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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

お米食べてますか? 収穫の時期に・・・。

2009-10-16 04:22:58 | よしなしごと
 この間、三重県の松阪へ行ったのですが、桑名や四日市以南の田圃はすでに稲刈りが済んでいました。
 さらに南へ行くと、刈った稲株からもう新芽が出ていたりして、この地区の稲刈りの早さを思い知らされました。

 
         私の地区ではまだらに田圃があります。
 
 ところで、我が家の近辺ですが、今なお、たわわに実ったままです。
 しかし、先般の連休で一部の農家が稲刈りをしました。
 次の土日には、ほとんどの田圃で稲刈りが進むと思われます。
 私の住んでいる地区の農家はほとんど兼業で、田植えや稲刈りは休日に限定されるのです。

 
        田植えをしたひと株の稲はこれだけ株を増やします。

 今のコンバインって凄いですね。一反(300㎡)や二反の収穫はあっという間です。
 しかし、「大男、総身に知恵が・・・」で刈り取れない死角があります。
 そこは人力で、昔ながらの鎌での稲刈りです。
 これがまた懐かしいのです。

 
             これぞ黄金色の稲穂です。

 私が小学生のころ、疎開先の母の実家が農家だったこともあり、数年間、当時の農家の生活に馴染みました。
 田植えや稲刈りは一家総出の事業でした。
 もちろん機械などありませんから全部手作業です。
 そして、田植えや稲刈りのいわゆる「農繁期」は学校も休みでした。

 
           コンバインの威力は大したものです

 田植えは私たち子供もしましたが、稲刈りは鎌という刃物を使うので子供はしませんでした。ザクッと力を入れて株から切る仕事ですから、ひとつ間違うと自分の足を切ってしまうのです。

 こうした経験をしたおかげで米への思い入れは結構あります。
 今でも米を捨てることが出来ません。また、こぼしたご飯粒もちゃんと拾って食べます。
 生きていれば130歳ぐらいで、一生農家の主婦で過ごした祖母が、「一粒の米でも出来るまでに一年かかるのだ」といった言葉が今でも忘れられないのです。

 
       コンバインの死角はやはり鎌による伝統の手作業で 
 
 米は、天皇家をはじめ、私ども下々にも及ぶ日本の歴史的文化です。それが保たれるか、衰退するか、それはこれからの日本人が選択することでしょう。
 私としては、みんなで米を作るという専業農家の、あのプリミティヴな思い出を大切にし、お米という淡白でありながら微妙な差異を持った「ご飯」を味わい続けたいのです。




コメント (6)
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