六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

行きつけの床屋さんと『4分33秒』

2013-02-02 01:05:28 | インポート
 昨年から、床屋はろう者のひとがやっている店に決めています。
 この店がとても気に入っているのです。
 昨日も行って来ました。
 ラジオもTVもBGもない沈黙の世界です。
 かと言って全くの無音ではありません。
 彼がいそいそと働く音がしますし、防音などしていない戸外からは行き交う車の音や、下校時の子どもたちが声高に話しながら行き過ぎるのも聞こえます。
 しかし、ことさらに意味合いをもって迫る音はないのです。

          

 坐禅というものはやったことがないのですが、意外と私には合っているかもしれません。言葉を発しない時間、言葉や有意味な音を聞かないで済む時間というのはけっこう好きなのです。
 もっとも気持ちよく寝てしまって、ひっぱたかれることは必定ですが。

 ここへ来るといつも、ジョン・ケージの作品『4分33秒』を思い出します。
 プレイヤーがなにもしないままに4分33秒が過ぎるというものですから、私にも演奏できるかもしれません。ちなみに、ピアノが一般的なようですが、とくに楽器は指定されていないようです。
 そりゃぁそうでしょうね。音を出さないのですから、楽器の指定には意味が無いでしょう。もっとも視覚的な違いはあるでしょうが。

             

 この無音ともいうべき「音楽」と言うかパフォーマンスは、Youtubeでも観ることはできますが、驚いたことにCDにも収録されているんですね。しかも演奏者名を付してです。
 でも、どうやって「聴く」のでしょうね。いえ、私はそんなもの買いませんよ。そんなものなくとも、黙って4分33秒のあいだ虚空でも見つめていれば済むことですから。

          

 ところで、あの「音楽」も決して無音ではありません。とりわけ、ライブの場合には人々の佇まいが発する微細な音や、静寂であればこそ聞こえる音ともいえない音があるのです。
 その音を聞くのがあの曲の鑑賞方法だなどともっともらしく説明されたりもしますが、そうばかりではないと思います。
 言語芸術でもそうですが、これまで書かれたことのない言葉を記したい、あるいは、言葉にできないものを表現したい、そしてそれをもって日常性を超えたいという欲望があり、それが連綿として詩や散文の世界を彩ってきています。
 そして音楽の世界にもそれはあるのです。
 ようするに、誰も発したことがない音の追求、音にはできない音の追求の行き着いた先がケージのあの「音楽」なのでしょう。

             

 ここから先は私の発見、ないしは単なる私的な見解なのですが、そうした音楽の先達はあのロベルト・シューマンではないかと思うのです。
 彼のピアノ曲『フモレスケ』op.20には、演奏されないメロディ(内なる声)が書き込まれていて、そのため、普通二段の五線譜で表わされる楽譜の真ん中に、もう一段、決して演奏されない楽譜がはさまっているというのです。そういえば彼は、「音楽にならない音楽」を求めるという意味のことも日記かなんかに書いていたようなのです。

 ケージの『4分33秒』に戻りましょう。
 なぜこの曲は、この時間なのでしょう。4分32秒や4分34秒であったり、あるいは3分58秒であってはダメなのでしょうか。
 これを秒数に直すと273秒になり、-273度は絶対0度だからつまるところ「無」を表すのだと、ケージの禅への関心と絡めて説明するものもあるようですが、ちょっともって回った感じが否めませんから素直には首肯できません。
 もともと、偶然性に委ねられた「音楽」なのですから、その長さも偶然の産物だとして余計な説明を加えないほうが自然なようにも思うのです。

          

 いずれにしても私は、時折、そのケージの音楽のライブに似た環境で、時間にしてその15倍分の「音楽」を鑑賞することができるわけです。
 シニア料金の、たった1,700円で。


本当はこの床屋さんとの関連で、子供の頃ろう学校の子どもたちと遊んだこと(家が近くだった)や、最近勉強している言葉についての関連で手話についての話も書きたかったのですが、もう十分な長さですね。次の機会に譲りましょう。
 最近、なにか書きだすと、あれもこれもと埋もれていた記憶や勉強してきたことなどが思い出されて、筆が止まらないのです。死期が近づくとあれこれと走馬燈のように情景が浮かぶといいますが、それに近いのでしょうか。
 そういえば「私の履歴書」シリーズも1944年の後半が書きかけでしたね。


