retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

山手線駒込駅(駒込一丁目 駒込東公園)

2015-03-21 06:48:34 | Weblog
けっこう、商店街は、賑やか。
山手線、駒込駅が、近いからだろう。
田端銀座商店街が、あるのに、もう、駒込だ。
などと、考えながら、坂道を、上っていくと、駒込東公園。
こんもりとした、丘陵地。
古墳でも、あるのかと、思ったが、そうではなかった。
谷田川の、西岸、崖地、というところか。
あるいは、もっと昔、谷田川よりも、規模の大きい、石神井川が、流れていた頃の、崖地、だろうか。
わからないけど。
駒込東公園を後にして、北に、向かう。
(2013年2月記)

山手線駒込駅(中里一丁目 アザレア通り商店街)

2015-03-20 04:41:49 | Weblog
田端銀座商店街、ここまで、伸びてきている。
もう、田端とは、関係ない場所のような、気もするが。
もっとも、実際は、田端駅自体、田端とは、無関係な場所にある、ということなのかもしれない。
山手線に沿って、さらに、南西へ。
しばらくすると、アザレア通り商店街。
商店街の名前だが、アザレア、というのは、ツツジのことらしい。
このあたり、駒込は、ツツジが、有名なので、そういう、名前になったのだろう。
アザレア商店街を過ぎ、さらに、西へと、歩いていく。
(2013年2月記)

山手線田端駅(中里一丁目 田端銀座商店街)

2015-03-19 05:45:18 | Weblog
踏切があり、その先は、陸橋になっている。
踏切は、山手線。陸橋の下は、湘南新宿ライン、だろうか。
路線としては、陸橋の下の方が、古いらしい。
明治時代の終わり頃、開通している。
あたりは、台地になっていて、そこを、上り切れなかったため、掘割になり、そこへ、陸橋を、架けたようだ。
踏切のほうは、鉄道が、台地を、上れるようになった時期。
昭和の初め頃。
それぞれに、歴史があるようだ。
山手線に沿って、西へと、歩いていくと、南から、伸びてくる、田端銀座商店街。
(2013年2月記)

山手線田端駅(中里一丁目 第二中里踏切 中里橋)

2015-03-18 03:49:54 | Weblog
西側にある、田端八幡神社の由来、東側の、田端八幡神社と、同じような気もする。
東側の、田端八幡神社、江戸名所図会にも、載っているので、おそらく、そちらが、唯一、なのだろう。
そして、西側の、田端八幡神社は、もともとは、氷川神社、だったのかも。
いつ、どういう、経緯か、わからないが、いつの間にか、田端八幡神社に、なったのだろうか。
などと、考えながら、静かな、住宅地の中、西へ、歩いていく。
しばらくすると、山手線。
踏切と、陸橋がある。
(2013年2月記)

山手線田端駅(田端四丁目 大龍寺)

2015-03-17 05:38:52 | Weblog
八幡神社の、南側には、大龍寺。
創建は、江戸時代の初め頃。
八幡神社と、セット、なのだろう。
江戸時代の初め頃、あたりが、開かれたとき、建てられたのかもしれない。
それ以前は、もともと、八幡神社が、あったのだろうけど。
ただ、東側の、八幡神社と、どのような、関係か、わからない。
江戸時代、田端は、東側と、西側に、分かれていて、それぞれに、神社が、あった、ということだが、八幡神社は、もっと、古いのである。
考えられるとすれば、田端八幡神社は、東側の、神社だけ。こちら側は、別の神社だったのかも。
いつの間にか、あるいは、何かの理由で、同じになってしまったのではないだろうか。
八幡神社を、後にして、西へ、向かう。
(2013年2月記)

山手線田端駅(田端四丁目 八幡神社)

2015-03-16 03:40:10 | Weblog
谷田川の流路跡、谷田川通りは、いったん、西に、向きを、変え、再び、北西へ。
しばらくすると、北に、伸びる通り。
北へ、行ってみる。
上り坂を、上っていくと、ほどなくして、通りの、西側、八幡神社。
高台、いかにも、古い神社。
創建は、わからないが、おそらく、鎌倉時代、と思われる。
ところで、東側にも、八幡神社があるが、どういう、関係なのか、わからない。
田端の、西側と、東側、ということだろうか。
でも、それなら、どうして、分ける必要があったのだろうか。
ということで、明治時代初め頃の、地図を見てみると、こちら側の、神社は、氷川神社、となっている。
これは、どうしたことか。
ますます、わからなくなる。
(2013年2月記)

山手線田端駅(田端四丁目 田端銀座商店街)

2015-03-15 03:22:10 | Weblog
北西へ、歩いていく。
ほどなくして、北西へと、伸びる、田端銀座商店街。
田端駅とは、かなり、離れているが。
このことは、駅が、完成する前から、このあたりが、開けていた、ということを、示しているのだろう。
もともと、開かれている場所に、鉄道の、駅は、設置されず、むしろ、そのような場所を、避けて、駅は、設置されるからだ。
実際、明治時代初め頃の、地図を、見てみると、谷田川の、北側沿いに、集落が、あることが、わかる。
もっとも、商店街は、昭和の初め頃、できたと思うのだが。
(2013年2月記)

山手線田端駅(田端三丁目 田端不動尊)

2015-03-14 06:55:14 | Weblog
北西に歩いていくと、しばらくして、北側には田端不動尊。
創建は、わからないが、おそらく、江戸時代と、思われる。
創建の地は、今の、田端駅あたり。
その後、明治時代の終わり頃に、鉄道路線の拡張により、谷田川沿いに、移転。
今、歩いているのが、谷田川の、流路跡なので、この近くなのだろう。
また、しばらくして、昭和の初め頃、現在の地に、移転している。
谷田川が、埋め立てられたのが、昭和の初め頃なので、移転は、そのことと、関係があるのかもしれない。
さらに、北西へ、向かう。
(2013年2月記)

山手線田端駅(田端二丁目 水神稲荷神社)

2015-03-13 04:46:28 | Weblog
南へと歩き、途中、北西方向へ、伸びる通りへ。
そのまま、北西へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの北側には、水神稲荷神社。
創建は、わからない。
おそらく、江戸時代、と思われる。
あたりが、開かれた頃だ。
通りも、谷田川の、流路跡なので、そうなのかもしれない。
再び、北西へと、歩いていく。
(2013年2月記)

山手線田端駅(田端一丁目 田端駅メインストリート)

2015-03-12 05:39:42 | Weblog
都心近くにあって、長閑な、環境、と思ったら、あちこちで、住宅地の建設。
これも、都心で再開発が、集中していることの、影響なのだろうか。
偶然なのかもしれないけど。
しばらくすると、南北に伸びる、通り。
田端駅に、達する通りだ。
鄙びた商店などが、並んでいる。
八幡神社の南側を伸びる、新しい道路が、完成すれば、整備されてしまうのだろうか。
日暮里南側みたいに、テーマパークになれば、残るのだろうけど。
南北に伸びる通りを、南へと、向かう。
(2013年2月記)