retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

中央線新宿駅(西新宿六丁目西側の更地)

2016-10-11 03:50:29 | Weblog
交差点の南西側一帯、いかにも、再開発が始まりそうな、更地が、広がっている。
実際、とくに、工事が始まるわけでもなさそうなのだが。
西新宿高層ビル街の西側、高層ビルが、新しく建てられても、おかしくはないけど。
では、西側は、どこまで、拡大するのだろうか。
神田川ぐらいだろうか。
そうかもしれないが、山手通りまでは、無理な感じはする。
いずれにしろ、西側も、限界がある。
(2013年10月記)

中央線新宿駅(西新宿八丁目 成子天神下交差点)

2016-10-10 04:58:31 | Weblog
鎧神社の創建は、おそらく、平安時代の終わり頃、あるいは、鎌倉時代、と思われる。
だとすると、成子天神社も、同じ、ということだろう。
ただ、江戸名所図会、鎧神社の部分、とくに、成子天神社には、触れていない。
また、明治時代初め頃の地図を見ると、成子は、柏木村字成子、となっている。
柏木村の一部、ということなのだ。
とすると、それほど、歴史はないのかもしれない。
成子天神社を後にして、西へ。
しばらくして、成子天神下交差点。
(2013年10月記)

中央線新宿駅(西新宿八丁目 成子天神社)

2016-10-09 05:10:56 | Weblog
パークタワー西新宿エムズポートの東側には、成子天神社。
創建は、わからない。
創建の地は、この場所ではなく、移ってきたのは、江戸時代になって、しばらくしてから。
いろいろと、再編が、おこなわれたのかもしれない。
では、もとは、どこにあったのだろうか。
実は、ここから北側、北新宿に、鎧神社があるが、その境内に、元天神社、という神社がある。
その、元天神社が、成子天神社の、旧地、ということらしい。
とすると、あるいは、鎧神社のある場所にあったのかも。
昔のことなので、もう、わからない。
(2013年10月記)

中央線新宿駅(パークタワー西新宿エムズポート)

2016-10-08 04:57:47 | Weblog
途中、青梅街道を渡り、北へ。
さらに、西へ進むと、通りの北側には、パークタワー西新宿エムズポート。
最近、完成した、高層住宅だ。
通り沿いではなく、少し、北側に、入ったところ。
いまだに、西新宿高層ビル街は、拡大を、続けているようだ。
ただ、北側、というのは、もうないだろうと思える。
拡大にも、限界があるのだ。
(2013年10月記)

中央線新宿駅(西新宿八丁目 青梅街道南側)

2016-10-07 04:43:33 | Weblog
青梅街道の南側は、高層ビル街。
もはや、レトロな感じだ。
しかも、最近、あまり、訪れていないので、ますます、そう感じるのかもしれない。
いまも、高層ビル、増え続けているのだが。
ただ、高層ビルが、増えるにしても、北側、南側は、住宅地になるので、もうないだろう。
西側も、もう、そろそろ、そうなる。
わずかに、拡大しているのかな。
青梅街道を、西へ向かう。
(2013年9月記)

中央線新宿駅(西新宿八丁目 青梅街道)

2016-10-06 03:57:41 | Weblog
中央線で新宿駅。
今日は、雨が降ったり止んだり。
秋雨、というところか。
雲が垂れ込めている。
新宿駅西口。相変わらず賑やか。
西口を、北西へ向かう。
しばらくすると、東西に伸びる青梅街道。
青梅街道を西へ。
高層ビル街。最近は、あまり、足を運んでいない。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(等々力 市民ミュージアム)

2016-10-05 03:57:30 | Weblog
南へ南へと、歩いていくと、しばらくして、通りの、東側には、市民ミュージアム。
バブルの頃に、完成している。
まさに、そういう感じだ。
地方、郊外に、施設が、たくさん、完成したのだ。
じつは、市民ミュージアムで、武蔵小杉行きの、バスに乗ろうと思ったのだ。
実際、バス停で、待っていたが、なかなか、バスは来ない。
やっと、到着した、バスに乗り込む。
だが、結局、武蔵小杉に着いた頃には、日没になっていた。間に合わなかった。
武蔵小杉駅、南武線で帰ることにする。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 南への道)

2016-10-04 03:57:02 | Weblog
幾棟もの、巨大な高層ビル、ここからでも、見ることができる。
昔、誰が、このような、景観を、予想しただろうか。
東急東横線、というのが、大きいのだろうけど。
そういえば、以前、近くの、新丸子駅で、降りたことあったな。
鄙びた感じが、よかった。
忘れ去られたような街並み。
今は、どうなっているのだろう。
さらに、南へと、歩いていく。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 遠く武蔵小杉高層ビル)

2016-10-03 03:53:38 | Weblog
ようやく、多摩川近くで、東西に伸びる道に、行き当たる。
東へ曲がり、そのまま、東へ。
道は、すぐに、南へと、向きを変える。
道なりに、南へ向かう。
これなら、途中で、東へ、たとえば、春日神社、常楽寺のあるあたりを、東へ、歩いた方が、はるかに、近かった。
下調べをしてこなかったので、こんなに、道が、北側に、湾曲しているとは、気付かなかったのだ。
南へ歩いていくと、遠くに、武蔵小杉の高層ビル。
(2013年9月記)

南武線武蔵中原駅(宮内二丁目 川崎の住宅地)

2016-10-02 05:01:54 | Weblog
再び、北へ歩く。
このまま行くと、多摩川だが、実は、東へ、向かうはずだったのだ。
だが、その東へ向かうはずの道、北側に、大きく湾曲している。
明治時代初め頃の地図を見ると、北側に湾曲している道、どうも、土手だったようだ。
とすると、その昔、多摩川は、ここから、西側では、南へ、蛇行し、いったん、北へ蛇行したあと、すぐに、また、南へ、蛇行していたのかも。
明治時代初め頃の地図で、すでに、多摩川は、まっすぐ、流れているので、江戸時代では、すでに、まっすぐ、だったのだろう。
ひょっとすると、多聞寺が遭った、洪水で、川筋が、まっすぐになったのかも。
さらに、北へと、歩いていく。
(2013年9月記)