以下は、若い友人がネットで触れていた問題への私のコメントです。
>>ホントは私はギュンター・グラスの話題を書きたかったのです
ギュンター・グラスがナチスの武装親衛隊に入っていたことがあるという告白に関してですね。
17歳ねぇ。そして外部からの情報から遮断され、子供の頃から徹底してナチズムの教育を受けていた彼に、その他の選択肢はあったのでしょうかねぇ。
真面目なエリートであったが故に選抜され勧誘されたようですね。
似たような問題に、アメリカのデリダ派の思想家、故ポール・ド・マンが、渡米以前のベルギー時代、親ナチ的な評論を書いていたとして告発されたことがあります。
彼の場合は、その父親(親ナチ派)の影響が大きく、それらの文書は20歳前後に書かれたものでした。
二人の違いは年齢差のみならず、ギュンター・グラスが、自伝を出すという必要性に迫られたとはいえ、それを自ら告白したのに対し、ド・マンの場合は、それを明らかにすること亡くなくなったということでしょうね。
この種の問題で、前世紀後半でもっとも話題になったのはハイデガーの場合です。彼はナチに入党し、1933年にフライブルグ大学の総長に就任した際、ヒトラーを讃える悪名高い演説を行っています。
その後、間もなく、政治的には表面から去り、表だった発言もないのですが、逆に戦後に至っても自己批判めいた明確な発言もなく、 彼の政治的な選択肢と、その哲学自身との内在的な関係が今もなお、問われています。
アメリカの哲学者、R・ローティなどは、彼は単に政治的に無知だったのであり、その哲学とは関係ないといいきっています(いわゆる論理と信念の問題は別だというのが彼の基本的な立場で、その例として、進化論の第一線で活躍する生物学者が、熱心なカソリック信者で、日曜のたび、教会へ行くようなものだといっています)が、それほど簡単に割り切れるかどうかはいささか疑問です。
私見ですが、ハイデガーの場合は、いわゆる 形而上学の完成としての近代合理主義のようなものをどう超えるかという哲学上の課題とともに、そうした近代合理主義の実現態としての現代を超えたい(彼のアメリカとソ連--当時--への批判は厳しいものがあります。要するに、完成した資本主義でもなく、ソ連型社会主義でもなく)という課題への希求や関心もあり、 その可能性を、初期のナチズム(彼らもまたそう称していました)の中に見てしまったのではないかと思うのです。
この関係は、日本の「近代の超克派」が、やはりそうした時代の閉塞を打ち破ろうとしつつも、天皇制の枠内でしかそれを語れず、ついには、その天皇制に依拠した超克に自らを矮小化し、そのイデオローグになってしまったという状況とよく似ているように思われます。
いずれにしてもこれらの問題は、人はどのようにしてある思想のもとに囚われるのか、あるいは、そうしたものに自己を限定しない保証はどこに求められるべきかという重い課題を示していると思います。
私自身の告白です。
先の戦争末期、6歳であった私はバリバリの軍国少年で、大きくなったら、東条英機のような偉い大将になって、天皇陛下のために戦うのだと固く固く決意していました。
仰るように「近代の超克」は、「脱小市民」でもあって、今回のグラス氏の告白でもキーワードになっているようです。