retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

南北線本駒込駅(本駒込三丁目 本郷通り)

2016-10-21 04:00:33 | Weblog
南北線に乗る。
本駒込駅で下車。
都心高層ビル地帯から、ずいぶんと、遠い感じがする。
ただ、山手というところは、同じだ。
直結している、というのも、そういうわけかもしれない。
あるいは、山手と結ばれているから、谷地であっても、山手になったのかな。
そういう気もする。
南北に伸びる、本郷通りを、北へ。
(2013年10月記)

南北線六本木一丁目駅(住友不動産六本木グランドタワー工事現場)

2016-10-19 03:54:14 | Weblog
交差点の南西側には、住友不動産六本木グランドタワーの工事現場。
たしか、もともと、IBMの高層ビルが、建っていたと思うが。
今回は、それを上回る規模の、建造物。
それにしても、高層ビルを、取り壊して、そこに、また、高層ビル、というのも、再開発が集中している、都心ならでは、というところか。
つまり、再開発は、拡大したりはしない。
より、集中するのかもしれない。
(2013年10月記)

南北線六本木一丁目駅(六本木三丁目 首都高都心環状線高架下)

2016-10-18 03:50:50 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で南北線に乗り換える。
六本木一丁目駅で下車。
六本木通りを西へ。
交差点を南へ曲がり、そのまま、南へ、向かう。
空中には、首都高の高架。
近未来的なのか、あるいは、レトロなのか。
さらに、南へと、歩く。
(2013年10月記)

日比谷線広尾駅(南麻布五丁目 公園内の池)

2016-10-17 03:47:10 | Weblog
園内には、池も、設えてあり、山手憩いの場となっているようだ。
名前の通り、もとは、有栖川宮邸宅だったらしい。
昭和の初め頃に、公園になっている。
江戸時代は、盛岡南部藩下屋敷。
当時の、日本庭園を、引き継いだのかな。
公園となり、万民のものとなったわけだが、場所が、山手だから、そういうわけでもないだろう。
坂を上り、都立図書館へ。
自分にとっては、都立図書館への途中に、公園があるだけだが。
(2013年10月記)

日比谷線広尾駅(南麻布五丁目 有栖川宮記念公園)

2016-10-16 04:45:47 | Weblog
中央線で新宿駅。
山手線に乗り換える。
恵比寿駅で、今度は、日比谷線。
広尾駅で下車。
山手、という感じだなあ。
それに、外国の方も多い。インターナショナル。
山手のだから、インターナショナル、なのかも。
いずれにしろ、自分にとっては、まったくの、異世界だ。
外苑西通りを渡り、さらに、西へ。
しばらくすると、有栖川宮記念公園。
(2013年10月記)

中央線新宿駅(西新宿六丁目 東京栄養専門学校)

2016-10-15 05:27:10 | Weblog
青梅街道に戻り、東へ。
新宿駅へ戻る。
更地のあった交差点。
近くには、東京栄養専門学校。
開校は、大正時代だが、この地に、移ったのは、昭和の初め頃。
都心、郊外が、形成された時期だろうか。ここらへんは、郊外なのかな。
いまや、都心高層ビル街に、飲み込まれよとしている。
昔ながらの商店街というわけでもなく、学校なので、飲み込まれたからといって、あまり、変わらないだろうけど。
さらに、東へ。駅へ向かう。
もう、ここらへんまでは、来ないかもしれないなあ。
これから、どうなっていくのだろうか。
秋雨の中、駅へ歩いていく。
(2013年10月記)

中央線新宿駅(西新宿五丁目 伏見稲荷神社)

2016-10-14 04:02:44 | Weblog
十二社通りを南へ歩いていくと、しばらくして、通りの、西側には、伏見稲荷神社。
創建は、わからない。
明治時代初め頃の地図を見ると、かつて流れていた、神田上水助水堀の、北岸に建っていたことがわかる。
とすると、江戸時代、創建、ということかもしれない。
また、青梅街道には、民家が、並んでいるので、すでに、江戸時代から、賑やかだったことが、うかがえる。
十二社通りを北へ。
来た道を引き返す。
(2013年10月記)

中央線新宿駅(北新宿二丁目 成子坂下交差点)

2016-10-12 03:47:26 | Weblog
ゆるやかな下り坂。下りきると、成子坂下交差点。
この先、西へ向かうと、神田川。
神田川の下り斜面、ということか。
西新宿の場末、という感じがしていて、下町のような感じだったけど。
いまは、ひっそりとしている。
西新宿高層ビル街が、拡大するとすれば、ここらへんまでかな。
(2013年10月記)