イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

嘘と坊主の頭は

2010-01-30 22:27:19 | スポーツ

揺れてますね、大相撲界。

貴乃花親方の理事選強行立候補→破門についてはこんなもんかなという感じです。現役時代から、無意味に頑固で空気読めない、読まない傾向はあった。それも世間的には“一途”“不器用”“相撲しか知らないゆえの世渡り下手”と、むしろ好意的に読解されていたので、当分このままいけそうです。世の中、器用な人より不器用な人、人当たりいい人より無愛想な人を、リスペクトし有難がる風潮があるじゃないですか。

一方、横綱・朝青龍関の狼藉はどうでしょうか。本場所中にやらかし、その場所中に報道され、その場所で取り続けて優勝したという一連の流れに驚きましたよね。

結局、朝関に本気で意見したり、品格ある愛され横綱になってほしいと切実に願う人なんて誰もいないのだろうと思うのです。度重なる無断帰国や故障休場のはずの巡業期間中にサッカー、その都度「今度何かあったら注意だけでは済まない」と通告されながら、その“今度”が何度あったことか。競馬で言う「今度とお化けは出たことがない」というやつです。

両親ともに日本人、日本生まれ日本育ちで、中学卒業後即角界入りしたような横綱だったら、同じキャリア同じ行状でも横審、師匠はじめ識者の姿勢が180°違っていただろうと思う。どうせモンゴル人、モンゴル流の教育を受けてモンゴルを愛し、稼いだ賞金懸賞金はぜんぶモンゴルの家族親戚の潤いになり、引退すればモンゴルに帰ってモンゴルで選挙にでも出馬するんだろうと思われている。だから日本の、日本流の横綱として言動がどう、立ち居振る舞いがどうと思われても、本気で矯正、教育し直そうと思う人はいないのです。

それでも、モンゴル人でも何人でも、大相撲に入れば大相撲のルール、大相撲の価値観に従って造形され育成されなければ大相撲の意義がないでしょう。何となく、昨年のいまごろローマのG7で赤っ恥かいた中川昭一(当時)財務相の一件を思い出す。恥かかせてはならない人、この人の恥は自分らの恥だと思う人が、昔は誰にもいた。“親ごころ”という言葉があったのです。親にとって子の恥は自分の恥。子の罪は自分の罪。各界を代表する人がその地位に誇らかに安んじるために、敢えて苦言を呈し泥をかぶる覚悟の“親ごころ”の人が居たはずなのに、いまはどこにも居ないのです。大相撲における横綱といえば、座長であり一枚看板でしょうに。

憎まれ役、煙たがられ役を買って出てくれた内舘牧子さんは、視点を変えれば愛の人だった。誰も座長を本気で諌めず喧嘩も売らないなら、もう大相撲のこと“国技”と呼ぶのやめたらどうかな。

コメント (2)
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