イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

つながれた右手が

2010-09-21 22:09:03 | コスメ・ファッション

ここのところやっと出かける前にファンデのタイプに迷うことなく、いつものクリームタイプをノビノビ塗って、パウダーをふぁこふぁこ叩けるようになりました。先週の後半ぐらいから、どうやら当地も、本州の猛暑、狂暑につられることなく、健全でまじめな“普通の北国の初秋”へと“更生”しつつあります。

いつも思うんですけど、顔に塗るファンデって“顔専用の、見えない肌着”みたいなものだから、暑いからといって、いつものヤツじゃないのを塗ると、肌着と肌とのフィット感がいまいちで、塗ってる間じゅう顔がガサゴソする感じなんですよね。やっぱりいつものが心地よい。

来年もこんな感じに調子こいた夏になるなら、“いつもの”の球種をうんとこさ拡げておかないと、うっかり外に出られないし、人にも会えません。アウトドア派に愛用者が多い、下地パウダー不要のスーパーウォータープルーフタイプのやつを今度いってみとくかな。

『ゲゲゲの女房』最終週は、先週末時点での予告からして、お世話になった人オールスターズ帰還再会、グランド大団円ウィークの予感ばりばりでしたが、週アタマはまず安来の源兵衛お父さん=大杉漣さんの脳梗塞演技の、ほどの良さに浴びせ倒しくらって幕開け。

もう、ほどの良いのなんの。「ほどが良すぎるぞこの野郎」と怒り泣きしたくなるほど(怒泣)。

脳梗塞の、と言うより脳梗塞後の身内や知人を介護したり、見舞ったりした経験が多少でもある人なら、「そうそう、こんなんなるんだよなー」とリアルに思い出す要素を演技のベースに敷き詰めつつ、「でもこんな程度じゃ、本当は済まないんだけど、TVでそこまで見たくないし」と、映ったら目を覆いたくなる級の部分はさわやかに割愛。

20日(月)放送の、急遽帰省した布美枝さん(松下奈緒さん)に、母・ミヤコさん(古手川祐子さん)兄嫁・邦子さん(桂亜沙美さん)から語られる形での、発作時の回想再現シーン「(食後の湯呑みを取り落として)…おかしいな」→「(バッタリ倒れて)…大丈夫だ」から段階を踏んでの、腹にチカラの入らない発声がまずは鳥肌級にすごい。

古き良きカミナリ親父の源兵衛さん、地声が大きい人だっただけに、声帯や肺活量は発作前通り保たれているのだけど、脳の損傷のため、腹筋の制御による発声が困難になっている感じが痛切にわかる。脳の言語野(や)が直接傷まず、いわゆる言語障害に陥らずにすんだ脳梗塞の人でも、いち単語、ワンフレーズの中での抑揚コントロールが効かなくなるため、声量だけふりしぼって妙に“言いっぱ”“叫びっぱ”な語尾になってしまう。健康な頃の知性や人間性がどんなに豊かでも、どうしようもなく「いかにも脳をわずらっている人…」という印象の、もの悲しい会話になる。

ご本人も、“言いたいことが、言いたいように言い表せない、伝わっていない”という不満や苛立ちがつねにあるから、源兵衛さんのように頑固だった人がさらに頑固に、ちょっとしたことで激昂するようになったり、逆に“もういつもの自分のようには戻れない”無力感から、信じられないほど気弱に、依存的になったりもする。

意気軒昂な姿がつい先週の放送だっただけに、一層痛々しい「だぁらぁず」や「…はい」、布美枝が帰京した後の仏間で「守ってやってごしぇ」と麻痺した右手が伸びない合掌など、お見事のひと言。

しかし、最高のファインプレーは、「お父さんが(寝室に)おらん」「まだひとりでは歩けんですよ」とあわてるミヤコさん邦子さんをよそに、本当に歩けない身体を半身引きずりながら仏前に這って行く姿を絵にしなかったことです。

老い衰えても、衰えたからこそますます切々たる親心を、観る者に愛おしい、尊いと思わせ感涙させるためには「そこまで見せなくても」に踏み込む境界線を、厳しく潔癖に守る必要がある。

このドラマは、“見せるべきこと”と、“見せなくてもいいこと”、“見せ過ぎたら台なしになること”の仕分けが、演出・演者ともに、本当に鮮やかでためらいがない。

TV番組、TVドラマについて書くことが最近特にめっきり多い月河のこのブログですが、人間が人間に見せるための作品、商品として作っているものである以上、“ドラマとしておもしろい”“演技者の演技がうまい”こと単体では褒め記事を書かないように心がけてはいるのです。プロのP、脚本家、監督が、おカネを取れるモノを目指して作っている以上「おもしろい」のは当たり前だし、俳優さんたちもプロがこの作品のために選ばれて演技しているのだから、シロウトが見て「うまい」のも、これまた当たり前。

「おもしろい」「うまい」の彼方に、あるいは、その底流にある、「これこれこんな工夫、仕掛け、心がけが見て取れ、感じられるからおもしろいのだ」「おもしろいから、うまいから、これこれこんなことまで読み取れたり、想像させられたり、考えさせられたりしてしまうのだ」ということをなるべく書きたいと思って、毎度ここを開いている月河です。

その意味で、『ゲゲゲ』は隅々まで噛み応えあり、書きたいことが毎話、湯水のように湧き出てくるドラマでした。

「(もう一度源兵衛さんと碁が打てる)“この次”はないかもしれない」との覚悟を布美枝さんもしげるさん(向井理さん)も秘めて噛みしめた秋から、冬が過ぎ、今日(21日)の放送では再び桜の季節になりましたが、秋口「今度は桜の季節に深大寺へもう一度」のお祖父ちゃんとの約束、藍子(青谷優衣さん)&喜子(荒井萌さん)姉妹も覚えているはず。布美枝さんは車の免許こそ持っているけれど必要以外はあまり外出をしない人ですが、小学校教師藍子さんは2年めを迎えた勤め先の学校のそばに桜があります。今日の放送で、布美枝さんが玄関先で満開に気づく前、蕾がほころんできた頃“お祖父ちゃんに桜…”と胸をよぎらないはずはない。

でも、親の心を気にかけるタイプの長女藍子さん、すでに一年間の教師経験で、不祝儀のために忌引をとる生徒や、家庭訪問すれば仏間のある家もあっただろうし、“言い出して無理だったら、そうでなくても心を痛めているお母ちゃんが気の毒”と先回りして自重したのでしょう。

かえって天真爛漫な喜子ちゃんは「もうすぐ深大寺の桜が咲くね~、安来のお祖父ちゃん、具合いいんなら見に来たらいいのに」と空気を読まずに元気発言、藍子「脳梗塞のリハビリって大変なんだよ、乗り物に乗ったり降りたり」布美枝「お祖母ちゃんもリウマチがあるしね、付き添いに邦子さんか絵里子ちゃんもとなると、(酒屋の)店も大変だし」しげる「……(新聞読むふりでじっと聞いていて)…見ごろになったら、あれだ、寺の近くで皆で写真を撮って、安来に送ってあげたらええ、今年の桜、来年の桜、同じ桜でも一期一会ということもあるけんな」布美枝「そげですね、日曜日なら藍子も行けるでしょ」喜子「いいね、お祖父ちゃん、見たら元気になるよ」…

……のような会話があったかもしれません。

源兵衛さんと言えば、嫁の邦子さんに麻痺したほうの腕をマッサージしてもらう回想場面で「“娘”にこげに世話してもらって」と、“血縁ない他人同士が家族となり、年月をかけて絆を築く”幸せなご縁の糸を、主人公のしげる布美枝夫妻とは違う角度から映し出してもくれました。

飯田家お向かいの魚屋のご主人留蔵さん(春海四方さん)も、頭髪の白化とともにずいぶん声が老け込んでいました。一方、同時期に実家に寄っていたかつての同級生チヨちゃん(平岩紙さん)は、花柄ブラウススーツでちょっこし若づくりしていましたが、「実家の母親が、ほんの鼻風邪なのに、何かと理由つけて会いに来いとせっつく(=老いて気弱になった)」「ウチの子も結婚して2年だし、そろそろ子供ができて、私もお祖母ちゃんになるかもしれん」と、間接的に時の流れ、じんわり自分の人生の後半、そして人生のいちばん身近な先輩である親の老いと看取りに近づいていく皮膚感覚を表現。

本当に打つ手に無駄がない、何かしら手を打てば必ず何かしらに効いている、「無駄がないぞこの野郎」と怒り笑い泣きしたいようなドラマです(怒笑泣)。

コメント
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