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ほんとに大雑把 中国と日本の150年史

2013-04-12 03:07:24 | 歴史を考える
    写真は日記の内容と関係ありません。

 「いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺やなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ! そうなる前に自国に戻ってください! ここは日本です! 朝鮮半島じゃありません! いい加減に帰れー!」

 この演説が流れたのは2月24日、大阪の鶴橋で行われた在特会の街頭デモでのこと。発言者は、在特会の幹部クラスの子女である女子中学生だという。
 在特会会長の桜井誠は、この演説を高く評価し、「大変評判はいい」と自慢げに語っている。

            

 日本では各メディアがほとんど無視しているため、日本国民はこうした事実すら知らないが、韓国では即刻、You Tubeなどで流れ、一部では激しい抗議が起こったりしているという。しかし、さいわい、大勢としてはそれらが日本人の総意ではないことは了解されていて、カウンター措置は取られていないようだが、日韓関係にとってマイナス要因であることには間違いない。

 在特会などが、もはや、ヘイト・スピーチを通り越したおぞましい殺人予告(「死ね!」「殺せ!」はもはや日常語)にまで平気でいいつのったり、そして自分の愚かさを棚に上げて、何やら高みに立って嫌韓・嫌中を叫んでやまない裏面には、彼らと、そして彼らのみにとどまらない日本人一般の偏狭な自意識が張り付いているように思う。

         

 それは、いってみれば、日本人(日本では民族も国家もごっちゃになって単一民族、単一言語の日本国に住む人間=日本人となっている)がここに至って当面している事態へのコンプレックスの裏返しともいえるものなのである。
 それらをざっと、中国と日本の150年史の概略を参照しながらみてみよう。

 150年前、中国は押しも押されぬ大国であった。「眠れる獅子」ともいわれたのだが、ついに目覚めることなく列強の支配に屈し、最初の50年間は主としてイギリス帝国主義の支配下に、そして、続く50年間は日本の侵略下に置かれていた。日本の敗戦後のいわゆる解放下の内戦で、毛沢東が勝利して以降の50年間は「共産主義」の支配下にあった。
 そしていま、それらの三つの支配から逃れた国家資本主義の道をまっしぐらに進み、今や国力としては日本をしのぎ、なおもその差を広げつつある。

         

 そうした中国が問題含みであることは当然であるが、それを指摘して日本の優位を主張するのはいささか筋違いであろう。1960年代の日本の高度成長期にも、都市部と農山村との格差は著しかったのであり、汚染物質の垂れ流しも日常茶飯事で、それによる甚大な健康被害はいまもその後遺症として多くの患者を苦しめている。
 ちなみに、今問題になっている中国でのPM2.5の濃度は、当時の川崎市や四日市市のそれとほぼ同じである。
 それらを克服したといわれる日本が、原発事故で人の住めない地域を生み出しているのだから中国を笑うことなどできまい。

 さて、上に見た中国の150年史に対し、日本はどうだったのか。
 150年前、日本はヨーロッパの庶民の間ではその存在すら知られていないような小国であった。
 しかし開国後、列強の注目がもっぱら大陸に向いている間に富国強兵策でアジア諸国を一歩抜きん出た日本は、落ち目の清やロシアとの戦争で勝利を収め、列強の一角に座を占めることに成功した。

        

 日清戦争後の50年、日本は東アジアの盟主として、「大東亜共栄圏」建設の名のもとひたすら拡張路線をひた走り、それに挫折したのが1945年の敗戦であった。
 日本はまたもや極東の小国になったのだが、アメリカの世界戦略の尻馬に乗って経済復興を果たし、敗戦の40年後には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を豪語するに至る。 
 しかし、そのバブルも弾け、それからの回復もままならぬうちにこんどはリーマン・ショックの余波を受けて現在に至っている。
 (現在のアベノミクスは、そうした低迷へのカウンター措置だが、貨幣の流通量を増やしてインフレをはかるという措置はある種のばらまきであり、そうした「財政出動」や「金融緩和」は一時的なカンフル剤に過ぎず、借金増による財政規律の崩壊も心配される。しかし、それらはここでの主題ではないので詳論しない)

 何がいいたいかというと、日本の150年は極端から極端への揺れで、日本国民自身がその現実を見失っているのではないかということである。
 その現実とは何かというと、もはや150年前の小国に戻ることもないが、かといってもはや大国であり続けることもないということなのである。グローバリゼーションのなかで、これまで日本が歯牙にもかけなかった国々で著しい成長が実現されつつある。
 ちなみに、2011年の世界の経済成長率のランキングでは調査対象の185カ国中、日本は174番目というのが実情であり、その間、他のアジア諸国は急速に成長しつつあるということである。

         

 ようするに日本は、小国でも大国でもない中間の国家として生きた経験をもっていないのであり、そうしたもはや大国ではないというコンプレックスが、それを了解し得ない愚かな連中をして、自分の下位に何処かの国々や民族を位置づけ、それらを罵倒し脅迫することによって溜飲を下げるという病的な「大国シンドローム」を生み出しているのではあるまいか。
 彼らの実態は徹頭徹尾、愚かであるから、現在、大メディアがそうしているように無視するのもひとつの手ではあろう。

 しかし、それらは先に述べたように他の国々ヘは確実に伝わっているいるのであり、経済はさておき、歴史認識や文化そのものにおいて、「野蛮国・日本」の印象を生産し続けているのは事実である。
 

コメント (2)
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