格を持ったものであり、移民先での成功者はその一握りに過ぎない。
 
 先に述べた番組での満蒙開拓団にしたところが、この棄民政策の一環だったのであり、彼らは、満州へと棄民され、さらにそれを守るべき軍隊に見捨てられることによって、二重の棄民に遭遇したわけである。結果として、30万人を数えた入植者の内、戦後、国内へ無事帰還できたものは、約三分の一の11万人であったという。また、その逃走の過程で、多くの残留孤児や未帰還子女を生み出したのも周知である。
 この事態の悲惨さに比べ、軍関係や政府機関の幹部などは、ヤルタ会談やドイツ敗戦の報に反応し、既に敗戦2、3ヶ月前に、安全に帰国を果たしていたというのは実に腹立たしい(番組の証言による)。

 棄民は移民にとどまらない。先の戦争における、補給を無視した戦線の拡大は、多くの兵たちをアジアの各地に戦闘能力や生存のための物資すら欠いたまま、置き去りにすることとなった。それに輪をかけたのが、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず・・」(本訓・其の二・第八)で、それの遵守により、戦闘力の圧倒的な差がある中、降伏を潔しとせず無謀な突撃を繰り返し、いたずらに戦死者を増やしたり、サイパンのように一般民衆をも巻き込んだ自決(玉砕)が強行されたり、あるいはビルマ(ミャンマー)のようにただあてどもなくジャングルの中を逃げまどう「死の行軍」が展開されることとなった(私の実父はそこで死んだ)。
 先の満蒙開拓団の人たちの、少なからぬ部分が手榴弾、青酸カリなどを持参し、現実にこれによって、自ら命を絶った人たちもいたのである。
 
 もし、このような野蛮な戦陣訓(東条英機が示達)がなかったら、日本軍の戦死者は半減までは行かなくとも、大幅に減少していたであろうことは確実である。

 なぜこのような国家や民族といった抽象的観念が肥満し、それに現実の生きた民衆を従わせ、場合によってはその民衆をいとも簡単に捨て去るという棄民国家が誕生したのだろうか。それはおそらく日本の近代国家形成と関連している。
 
 封建制というと暗いイメージがあるが、幕藩制の中では基本的に棄民はあり得なかった。それは領主と民衆との間に不文の契約のようなものがあり、藩は民衆を守り、民衆は藩の徴用に応じるという双務的な関係が成立していたからである。
 その関係がぎくしゃくし、一揆などが勃発することは、封建体制そのものの危機で、従って、藩主自体がそのようにならぬよう心したのであり、万一それに至った場合は、取りつぶしや国替えなど、幕府による厳しいチェックが入ることとなった。

 明治になり、幕藩制を脱した日本は、「おらがくに」から「われわれの国家」への移行にあたり、その求心力を成すものとして、それまでお飾りであった皇室を中心に据え、絶対的天皇制国家としてこれを形成した。神話の編成による民族意識の高揚、万世一系の虚構、などなど、国家統一の形成をその抽象性、観念性に求めた。これは、ヨーロッパなどでの歴史的自然な国民国家発生の段階をとばした、人為的な国家形成の産物といえる。

 それが、民衆を超越したものとしての国家、現人神とその赤子による家族としての国家、神話の末裔としての不朽の単一民族(?)による国家という絶対的国家として、元々虚無であった国家の内実を埋めるところとなり、それへの拝跪、服従が強要されることとなった。

 こうした具体的に人々が生きている現実よりも偉大とされる観念の普遍化、それを利用した財界や為政者による支配、軍部の異常な台頭と権力の掌握、それらが複合的に作用して、国家のための国民の一方的な服従と献身、そして消耗品としての増産(「生めよ、殖やせよ!」)の一方、その使い捨てとしての棄民が一般化されるところとなった。
 日本浪漫派などは、それを糊塗したばかりか、野蛮を美へと転化するイデオロギーとし機能した。オオミココロのために潔く散る桜花・・。散る桜、残る桜も散る桜。無常観の薄衣をまといながら、残った桜にも「散れ!」と命じる酷薄さがここにはある。
 神風特攻隊、人間魚雷、目的なき出撃の戦艦大和などなどもその一例に他ならない。

 なぜ、今さらのようにこんなことを書くのか。それは最近の若い人達の勇ましい言動の中に、やはり、国や民族など観念の呪縛に捉えられ、そのためには戦争も辞せずというものが目立つからである。
 しかし、既に見たように、私たちが国家や民族に思いを寄せるほどに、国家は私たちに報いてはくれないのである。この関係は、どこまで行っても片務的というか、片思いに過ぎない。

