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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

それは単なる片思いに過ぎない!

2006-08-10 17:52:19 | 社会評論




  観念のために死んだり殺したりするのは止めよう。

 この場合、観念とは、その実体がなかったり、中味が曖昧であるにもかかわらず、それが自明であるかのように私たちに迫ってくるものたちのことである。
 例えば、国家、民族、名誉、伝統、社会、正義、真理、などなど、お望みなら、人民や平和を加えてもよい。

 なぜこんなことを改めて言うかというと、NHK・BSの<「取り残された民衆」---元関東軍兵士と開拓団家族の証言>を見て、考えるところがあったからである。
 内容を概略すれば、旧満州国に駐留していた関東軍が、1945年8月9日のソ連の参戦に際し、守るべき民衆を見捨てて勝手にさっさと敗走してしまい、結果として、取り残された開拓団の民衆たちが、「自己責任で」悲惨な状況に晒され、多くの犠牲者を生み出したという経緯についてである。
 それらを、今なお生存している人達の証言で綴るのだが、「民衆を守るなどということは当時、問題にもならなかったし、私自身なにも聞いていません」という元関東軍兵士の言葉が、すべてを物語っている。

 これらの前提として、満州国というもの自体が侵略を正当化するための傀儡でしかなかったこと、開拓団といっても、荒野の開拓ではなく、中国人の農地を取り上げただけであることなどの問題があるのだが、今はそれは問うまい。

 問題は、軍が民衆を見捨てる、あるいは沖縄がそうであったようにむしろ民衆を盾とするなど、この国にある徹底した棄民の伝統である。
 先頃、裁判の末、和解に至ったドミニカ移民を始め、戦前の南米などの移民もほとんどが、経済政策の破綻を糊塗する棄民の性格を持ったものであり、移民先での成功者はその一握りに過ぎない。
 
 先に述べた番組での満蒙開拓団にしたところが、この棄民政策の一環だったのであり、彼らは、満州へと棄民され、さらにそれを守るべき軍隊に見捨てられることによって、二重の棄民に遭遇したわけである。結果として、30万人を数えた入植者の内、戦後、国内へ無事帰還できたものは、約三分の一の11万人であったという。また、その逃走の過程で、多くの残留孤児や未帰還子女を生み出したのも周知である。
 この事態の悲惨さに比べ、軍関係や政府機関の幹部などは、ヤルタ会談やドイツ敗戦の報に反応し、既に敗戦2、3ヶ月前に、安全に帰国を果たしていたというのは実に腹立たしい(番組の証言による)。

 棄民は移民にとどまらない。先の戦争における、補給を無視した戦線の拡大は、多くの兵たちをアジアの各地に戦闘能力や生存のための物資すら欠いたまま、置き去りにすることとなった。それに輪をかけたのが、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず・・」(本訓・其の二・第八)で、それの遵守により、戦闘力の圧倒的な差がある中、降伏を潔しとせず無謀な突撃を繰り返し、いたずらに戦死者を増やしたり、サイパンのように一般民衆をも巻き込んだ自決(玉砕)が強行されたり、あるいはビルマ(ミャンマー)のようにただあてどもなくジャングルの中を逃げまどう「死の行軍」が展開されることとなった(私の実父はそこで死んだ)。
 先の満蒙開拓団の人たちの、少なからぬ部分が手榴弾、青酸カリなどを持参し、現実にこれによって、自ら命を絶った人たちもいたのである。
 
 もし、このような野蛮な戦陣訓(東条英機が示達)がなかったら、日本軍の戦死者は半減までは行かなくとも、大幅に減少していたであろうことは確実である。

 なぜこのような国家や民族といった抽象的観念が肥満し、それに現実の生きた民衆を従わせ、場合によってはその民衆をいとも簡単に捨て去るという棄民国家が誕生したのだろうか。それはおそらく日本の近代国家形成と関連している。
 
