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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「忘却とは忘れ去ることなり」ですって。

2009-03-29 01:45:40 | 想い出を掘り起こす
 「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
 
 これは1952(昭27)年にはじまったNHKのラジオドラマ「君の名は」の冒頭におかれた言葉で、この番組を通じてナレーションを担当していた来宮良子さんが朗読していました。
 なお、この菊田一夫の脚本によるラジオドラマは大ヒットとなり、その放送時間には銭湯の女湯が空になるという伝説を生んだことで有名です。当時はまだ風呂がない家も多く、アパートといえば風呂がないのが当たり前でしたから、そこが閑散となるというのは、例え伝説にしろその人気のほどがうかがえようというものです。

 
 
 まだなおテレビはなく、ラジオもNHKの第一、第二放送、それに中部地区のみこの年はじめて放送事業に参入した中部日本放送(CBC/JOAR)があるといった具合で、娯楽そのものが乏しい時代でしたから、戦中戦後の混乱の中で愛を貫く真知子と春樹の物語は、全国津々浦々の熱烈なファンの紅涙を絞ることとなりました。
 なお、当時のラジオドラマは、収録し編集してから放送するという技術がまだ確立されていなかったため、すべて生放送でした。従って、バックに流れる音楽(ハモンドオルガンによる)も、音楽担当の古関裕而の即興演奏だったなど、これらは後日知ったところです。

 

 そうした、今から見ると原始的ともいえる状況下で作られていたドラマですが、二人の出会いとすれ違い、偶然のいたずらによる出会いの不可能性などが聴取者の快楽をどんどん先送りするなど、菊田の脚本はそのツボを心得ていたと思われます。
 加えて、東京は数寄屋橋を主たるポイントにしながらも、北海道から九州(沖縄はまだ日本ではなかった)まで、舞台の広がりを見せ、ご当地へのサービスを満載していたともいえます(中部地区では伊勢志摩が舞台)。この伝統は、今でも朝ドラや大河ドラマに継承されていて、経済効果はン億円などとそろばんがはじかれたりもします。

     

 冒頭に述べた言葉を朗読していた来宮良子さんは今なおご健在で、放送当時は弱冠20歳でいらっしゃったようです。私は当時、中学生でしたが、このナレーションは良く覚えています。しかし、今思い出しても結構重厚なナレーションで、とても20歳の方によるものとは思えませんでした。
 と同時に、生意気盛りの私は、「忘却とは忘れ去ることなり」というのは単なるトートロジー(同義反復)に過ぎないのではないかと思ったりしていました。ですから、ノートの端に、「切腹とは腹を切ることなり。腹を切らずして切腹を誓う心の臆病さよ」などといくつものパロディを作ったりしていました。

 

 ところで、何を書きたかったかというと、この「忘却」についてなのですが、冒頭のトリビアだけで充分長くなってしまいました。
 従って前口上だけで、本編は別の機会に譲ります。

 それに明日(もう今日ですが)はまた、今年三つ目、今月後半だけで二つ目の葬儀に出なけれがならなくなりました。早く寝なければなりません。それぞれが義理での付き合いなら良いのですが、生前それなりの親交があったひとばかりです。それだけに、やはりブルーになります。

 
 
 なんか最近は、少し気を持ち直すとまた何かがやってくるようで憂鬱です。
 老人性鬱を回避するためにも、書き続けます。


    写真は、雲のファンタジア










コメント (2)
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