イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ソドレミお墓の前で

2011-03-27 18:55:26 | テレビ番組

『どれみふぁワンダーランド』の“英語に聞こえる日本語の歌を作ろう”足かけ3年プロジェクトと言えば、番組のヘッド企画兼MCでもある作曲家・宮川彬良(あきら)さんの、一貫して距離を置いた姿勢も印象的でした。

言い出しっぺであるRAG FAIR土屋礼央さんが、そもそもの「来年度予算案(らいねんどよさんあん。礼央さんによれば“いちばん英語っぽく聞こえる日本語熟語”)」からずっと、このプロジェクトのコーナーになるたび口角泡を飛ばす勢いでノリノリ、RAGの他メンバーや戸田恵子さんもそこそこウケたりツッコんだりしている中で、彬良さんだけは“(音楽家歴の先輩として)好意的なニュートラルで見守る”という佇まいを崩さず、オンエア画面を見ていてあからさまな前のめりになることが一度もなかった。

以前の放送の“音楽の深読み”コーナーで、唱歌『早春賦』(=吉丸一昌作詞)『うみ』(=林柳波作詞)を採り上げておられたときにも思ったのですが、“伝えるべき意味を抱えた歌詞”というものに、音楽家、楽曲の作り手として、彬良さんもずいぶん縛られ苦しんだ経験がおありなのだと思う。

この“英語もどき歌”プロジェクトの過程をざっとなぞった25日(金)放送の総集編で、「桑田(佳祐)さん以降、こういう(着想したコードやメロディをピアノなどで試し弾きながら出まかせ英語歌詞でヴォーカルつけていく)作曲法は普通に皆やるようになった」と淡々と説明しておられたように、彬良さんにしてみれば“曲に沿うヴォーカルが英語っぽい”のは、曲創作のプロセス中の一段階で発生する、当たり前の状況のひとつにすぎないのではないかと思います。

その状況を敷衍して、造形して固めて、その状況自体を“完成製品化”するという試み。みずからも作曲をよくするけれど、基本的には歌い手である土屋礼央さん発のアイディア、彬良さんにとっては当初から“面白いよ、面白くなくはないけど、でも別に…”という気分が一抹はあったのではないでしょうか。

英語に聞こえようが何語に聞こえようが、音楽を着想し構想し、音楽で表現しようという者にとって、歌詞と称される“言葉”、それも“発音と意味のある言葉”というのは、「こんなモンさえなければ、もっともっと自由闊達で広やかな音楽が作れるのに」と悩ましい桎梏であると同時に、「コレがあるから、より多くの人の心の琴線を、文学的言語的な角度から揺り動かして、結果的に楽曲のアピール力がより高まる」という、“味方につければ最強のツール”でもある。ピアノの前にいつものように座って、礼央さんたちの盛り上がりを半笑いで眺めていた彬良さんの表情には、音楽イコール生きることである人の、“歌詞”というものへの対峙の苦しさと蜜月、両方があらわれていたような気もします。

でも決して、足かけ3年の一連の歩みを冷笑したり肩をすくめたりしていたわけではない。総集編では、完成した『風鈴買いに行こう』のフルオケへのアレンジ、リハーサルやコンソールルームでの音入れに、完全な“音楽の作り手、送り出し手”の顔で前のめりになる彬良さんも見られました。「これぞオレの仕事」「こういうことをやらせるなら任せなさい」という自負とプライドに満ちておられた。

『どれみふぁ~』を不定期ながら視聴し始めた当初は“中途半端にお父上(故・宮川泰さん)の面影のある、メッシュボブにピエロチックなチョッキのキショいおっさん”という印象しかなかった(失礼だ無礼だ)彬良さんですが、出ばるべきところと、そうでもないところとを結構弁えた人だったことが、このプロジェクトを通して遅ればせながらある程度わかったの巻、でした。

NHKBS4月からチャンネル統合して出直しとなりますが、またやってほしいですね『どれみふぁ~』。

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