人々があげて紅葉を愛で、木々を見上げている折りに、足元から無粋な声を挙げるのもなんですが、私たちは、落ち葉です。それもほとんどが雨上がりの濡れ落ち葉。
この時期、私たちは嫌われます。邪険に箒で掻き集められ、燃やされたりします。
ところ構わず降り積もる私たちも悪いのでしょうが、本来、山野にあったなら、次代のための貴重な堆肥として降り積むに任せられるものなのです。
でも、時折足元に舞う私たちに、半ば同情の眼差しを向け、それなりの美しさを見いだしてくれる人もいます。
私たちを嫌うひと、それなりに季節の風情として認めてくれるひと、いろいろいらっしゃいますが、僅か半年ばかり前、眩しいような若葉だと思って私たちを見上げてくれたことはとっくに忘れていらっしゃるようです。
人間様の社会では、老齢化だとか老人福祉だとかが問題にされているようですが、私たち濡れ落ち葉は、皆さんに踏みつけられ、吹き飛ばされ、あるいは捨てられ、燃やされ、いずれにしても自然の中に消滅し、還ってて行くのです。
さようなら。
間もなく私たちが一掃され、そして、冬がやってくるはずです。