 

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ある自己診断

2012-12-19 14:52:11 | インポート
 






 気がつけば、ここのところ毎日、日記を書いている。
 しかも、そのほとんどが駄文の部類だ
 どうも、選挙を前後して躁状態のようだ。

 私の場合、躁状態は不安への対応の仕方だといえる。
 大きな状況への不安、自分自身へのさまざまな不安。
 たくさんの課題を抱え込見すぎて極めて多忙なのだが、
 その忙しさの中に不安を埋め込んでしまおうという算段だ。

 しかし、こんなことがうまくゆくはずがない。
 その反動がすぐ追いかけてくるに決まっている。
 メランコリーのモヤがもう迫ってきたようだ。
 少し立ち止まろう。
 そしてもっとエゴイストになろう。

 パソコンの中から複数の項目を消去した。
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私たちがが思考するということについて

2012-12-16 22:40:00 | インポート
 女性が思考をするということについての、またしても多和田葉子さんからの引用です。
 「日本で女に生まれると、理屈でものを考えることを楽しむ場所があまりない。理屈が出ると官能から切り離されてしまうようで、哲学的なものはすべて生活とは関係のない、子供っぽい、ばかばかしいことのように見えてきてしまう。それは必ずしも、社会が女性に哲学を禁止しているようなことではなく、魅力が感じられないように仕組まれているような気がする。ものを考えることに快楽を覚えるのはある種、子どもじみたことではあるけれど、一方、考えることで、生活そのものが変えられる場合は、考えることの意味も変わってくる。」

        

 ここで述べられていることは微妙です。
 というのは、後述するように確かに女性が歴史的に背負っているハンディはあるものの、そうした性差にかかわらず、哲学や思考そのものがいまや問われているからです。
 
 近年では、哲学や思考それ自身が人間のひとつの生きようであることが一切考慮されず、まるでそのへんに転がっている道具のように、「それは何の役に立つのだ」という問いがつきつけられています。
 その場合の「役に立つ」はたいてい、「生産」とか「幸福」を指標として語られています。前者はいわゆる「生産力至上主義」ですし、後者は私の造語でいえば「幸福シンドローム」*というべきもので、いずれも近代以降の「症状」です。
 
 一見、そんなものがなくても人は生きることができるかのように思われます。しかし一方、それがどのように等閑視されようと、実際にはそれと接しながら生きている多くの生があることも事実なのです。
 これはいささか遠慮したいい方で、実のところはそうした無用の用のようなものの存在が人の生き方に大いに関連しているのですす。

 それがなければ、人は生産と消費をする動物としての生(ゾーエー)を生きるに過ぎなくなります。実はそうした無用の用のようなものとの関わりが人の生をまさに人としてあらしめている(ビオス)ともいえるのです。
 これに関しては、ディオニソス的な裸の生(ゾーエー)が理性的な生(ビオス)を食い破ってそれを更新してゆく逆の側面もあるのですが、煩雑になるのでそれは割愛します。

 さて、冒頭の女性が思考することに戻りましょう。
 またしても多和田さんからの孫引きですが、アメリカのある日本文学研究者は以下のようにいっているそうです。
 「日本の女性の文学に出てくる家は、住む場所としての家ではなく、そこから出てゆく場所としての家であることが非常に多い。」
 これはフロベールのノマや、イプセンのノラを思わせるいい方ですが、はたして今なおその段階なのかどうかは、私には判断不能です。いずれにしても「家」の拘束力は女性の思考することの桎梏である場合が多いとはいえるでしょう。

 総じて、男女ともに思考することからの隔たりは大きくなっているのだろうと思います。前項で引用した、やはり多和田さんの言葉のように、思考の代わりに感性を対置したところで、感性そのものが思考抜きにはありえないものであり、その感性を研ぎ澄ますのはまさに思考の力なのだといえます。

 人倫に対する態度でも同じことがいえます。他のところで述べたことがありますが、ユダヤ人数百万の殺戮に関わったアイヒマンは、当時のドイツの法に忠実であっただけだという弁明に終始するのですが、それに対するハンナ・アーレントの判決はこうでした。
 「なるほど彼は上司や法に忠実でなおかつ明敏ですらあった。しかし、彼に欠如していたのは思考するということだった」と。

