retifの都市探検日記(高層ビル編)

東京の街並みなどを報告します

南北線麻布十番駅(元麻布一丁目 光善寺)

2014-09-20 08:08:12 | Weblog
南へ、歩いていくと、通りの西側には、光善寺。
創建は、江戸時代の前、戦国時代らしい。
江戸時代に、近いので、江戸時代への画期、ということでもある。
創建の地は、今の、世田谷上町あたりらしい。
ボロ市通りや、代官屋敷跡がある。
しばらくしてから、おそらく、江戸時代になって、今の、芝あたりに、移転。
また、しばらくして、この地に、移転してきている。
江戸の町の、拡大に、伴うものだろう。
西へ曲がり、そのまま、西へ歩く。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(麻布十番三丁目 麻布十番商店街 雑式通り)

2014-09-19 05:39:22 | Weblog
網代公園の西側に出て、南へと、歩いていく。
雑式衆議院第二議員会館ビル通り、という名前の通り。
雑式というのは、役所の、雑務の、ことらしく、各地に、地名として、残っている。
だからといって、この近くに、大昔、なんらかの、役所があったのかどうかは、さだかではない。
大昔は、麻を、税として、納める場合も、あったようなので、麻布、という、地名とともに、雑式、という地名も、そのような、由来が、あり得たのかもしれないけど。
などと考えながら、麻布十番商店街でもある、雑式通りを、南へ、向かう。
(2013年1月記)

南北線麻布十番駅(麻布十番二丁目 網代公園)

2014-09-18 05:42:04 | Weblog
南へ歩いていくと、溜池山王駅。
南北線に乗る。
麻布十番駅で下車。
地上に出ると、南北に伸びる、大通り。
西側は、麻布十番。
そういえば、ちょっと前まで、鉄道の駅が、なかったのだ。
なくても、都心なので、不便、ということは、ないのだろうけど。
それでも、都心への、集中、ということで、駅が、できたのかな。
西へ曲がり、そのまま、西へ。街中に、入っていく。
しばらくすると、網代公園。
できたのは、終戦後。古い公園だ。
公園の名前は、網代町という、昔の、町名から、ということらしい。
いかにも、海辺を、思わせるが、芝、今の、浜松町駅付近から、住民が、移ってきたからで、もそもとは、そちらの、地名が、由来となる。
だから、実際、海岸が、あったわけではない。
網代公園を、後にして、南へ、歩いていく。
(2013年1月記)

南北線永田町駅(永田町二丁目 山王日枝神社への坂道)

2014-09-17 04:57:36 | Weblog
西側、坂を、下っていくと、山王日枝神社がある。
その、坂道も、工事中で、整備されるようだ。
そんな、坂の上から、坂の下へ。
下界へ、降りて、一息、つくような感じ。
神社も、丘の上にあるのだけど、こちらの方が、落ち着ける。
緑も、多いし。
ただ、正月は、神社への、参拝で、賑やか。
むしろ、国会議事堂の方が、静かなぐらい。
坂を、下りきって、山王日枝神社の、東側、南へ南へと、歩いていく。
(2013年1月記)

南北線永田町駅(新衆議院第一議員会館ビル)

2014-09-16 05:38:33 | Weblog
すぐに、南側、隣には、新衆議院第一議員会館ビル。
最近、完成した高層ビルだ(工事中はこちら)。
国会議事堂の西側、三棟の、高層ビルが、建ち並ぶ。
そういえば、つい最近、昨年年末、政治の変動があった。
そのためなのだろう、ビルの窓の内側、あちこち、大きな花束が見える。
政治の変動があって、すぐに、正月になって、まだ、片付けていないのだろうか。
これからどうなるのだろう。
どちらにしても、まだまだ、都心への集中は、続きそうだけど。
国会議事堂の西側、三棟の、高層ビルを後にして、西へ、向かう。
(2013年1月記)

南北線永田町駅(新衆議院第二議員会館ビル)

