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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

骨太映画『麦の穂をゆらす風』

2006-11-10 17:16:38 | 映画評論
 久々に骨太な映画を観た。
 ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』である。

          


 題名は、アイルランドに古くから歌い継がれる歌の一節であり、同時に、対英独立闘争を象徴する歌でもある。
 舞台はそのアイルランド、1920年代の若者たちの闘いの日々を追う。

 この映画は、本国イギリスで激しい賛否の嵐を生んだという。それはそうであろう。イギリス人であるケン・ローチが、この映画を撮るということは、日本の監督が、朝鮮や中国での対日独立闘争を、その闘争を行う側に立って撮るのと同じだからである。

 しかし、ケン・ローチは、そうした歴史的事実を踏まえながら、そこらのナショナリストの狭窄した視線よりはるかに広く遠いものを見つめている。
 
 彼は、例によって、誇張された映像や表現を避け、事態を淡々と描いて行く。アンゲロプロスがしばしば見せる感傷も、極力、抑制されている。
 にも関わらず、私たちを深く掴み放さないのは、彼の視線が、これまでの彼の映画にあってもそうであったように、状況のなかで追いつめられ、それに抗いながら生きる者たちの目線と確実にクロスしているからだ。

 詳しく内容には触れないが、ここには、勇気、決断、裏切り、決裂などの局面が、割合、閉鎖された人間の間で生起する。時としてそれは、隣人であり、友人であり、肉親であり、そして兄弟の間で互いに相撃つ様相として展開される。その中での最後の悲劇は涙を誘う。

 私たちは、こうした様相を、アイルランドに限らず、私の生きていた範囲内でも、朝鮮半島で、ギリシャで、アルジェリアで、ヴェトナムで、コンゴで、アンゴラで、パレスチナで、南アで、カンボジアで、ボスニアで、パレスチナで、アフガニスタンで、そして今日のイラクで、見てきたし、現に見ている(むろんここに漏れたものも沢山ある)。

 これらはいずれも、内戦という事態であるが、それは彼らが愚かであるが故では決してない。それぞれを突き詰めて行く時、そこには世界史そのものの流れや、その中での大国のエゴイズムと、それら大国によるおのれの手を汚さずにという陰険な策謀などが見られるのである。

 先に、「ケン・ローチは、そこらのナショナリストの狭窄した視線よりはるかに広く遠いものを見つめている。」と述べたが、現実にそうした同胞相撃つという事態が地球上にある限り、そしてその背後で密かにほくそ笑み、投資を計り、利潤をはじき出す大国の支配が続く限り、この映画の射程は色褪せることはない。

 幸いにしてわが国は内戦状態にはないが、引き続く内線を横目で見ながら、自らの立ち位置をさだめ、投資先を見据えている限り、内線の周辺をうろつく禿げ鷹の役回りを演じているのかも知れない。

 なお、この作品は、2006年、カンヌの最高賞、パルムドールの受賞作品である。

 *名古屋地区では12月24日から、名古屋シネマテークで公開。

   
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