     自民党圧勝のニュースを聞きながら・・・・。

「幸福シンドローム」
 私の造語ですがこんな意味を考えています。
 人は幸福であった方がいいに決まっていますが常にそうであることは出来ず、それは僥倖なのです。だからかつて人びとは幸福な瞬間を「有り難いこと」と表現しました。
 しかし今や人びとは、あらゆる瞬間において幸福であるべきだと考え、そうでない場合はルサンチマン(怨恨)に溺れたり、果ては幸福への短絡をもとめて卑しい行為や犯罪にすら至ります。
 まさに幸福症候群のなせる技です。

 

 

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【ある現実逃避?】静寂の至福

2012-12-08 02:08:12 | インポート
 写真は本文と関係ありません。「名残の紅葉と落ち葉@鎮守の森にて」

 現代人というのはなんと静寂に恵まれていないことでしょう。
 どこか隔離された空間でひとりで読書や瞑想(私は苦手なのですが)をしていない限り、私たちは否応なしに、ある種応答を迫るような音に取り囲まれています。ましてや他者とともに、ほとんど無音の空間の中にいる機会は少ないと思います。

 私は時折、それに似た静寂を経験することがあります。
 今春、それまでいっていた理髪店が廃業したため、新しく探し当てたところがそんな場所なのです。
 前にも一度書きましたが、その理髪店は聴覚障害者の人がやっているのです。
 彼はただ黙って働くのみで話しかけたりしません。
 もちろん、BGMもなくTVからの音もありません。
 正確にいうと受像機はあるのですが、ここ数回訪れた折、それがつけられていたことは一度もありません。
 当初私は、この話しかけられずに済むということに大いなメリットを見出しました。

 

 昔いっていた「床屋のおやじ」は、饒舌な人で(もちろん悪気はないのですが)、よく話をしました。
 たいていは近所の噂話のようなものですが、よく考えればほかの客に対しては私が俎上に上る可能性もあり、うかつなことはいえないのです。
 また、世上のニュース・ネタに関しても、彼の素朴でナイーヴな価値観や倫理観が何の疑いもなく吐露され、それへの同意を求められる場合もしばしばでした。
 今頃はさしずめ、ご政道むきや選挙がらみの話題になっていることでしょう。

 その話に同意はできず、かといって改まって反論するのも大人気ない(それに相手は刃物を持っている)ので、曖昧にごまかすのですが、どうしても後味の悪いものが澱のように残ってしまいます。
 そこへゆくと、この新しい理髪店は、そうした災難から無縁です。

   

 最初の私の評価はそうした消極的なものでした。
 しかし今は違います。
 この静寂を、日常では得難いものとして享受したいと思うようになったのです。
 
 もちろん、全くの無音ではありません。
 彼がかいがいしく仕事をする音、使っている道具の音、そして、彼の息遣いもかえってはっきり聞こえます。
 また、防音設備をした店舗ではありませんから、ときおり走る車の音や、下校時の生徒たちの声高な会話も侵入してきます。

 

 しかし、彼と私はそれを共有していないのです。
 彼は私の頭に集中し、私は心を開いてそれらの音自身を聞き流せばよいのです。
 その音を介しての応答や、ともにその音を聞く者として相手を意識した反応などはまったく必要ないのです。
 繰り返しますが、無音というわけではないのですがそれが私にとっては得難い静寂なのです。

 やがて音は、脈絡のない自由旋律の音楽のように私の肉体を通り過ぎてゆきます。
 それらの音との関係は、自宅でこうしてこの文章を書いている折の道路の方から聞こえてくる音や、遠くで響くサイレンの音などとも幾分違うのです。
 それはおそらく、自分が何かを能動的にしていてそのかたわら聞こえてくる音と、理髪店の椅子にただ受動的に身を任せて音そのものに浸っていることとの違いかも知れません。

 

 昨日行って来ました。
 おそらく今年はこれで最後でしょう。
 布団に入って寝ようとしたらやたら寒くて身震いするくらいでした。たかが何センチか髪を切っただけでこんなにも違うのだなぁと実感した次第です。


