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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

人間という生物(2) その誕生と選別をめぐって

2013-05-13 03:29:49 | よしなしごと
 さて、前回は人間のみがその他の生物の品種に手を加え、そうした生物学やそれと関連する医学の発展の結果、人間という自らの種の改良や管理に手を染め始めたことを述べました。

 その最も忌まわしく野蛮なかたちが、全世紀の前半に行われたナチスの俗流優生学に毒されたユダヤ人殲滅の悪夢でした。
 こうした蛮行は一応、1945年のナチス・ドイツの敗戦によって終わったことになってはいるのですが、しかし、思想としてのそれらは決して終わったわけではなく、人種差別やそれによる排外主義はしぶとく生き残り、この国においても「在特会」(在日特権を許さない市民の会)などによる異常デモが、東京・新大久保や大阪・鶴橋などでは常態化し、そこでは「朝鮮人?首吊レ?毒飲メ?飛ビ降リロ」「よい韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」「ハヤククビツレ?チョウセンジン」(新大久保)「鶴橋大 虐殺」(鶴橋)などが主張され、「殺せ?殺せ?朝鮮人」といったシュプレヒコールが繰り返されています。そしてそこには、つねに日の丸の旗が林立しているのです。

         

 実に恥ずかしいですよね。これが一部の愚か者の所業であってくれればいいのですが、こうした行為が、政府や与党幹部から公然・非公然に語られ始めた歴史修正主義的な認識と軌を一にしているとあっては、安倍総理の「あれはゆき過ぎだと思う」との発言にもかかわらず、その根っこのところでしっかり結びついている疑いも十分にあるのです。

 さて、そうしたあからさまなかたちではないものの、優生学的な発想による生命の管理はますます盛んになっています。
 妊娠時の胎児の男女の判定やそれによる産み分けに驚いたのは少し前のことなのですが、最近では、そうした胎児の染色体検査などによってその先天的な病気の発生要因なども指摘されるようになり、排除と選別が行われるようになっているようなのです。

         

 それどころか、妊娠以前の、着床前遺伝子診断により、その遺伝子を与えられる子どもたちがどのような健康上の運命に遭遇するかがその遺伝子チップによって読み取れてしまうというのです。
 現在でも、病気として発症する以前の予防医学というものがありますが、将来のそれは、いわゆる遺伝子アナリストによって担われることになるかもしれません。
 なんか、明日はどこそこで火事があるというので、あらかじめ消防車が先回りしている感がありますね。

 そして、それらは、どの子を産んでいいのか、どの子は産んではいけないのかを事前に選択排除できることを意味します。かつて、ハンナ・アーレントは、「不遜にも、誰が生き、誰が死すべきかを選別した」といってナチのホロコーストを非難しましたが、今や、「誰が生まれるべきで、誰が生まれるべきでないのか」の判断は、ナチのような大掛かりな収容所など必要とはせず、試験管のなかで行われるのです。

         

 このことの是非はとりあえずはいいますまい。しかし、この事前管理の徹底は、種の選別以外の何物でもないことは確かです。先に見た「在特会」が、そうした管理機関に日の丸を林立させてやってきて、「〇〇は産むな~」「〇〇は事前に抹殺せよ~」とデモをかけるのは考えすぎの悪夢でしょうか。

 こうした出生時の選別に対するカウンター・パンチとして、私たちはある痛烈な皮肉を込めた小説をもっています。それはいうまでもなく、自分がいつ、どこで、誰を親として生まれてくるのかこないのかを自ら判断する胎児の話を描いた芥川龍之介の『河童』です。

 これに関連した話まだ続きます(たぶん)。
コメント
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