イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

あらあらゲーム

2009-10-29 00:20:13 | 昼ドラマ

1030日の最終話にはまだちょっと早いですが、『嵐がくれたもの』のまとめも急いでしておかないといけませんね。途中早い段階で、別に嵐=伊勢湾台風が契機でなくてもいい、通り一遍の生き別れ親子モノになってしまったなあという所感は以前書きましたが、それを別にしても、2ヶ月クールに短縮したことが、やはりと言うか、あまりプラスに出ない作だったように思います。

何たって話が小さい。狭い。節子(岩崎ひろみさん)&順子(三浦透子さん)のかりそめ親子以外は、ほとんど宇田川流家元一家しかいない世界。さらには“母性愛”をテーマにとことん押すことを決めた時点で、男女の恋愛要素や色っぽい話はないのだろうなと予測はできましたが、戦災孤児あがりの節子と家元令嬢・百合子(宮本真希さん)、ともに運命の悪戯でみずからのお腹をいためない子の母となった2人の女性が「我が子を守るためならここまでやる!」という振幅のバリエーションを、もっと見せてくれたらよかったのですが。

たとえば節子は順子の戸籍の不備露顕を怖れて、11歳にもなろうという順子を義務教育に通わせず、宇田川夫人(沢田亜矢子さん)の再三の勧めも拒んでいましたが、昼帯得意の離れ業=法律・法制ブッチギリを使ってでもここは順子を学校にあげ、何不自由なく実両親に育てられている他の(家元の跡取りなどではない、昭和40年代なりの普通の境遇の)子供たち、PTAママ友たちとの違いを際立たせて「他の親子にはできないこんなこともあんなことも、ワタシは順子にしてあげる」という節子の逆風屹立ぶりを描いていたらどうだったでしょうか。とにかく舞台が狭いので、話が箱庭のように萎縮してしまうのです。

4月クールの『エゴイスト』のときに、“2ヶ月にして話のテンポアップ、中だるみ回避をはかったのは認めるにしても、駆け足で人物の心情が薄すぎ”と、大意そのようなことをここで書きました。『嵐くれ』は2ヶ月で“密度”のアップを試みたのかもしれませんが、“結局予算のサイズも3分の2になったから、嵐ならぬ世の中の荒波を表す登場人物を数々出せなかった”という印象がより色濃く残ってしまった。節子婦人警官篇、名古屋舞台の第一部では深水三章さん、角替和枝さん、清水綋治さんのベテラン勢に宮川一朗太さん、菊地健一郎さんほか、救護避難所に身を寄せたご近所さんもひとりひとり地味なりに味を出していたのに、どうもこのパートっきりでキャスティングがガス欠気味。

順子役三浦さんの素朴な透明感、亜弓(←本当は節子の実娘順子)役山口愛さんの良き古めかしさ、子役さんはともに役のカラーを自身のキャラの持ち味とよくマッチングさせて大健闘だっただけに、お話のほうをもう少し欲張ってほしかったですね。

収穫もありました。さすがの貫禄原田大二郎さん。長い芸歴で看板にしてきた“くっさい芝居”(←断じて褒め言葉です!)が申し分なくこの役に活きました。すべての厄介ごとの元凶のはずの宗助ですが、原田さんが演じてるおかげで不思議に陰湿感がない。ほどのよい嘘っぽさ、面白みのあるイヤらしさとでも言いましょうか。『鬼平犯科帳』ではないけれど、人は良いことをしながら悪い事もし、悪い事をしながら良いこともする。宗助にとって、華道宇田川流を維持存続させ隆盛させたい(“お弟子50万人”には参りました。マルチか)執念も、視力障害がありかつ子を産めない身体の愛娘・百合子の将来を案ずる思いも本物。自分が悪だくみして記憶喪失を利用し娘婿に仕立て上げた恭平(永岡佑さん)の事故死後、枕辺で実の息子を悼む様に本気で泣いていた、あの場面はよかったですね。

全体に、東海テレビ昼ドラチーム、まだ2ヶ月8週ないし9週という“ウツワ”に盛りつける適量がつかめていないのかなという気もする。2ヶ月が不足でも、過剰でもない作品、次作のXmasの奇蹟』に持ち越し期待です。

コメント
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