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戦禍から蘇った岐阜駅の思い出など

2012-10-29 02:09:27 | インポート
 名古屋へいったある日、行きと帰りに撮った岐阜駅近辺の写真です。
 最後の写真は1945年7月9日、岐阜大空襲の翌日のものです。

     
          軒下のデコレーション・フラッグ なぜかうさぎが首を吊って(?)いた

 この空襲からしばらくして鉄道が回復してから、疎開先の大垣から家のあった岐阜の様子を見に母親と訪れました。
 鉄筋コンクリートの旧丸物百貨店などのほかは、木と紙と土で出来た建物は全て焼かれ、いまでは絶対に見えない2km離れた長良川の堤防まで見通すことができました。
 灰燼に帰すとはまさにこのことでしょう。

 
          遠足の子らの賑やかなさえずり 週末のイベントの準備も進んでいた

 その折りに比べると岐阜駅は本当に立派になりました。
 何年かかけた改修が終わり心地よい環境になったといえます。

 
            バス・ターミナルにて 迫力ある織田信長のイラストも

 私よりも年上で、イケイケドンドンで近隣諸国との戦火も厭わないという人がいます。
 その人が、混迷する政局の中で、いわゆる第三極の要になることを目指し、東京五輪も何百億の赤字にあえぐ東京都銀も放り投げて国政に乗り出すといっています。

 
          気分はもう年末 大階段のイルミネーション 通行人はその両側を通る

 率直に言って怖いと思います。
 あれから70年近く、近代兵器はより一層残虐になっています。核兵器もあります。
 イケイケドンドンが実現して、生涯で二度目の戦争を経験したくはありません。

 
           爆撃後の岐阜駅 車両も燃えている 焼け野原となった中心街

 岐阜駅が再び、かつてのように多くの兵士を送り出す場となりませんよう、また攻撃対象として私の好きな鉄道や施設がずたずたに破壊されたりしませんよう願っています。
 そしてそこが地方都市の顔として平和な佇まいのままでいられますよう、遠足の子どもたちの嬌声が響く場で在り続けますよう、市民のためのさまざまな催しの場であり続けますよう祈るばかりです。

   

 

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【どうでもいいこと】淋しい掲示板

2012-10-21 23:03:23 | インポート
      

 ご覧のように、なんの掲示もありません。
 いつもはこんなことではないと思うのですが、いくぶん気になります。

 設置してある場所があまり人通りがないところなのです。
 地域の鎮守様の前なのですが、通りかかるのは一日、ン百人、たぶん3百人以下だと思います。

 前には、近くのお寺の報恩講のお知らせなどが貼ってあって、政教分離から観てどうなのかなと思ったこともあります。まあ、地域のことですからいちいち目くじらを立てることはないのですが、自治体によっては、「政治的・宗教的な内容のものや営業、営利的なものなどについては使用できません」という項目を設けているところもあるようです。

 それはともかく、管理維持などはどうなっているのでしょう。
 たぶん税金で賄われているのでしょうね。

 もし何かが貼られているとしても、回覧板といっしょについてくる「広報ぎふ」という冊子とほぼ重複しているようなので、必要性があるかどうかも問題になるでしょうね。
 一方、都市郊外の片田舎とはいえ、アパートやマンションが増え、自治会に入っていない人には回覧板などが行かないとも聞きますから、こうした設備も必要かもしれません。
 しかし、そうした人たちが昼なお淋しげなここまで、わざわざそれを見に来るでしょうか。

 などと、どうでもいいことを考えてしまうのは年寄りの悪い癖ですね。
 ちなみに、岐阜市のHPで広報板を検索したところ、広報板設置助成事業にかかわる平成20年度の所属長の評価は以下のようになっていました。
 
◆有効性(政策、施策への貢献度)
  大いに貢献している
  地域の広報板として地域コミュニティ、行政の広報の一役を担っている。
◆達成度(成果及び事業効果)
  十分に上がっている
  地域の広報板として地域コミュニティ、行政の広報の一役を担っている。
◆妥当性(実施方法等の妥当性)
  妥当である
  地域の広報板として地域コミュニティ、行政の広報の一役を担っている。
◆総合評価
  現状で継続する
  地域の広報板として地域コミュニティ、行政の広報の一役を担っている。


