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推理小説とクラシック音楽(1) 『シューマンの指』

2013-04-26 15:27:57 | 書評
 写真は内容とは関係ありません。この時期の果実の赤ちゃんたちです。
   上から、梅、桑、琵琶、柿の花、おまけは南天の若葉


 もうだいぶ前になりますが、あるところでシューマンについて話したことがあり、その際、なんかの参考になればと思って読んだのが『シューマンの指』(奥泉 光 /講談社 2010)という小説でした。
 
 この発行の年は実はシューマンの生誕200年で(Amazonでは100周年となっているがこれは誤り 彼は1810~1856)、この本もそうした200年祭の一環として書き下ろされたものものでした。
 各種コンサートではシューマンの曲が取り上げられていました。ただし、どちらかというと前期のピアノ曲、歌曲、交響曲、それにピアノ協奏曲などが主であったような気がして、いくぶんもの足りなく思ったものでした。

        

 この本を一口でいうと、シューマンに関する蘊蓄や思い入れが散りばめられた推理小説ということになりますが、その薀蓄はけっこう微に入り細にわたっていますから、クラシックファンやシューマニアーナにとっては面白いのでしょうが、それらに全く関心のない人には幾分苦痛かもしれません。
 もっとも、そこに醸し出される雰囲気のみを味わって微細な点はスルーしても小説としては成り立っていますから決して読めないということではありません。

            

 そのシューマンに関する蘊蓄ですが、私にとってはさほど目新しくはありませんでした。それは私自身、半年間ぐらいかけて、シューマン関係の文献を10数冊読み漁っていましたし、結果として、この本の巻末にある著者が参照したという文献がそれらとほぼ一致していたからです。
 また、たくさんの曲を、たとえばピアノ曲を全曲CDで聴いたり、とくにあまり演奏される機会が少ない後半(狂気に陥る手前のもの)のさまざまな曲を聴いたりしたことにもあります。

        

 推理小説の結末や評価をいってしまうのは、殺意に等しい憎悪を呼ぶこともあるようですからそれには触れませんが、ひとつだけ、これを読むための前提として知っておいたほうがいいことを書いておきます。それは、シューマンという人が当初、ピアニストになろうとして練習をしすぎたため指を傷め、作曲家になったという伝記的な事実です。それがこの本のタイトルとも、そして内容とも結びつきます。

        

 ついでながら、ある音楽評論家は、「シューマンはよくぞその指を傷めてくれた。おかげで後世の私たちはその素晴らしい音楽を聴くことができるのだから」といっています。
 たしかに、彼がどんなに優れたピアニストになっていたとしても、その時代にはまだ録音技術というものがありませんでしたから、私たちのもとへは届きようがなかったわけです。

        

 推理小説の常として、エピローグが同時に謎解きになるのですが、この作品の場合、いくぶん書き過ぎな感じがあり、もう少し手前であっさり終わっていたほうがという気もします。まあ、著者のサービス精神過剰か、原稿が所定の枚数に至らなかったからかもしれません。

 もう少し突っ込んだことが書きたかったのですが、推理小説の評価というのは難しいですね。それに触れようとすればどうしてもネタバレになってしまいますから。
 まあ、お読みになって、「あ、あいつのいってたのはこのことか」と思っていただければということでお茶を濁しておきます。
 

コメント (4)
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