2014-09-15 07:11:26 | Weblog
南側、隣には、新衆議院第二議員会館ビル。
最近、完成した高層ビルだ(工事中はこちら)。
国会議事堂の、西側に、高層ビルが、建ち並ぶ。
壮観な、感じだ。
ここらへんは、高台になるので、なおさら、壮観に思える。
さらに言えば、正月、まわりには、誰もいない。
ということで、建物の巨大さが、いっそう、引き立って見えるのだ。
昨今の、都心部への、集中、ということの、あらわれかもしれない。
バブルが崩壊してから、この集中、まだまだ、続くのだろうか。
将来は、わからないけど。
再び、南へと、向かう。
(2013年1月記)

南北線永田町駅(新参議院議員会館ビル)

2014-09-14 07:59:02 | Weblog
高田馬場駅から東西線。
飯田橋駅で有楽町線に乗り換える。
永田町駅で下車。
地上に出ると、東西に伸びる、大通りと、南北に伸びる、大通りとの、交差点。
南側には、国会議事堂。
日本の政治の中枢だ。
でも、正月なので、閑散としている。
とりあえず、北へ。
しばらくすると、通りの西側に、新参議院議員会館ビル。
最近、完成している(工事中はこちら)。
こちらも、正月なので、閑散としているが。
さらに、南へ、歩く。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(北烏山三丁目 烏山川流路跡)

2014-09-13 08:38:43 | Weblog
南へと、歩いていくと、しばらくして、烏山川が姿を、現す。
といっても、すでに、日没近く、判然としない。
ひょっとすると、窪地だけで、川の流れは、ないのかもしれない。
といっているうちに、完全に、日没となってしまう。
烏山川に、沿って、南へ南へと、歩いていくと、東西に伸びる、甲州街道。
甲州街道沿いには、防音壁があり、そのため、烏山川の、流路跡が、わからなかったようだ。
それ以前に、甲州街道の南側、すでに、流路跡が、道路になっていたので、わからなかったのだけど。
とにかく、もう一度、訪れなければならない。
とりあえず、甲州街道を、西へ。途中、南へ曲がり、千歳烏山駅を、目指す。
たしか、駅から、バスが、出ていて、中央線方面へ、行けたと、記憶していたので。
ところが、千歳烏山駅近くに、着いたものの、どこから、バスが、出ていたのか、思い出せない。
結局、京王線で帰ることにする。
明大前駅で、京王井の頭線に乗り換え、吉祥寺駅。中央線に乗り換える。
バスで、帰ったのと、同じことかな。
中央線で、帰る。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(北烏山二丁目 中央自動車道高架下)

2014-09-12 05:38:28 | Weblog
団地の中を、歩いているが、なんとなく、流路跡だと、わかる。
緑道には、なっていないけど。
南へ、歩いていくと、中央自動車道の、高架。
中央自動車道、ここらへんは、高度成長期ぐらいに、開通している。
おそらく、団地も、同じ頃、できたのだろうか。
一体化されているような感じなので、そうなのだろう。
宅地化されたのは、さらに、それ以降のことかな。
昭和の初め頃の郊外化、というのは、都心部の、いろいろな施設が、都心の外縁に、移転した、ということかもしれない。
宅地化されるのは、高度成長の頃だろう。
中央自動車道の高架を潜り、さらに、南へと、向かう。
(2013年1月記)

京王線芦花公園駅(北烏山二丁目 団地内の烏山川流路跡)

2014-09-11 05:39:31 | Weblog
東側、団地となっている。
団地の中、歩いていく。
途中、流路跡は、南へ。
流路跡を辿り、南へ曲がり、そのまま、南へと進んでいく。
地図を見ると、烏山川流路跡、団地が多い、というのではなく、全域が、団地になっている。
寺町東側から、団地は、流路跡に、沿って、南へと、広がり、甲州街道の先、帯状に、南へと、伸び、小田急線まで。
だとすると、団地や、集合住宅を、辿れば、烏山川流路跡を、見失うことは、なかったはずだ。
などと、気付いたが、もう、日没が近い。
急いで、南へ南へと、歩いていく。
(2013年1月記)