途中何回か休憩挟ませてもらいましたが、昨夜(11月3日)25:00までNHKFM『今日は一日ジュリー三昧』を完走。最後の曲『ロックンロール・マーチ』。ふぅー。聴くほうもよく聴いたけど、ゲストなしのひとり喋りで13:15から12時間弱、還暦・沢田研二さんお疲れさまでした。
「ファンの人に“お疲れさま”言われるのイヤなんですよねー」「“ご苦労様”もイヤだなぁ」と番組中何度か言っていた沢田さん、やっぱりスターは“苦労している”“いっぱいいっぱい”の匂いを嗅がれるのを潔しとしないんでしょうね。こういう、聴きようによっては「ファンに失礼」と取られかねない、美意識ゆえの我がままさんを放送中にポロッと言ってしまうのは昔ながらの沢田さんですが、言い方、表現のしかたが本当に丸く、柔らかくなりました。
昭和40年代初頭から最前線に立ち、歩き、走ってきた沢田さん、音楽業界、邦楽シーンの状況も大きく変わって、レコード・CDが売れない売れないと言われて久しい2008年になっても、依然「歌手・沢田研二を盛り上げよう」という熱意も才気もある大勢のスタッフ、仲間に恵まれている。若くて、ブイブイ言わせてた頃の沢田さんは“やんちゃ”“強腰”のイメージがありましたが、もう人徳でしょうね。京都発のタイガース、“全国制覇目指して上京”を視野に入れたとき、別のグループのメンバーだった沢田さんの加入が、どうしても必要だった。歌唱力だ美声だ美少年(当時)だを超えて、要するに何かを“持っている”人。
タイガース全盛期に小学生坊主だった月河はあまり熱いジュリーウォッチャーではないのですが、“持っている人”として40有余年を生きている男のトークは本当におもしろく、時代の証言としても噛み応えがありました。NHKしか映らない地域に住んでいた哀しさでタイガースとしてのヒット曲の大半はTVで聴くことができなかったのですが、いま改めて聴くとデビュー曲『僕のマリー』のもろビートルズ『Michelle』なイントロなんかは「やってくれるわ」と痛快ですらある。沢田研二さんという歌声を得て、当時の作曲家、音楽製作者たちは本当に勇気百倍、奮い立ったことでしょう。
小学生月河の、お姉さん世代の人たちで昭和40年代前半当時、タイガースか“ジュリー単体”か、どっちかのファンでない人を探すのが難しいくらいの勢いだったのに、タイガース時代~PYG時代を通じて「(ギターなど)楽器がうまく弾けない、歌もヘタ」とコンプレックスを抱き続け、不安ばかりだったというのが意外でした。幼児的万能感と、虚勢にくるんだ劣等感。10代で時代の寵児になった人って、多かれ少なかれそういうものかもしれない。
タイガース時代の後半、「給料ギャラの(事務所からの)相談が、メンバー1人ずつ別々に呼ばれるようになり、最後に“他のメンバーには絶対(金額等の話を)言わないように”とクギさされるようになって、あー他のメンバーより僕がようけ貰ってんちゃうかなあ…と気がついたとき、本当にコレ申し訳ないなあ、これでええんかなぁと思った」とも。
オリジナル曲『Long good‐by』とともに、タイガース解散以来再会がかなわずにいる元メンバー・瞳みのるさんへの思いを語るくだりもありましたが、やはり“持っている人”がいずれ直面せざるを得ないジレンマでしょうかね。“持っている人”より“持たざる人”のほうが、世の中には圧倒的に多いのです。瞳さんにとっては、同じ“音楽体温”で走り始め、同じ釜のメシを食い苦労も喜怒哀楽もともにしてきても、“実入りの多いヤツと多くない自分”がいる…という現実が厳しく立ちはだかったはず。
「音楽で身を立てようと思って、一度日の目を見たら、(グループ)解散しても、“その中”に居続けたいと思うもの」「学校に戻って勉強し直してまったく別の人生を歩もうとはなかなか考えない」と沢田さんは番組内で“だから、そのなかなかできないことをやり遂げたピーは偉い”というニュアンスをこめて言っておられましたが、ずっと“中”に居るべき人と、そうでない人との間に距離が広がってしまうのは仕方がない。大学を卒業し文学博士、教員となられ斯界で活躍中の瞳さんの消息は知られているだけに、“中”の沢田さんとしては心残りでしょうが、ここは自分の意志で“中”に居ることをやめた瞳さんの気持ちを優先してあげるべきでしょう。
12月3日の東京ドームライブ『人間60年 ジュリー祭り』まで酒も断っているという沢田さん、「当日アンコールがかかったら、その前には飲ましていただきます」とも番組中宣言。「お疲れさま」がお気に召さないなら「その根性、いや~乙(おつ)だね」と申し上げておきます。
それにしても『勝手にしやがれ』英語ヴァージョンは録音して耳コピしてどっかのカラオケでネタに歌いたかったな。壁塗りアクションも英語歌なら別クチのウケをとったんじゃないかな。残念(ってウケる前提で言ってますが)。オンエアのタイミングがあんまり唐突だったんで、沢田さん本人もビックリだったみたいです。
…で、こんな余韻を引きずって今朝、ふぁあ~と起きたら、小室哲哉さん詐欺容疑任意聴取のニュースで二度めの、今度は妙な後味のビックリ。
『富豪刑事』の美和子サマじゃありませんが、「たった5億円ぽっち」と思ってしまう。95~98年頃のヒットチャート席捲具合を思い起こせば、前金のみで5億円、ヘタしたら10億円だってハシタガネでしょうよ。806曲だかの著作権まるごとハウマッチで「10億円」と持ちかけられて、鵜呑みにのんでしまう会社社長の金銭感覚も、シロウト目にもどうなのかなと。なんか騙すほうも騙されるほうも、日本全土全般に麻痺してますな金銭感覚。
うちの高齢家族女性軍、及びお友達軍は、「やっぱり前の奥さんの慰謝料10億円が痛かったんだよネー」とクチを揃えていましたね。アメリカだイギリスだバリ島だ、ヴァニティな音楽スタジオ云々は、高齢の彼女たちよくわかってませんが、「子供産んだら、女は折れないし妥協しないからね」とそこだけは実感をこめて強調してましたね。
「あのコ、誰だっけ、トモちゃん(華原朋美さん)?も、1人産んどけばソンしなかったのにね」とも。
帰宅して任意同行時の映像を見たら、49歳小室プロデューサー、車に乗り込む服装がまるっきり“90年代前半の20代”のままで、要するに“世俗の部分が成長しなかった”かわいそうな大人だったのだ。「ここにアナタのために作ったオリジナルCDがありますから」って、女の子ナンパスカウトするのと手口一緒じゃんよ。
億単位の詐欺となると実刑は免れないらしい。これで歌手ならば、作詞作曲家やプロデューサーが「あの才能がもったいない」「がんばれ」と曲を提供してくれて、服役後再起という目もあるかもしれませんが、小室さんは自分が作曲家でプロデューサーだからなぁ。刑事被告人・受刑者の曲を「ワタシが歌って、演奏して、ヒットさせてあげる」という奇特なヴォーカリスト、ミュージシャンがいるかどうか。
一時代を築いた天才たちについて、いろいろ考えさせられた足かけ二日でした。