釘を一本も使用せず藤蔓などを用いている
「山車(だし)」と「だんじり」とはどう違うか調べてみましたが、どうやら同じもののようです。ほかに「やま」と呼ぶものも同じらしいのです。
ようするに地方による呼称の違いであるようですが、関西では「だんじり」が多く、岸和田のそれは、時折死者が出たりするほどの勇壮ぶりで有名なようです。
中部地区では「だし」や「やま」が一般的なようですが、昨日(4月11日)行ってきた岐阜県加茂郡の八百津町では「だんじり」と呼んでいます。
毎年4月の第2土曜日、日曜日に行われる大舩(おおふね)神社の春の大祭の催しで、町内から三基のだんじりがこの大舩神社を目指して練り歩きます。
このだんじり、まっすぐ進む折には百人をはるかに超える老若男女が前綱と後綱を引き、和気あいあいに見えるのですが、いったん曲がり角にさしかかると様相ががらりと変わります。そこでは不意にスピードを増しそのまま曲がりきるのですが、その間、男衆の巧みな梃子裁きで、普通なら遠心力でひっくり返りそうなだんじりを見事90度回して見せます。もちろん、お囃子衆が乗ったままです。ここが最大の見せ場で見物人も多く、無事に回りきると大きな歓声と拍手がわき起こります。
この辺は岸和田のそれと共通するのですが、加えてもう一つの見せ場があります。それは、高台にある大舩神社へと続く石畳の坂道を一気に駆け上がる場面ですです。ここでもまた、観衆の歓声と拍手を呼びます。
こうして三基のだんじりが境内の勢揃いするのですが、たった三基と思うなかれです。この三基が合わさると、船の形になるのです。そしてそれが、大舩神社への奉納になるのです。
なぜ、海なし県の岐阜の東濃で船なのかというと、この八百津という町、その名のごとく木曽川を遡上してきた船の川港として栄えたところなのです。伊勢湾を経由して各地からやってくる船は、まさに八百万(やおよろず)の物品をこの町に降ろし、ここから東濃一円、さらには飛騨地方へとそれらが運ばれたのです。
先綱でがんばったおなご衆の休憩
現今の木曽川は、この町の手前に幾多のダムや堰が作られ、船はおろか魚の遡上もままなりません。しかしここの神事には、太古以来の人の営みの歴史が確実に刻み込まれているのです。
さて、こうして揃った三基のだんじりからは、優雅なお囃子がひとしきり披露されます。そして、飾り付けられた馬や、獅子舞が交互に何回も中央に現れ、お囃子は終曲を演じて神事は終わります。
次の見ものは、だんじりがさいぜん登った坂を下る際です。登りより下る方が危険なことは容易に想像されます。ここでも男衆の梃子裁きが光ります。ちょっとした轍のゆがみにも瞬時に反応して、手すりも何もないだんじりの幅いっぱいの狭い坂を駆け下ります。
無事成功、またまた拍手です。
帰路もまた、狭い角を気合いとともに回ります。そして拍手。
かくして東濃路に春の雄叫びが響き渡るのです。
町はずれの蘇水峡と八百津橋
なお、この八百津町には、宮本武蔵が修行をしたといわれる大仙寺や、すぐる大戦で多くのユダヤ人を救ったといわれる杉浦千畝の記念館もあります。
*上記の赤い字の部分は「杉原」の誤記でした。謹んで訂正します。