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太陽はどこを照らしたか?映画『太陽』を観て。

2006-08-19 18:01:34 | 映画評論
 


 ロシアの奇才、 アレクサンドル・ソクーロフが、 昭和天皇・裕仁を「題材」に撮った映画である。要するに記録映画ではないのだ。従って、史実との違いやディティールの問題に関して異議を申し立てる筋合いのものではない。例え、 主役のイッセー・尾形が、裕仁の挙動やチック症状まで巧みに写し取っていてもだ・・。

 私自身に関していえば、以前、同監督の、100分を越える映像をワンカット、ワンシーンで表現し、しかも、エルミタージュの要点を余すところなく紹介するばかりか、時代を超えた人物を登場させたり、あるいは最後にアシュケナージのオーケストラを登場させるなどした大実験映画 『エルミタージュ幻想』に触れたことがあり、彼がどのように裕仁を料理するのかに関心があって観に行った。

 あくまでも史実や歴史的評価を差し引いた、ある条件下での裕仁の挙動を想像的に描いたものとしては文句なしに面白い。映像も、あくまでもきらびやかさを避けてシックにまとめられている。台詞も、極力簡素化されていて、一見無駄に思われる会話の中にも詩的な寓意や、彼と状況との関わり、それに対する彼自身の意識が巧みに表現されている。

 空襲場面は絵画的で美しい。襲い来る米軍機が、鳥や魚たちの形象で表現されるのも面白い。実際にはあの下で、何万もの人が焼かれ、逃げまどっているのだが、それをリアルに描くことは、 裕仁のある種の超越性のようなものが希薄になるという計算なのだろう。

 実際のところ、裕仁が 「現人神」として超然としていたと期待する人も、あるいは、彼の戦争犯罪の糾弾を期待した人も、ともにがっかりすることであろう。
  むろん、彼は超然さを肉体で表すような存在ではなく、単にチック症候をもった中年男に過ぎなかった。あるいはまた、その残虐性を言動として表現したり、直接指示する存在でもなかった。
 要するに、個々の言動やその立ち居振る舞いを越えて、裕仁という個性を越えたその存在自身が 大日本帝国のシンボルであり、根底であり、レゾンデートルであったのだ。

 従って、ソクーロフが拾い集めたものは、その 余剰であり、それ自身歴史を動かす側面ではない。
 マッカーサーとのやりとりにおいても、裕仁のその後の運命は、彼自身のその折りの言動によって決定されたわけではない。

 あの映画で現実に描かれた裕仁のイメージが余剰であるとしたら、その根幹は何であろうか。それは、かれが「現人神」であったということである。
 この映画に関する若い人達の感想の中には、往々にしてこの問題が抜け落ち、 現在の皇室との連続性において語っているものが見られる。
 しかし、核心はかれが「神」であったことである。ソクーロフもその辺を心得ていて、先に見たように 「神」からの余剰としてこぼれ出る「人間」を描いている。

 しかし、その背後には厳然とした神としての裕仁がいたのであり、一般人はその顔を見ることすらほとんど許されず、政府や軍の政策や命令は、その神に発するものとして絶対だったのである。まさに 「朕は神」だったのである。

 ところで、映画からしばし離れるが、この「現人神」を本当に人々は信じていたのだろうか?
 私は、国民の大多数は信じていたと思う。信じていなかったのは、一部の唯物論者、そして、何よりも取り巻きの重臣、軍部の幹部たち、そして、裕仁本人ではなかろうかと推測する。
 彼は、物心付いたときから神として崇められてはいたが、食欲や性欲などの人としての欲望の体験を通じて、 自らが神ではないことを知っていたはずだと思う。

 ところで、私についていうならば、少年時、当然彼は神だと信じていた。ある時友人たちと、天皇は神だからウンコやオシッコはしないのではないかという論争になっ。結論は覚えていないが、いずれにしても、するとしてもわれわれとは全く違う仕方であろうということになったように記憶する。

 神は無限であり、絶対である。
 別のところでも触れたが、急速な近代化と国民国家の形成の中で、 空疎な中心を埋めるべき観念として動員された「現人神」としての天皇は、その空疎さ故に統御不能な猛威をふるった。
 その人間宣言により、現在の皇室とは切断されているとはいえ、 憲法や教育基本法がいじられようとしているとき、「愛国心」の中心に「天皇」が据えられる可能性は大きいのである。

 繰り返すが、ソクーロフの描いた裕仁は、「現人神」の余剰としての人間的なエピソードからなる。その意味での彼の想像力と映像化は興味あるものがあるが、あそこで描かれている背後で、 その「神」の名において、日本人300万人、近隣諸国3,000万人の命が失われたことを忘れるわけには行かない。
コメント (3)
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