 
 4項目の評価内容の文章が一言一句同じなのはやはりお役所の作文だなぁという気がします。
 今後も前を通りかかった折には、広報板ウオッチングをしてみようと思います。

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棄てられる短編  時差・2

2012-10-01 14:10:06 | インポート
 昨日の続きですが、これのみお読みいただいても結構です。
 またこれを先にお読みいただいて昨日のものをお読みいただいても自由です。


            

         時差              六文銭太郎


(承前)
 家を出たのは通常の時間だった。
 ほんとうは向こうへ着いてから、いつのも仕事の前にしなければならないことがあったので少し早めに出なければならなかったのだが、つい、いつもの時間になったてしまったのだ。
 まあ少しとばせばなんとかなるだろうと車を走らせた。

 いつもの交差点が前方に見えた。直進の黄色が消え、右折の矢印が出て二、三台の車が右折をし始めたところだった。
 「間に合うだろうか」
 と自問した。その時、通常の仕事の前にするべきことがったのが頭をかすめた。
 「間に合わせよう」
 アクセルを踏んで加速し、突っ込んでいった。
 交差点の少し手前で信号が黄色になり矢印が消えた。
 少しひるんだが
 「まだ間に合うはずだ」 
 という判断が勝り、さらに加速した。

 ハンドルを右に切り続けると、タイヤが不気味にきしみ必死に路面を捉えようと甲高い悲鳴を上げた。
 「よし、もう少しで曲がりきれる」
 と安堵しかかったとき、視界にいち早く飛び出してきた大型トラックが迫ってきた。
 「あっ」
 とばかりに渾身の力でブレーキを踏んだ。
 結果的にはそれが良くなかったのだろう。
 車は完全にコントロールを失って、吸い込まれるように大型トラックの前部に接近していった。

 「どこかで見た風景だ」
 という思いが頭をかすめたが、思い出す間もなく、大型トラックのボディが視界全体に広がり、いままで経験をしたことのない衝撃が全身を貫いた。
 一度痛打した頭部が不自然にねじ曲がった。

 その時、確かに見たのだ。
 大型トラックに遅れて一台の乗用車が止まっていて、その運転席で満面の恐怖と驚愕をたたえて自分のほうを見ているもうひとりの自分を。

 そしてそれが最後に見たものであった。
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棄ててしまうSFモドキ 『時差』・1

2012-09-30 15:43:00 | インポート
 パソコンを整理していたら、20年ほど前に戯れに書いたSFっぽい短編が出てきた。
 いつまでも置いておいても仕方がないから捨ててしまおうと思うが、こんなものでもそれ相当のエネルギーを使っているので、捨てる前にご披露する次第。

 なお、短いながら二部構成になっていて今日・明日の二回に分けて連載するが、どちらか片一方のみでも良いし、また、どちらを先に読んでいただいても成り立つように作ってあるのがミソ。
 なんていまさらいったって、レトリックのみで作った駄文であることには間違いない。
 皆さんに削除していただいて無事成仏できますよう・・・。
 

   
            


     時差                  六文銭太郎

 
 信号が赤になったので停車した。
 すぐ左側に大型トラックが、なぜこんなところで止められるのかと不満をいいたげに車全体を軋ませるようにして止まった。止まりながらもブルンブルンとアクセルをふかし続けるその様子を耳にして、ふと若き日のスピルバーグの映画『激突!』(1971年)が頭をかすめた。

 ほとんど毎日さしかかる交差点だが、今日はちょっと様子が違った。
 すこし寄り道をしたせいで、いつもとは九〇度違う方向からこの交差点へさしかかったのだった。
 正確にいうと、いつもは西の方向からやってきてここで右折をし、つまり南の方へ進むのだが、今日は北の方からやってきて南へ直進しようとしているのだった。
 そんなわけで、たった九〇度の違いで毎日見慣れているはずの交差点が、まったく違うように見えるのが面白かった。

 信号が変わった。東西が赤になり右折を促す矢印が出た。いつもならこの矢印に従って右折しているはずだった。その右折信号が黄色になった途端、満を持したかのように右側の大型トラックが急発進をした。
 「あ、早すぎる」
 と思ったとき、まだ間に合うとばかり一台の乗用車がタイヤをきしませながら右折してきた。
 「あぶないっ!」
 と叫んでいたのだが、そんな叫びが聞こえるはずもなく、また、たとえ聞こえていても何らなす術はなかっただろう。

 その時点で乗用車のドライバーもすでに大型トラックが発信していたことを認めたのだろう、急ブレーキの音とともにタイヤが激しく摩擦し、煙が立ち上った。
 かえってそれが良くなかったのかもしれない。あまりにも急激なブレーキのため、車は操作の自由を失い、吸い込まれるように大型トラックの前部に突っ込んでいった。

 即死事故を思わせるに十分だった。
 恐怖と驚愕とがしびれるように全身を走った。
 しかし、これほど衝撃を受けたのはその事故の凄惨さだけではなかった。
 
 私は確かに見たのだ。大型トラックに突っ込んでいった乗用車がほかならぬ私自身のものであることを。
 そればかりではない。前部がのめり込むように大型トラックに突っ込んだ衝撃で、ドライバーの頭部が不自然にねじれてこちらを向いたのだが、その顔はまごうことなく私自身のものであった。
 しかもその顔には、あきらかにこちらの私を認めたような表情があったのだが、おそらくそれが、彼のもちえた最後の意識だっただろう。

 打ちのめされて思わず眼を閉じた。どのくらい経過したのかは自分ではわからない。後方からの苛立ったようなクラクションにはじかれて眼を開けると、先に出発した大型トラックはもう交差点を渡り切るところだった。
 そしてその交差点のどこにも事故の痕跡などはなかった。
 手を上げて、後ろの車に侘びを告げ、慌てて発進した。

 しかし、いま見たものはなんだったのだろう。
 白昼夢というにはあまりにも鮮明で具体的であり、かつ強烈であった。
 そのイメージをを追い払うようにCDのボリュームを大きくした。
 マイルス・ディビスのトランペットが、車内の空気を引っ掻き回すように鳴り響いた。

 (実際のところ、ここで終わりにしたいところだが、やはりこの続きを語らねばならないのだろう。 明日に続く)



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嗚咽するひと キノシタホールと私(終篇)

2012-09-28 00:44:38 | インポート
 写真はいずれもキノシタホールへのイントロ部分です。

 (承前)二番館への思いは、私のもつ単純なノスタルジーもありますが、同時に実用的な意味合いもあるのです。
 そこそこの映画ファンの私は、数年前までは年間、劇場で百本近くを観ていました。ですから、二番館にかかる「名画」の部類はすでにほとんど観てしまっていたのです。
 しかし最近は、そうした追っかけもしんどくなりました。それに一日に三本をはしごするという体力も気力も次第に失われてきました。ですから、観たいなと思うものがあっても見逃すことが多くなってきたのです。
 そんなことでこれからは、こうした二番館にお世話になる機会が増えるだろうと思うのです。

 DVDや録画もまったく観ないわけではないのですが、なんとなく劇場で観るほうがいいのです。録画を見るというのはその作品の時間的な流れに従って観るという緊張感がありません。好きなところで止めて、また帰ってきて観るというのでは監督がある時間的な流れを計算しながら作った作品への冒涜のような気がするのです。
 事実、さあどうなるのだろうかと固唾を飲んで画面を見つめる張り詰めた持続もありませんよね。ですから私のディスクには、録画はしたもののまだ観ていないものがけっこう残っています。

                

 もうひとつ映画館の良さは、他の観衆とともに感動を共有するという場そのもののリアルな質量感にあります。今ではそんなことをしたら叱られますが、昔は鞍馬天狗が杉作を助けに駆けつけるシーンでは拍手が湧いたものでした。
 70年代の活動家たちも、ヤクザ映画で忍従に忍従を重ねた主人公が、ついに堪忍袋の緒を切って殴り込みに行くシーンで拍手を送ったのですが、これはなんとなくルサンチマン(怨恨)が感じられて、鞍馬天狗の時のような開放的なカタルシスとは幾分違うようにも思います。

 20年以上前でしょうか、今のように改装する前のキノシタホールで、私は感動的なシーンを経験しています。
 映画史上、10本のうちに入ると云われた『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ・監督 1945)がこのキノシタホールで上映されたのです。未見だった私は、これを見逃してはと厳しい現役の日程の中、なんとかやりくりして駆けつけたのでした。
 そうした映画にもかかわらず、観客数は数えるほどでした。

