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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

わが忠実にして終生の友よ!君の出番だ!

2009-03-18 02:45:26 | フォトエッセイ
 子供の頃、ほとんどの人がこんななぞなぞに出会ったことがあるはずです。
 「私はいつもあなたと一緒にいます。というよりあなたから離れることが出来ないのです。ですから、あなたが動けば私も動きます。
 ただし、天気の悪い日や夜など暗いときには私は休ませてもらいます。
 さて、私は誰でしょう」

    

 もちろん分かりますよね。
 私にもそれがぴったり張り付いています。
 こいつは実に忠実なので、いつも一緒なのですが、必要のないときまで現れ、ときとして疎まれることもあります。
 例えば私が写真を撮ろうとしたとき、被写体の上に姿を現したりします。
 それを避けたつもりでシャッターを切っても、画面の隅や手前にそれがしゃしゃり出ていて、折角の写真がおシャカになったりします。
 ですから、つい邪魔者扱いをすることもあるわけです。
 別に悪気があるわけではないのですから考えてみたら可哀想ですね。

 
 
 そこで今回は、いつもお邪魔虫扱いされている彼を主人公にして写真を撮ってみました。折りから、春の陽射しが強くなりつつあるせいで、結構くっきりと撮れました。
 それ自身表情がないし、それに撮り手が私自身ですからポーズも付けることが出来ません。いきおい、他の影とのコラボレイトになりがちですが、少しだけ、影自体のポートレートのようなものも撮ることができました。

    

 あ、それと影の良いところは年齢を隠すことが出来るところですね。眼鏡を持った写真などなかなか粋でしょう?
 え?なんですか?どう誤魔化してもジジイはジジイですって。
 それをいっちゃぁ実も蓋もないけど、長年連れ添ってくるとやはり影も年老いるのでしょうか?それとも、毎日、陽が昇るたびに影は蘇生するのですから、彼だけは新しいのかも知れませんね。

 

 余談ですが、むかし、人のみならずありとあらゆるものの影が結束をして反乱を起こすSF小説を構想したことがあります。
 人間たちは、「影踏み」などという残酷な遊びをしたことは認めますが、影を影たらしめたのは自分たちのせいではないといい逃れます。
 こうして影たちの反乱は「光」へと向かうのです。

    
 
 「はじめに光あり」で開かれた宇宙の秩序。
 洞窟の外の光源に真理を還元するプラトン。
 天の岩戸をこじ開けるための神々のたくらみ・・。
 誰か続きを書いてみませんか。

 

 なぞなぞで始まったこの小文、最後もなぞなぞで締めましょう。
 以下は、モーツアルトが作ったと言われているなぞなぞです。
 前にも一度載せた記憶がありますので、物覚えのいい方は覚えていらっしゃるかも知れません。まあ、落ち着いて考えれば分かる問題ですがね。
 あ、これは影とは関係ありませんよ。

 

<私たちは白い着物を着て狭い部屋に二列で並んでいます。
 一日に何回もこの二列がぶつかり合ったりします。
 私たちのすぐ近くに部屋の入り口があるのですが、私たちはしっかり繋がれていて外へ出ることは出来ません。
 しかし、私たちの誰かが病気になったりすると、今度は無理矢理部屋の外へ連れ出されたりします。
 さて私たちは誰でしょう。>







コメント (2)
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