夕食を済ませて、さあ、昨日の会合で与えられた宿題をと机に向かいました。
その時、周りのものがすべて一回転したように思ったのです。
でも、一回転したのはものたちではなく私の方だったのです。
私が軽いめまいを起こしたのでした。
周りが揺れる地震も怖いのですが私が揺れるというのも怖いですね。
気がついたらパソコンのキーボードに顔をうずめていたのはもう何年前のことだったでしょう。
その時私は、脳梗塞を患ったのでした。
さいわい左手が麻痺しただけで、10日ほどの入院と1ヶ月余のリハビリで治癒しました。
それの再来かなと一瞬思いました。
首がやたら重いのです。
いえ、頭の中身のせいではありませんよ。
中身は発泡スチロールのようなものですから。
でも用心にと、デスクに両方のゲンコツを重ね、その上に頭を乗せてじっとしていました。
スーッと気が静まる気配がしたのですが、頭を上げて何かをする気にはまだなれません。
しばらくそのままにしていました。
ブルブルっとして目覚めました。
不覚にもそのまま居眠りをしてしまったのです。
昼間の陽気は良かったとはいえ、夜はまだ冷えます。
やはりこのままではまずいと思いました。
着の身着のまま、とりあえずベッドに横たわりました。
ほんの数分、いや10分も横になっていたら完全に回復するだろうと思ったのです。
そして、またしても目覚めました。
しかし、横たわってからなんと2時間が経過していたのでした。目覚めてもしばらくは、自分がいつどこに居るのかがわかりませんでした。
ひとつにはいつもとは違う寝方をしたからだと思います。
そしてもうひとつは、その折みた夢が異常だったからです。
私は毎日いろんなものやいろんな人に会います。
会った瞬間に自動的に分析装置が働き、その分類をはじめます。
あれは危険なこと、これは危険ではないこと。
これは未来につながること、あれはこれっきりのこと。
それらはもっぱら私の意識に対してなにものかということであって、相手が何であるかとはほとん関係がありません。
こうして私は仕分けをし、私が私であることをを守ろうとします。
その時私は、無慈悲にも、これは記憶にとどめること、これは忘却の淵へと沈めることと峻別するのですが、記憶は必ずしもそうした仕分けに従ってくれないのです。
今回の夢がそうでした。
もう数十年前、仕事などの関係で行きずり同然に関わりあった複数の人たち、意識のうちでは顔も名前もとっくに失念している人たちが夢のなかに登場し、しかもちょい出ではなくて、ほぼ主役級で私を恫喝したり、私に説教をしたりするのです。
私はといえば、完全に数十年前の私に戻って彼らと渡り合っていたのでした。
これってなんなんでしょうね。当時、無意識のうちに彼らに対してあるコンプレックスをもっていたのでしょうか。それにしても、数十年後の今になってなんでそれが・・・。
それとも、現在の私のコンプレックスの対象が、ミッシングリングとしての何らかのキーワードを介して彼らと結びついているのでしょうか。
いずれにしても不思議な話で、普通なら死ぬまで決して思い出すこともなかったであろう彼らとそしてその一連のつながりが、夢のなかにまざまざと現れるのですから。
ですから、目覚めた時、いまはいつ、ここはどこ、そして私は誰といった状態になったのでした。
めまいを起こしたのは、私の肉体ではなく意識であったのかもしれません。
だから、私が私ではないという私に出会わねばならなかったのでしょう。
その時、周りのものがすべて一回転したように思ったのです。
でも、一回転したのはものたちではなく私の方だったのです。
私が軽いめまいを起こしたのでした。
周りが揺れる地震も怖いのですが私が揺れるというのも怖いですね。
気がついたらパソコンのキーボードに顔をうずめていたのはもう何年前のことだったでしょう。
その時私は、脳梗塞を患ったのでした。
さいわい左手が麻痺しただけで、10日ほどの入院と1ヶ月余のリハビリで治癒しました。
それの再来かなと一瞬思いました。
首がやたら重いのです。
いえ、頭の中身のせいではありませんよ。
中身は発泡スチロールのようなものですから。
でも用心にと、デスクに両方のゲンコツを重ね、その上に頭を乗せてじっとしていました。
スーッと気が静まる気配がしたのですが、頭を上げて何かをする気にはまだなれません。
しばらくそのままにしていました。
ブルブルっとして目覚めました。
不覚にもそのまま居眠りをしてしまったのです。
昼間の陽気は良かったとはいえ、夜はまだ冷えます。
やはりこのままではまずいと思いました。
着の身着のまま、とりあえずベッドに横たわりました。
ほんの数分、いや10分も横になっていたら完全に回復するだろうと思ったのです。
そして、またしても目覚めました。
しかし、横たわってからなんと2時間が経過していたのでした。目覚めてもしばらくは、自分がいつどこに居るのかがわかりませんでした。
ひとつにはいつもとは違う寝方をしたからだと思います。
そしてもうひとつは、その折みた夢が異常だったからです。
私は毎日いろんなものやいろんな人に会います。
会った瞬間に自動的に分析装置が働き、その分類をはじめます。
あれは危険なこと、これは危険ではないこと。
これは未来につながること、あれはこれっきりのこと。
それらはもっぱら私の意識に対してなにものかということであって、相手が何であるかとはほとん関係がありません。
こうして私は仕分けをし、私が私であることをを守ろうとします。
その時私は、無慈悲にも、これは記憶にとどめること、これは忘却の淵へと沈めることと峻別するのですが、記憶は必ずしもそうした仕分けに従ってくれないのです。
今回の夢がそうでした。
もう数十年前、仕事などの関係で行きずり同然に関わりあった複数の人たち、意識のうちでは顔も名前もとっくに失念している人たちが夢のなかに登場し、しかもちょい出ではなくて、ほぼ主役級で私を恫喝したり、私に説教をしたりするのです。
私はといえば、完全に数十年前の私に戻って彼らと渡り合っていたのでした。
これってなんなんでしょうね。当時、無意識のうちに彼らに対してあるコンプレックスをもっていたのでしょうか。それにしても、数十年後の今になってなんでそれが・・・。
それとも、現在の私のコンプレックスの対象が、ミッシングリングとしての何らかのキーワードを介して彼らと結びついているのでしょうか。
いずれにしても不思議な話で、普通なら死ぬまで決して思い出すこともなかったであろう彼らとそしてその一連のつながりが、夢のなかにまざまざと現れるのですから。
ですから、目覚めた時、いまはいつ、ここはどこ、そして私は誰といった状態になったのでした。
めまいを起こしたのは、私の肉体ではなく意識であったのかもしれません。
だから、私が私ではないという私に出会わねばならなかったのでしょう。