 また、これらの主張には、その観念へのもたれかかりのために、現実感覚から遊離したものが多い。なぜなら、その主張からは、殺したり殺されたりするのが他ならぬ自分自身だという現実性がすっぽりと抜け落ち、戦争がまるでゲームであるかのようにイメージされているからである。ここには、1991年の湾岸戦争(ブッシュの父が関与)以来のハイテク技術による戦争のシミュレーション化が大きく影響しているように思われる。
 しかしである、そこで死ぬのはやはり生身の人間であり、何をもってしても代用不可能な単独性をもった人の死なのである。

 だから、私はいう。国家や民族、その他諸々の抽象的観念のために、自らの命を差し出したり、あるいは人の命を奪うことは止めようではないか、その最たるものとしての戦争などには決して関わらないでおこうではないか、それらしい動きがあればちゃんとチェックしようではないか、と。

 誤解を恐れず、逆説的にいえば、物欲や性欲など現実的にして具体的なものへのアクションの方がはるかに無害である。例えそれが行き過ぎて犯罪になろうとも、戦争のように一度に百や千、あるいは万単位で人が死ぬことはないからである。

 ちなみに、観念(あるいはそれを装うこと)によって為された殺戮の例を挙げるならば、我らが大日本帝国を始め、ヒトラーによるナチスドイツ、スターリンによるソヴィエト、ポルポトによるクメール・ルージュ、毛沢東による何度かの粛正、ブッシュによるテロとの戦い(アメリカンスタンダードの押しつけ)などがあげられる。

 標題を繰り返す。「観念のために死んだり殺したりすることを止めよう!それは単なる片思いに過ぎない!」

 <写真>台風前夜の夕空と、そして、コロンと死んだ蝉。セミコロン?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実りへ!  台風なんかに負けんなよ!

2006-08-08 17:49:48 | よしなしごと
 



 少し暗い話が続いたんで、明るい話題をと思うんだけど、そんな話、あんまりないじゃぁないか。そんなとき、新聞記者は動物園へ行くんだそうだが、この辺りにそんなものはありゃしないし・・、ということで、動物ならぬ植物の登場。

 場所は、いつもの散歩道から少し寄り道をした細い道。
 ごらんの通り、カボチャとカキの赤ちゃん。

 ところで、台風が来るんだって?
 その辺の話には疎いからよく分からないが、今夜から明日にかけてらしい。

 おおい、カボチャもカキも、台風なんかに負けるなよ。
 カキはしっかり木にしがみついて落ちるな。
 カボチャ、お前だって生け垣の上の足場のよくないところになっているんだから、落っこちないように気を付けろよ。
 その細いツルでしっかり体を支えろ。

 さあ、実りはもうすぐだ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「投げろっ!」 手榴弾と重火器の戦

2006-08-07 15:54:31 | よしなしごと
 

 

 夏のピークを示す歳時記、甲子園大会が始まりました。
 前の日記で書きましたように、今年は、わが母校、県立岐阜商業も出場しています。

 この時期、球音を聞きながら、どうしても思い出してしまうエレジーがあるのです。

 母校の話に戻りますが、敗戦前の数年間、野球部は実に強かったのです。
 夏の大会では1936年(昭11)に全国制覇、38年(昭13)には準優勝。
 選抜に至っては、1933、35、40(昭8、10、15)年に優勝し、その間、39(昭14)年には準優勝をはたしています。

 母校の自慢がしたいわけではありません。問題はその折りの選手たちのその後です。
 結論を言いましょう。昭和10年代に活躍したこれら球児の内、実に5人のレギュラーが戦死しています。
 多くの若者たちが戦場に散った時代ですが、それにしても、この数字が示す率は高いものがあります。

 一説に依れば、「お前らは、野球をやっていたのだから肩がいいはずだ」というので、最前線で手榴弾を投げる役を命じられたというのです。無謀な戦で、武器弾薬の供給もない中、アメリカ軍の重火器に、肩の筋肉のみで立ち向かえと命じたのです。

 慶応へ進んだ松井という大エースがいました。彼も戦場に散ったのですが、国元へ出したほとんど最後の手紙を見たことがあります。文武両道というのでしょうか、落ち着いた調子の文章が、墨跡も鮮やかに記されていました。死への予感を濃厚に滲ませながらです。自分の周辺の人達への丁重なお礼の言葉が印象的でした。「○○とてもおいしゅうございました」という言葉とともに。

 原爆忌、甲子園、終戦記念日は、私の中では一連の歴史的モニュメントのように思われるのです。

 ただし、「英霊」であるとかいった美化には賛同し得ません。彼らは「犬死」させられたのです。彼らを「犬死」させたもの達への憎悪を完遂しきるとき、彼らの「犬死」は、私たちの「尊い礎」として回収されるでしょう。

 そうした私の願いとはうらはらに、事態が逆行し始めたのではと懸念いたします。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光線爆弾と命を賭けた大論争!&六の時事川柳

