この間、三重県の松阪へ行ったのですが、桑名や四日市以南の田圃はすでに稲刈りが済んでいました。
さらに南へ行くと、刈った稲株からもう新芽が出ていたりして、この地区の稲刈りの早さを思い知らされました。
私の地区ではまだらに田圃があります。
ところで、我が家の近辺ですが、今なお、たわわに実ったままです。
しかし、先般の連休で一部の農家が稲刈りをしました。
次の土日には、ほとんどの田圃で稲刈りが進むと思われます。
私の住んでいる地区の農家はほとんど兼業で、田植えや稲刈りは休日に限定されるのです。
田植えをしたひと株の稲はこれだけ株を増やします。
今のコンバインって凄いですね。一反(300㎡)や二反の収穫はあっという間です。
しかし、「大男、総身に知恵が・・・」で刈り取れない死角があります。
そこは人力で、昔ながらの鎌での稲刈りです。
これがまた懐かしいのです。
これぞ黄金色の稲穂です。
私が小学生のころ、疎開先の母の実家が農家だったこともあり、数年間、当時の農家の生活に馴染みました。
田植えや稲刈りは一家総出の事業でした。
もちろん機械などありませんから全部手作業です。
そして、田植えや稲刈りのいわゆる「農繁期」は学校も休みでした。
コンバインの威力は大したものです
田植えは私たち子供もしましたが、稲刈りは鎌という刃物を使うので子供はしませんでした。ザクッと力を入れて株から切る仕事ですから、ひとつ間違うと自分の足を切ってしまうのです。
こうした経験をしたおかげで米への思い入れは結構あります。
今でも米を捨てることが出来ません。また、こぼしたご飯粒もちゃんと拾って食べます。
生きていれば130歳ぐらいで、一生農家の主婦で過ごした祖母が、「一粒の米でも出来るまでに一年かかるのだ」といった言葉が今でも忘れられないのです。
コンバインの死角はやはり鎌による伝統の手作業で
米は、天皇家をはじめ、私ども下々にも及ぶ日本の歴史的文化です。それが保たれるか、衰退するか、それはこれからの日本人が選択することでしょう。
私としては、みんなで米を作るという専業農家の、あのプリミティヴな思い出を大切にし、お米という淡白でありながら微妙な差異を持った「ご飯」を味わい続けたいのです。
さらに南へ行くと、刈った稲株からもう新芽が出ていたりして、この地区の稲刈りの早さを思い知らされました。
私の地区ではまだらに田圃があります。
ところで、我が家の近辺ですが、今なお、たわわに実ったままです。
しかし、先般の連休で一部の農家が稲刈りをしました。
次の土日には、ほとんどの田圃で稲刈りが進むと思われます。
私の住んでいる地区の農家はほとんど兼業で、田植えや稲刈りは休日に限定されるのです。
田植えをしたひと株の稲はこれだけ株を増やします。
今のコンバインって凄いですね。一反(300㎡)や二反の収穫はあっという間です。
しかし、「大男、総身に知恵が・・・」で刈り取れない死角があります。
そこは人力で、昔ながらの鎌での稲刈りです。
これがまた懐かしいのです。
これぞ黄金色の稲穂です。
私が小学生のころ、疎開先の母の実家が農家だったこともあり、数年間、当時の農家の生活に馴染みました。
田植えや稲刈りは一家総出の事業でした。
もちろん機械などありませんから全部手作業です。
そして、田植えや稲刈りのいわゆる「農繁期」は学校も休みでした。
コンバインの威力は大したものです
田植えは私たち子供もしましたが、稲刈りは鎌という刃物を使うので子供はしませんでした。ザクッと力を入れて株から切る仕事ですから、ひとつ間違うと自分の足を切ってしまうのです。
こうした経験をしたおかげで米への思い入れは結構あります。
今でも米を捨てることが出来ません。また、こぼしたご飯粒もちゃんと拾って食べます。
生きていれば130歳ぐらいで、一生農家の主婦で過ごした祖母が、「一粒の米でも出来るまでに一年かかるのだ」といった言葉が今でも忘れられないのです。
コンバインの死角はやはり鎌による伝統の手作業で
米は、天皇家をはじめ、私ども下々にも及ぶ日本の歴史的文化です。それが保たれるか、衰退するか、それはこれからの日本人が選択することでしょう。
私としては、みんなで米を作るという専業農家の、あのプリミティヴな思い出を大切にし、お米という淡白でありながら微妙な差異を持った「ご飯」を味わい続けたいのです。
コメ作りの習慣が忘れられたら、日本の
文学や歴史も忘れられていってしまいます。
日本人が日本語を失うと言っても過言では
ないでしょう。
前も書きましたが、水田は、私たちの先祖が
子孫が餓えることがないようにと、
血と汗を流して開墾してくれた遺産です。
それが簡単につぶされて、宅地やファミレスに
なっていくのは、悲しくて仕方ありません。
田植えと稲刈りは今のように機械化されていなかったので、それこそ「猫の手」も借りたかったほどでしたね。
そうそう、ヒルがいましたね。私なんかは割合平気で、従兄弟なんかと脛を見せ合い、「お前何匹くっついている」「俺は5匹だ」などと較べ合ってからそれをとりました。
あとが痒くて大変でしたが、今から思うとヒルもいない田圃もなんか不気味ですね。田圃の近くに住んでいますが、もう何十年もヒルは見ていません。イナゴも・・・。
>N響大好き。さん
おっしゃるように水田は日本の水流を受け止め、下流へと送る壮大な扇状地的役割を果たしていました。
ところが現在は生きた川とは切断され、必要なときだけポンプで水を供給するところが増えています。私の近辺がそうです。
それにより、自然との有機的な繋がりを絶たれた水田が多くなり、したがって生態系も変わり、「工業」化された田圃が多くなっています。
栃木県でいらっしゃいますね。
こちらの稲刈りはほぼ半分が終了でしょうか。
明日日曜日は好天が予想されますので、それでほとんど終了ではないかと思います。
黄金色の田圃が色褪せてくるにつれ、冬への傾斜が強まるようです。
又お邪魔させていただきます。
近くの日進の田も、きれいに束ねてあってもそのままでどうしてかなと思ったのですが、これでヒザポンでした。
これは刈らないんでなく刈れないんですね。
昨年もリンゴが落ちるにまかせている畑がありましたが、これも面倒をみていたおじいさんが亡くなってしまったからと聞きました。
寂しいことですが、これが現実なんですね。
それにしてもいつも写真の素晴らしいこと!
どうしたらこういうふうに撮れるのでしょうか・・
対象物への思い入れと六文銭さんの優しい心なのでしょうか・・
以前の柵の間から猫がのぞいている写真、心に残っています。
私の近所でも似た経験をしました。
いつも通る駐車場の横の三段ほどの棚に植木や草花が植えられ、それらがよく手入れされていて、もう何年にもわたって四季折々の花や盆栽風のもので目を楽しませてもらってきたのですが、あるときから急に荒れ始め、だんだんひどくなって、夏場にはすっかり枯れ果ててしまいました。
この棚を管理してきた人の身に何か異変があったものと思われます。しばらくは荒れたままで無惨な様子を曝していましたが、やがて三段の棚も取り外され、不要になったものの置き場になってしまいました。
諸行無常とはいえ、そこを通るたびに淋しい思いがいたします。