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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

マイ・フェイバリット・プレイスとSP・桜は二分咲き

2009-03-31 03:10:15 | 写真とおしゃべり
 先般、マイ・フェイバリット・プレイス(お気に入りの場所)のひとつ、岐阜県立図書館と県立美術館(道路を挟んで隣接)へ出かけました。
 私の家から自転車で20分ぐらいのところで陽気が良いとそれで行くのですが、折りからの冷たい空気で不本意ながら車で行きました。

 今回は美術館の方で行われている知人たちの写真展を観るのと、図書館へ本を返却するのとの両方の用事です。
 美術館へ入ろうとすると、前を仲良さそうな親娘連れが歩いていました。なにやら良い雰囲気です。自然にその後をついて行く感じになりました。

 
           この写真、結構お気に入りです

 美術館のメインの展示室はスルーして、写真展の方へ向かいました。
 そこで、私は「む?」と感じるものがありました。
 そうです、昨年の12月、やはり岐阜は「池ノ上の裸祭り」を観に行ったときに感じたあの独特の匂いの人たちに出会ったのです。

  http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20081214

 そうなのです。館内にあのSP(セキュリティポリス =security police要人警護官)がいるのです。
 受付へ行くと顔見知りのTさんが立っていて、挨拶するやいなやSPの謎が解けました。
 「あ、ちょうど良かった。これから野田さんがみえます」とのこと。
 岐阜で「野田さん」といったらもちろん、「劇団夢の遊眠社」のあの野田秀樹ではありません。野田聖子代議士のことです。
 
 思えば、昨年末にSPにお目にかかった際も、その警護対照は彼女でした。
 これを見ても、彼女がいかに精力的に地盤固めを行っているかが分かります。
 全国の野次馬の視線を集め、岐阜の保守層を二分した佐藤ゆかりとの熱い戦いで一応は勝利を収めはしたものの、その折りの綻びをカバーするのに必死なのだと思います。
 なにしろその骨肉の戦いは、本来の自民支持者の間にすら、「野田に投票するぐらいなら民主へ」という近親憎悪的傷跡をのこしたのですから。

 
      「ホラ、ここよ」という母親の言葉が聞こえるようで

 その彼女の「ご視察」に二度にわたって遭遇しようとは。
 それでも写真は写真と割り切り、観て回りました。
 作品の前にそれを撮した人がいて、説明してくれたりもします。それを聞くと、とても私のような怠け者には良い写真が撮れないだろうということがよく分かります。
 定点観測のように毎日同じポイントに通い詰め、気象条件や時間帯、雲の行く様などを観ながら千載一遇のチャンスを待ち、シャッターを押す、そうしてできたものをさらにセレクトにセレクトを重ね作品として定着させる、従ってそこには、撮したいもののみを撮す、余分なものは撮らないという強い意志が働いているのです。

 それを聞くと、自分の才能のなさはともかく、まず忍耐や強い意志の段階で既にして脱落しているのがよく分かります。ま、いってみれば、私などはご隠居さんの手慰め以下の水準なのです。

 
        ガラス張りの外から撮った図書館のロビー
 
 ひととおり観て帰ろうとすると、Tさんに「もう少ししたら野田さんがみえます。どうも前のところが押していてだいぶ遅れているのですが」と押しとどめられました。
 Tさんには申し訳ないのですが、「次の所用がありますから」とその場を辞しました。
 嘘ではありません。その後図書館へまわり、さらに母の入院先へ様子を見に行ったのですから。

 しかし、所用がなくTさんの勧めるままにその場に残っていたら、さぞかし居心地が悪かったろうと思います。たぶん、彼女の来館は拍手で迎えられるのでしょうが、私にはそれが不釣り合いです。   
 その場に残っていたら、たぶん、ヒトラーのパリ凱旋を歓迎する群衆の後ろで、シニックな視線を送るそんな役回りを振られたのではないでしょうか。
 どんな政治勢力にしろ、こうした場への政治家の「ご視察」はご遠慮願いたいものです。
 ただし、彼女や彼が、本当に写真を愛するなら別です。

 会場を出ると、少し長くなったとはいえ陽は西に傾きはじめていました。
 構内の桜はまだ二分咲きぐらいだったでしょうか・・。






コメント (2)
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