六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

夢と現(うつつ) みんなお友達

2010-04-30 02:34:58 | よしなしごと
 写真は本文と関係ありません。4月29日 名古屋市東区にて

 私の場合、だいたいが悪夢の連続なのです。まず見始めると、「あ、これは夢だ。しかも見ない方がいい夢だ」とわかり慌てて別のチャンネルに切り替えます。すると別のイメージが浮かんできて、最初は何でもないのですがやがてそれがある種のストーリーを持ち始め、夢へと育って行きます。しかし、これもまた悪夢の様相を帯び始めます。「ダメだ、ダメだ」とまた別のチャンネルに切り替えます。こんなことが数度続いたりします。

    
       咲き始めたなんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)

 こんな風に書くと、夢を自由にコントロールしているように思われるかもしれません。ある程度は出来るのです。ただし、それは眠りの浅い間だけです。
 やがてあらかじめ飲んでおいた薬が効き始め眠りが深くなると、もう、チャンネルの切り替えもコントロールも不可能で、悪夢のうちへと引きずり込まれてしまうのです。こうなるともはや逃げようがありません。ぐっしょりと寝汗をかいたり、大声で叫びそうになって目覚めるまで悪夢に責めさいなまれ翻弄されるのです。

    
       
 もちろんこれは睡眠時のことです。
 しかし一方、ひとは、覚醒時においても「悪夢のような」状態に陥ることがあります。それは、やることなすことが裏目に出て、気がついてみると抜き差しならない状態になってしまっているような場合です。
 たとえばそれは借財の山積といった経済上の問題であったり、仕事上でのトラブルであったり、家族や周辺との人間関係の崩壊であったりします。それらはまた、ある種の自己喪失のような内面の問題と絡み合ったりもします。
 そして、それらを一挙に解決しようとする短絡が、自己への攻撃としての自壊作用や、他者への攻撃としての加害行為、しかも悲惨を極めたものに行き着くこともあります。

    
              木陰を行くママチャリ

 しかし、こうしたケースもよくよく見ると、先に見た浅い睡眠時の小悪夢のように、予兆ともいえる段階があるはずで、その時点でなら引き返したりリセット出来るのではないかと思うのです。
 これは特殊な話ではなく、おそらく誰もがそうした悪夢的状況の予兆に遭遇し、そこから引き返したことがあるはずなのです。私には、上に述べた睡眠時の夢ではなく、現実にもそうした小悪夢から引き返した経験があります。そしてそのいくつかは、鮮明に覚えているものです。
 それがはっきりとした記憶に留まっていないとしたら、引き返しリセットしたおかげで何の惨事にもいたらなかったため、日常の些細なエピソードに紛れている可能性もあります。

    
              ちょっとトロピカル

 引き返せない場合とは何でしょうか。それは先ほどの睡眠時の悪夢の比喩でいうならば、睡眠が深くなっているということでしょう。この段階ではすっかり事態に飲み込まれて、引き返すかどうかの自分との対話が不可能になってしまい、ついつい事態の進展のままに押し流されてしまうのだと思われます。
 よく「理性の喪失」といわれたりする状態ですね。

 そういえば、夢そのものが覚醒時に抑圧されていた欲望が、睡眠時の検閲機能の衰えに乗じて出てきたものだといわれたりします。
 現実においての「悪夢的な状況」も、引き返すことの出来ない状態にまで至ってしまった時点での、理性の検閲機能の喪失によるとしたら、やはり、夢も現(うつつ)も実は通底しているのかもしれませんね。

      
            でも、ハワイではありません

 上に述べたように、私自身が幾度も引き返すという状態の中でかろうじて決定的な「悪夢的状況」から免れているのであり、いつ本格的な悪夢にとりつかれるかもしれないという自戒をこめてのお話です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする