名古屋へいったある日、行きと帰りに撮った岐阜駅近辺の写真です。
最後の写真は1945年7月9日、岐阜大空襲の翌日のものです。
軒下のデコレーション・フラッグ なぜかうさぎが首を吊って(?)いた
この空襲からしばらくして鉄道が回復してから、疎開先の大垣から家のあった岐阜の様子を見に母親と訪れました。
鉄筋コンクリートの旧丸物百貨店などのほかは、木と紙と土で出来た建物は全て焼かれ、いまでは絶対に見えない2km離れた長良川の堤防まで見通すことができました。
灰燼に帰すとはまさにこのことでしょう。
遠足の子らの賑やかなさえずり 週末のイベントの準備も進んでいた
その折りに比べると岐阜駅は本当に立派になりました。
何年かかけた改修が終わり心地よい環境になったといえます。
バス・ターミナルにて 迫力ある織田信長のイラストも
私よりも年上で、イケイケドンドンで近隣諸国との戦火も厭わないという人がいます。
その人が、混迷する政局の中で、いわゆる第三極の要になることを目指し、東京五輪も何百億の赤字にあえぐ東京都銀も放り投げて国政に乗り出すといっています。
気分はもう年末 大階段のイルミネーション 通行人はその両側を通る
率直に言って怖いと思います。
あれから70年近く、近代兵器はより一層残虐になっています。核兵器もあります。
イケイケドンドンが実現して、生涯で二度目の戦争を経験したくはありません。
爆撃後の岐阜駅 車両も燃えている 焼け野原となった中心街
岐阜駅が再び、かつてのように多くの兵士を送り出す場となりませんよう、また攻撃対象として私の好きな鉄道や施設がずたずたに破壊されたりしませんよう願っています。
そしてそこが地方都市の顔として平和な佇まいのままでいられますよう、遠足の子どもたちの嬌声が響く場で在り続けますよう、市民のためのさまざまな催しの場であり続けますよう祈るばかりです。
最後の写真は1945年7月9日、岐阜大空襲の翌日のものです。
軒下のデコレーション・フラッグ なぜかうさぎが首を吊って(?)いた
この空襲からしばらくして鉄道が回復してから、疎開先の大垣から家のあった岐阜の様子を見に母親と訪れました。
鉄筋コンクリートの旧丸物百貨店などのほかは、木と紙と土で出来た建物は全て焼かれ、いまでは絶対に見えない2km離れた長良川の堤防まで見通すことができました。
灰燼に帰すとはまさにこのことでしょう。
遠足の子らの賑やかなさえずり 週末のイベントの準備も進んでいた
その折りに比べると岐阜駅は本当に立派になりました。
何年かかけた改修が終わり心地よい環境になったといえます。
バス・ターミナルにて 迫力ある織田信長のイラストも
私よりも年上で、イケイケドンドンで近隣諸国との戦火も厭わないという人がいます。
その人が、混迷する政局の中で、いわゆる第三極の要になることを目指し、東京五輪も何百億の赤字にあえぐ東京都銀も放り投げて国政に乗り出すといっています。
気分はもう年末 大階段のイルミネーション 通行人はその両側を通る
率直に言って怖いと思います。
あれから70年近く、近代兵器はより一層残虐になっています。核兵器もあります。
イケイケドンドンが実現して、生涯で二度目の戦争を経験したくはありません。
爆撃後の岐阜駅 車両も燃えている 焼け野原となった中心街
岐阜駅が再び、かつてのように多くの兵士を送り出す場となりませんよう、また攻撃対象として私の好きな鉄道や施設がずたずたに破壊されたりしませんよう願っています。
そしてそこが地方都市の顔として平和な佇まいのままでいられますよう、遠足の子どもたちの嬌声が響く場で在り続けますよう、市民のためのさまざまな催しの場であり続けますよう祈るばかりです。
だから、いずれ行ってみたいと思います。
私の母は1931年生まれです。名古屋市内の女学校に通っていた頃戦争になり、学徒動員で軍需工場で働かされました。
ある日、動員中に空襲警報が鳴り、逃げる途中で米軍機が低空飛行で機銃掃射してきたため、田んぼに伏せたとき、笑う米兵の顔が見えたそうです。
伏せたすぐそばに機銃掃射の跡が水切りみたいにぱぱぱぱっと走るのを母は見ました。
もしもそれが彼女を直撃していたら、私は今ここに存在しません。
幼い頃繰り返し聞かされたその話を、私は娘たちにもしています。それでも、こうした「一次情報」に触れることのできない世代が出てきています。
そうした世代が増えるにつれ、同じ過ちを繰り返すことにならないだろうか、恐ろしくなります。
私の叔母もお母上と同じような目に合っています。戦争末期、もはや日本の制空権はなく、戦闘機が軍事的な目標とは無関係に、まるで狩りのように民間人を標的にした話はたくさんあります。
穿った見方をすれば、そこには人種的な偏見もあり、今日の沖縄でのレイプ事件にまで繋がるものがあるかも知れません。
というのは、ヨーロッパなど白人種の住んでいる箇所の米軍基地近辺では、沖縄のような事件は少ないというデータがあるのだそうです。
何れにしても戦時の異常に高揚した気分が背景にあったのは事実でしょう。
イラク戦争以後、攻撃側がモニターで見る戦争が一般化し、若い人たちがリモコン片手のゲーム感覚で戦争を考える風潮があるとすればそれは恐ろしいことです。
モニター上で炸裂する着弾点の下では確実に何人かの人の生命が奪われているのですから。
お母上とほぼ変わらない歳の前都知事が、やや遅れてきて英雄になり損なった分を取り返すべく、戦火を交えるもやむなしといった言動を振りまくのは困ったものです。
彼はほんとうに百万人殺しても平気なんでしょうか?
その百万人の中に、彼の肉親がいても平気なんでしょうか?ベタではあるけど聞いてみたいです。
私が今般、同人誌に書きましたように、「大義=一般意志」のために個々の人間は存在するのだという倒錯があれば、何百万の人間が死のうが、はたまた身内が死のうが、それ自身をヒロイックに捉えるだけではないかと思います。
個々に生きている人達を抹殺して良い「大義=一般意志」はない、ただあるのは人々の「複数性」という端的な事実であること、それらが共生しうる道をあくまでも希求するということに尽きると思います。