             

 映画は期待に十分応えるものでした。今となっては幾分キッチュで通俗的な手法も、その後の映画がそれを模倣し繰り返したがゆえにそうなったのであって、当時においては革新的だったろうことが十分納得できました。昨今の映画を観ていても、いわゆるデジャヴというか既視感のように、あ、このシーンの原型はあの映画にあったなという感じが時々します。
 十分満足してラスト・シーンを迎えようとする頃、私は斜め後ろあたりでただならぬ気配を感じていました。

 その正体は上映が終了し、場内が明るくなって明らかになりました。
 そこには私と同年輩の和服の女性がいて、目頭にハンケチをあて、よよとばかりに泣き崩れていたのです。
 私はそこまで彼女を感動させる映画の力、またそれを全身で受け止める彼女の感受性のようなもの、その双方に感動してしまいました。
 ね、これって録画をひとりで黙々と観るという閉鎖的な空間では決して味わえないものでしょう。

                

 私のキノシタホールの印象はこの思い出とともにあります。
 映画館を出て、彼女が私と同じ方向ではないことを残念に思いながら、でもそのほうが良かったとも思いながら、その後ろ姿を見送りました。
 その折の季節は忘れましたが、陽の傾きかけた夕風に私のいくぶん上気した頬が心地よく感じられたのを今も覚えています。

 ヴィヴァ ! 二番館ですね。
 

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うだつの上がらない男がうだつの上がる町へ

2012-09-02 01:36:02 | インポート
 アッシー君なのです。
 和紙の町・美濃市へ紙を買いに行くから付き合ってくれとのことです。
 ここんとこず~っとパソ相手に長い文章を書いていて、いささか飽きていたので引き受けました。

 などというとおおげさですが、高速に乗ると三〇分で行けるのです。
 昨年は夜、行灯祭りの折に出かけました。
 今回は昼間です。
 依頼主を和紙屋さんの前で降ろして、私は町の散策です。

    

 何度も来ているところですが風情がある町です。
 ウィークディの昼下がりとあって、道行く人も少なく勝手気ままに歩けます。
 あ、そうそう、せっかく来たのだからと写真を撮りました。
 街全体の雰囲気を撮りたかったのですがどうしても走っている車や駐車している車が入ってしまうので諦めました。
 でも、仕方がありません。こっちは観光気分でも向こうはお仕事ですものね。

    

 うだつは火事の延焼を防ぐためだといわれますが、いつも見て思うのは、これくらいのものでほんとうにその効果があるのだろうかということです。
 しかし、昔の人の知恵、ないがしろにはできません。
 このうだつのみではなく、それとセットになった袖壁(建物の外面にまで張り出した壁)との相乗効果もあってその機能を果たすのでしょう。

    

 もうひとつ、その有無や出来栄えで家同士の権勢を競い合ったということがあり、それが「うだつが上がる」とか「上がらない」とかいう方の語源になったようですね。
 え?お前んちはどうかですか?
 私んちは一軒家ですから必要がないのです。
 必要があっても上げられないだろうって?
 しつっこいなぁ、もう。そういう詮索ってあまり好かれませんよ。

    

 程よい頃を見計らって先ほどの和紙屋さんに戻りました。
 ご用命の依頼主は、なんでも和紙を使い和綴じの小冊子を何冊も作るのだとかで、さまざまな種類の和紙をいっぱい抱え込んでいます。
 私にも意見を求められたのですが、そうしたものにはとんと無粋なので、何も気の利いたことはいえません。

    

 この店は実に多くの品揃えをしています。
 本格的な和紙から今様のデザインを施したもの、さらにはそれを使って作った工芸品や身の回りのものなど、実に多彩です。
 なかにはキッチュなものも結構あるのですが、和紙の肌触りやそのソフトな感覚からして、見ている段には結構楽しいものがあります。
 観光客らしい女性陣が「ねえ、これこれ」などとお互いに袖を引き合って見て回っていました。

              
                 これのみ、昨秋の行灯祭りの折のものです

 その後、アッシー代金に少し美味しいコーヒーをごちそうして貰って帰りました。
 ちょっと異次元へ出かけた感があったのですが、家を出てから帰るまで、わずか三時間ほどの小旅行でした。

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