フランク永井さん、先月亡くなられていたようです。往年のレコード大賞歌手。もう20年以上前になるのか、自殺未遂当時はかなり芸能マスコミで取り沙汰されましたが、後遺障害からのリハビリ生活となられてからは、なつかし映像以外ではおなじみの美声を聴くこともなくなりました。76歳でしたか。
『有楽町で逢いましょう』『君恋し』『おまえに』と代表曲タイトルが並ぶと、なんとなくあぁ、あったあった…と思い出しついでに、「“♪ 富士の高嶺ェに降る雪も~”って曲もなかったでしたっけ?」と言ったら、高齢家族にバイ菌見るような目で見られました。どっかの懐メロ番組で歌っておられた記憶が、確かにあったんだけどな。持ち歌ではないスタンダードや他歌手のヒット曲を、大物歌手が自分のキー自分の解釈で歌ってくれる、いまとなってはとても贅沢な番組、昔は多かったんです。
月河がTVの、おもにNHKの歌謡曲番組でお顔と名前が一致する頃には、すでに超のつく大御所感があったのは、あの低音と、失礼を承知で言えば体型のせいもあったかもしれません。「どう見てもハーフじゃない、コテコテの日本人なのにナンデ名前が“フランク”?」という子供心の疑問が氷解するためには、戦後日本のポピュラー音楽界と進駐軍キャンプとの密接なる関係性を理解できるまで時間を要しました。
特に『君恋し』はカラオケ得意にしている人が昔の職場に居たなあ。月河のように、80年代前半プレ・バブル期に社会人デビューした年代の人なら、職場に1人はフランク永井さんの曲無しでは夜も日も明けないおっさん上司がいたはずです。70年代後半からの盛り場のカラオケブームで、永井さん(“フランクさん”じゃオサマリが悪いすよね)の支持層は改めて拡大したのではないかな。月河よりちょっと下の年代の女性軍が、ドリカム吉田美和さん、あるいはZARD、大黒摩季さんらビーイング系の曲を歌うと自動的にテンション上がるのに似た感覚が、ある年代以上の男性には永井さんの曲に対してあるらしいのです。“歌えてないのに、うまくなったような気がする”錯覚をくれる曲調なんですな。
まぁ上司の君恋し攻撃に対しては、当時の新人類世代チーム代表(…代表?)月河もマッチ・トシちゃん、三原順子(現・じゅん子)さん等を武器に倍返しで返り討ちましたぜ。『原宿キッス』『ふられてBANZAI』『サニーサイド・コネクション』…。さらに下の年代が華原朋ちゃんや広瀬香美で対抗して来る頃には、もう会社人間ではなくなっていた。因果は巡る。どんな話だ。
ところで70年代~80年代橋渡しの頃、と言うかもっと具体的には『LOVE ~抱きしめたい~』を歌っておられた頃の沢田研二さんが、局も番組名も忘れましたがモノマネ番組でフランク永井さんの『有楽町で逢いましょう』を披露してくれたことがあるのです。当時からすでに、沢田さんと言えば“モノマネなんかTVでやらない”という共通理解があり希少感たっぷりでしたが、トレンチコート姿で登場した沢田さんはそんなにイヤそうじゃなく、むしろノリノリだったし、あのハイトーン、派手派手ロック調が売りだった当時の沢田さんが、びっくりするほどモノマネとして上手かったのです、『有楽町』。
確か対抗する“紅組”が森昌子さんで、園まりさんの『逢いたくて逢いたくて』を歌ってくれた記憶がある。もちろん家庭用VTRが普及未だしの頃ですが、どなたかお宝映像として保存されているかたはいないかしら。