retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

京浜急行線大森海岸駅(勝島三丁目 鈴ヶ森第二トンネル)

2014-11-20 05:37:50 | Weblog
東へ歩いていくと、突き当たり、しながわ区民公園、となる。
園内に入り、南へ、向かう。
しばらくすると、東西に、伸びる、首都高羽田線高架の下、トンネル。
鈴ヶ森第二トンネル、という。
首都高羽田線は、南へ伸びていて、こちらは、分岐線。
公園の中、ということで、それなりに、工夫、されているのかな。
高架下でも、なにか、公園の一部のような、感じがする。
さっそく、トンネルを、潜って、さらに、南へ。
公園は、首都高羽田線の、南側にも、広がっているのだ。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(南大井二丁目 浜川神社)

2014-11-19 04:19:49 | Weblog
東海道を、南へ南へと、歩いていく。
しばらくすると、通りの、西側、浜川神社。
江戸時代に、建てられた、新しい、神社だ。
東海道が、整備され、あたりが、開かれて、できたのだろう。
その、南側は、刑場に、なっていた。
江戸名所図会には、載っていないけど。
名所、ではないから、だろうな。
再び、南へ。
すぎに、東へ、曲がり、そのまま、東へ、向かう。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(南大井一丁目 立会川)

2014-11-18 05:08:26 | Weblog
橋の名前、浜川橋、ということは、昔は、浜川、という名前の、川だったのかもしれない。
江戸時代の地図を見ると、河口付近は、浜川町、となっている。
もっとも、川の、下流と、上流では、名前が、違うということは、よくある。
浜川、というのは、わかりやすいが、立会川、というのは、よくわからない。
立会川、目黒の台地、碑文谷の、池から、流れてくる、川。
鎌倉街道も、通り、昔から、それなりに、開けていた、地域。
立会川、という名前、由来があるのだろうけど。
今となっては、もはや、わからない。
今回は、北へ向かわず、この場で、南へ、向かう。
東海道、南へ、歩いていく。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(南大井一丁目 浜川橋)

2014-11-17 04:00:35 | Weblog
東海道、北へ向かうと、すぐに、浜川橋。
東海道なので、もちろん、江戸時代から、架かっている橋だ。
江戸時代の地図にも、載っている。
完成したのは、東海道が、開通した、江戸時代の、初め頃だろう。
ただ、現在、架かっている橋は、昭和の初め頃、完成している。
まだ、沖合いは、埋め立てられていないが、しばらくして、埋立が、始まるので、ついでに、橋も、架け代えられたのかも。
時代は、動いていく。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(南大井一丁目 天祖神社)

2014-11-16 08:02:19 | Weblog
東海道を、北に向かうと、すぐに、西側、天祖神社がある。
創建は、わからない。
ただ、それなりに古い、ということは確からしい。
江戸時代の、地図を見ると、神明神社となっている。
また、東海道沿いにあることから、東海道が、開通した、江戸時代の初め頃、他の場所から、移転してきた、と思われる。
他の場所、というのは、北西側、来福寺のある場所。
そこから、西側、少し、離れたところ、南北に、鎌倉街道が、通っているので、あり得ると、思える。
さらに、東海道を、北へ。
(2013年1月記)

京浜急行線大森海岸駅(南大井一丁目 東海道)

2014-11-15 06:53:07 | Weblog
昭和の、忘れられたような、店舗が並ぶ、通りを、西へ。
やがて、南北に伸びる、通り。
江戸時代、開通した、東海道。
とすると、明治時代以前、海岸線は、ここまで、だったのだろうか。
東海道は、もともと、海岸を、通っていたからだ。
ここから、東側は、新しく、埋め立てられた土地。
今となっては、ここらへん、海岸、というより、かなり、内陸、になってしまったような気がする。
そんな、東海道を、しばらく、歩いてみる。
(2013年1月記)

りんかい線品川シーサイド駅(勝島一丁目 立会川河口 勝島運河)

2014-11-14 04:34:14 | Weblog
通り、西へ歩いていくと、北側には、勝島運河。
河口のようだが、実際は、立会川の、河口なのだろう。
勝島の、南側は、埋め立てられているので、立会川の、流れは、こちらにしかない。
いまとなっては、勝島も、島ではなく、半島となっている。
埋め立てられたのは、バブル期の直前頃か。
工場の敷地は、もはや、いらなくなったので、そこへ、物資を、輸送するための、運河も、いらなくなったのだ。
ウォーターフロントの再開発。
そういう時代も、あったな。
さらに、西へ西へと、歩いて行く。
(2013年1月記)

りんかい線品川シーサイド駅(勝島一丁目 競走馬を運ぶ輸送車両)

2014-11-13 04:11:29 | Weblog
ふと、路肩を見ると、不思議な、クルマが、停まっていることに、気付く。
どうやら、競走馬を、輸送するための、クルマ、らしい。
そういえば、近くに、大井競馬場が、あったはず。
近くどころか、通りの、南側一帯は、大井競馬場の、敷地。
コースは、南側、ちょっと、離れているけど。
とすると、やはり、大井競馬場に、競走馬を、搬送するための、クルマなのだろう。
ちなみに、大井競馬場は、戦後、間もなくして、完成している。
一帯が、下町だった頃は、賑やかだったことだろう。
いまは、ずいぶんと、整備されて、きれいになったが、静かになった。
南北に伸びる、海岸通りを渡り、西へ、向かう。
(2013年1月記)

りんかい線品川シーサイド駅(勝島一丁目 首都高羽田線高架)

2014-11-12 07:03:28 | Weblog
南へ向かうと、しばらくして、東西に伸びる、通りに、行き当たる。
西へ曲がり、そのまま、西へ。
ほどなくして、南北に伸びる、首都高羽田線の高架。
高度成長期の頃、完成した。
まさに、高度成長期を、代表する、建造物、なのだろう。
都心と、羽田空港、横浜方面を結ぶ。
もはや、レトロだが、現役だ。
代わる施設が、登場するとも、思えない。
高架を、潜って、さらに、西へ。
(2013年1月記)

りんかい線品川シーサイド駅(勝島一丁目 勝島運河)

2014-11-11 04:46:05 | Weblog
しばらくすると、東西に伸びる、勝島運河。
東側、すぐに、南北に、伸びる、京浜運河があり、そちらに、合流している。
実際、合流しているのだろうけど、当初は、勝島、という、埋立地の、北側だったようだ。
さらに言えば、東側の、京浜運河も、その、東側に、埋立地が、あるので、運河になっている、ということなのだろう。
勝島の、埋立は、戦前。
その東側は、戦後、高度成長期に、かけて、順次、埋め立てられていったようだ。
都市が、海へも、拡大していったのかな。
勝島に、渡り、南へ南へと、歩いていく。
(2013年1月記)