2006-08-06 03:44:34 | 川柳日記


  61年前の今日、広島が地獄絵図と化しました。
 どうも新型爆弾が投下されたらしいというニュースは、疎開先の母の実家がある片田舎にも伝わってきました。

 そしてある日のこと、大人たちの間で大論争が起きたのです。それは、防空壕まで逃げる間、白い布を被って行くべきかどうかの論争でした。
 白い布派は、新型爆弾は光線爆弾らしいから、それを反射するのだといいます。反対派は、白い布は敵機に見つかりやすく、標的になるから駄目だといいます。

 今から見ると滑稽かも知れませんね。原爆の前では白い布であろうが赤い布であろうが、抗うべき余地がないことを私たちは知り尽くしているからです。しかし、当時としてはまさに命がけの論争だったのです。

 公の報道は詳しいことは全く伝えませんでした。大本営はなお、「当方の損害は軽微なり」を連呼し続けていたのです。
 一般国民が、この戦争が実はぼろぼろに敗けていたのだと知ったのは、8月15日になってからでした。それ以前に、それを疑おうものなら、非国民として投獄されていたでしょう。

 今、当時の商工相でありA級戦犯であった人の孫が総理大臣になろうとしています。この人ひょっとして、かつての大日本帝国のリベンジを夢見ているのではないかという言動が目立ちます。

 原爆の犠牲者たちは、「安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」という墓碑銘にもかかわらず、本当に安らかに眠れるかどうかが心配です。
 
<今週の川柳もどき> 06.8.06

 原爆忌不戦の誓い遠くなる
 (軍隊派遣、靖国公然化、先制攻撃)
 青空の果てに望みを託してる

*安倍氏のスローガン
 再チャレンジ造反組へ誘いかけ
 (帰ってこいよ~)
 蹴落として再チャレンジをせよという
 (格差社会の負け組へ

 ほおかむりしても行きたい九段坂
 靖国も摂理も妖し怪我のもと
 (信仰にはそれなりの覚悟が・・

 入り乱れ紙切り虫がせめぎ合う
 (製紙業界の乱)

 金利より高い振り込み手数料
 (やっと改善?

*亀田君王座に
 チャンピオンベルトに値札付いている
 札束の分採点が高くなる
 金ずくめ勝者虚しく幕となる
 若者を踊らせ稼ぐテレビ局

*ああ、わが郷土岐阜!
 かがり火に札束燃やす長良川
 鵜呑みには出来ず吐き出すご乱行
 民の汗沁みた税金よく燃える
 (裏金!発覚して燃やす!)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県職員の皆様に感謝します。

2006-08-05 01:42:12 | 社会評論


 

岐阜県職員の皆様への感謝の言葉。

 生涯の内、十年ほど岐阜県を離れておりましたが、残りの半世紀以上をこの県で住まわせて頂いております。
 県道も通らせて頂いております。県立図書館も、県のお建てになったふれあい会館内のコンサートホールも利用させて頂いております。これも、ひとえに県職員のみなさんのご尽力の賜と存じております。

 むろんこの間ず~っと県民税は支払わせて頂いております。従いまして、私が得ました上記の恩恵も、その県民税を皆様が適切にご使用頂きました結果と存じ、深く感謝の意をお伝えし、そのご業績を讃えたいと存じます。 
 
 そうした日常的な諸業務でたいそうご多用だとは存じておりましたが、さらにその上、それら県民税を長年にわたって非公式に、数億という単位で蓄積され、それらをご自身の飲食や遊興にお使いになるのみか、職員として不適切な行為があったとして処分されたお仲間を援助するために、数千万の単位を費やされるなど、まことにもってお役人様の鏡のごときご所業でもちまして、一躍わが県の名を高からしめるに至りましたことは、もはや感嘆の極みという他ありません。

 また、漏れ承れば、証拠隠滅をおはかりになるため数百万の現金を焼却処分にされたという、まさに適切にして前代未聞の快挙、これぞ岐阜県人と、皆様への尊敬の念はいや増しにも高まるのでございます。
 ただし、惜しむらくは、焼却もさることながら、私どもの元へご持参頂ければ、さらに適切に隠蔽が出来たのではと、それのみが悔やまれるのでございます。

 税金を横領され、お隠しになり、それらをご自分の便宜にお役立てになり、発覚しそうになれば実に迅速に、様々な隠蔽工作をおはかりになり、公になる部分は氷山の一角にとどめるということは、お役人様のもっとも得意とされる能力であり、それが、わが県におきまして、まるで絵に描いたかのように実現されましたことに、県民として大きな誇りを持ちますとともに、それが発覚する今日まで、皆様方が耐えてこられたさまざまな厳しい隠蔽工作に思いをいたしますとき、偉大なわが県職員のご努力に感動の念を禁じ得ないのであります。