 封建制というと暗いイメージがあるが、幕藩制の中では基本的に棄民はあり得なかった。それは領主と民衆との間に不文の契約のようなものがあり、藩は民衆を守り、民衆は藩の徴用に応じるという双務的な関係が成立していたからである。
 その関係がぎくしゃくし、一揆などが勃発することは、封建体制そのものの危機で、従って、藩主自体がそのようにならぬよう心したのであり、万一それに至った場合は、取りつぶしや国替えなど、幕府による厳しいチェックが入ることとなった。

 明治になり、幕藩制を脱した日本は、「おらがくに」から「われわれの国家」への移行にあたり、その求心力を成すものとして、それまでお飾りであった皇室を中心に据え、絶対的天皇制国家としてこれを形成した。神話の編成による民族意識の高揚、万世一系の虚構、などなど、国家統一の形成をその抽象性、観念性に求めた。これは、ヨーロッパなどでの歴史的自然な国民国家発生の段階をとばした、人為的な国家形成の産物といえる。

 それが、民衆を超越したものとしての国家、現人神とその赤子による家族としての国家、神話の末裔としての不朽の単一民族(?)による国家という絶対的国家として、元々虚無であった国家の内実を埋めるところとなり、それへの拝跪、服従が強要されることとなった。

 こうした具体的に人々が生きている現実よりも偉大とされる観念の普遍化、それを利用した財界や為政者による支配、軍部の異常な台頭と権力の掌握、それらが複合的に作用して、国家のための国民の一方的な服従と献身、そして消耗品としての増産(「生めよ、殖やせよ!」)の一方、その使い捨てとしての棄民が一般化されるところとなった。
 日本浪漫派などは、それを糊塗したばかりか、野蛮を美へと転化するイデオロギーとし機能した。オオミココロのために潔く散る桜花・・。散る桜、残る桜も散る桜。無常観の薄衣をまといながら、残った桜にも「散れ!」と命じる酷薄さがここにはある。
 神風特攻隊、人間魚雷、目的なき出撃の戦艦大和などなどもその一例に他ならない。

 なぜ、今さらのようにこんなことを書くのか。それは最近の若い人達の勇ましい言動の中に、やはり、国や民族など観念の呪縛に捉えられ、そのためには戦争も辞せずというものが目立つからである。
 しかし、既に見たように、私たちが国家や民族に思いを寄せるほどに、国家は私たちに報いてはくれないのである。この関係は、どこまで行っても片務的というか、片思いに過ぎない。

 また、これらの主張には、その観念へのもたれかかりのために、現実感覚から遊離したものが多い。なぜなら、その主張からは、殺したり殺されたりするのが他ならぬ自分自身だという現実性がすっぽりと抜け落ち、戦争がまるでゲームであるかのようにイメージされているからである。ここには、1991年の湾岸戦争(ブッシュの父が関与)以来のハイテク技術による戦争のシミュレーション化が大きく影響しているように思われる。
 しかしである、そこで死ぬのはやはり生身の人間であり、何をもってしても代用不可能な単独性をもった人の死なのである。

 だから、私はいう。国家や民族、その他諸々の抽象的観念のために、自らの命を差し出したり、あるいは人の命を奪うことは止めようではないか、その最たるものとしての戦争などには決して関わらないでおこうではないか、それらしい動きがあればちゃんとチェックしようではないか、と。

 誤解を恐れず、逆説的にいえば、物欲や性欲など現実的にして具体的なものへのアクションの方がはるかに無害である。例えそれが行き過ぎて犯罪になろうとも、戦争のように一度に百や千、あるいは万単位で人が死ぬことはないからである。

 ちなみに、観念(あるいはそれを装うこと)によって為された殺戮の例を挙げるならば、我らが大日本帝国を始め、ヒトラーによるナチスドイツ、スターリンによるソヴィエト、ポルポトによるクメール・ルージュ、毛沢東による何度かの粛正、ブッシュによるテロとの戦い(アメリカンスタンダードの押しつけ)などがあげられる。

 標題を繰り返す。「観念のために死んだり殺したりすることを止めよう!それは単なる片思いに過ぎない!」

 <写真>台風前夜の夕空と、そして、コロンと死んだ蝉。セミコロン?
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