 ところで、私め、来年度より県民税のお支払いを停止いたしたく存じておりますが、どのような手続きが必要なのかご教示賜り、そのための申請用紙などございましたら、ご送付頂けませんでしょうか。

  *写真はいずれも県の施設
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「一将功成り、万骨枯る」なのです。

2006-08-03 03:55:30 | 社会評論







<写真>は路線価の上昇著しい名古屋駅前付近。
    下は、完成間近のトヨタ系高層ビル。
 

 この度発表された路線価を見て、思わず考え込んでしまいました。
 名古屋駅前が全国でトップ(26.4%)の大幅アップであり、それは、トヨタを中心に名古屋経済が元気だとのことですが、それはそれで事実でしょう。

 しかしです、しかし、名古屋市を除く愛知県下の全都市、岐阜県、三重県の全都市において、すべて軒並み数%(中には10%近いものもある)の下落なのです。
 
 ということは、名古屋駅前は一人勝ちというか、これら他都市の商業基盤や地場産業の衰退を尻目に、ひとりわが世の春を謳歌しているということなのです。
 これは、勝ち組、負け組、格差社会が単なる言辞にとどまらず、歴然と示された数値といえます。

 他都市の下落の数値は、名古屋に近いところほど大きいのです。これは、あらゆる経済活動が名古屋偏重になっていて、これらの諸都市の地盤低下と、名古屋駅前の高騰とは相関関係にあることを示しています。

 私の住む岐阜は、僅か18分で名古屋と結ばれています。買い物客の多くは名古屋へ出かけます。そればかりか、象徴的なのは、岐阜駅の近くに高層マンションが建てられつつあるのですが、そのほとんどがトヨタによって買い占められたという事実です。
 これは、上に掲げた写真にあるトヨタ関連の超高層ビルが名古屋駅前に建てられつつあり、そこへ勤務する人達のための住宅確保なのです。

 衛星都市という言葉がありますが、それはまだ、その連携を通じて双方向のメリットがクロスし合うことを指すのですが、現況はもはや、植民地というほかありません。

 岐阜県の多治見、大垣、そして、三重県の四日市、桑名などでも事情はほぼ同様です。愛知県内の諸都市でもそうです。

 日本経済政策は戦後、多かれ少なかれ、あまりにも格差が大きくならないように、また、格差が出た場合には、それを福祉や地域振興策で救済する措置をとってきました。
 その背景としては、いわゆる社会主義体制との競争の中で、国内での矛盾をあまり広げたくないという配慮が働いたものと思われます。

 しかし、社会主義体制が崩壊した今、資本主義はもはや裸でその本性を露呈し、生産手段をもつ者のみが富み、そのシステムの仕組みから外れた者は、「自己責任」で野たれ死ねという政策に転換しつつあります。

 経済はむろん、地域、教育、文化、社会保障などなど、あらゆる面にわたっての格差の拡大(先進国中第二位)は、やはり、これをチェックする主張の再構築、二大政党といいながら同じ穴の狢のような政党ではない、庶民の政治を実現する立場と層の再結集を必要としているのではないでしょうか。

 現在の生産関係(=資本主義)は、決して自然的な事象ではなく、人為的に、しかも原始的蓄積段階という暴力をも伴って出現したものであることを、今一度思い起こしてもいいかも知れません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お~い、置いてきぼりかよ・・

2006-08-03 00:56:09 | よしなしごと


~い、置いてきぼりかよ・・
 今まで何年も一緒にやってきたじゃぁないか
 地上に出たとたんに、ハイおさらばってぇのは
 ち~と冷たすぎるってもんだぜ

 あいいや
 ところでお前はいったいどこにいるんだい?
 おれの頭の上でうるさく鳴いているのがお前かい?
 それとも、さっきションベンをしながら
 隣の樹に飛んでったやつかな?

 るいは、ああ、もしもあるいはだが
 もう鳥かなんかに喰われてしまったのかい?

 れを脱ぎ捨てて行ってしまうってぇのは
 まぁ仕方ないだろう
 陽の目を見たとたん終わりが始まるってぇのは
 おれたちのさだめだからな

 も、残された時間はあんまりないんだぜ
 ちゃんといい相手は見つかったかい?
 おいおい、そのためにこそ
 おれたちは地上に出てきたことを忘れるなよ

 前が相手に恵まれてちゃんといいセックスをして
 その生涯を終えるとき
 おれの使命も終わるのさ
 お前なんか、一緒に地中を這い回ったおれのことなど
 きっと思い出しもしないだろうな

 や、それでいいんだよ
 誰だって、脱ぎ捨ててきたものに
 変な郷愁を覚えたりしないほうがいいのさ
 残された短い夏だもの
 高らかに鳴け!叫べ!飛び回れ!
 それが脱ぎ捨てられたおれをも含めた
 命の息吹なんだから

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする